昨日行った那須湯本温泉の滝の湯は、商業施設の鹿の湯とは異なり組合員が使うよりスパルタンな共同浴場です。手荒れなどに効能がありますが、豪華さとは無縁の浴槽に身を沈めると心が平安を取り戻し欲が消えていくことが最大の効能だと思います。古いマーケティングの定義は「生産者が消費者の購買意欲を刺激する一方的な市場操作」とされやがて両者の相互理解へと変遷します。しかし、これは学問上の定義であって現代社会は一方的な市場操作なしに成立しません。もっとも有害で深刻な市場操作は食欲に関するものだと思います。精製度が高い小麦は糖質摂取による血糖の急激な上昇が陶酔感をもたらし食欲の衝動をコントロールできなくなります。糖質制限によりカロリー摂取量が3割程度減るという研究がありますが、それは食欲が減退するからで無理なく贅肉を落とせます。生物が脳を獲得したのはこの5億年ほどとされ、生物は進化の歴史の8割から9割を脳のない状態で過ごしています。最大のエネルギー消費臓器である脳は他の臓器とは別物で自らの欲求だけを満たすために人を中毒にさせます。養生訓は欲に溺れず万事少な目を心がけることを繰り返し説きますが、現代人は人間本来の欲望ではなく押し付けられた欲望で生産者の奴隷にされていると思います。
欲しいものリストを伸ばしただけ
昨日から甲子高原に来ました。玄関にある、昭和40年代から50年もの間働いてきた手巻きの柱時計は、しばらく来なくても律儀に時を刻み続けます。那須湯本温泉の鹿の湯に昨日も寄りました。高温浴槽に身を沈めると頭の上を冷たい外気が抜ける浴場の風情は東北の秘湯そのものです。湯船で至福の時を過ごすとき本音の自分に出会います。この温泉とブナ原生林を抜ける阿武隈川の清流があれば、それ以外の贅沢を一生放棄しても多分悔いが残りません。人はどこかで贅沢の本質を見失い、社会もあえてその履き違えを訂正しませんでした。多忙で空虚な現代を救うのは無為であり、自分を高揚させエネルギーを高める場所は山や森のなかです。今この瞬間に起きていることが人生の全てであり、未来が今より良くなるのを待つ必要も、金持ちになる必要も、自分の有能さを証明する必要もないと思います。幸福は金や名声や肩書で得られるものではなく、自身の内面が解釈するものです。20世紀を通じてもたらされた豊かさは満足感ではなく期待値だけを増幅し、はかない執着と欲しいものリストを伸ばしただけかもしれません。
70年代に戻りたい
日本工学院に行く木曜日は車を使いますが自動車通勤にはいくつかのメリットがあります。密閉された個室での移動時間は一種の瞑想になりますし、移り変わる景色が刺激になりアイデアが出やすくなり、運転が好きなら移動そのものを楽しめ自己肯定感も高まります。目下の悩みは愛着の対象になるような欲しい車がないことです。マニュアルトランスミッションであることを選択の条件にすると、もはや選択肢は輸入車とマツダ車の一部と軽トラックぐらいになってしまいます。マニュアルトランスミッションを捨てた日本車メーカーが見落としていたのは、安楽と楽しさは同居できないことだと思います。加速も燃費もオートマチックが優れているにしても、テクノロジーを優先して運転から人間を追い出したときから自動運転に至る車終焉の歴史は運命づけられたと思います。1968年に東名高速が開通し日本が本格的なモータリゼーションの時代に入った1970年前後の自動車こそが欲求の対象で、相手が最新のフェラーリやマクラーレンだとしてもスマホゲームのような運転感覚に楽しさも豊かさも感じることはできません。貧しかったからこそ欲求が増幅されるのであって欠乏なき豊かさは成立しないと思います。
野蛮な暴挙を無視する政治
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』が描いた近未来世界の恐怖を実現したような中国の恐ろしさは数日滞在しただけでも感じます。5月に深セン市に滞在した後香港に入国したときはほっとしました。今その香港での抗議活動が中国政府の意を受けた香港警察により弾圧されています。西側世界と縁の深い香港は世界の注目を集めるだけ救いがありますが凄惨なチベット弾圧は長年見捨てられてきました。暴力と憎悪の闘争哲学を信奉する毛沢東率いる共産党は人民の怒りを利用して既存権力を破壊してきました。暴力の肯定で神経が麻痺していく時代の空気は二・二六事件など戦前の日本にもあったと思いますが、人間のDNAのなかには暴力の支配に陶酔する残虐さがあると思います。暴力が横行する諸悪の根源は専制政治であり、人民解放軍は支配階級の権力擁護のための暴力装置として機能します。日本共産党でさえ香港での弾圧の即時中止を求める声明を出しているのに、民主派議員を逮捕し大学構内への突入で実弾発砲する言語道断の野蛮な暴挙を無視する日本の政治こそが平和ボケの象徴でしょう。
無邪気過ぎた日本人
安倍首相の在任期間が憲政史上最長になり株価だけが不気味に上がり続けるこの国では、すでに崩壊しているものに望みを託さなくてはならないのかもしれません。増税をしても社会保障費や借金の増加は止まらず人口が減っていく国に未来がないことは、ジム・ロジャーズに言われなくても知っています。変革を担うはずの若者の2020年卒の志望先は1位と2位が昨年と入れ替わっただけでトップは地方公務員、2位は国家公務員とされます(リスクモンスター発表)。緊張感のない政治は不要不急の話題に時間を費やし、マスコミは香港の民主化運動より芸能界の薬物汚染を騒ぎ、国民は今日何を食べるかぐらいしか関心のないのが今の日本です。歴史上平和の恩恵を今ほど受けた日本人はいませんが、その尊さを考えることもありません。1960年代に生まれた自分にとって一番輝いていた日本は1970年代です。まだ生活が豊かとは言えなかったから未来や消費に希望を見出すことができたのですが、その希望の現実が今の退廃した社会であるならわれわれは無邪気過ぎたことになります。
コンプライアンス以前の日本
芸能界には関心がないのですが、薬物中毒を長年放置してきたエイベックスの経営に焦点が当たると話は違ってきます。こうした経緯を知らないはずのないNHKが今頃になって被害者面するあたりも懲りない体質と業界の異常さを物語っていると思います。ビジネスエシックスが問われる時代に入っても人間の醜さと愚かさがもたらす倫理観を欠いた商習慣はなくなりません。業績の良い特定銘柄に投資が集中するように、成長企業の見つからない日本において企業の成長はあらゆることへの免罪符になります。業績を急成長させる経営者のエキセントリックな行いに対して社会は寛容です。税金を払わないGAFAやソフトバンクの行動も、ソフトバンクを崩壊させかねないWeカンパニーの粉飾も、エイベックスのトップに噂される薬物疑惑も同じことです。コンプライアンスに真面目に取り組むはずの日本でコンプライアンス以前の問題がたびたび起こる理由は、逃げ場のない単一民族国家の島国故に本音を隠して建前で生きることを強いられるからなのかもしれません。
勢いよく人生を終える
昨日は義理の父の家に行き、預けてある娘の荷物を整理しました。中から11歳の時に娘が自分宛に書いた「17歳の私へ」という手紙が出てきて、17歳を迎えた今の生活は手紙を書いた当時の予想よりドラマティックなようです。生涯現役が理想の自分も6年後、さらに6年後に何をしているか考えます。エクセルに日記を付けているので、昨年の今日、10年前の今日に戻ることができ、当時は何を感じていたのか思い起こします。誰しも若くして成功し悠々自適の後半生を理想にします。会社の売却などで多額の金を手にする若い起業家を見るとうらやましくもありますが、その可能性を絶たれている自分のロールモデルはKFCのカーネル・サンダースです。どの業界にも遅咲きの起業家がいることは希望を持てますが、40種に上る職を転々とした後65歳で無一文になり、90歳でこの世を去るまでケンタッキーフライドチキンの顔として活躍する壮絶な人生の右に出る者はないでしょう。人生が100年あるなら生き急ぐ必要もなく、前半に成功して除々に生命力をすり減らして消え入るよりは、後半にクライマックスが来る遅咲きの方が勢いを保ったまま人生を終えることができると思います。
予定調和かトラウマか
大物タレント逮捕のリーク情報通り麻薬取締法違反容疑で沢尻エリカが逮捕されました。実績をアピールしたい警察にとって十分な相手でしょう。12歳で芸能界にデビューし、流行語にもなった「別に」発言でも注目され、時の人であるハイパー・メディアクリエーター高城剛と2009年に結婚するも翌年には離婚を表明し、大麻使用疑惑を持たれながらも女優としての確固たる地位を築いてきました。そこからの逮捕は華やかな芸能界にありがちな予定調和の転落と見ることができます。裕福な家庭に育つ一方で馬主だった父親が9歳の時に失踪しその後病死、兄を交通事故で亡くすという不幸のトラウマに操られた人生にも思えます。人類と向精神性作用のある麻薬との関係は遥か昔まで遡ることができ、芸術や宗教の近くには薬物があり、薬物汚染は今や市民生活にまで浸透しています。挫折を経ながらがむしゃらに生きてきた苦労なのか、薬物の影響なのかその顔は33歳の割に老いが感じられます。気の毒なのか自業自得なのか金や名声は手にしてもその内面に平和が訪れることはなかったのかもしれません。
必死に働きたい!
必死に働いた経験のある人は何割ぐらいいるのか時々考えます。やれることは全てやったという完全燃焼した仕事の経験がある人は少数だと思います。自分のことを振り返ると外資系コンサル会社に勤務していた頃はハードワークで睡眠時間も満足に確保できませんでしたが、必死だったかと言われるとちょっと違う気がします。人は誰しも情熱の対象となる仕事を探していて、一方で企業経営者は仕事に情熱を注いでくれる人を探していますが、両者のニーズが合致することはまれです。必死に働く意味が少し分かったのはサラリーマンを辞めて旅館を買ってからです。営業許可が取れず5日間何も食べられなくなり、そこから恥も外聞もなく人に助けを求めて行動した頃は必死だった気がします。報われない努力だとしても必死だった時間にはどこか清々しさが残り自信にもなります。辛かったはずのトレイルランニングのレースが終わってみると美化されて清々しい思い出に変わることと似ています。仕事であれスポーツであれ、誰しも情熱を傾けられ必死になれる何かを人生に求めているのだと思います。
教科書と情熱
日本工学院の授業ではスポーツ関連企業のケースを使います。昨年扱ったライザップの事例では博打的な広告宣伝費などのリスキーな体質と体力を超えた成長追求、現代の教科書には書かれていないコングロマリット理論などの問題を取り上げたあとに一連の問題が噴出し業績が失速しました。失敗事例として用いたアンダーアーマーはアスレジャーブームで成長したあとアマゾンエフェクトにより頼みの流通チャネルを破壊され失速したように、外部環境変化への対応を誤ったケースだと思います。よく取り上げるのはプロ野球やJリーグ、B.LEAGUEなどの赤字企業を再生する新興企業のケースです。企業再生に成功する企業の共通点は教科書通りセオリー通りに、あとは情熱をもって地道に取り組むことだと思います。学ぶは真似ぶで先行する成功事例を正しくベンチマークすることは有用だと思います。成功する企業でも教科書から逸脱することがありますが、それは勝率の高い賭けであったり説明がつくものです。結局のところ一番の成功の源泉は情熱で、自分が好きで社会的な意義があり、マネタイズできることなのだと思います。