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体現された執着

ドライブレコーダーの衝撃的な映像が話題になり、捜査一課まで投入されたあおり運転殴打事件は社会現象になりました。覗き趣味は品がないと思いつつ、容疑者のインスタグラムを見てしまいます。いつの時代も他人の不幸は蜜の味で、「インスタ映え」ならぬ「インスタ萎え」などと酷評されたコメントは9,000に及びます。妬みは人間の一種の生存本能とも言われますが、ステレオタイプの見せびらかし趣味は格好のターゲットです。高級車、高級ブランドと並んで目を引くのは糖質です。相当な甘党らしく、砂糖や小麦粉製品への強い依存を思わせます。警察官に取り囲まれたときの態度と高速道路上の振る舞いは別人ですが、屈折した内面の弱さの裏返しと被害妄想が態度に現れるのは虚勢を張る人間の特徴でしょう。元来執着の強い人間が、執着を喚起する自動車の運転に加え、甘党やパン好きが災いしたグルコーススパイクが自律神経のバランスを乱し常軌を逸した行動を助長したと思います。ありふれた暴行・傷害の容疑者が日本中から非難されるのは、誰もが振り払いたい執着を分かりやすく体現していたからだと思います。

食事、運動、休息の調和

自分の体は100年に渡って使うものですから大切にする必要がありますが、乱暴に扱う人が多いことから生活習慣病の蔓延につながっています。自分へのご褒美は多くの場合体に悪く、世界の年間癌死亡者はのうち喫煙が原因の人は100万人、アルコールは60万人と推計され、甘いデザートや甘味飲料、シメのラーメンを含め嗜好品は全て有害です。のんびり過ごす静養でさえ、安静状態が長期に渡り続くと筋肉の廃用性萎縮が起こりさまざまな心身機能の低下につながります。人間のあらゆる生理機能は使わないと衰える性質があり、動かし続けることが必要です。週末に行った鳳凰三山はスピードハイクなら午前中に戻れる山ですが、標高差1,700mを一気に登るルートは適度にスパルタンで筋肉痛が残ります。この時期FB友達の多くが山に向かい、聞くだけで怖気づくような距離を走破しているように、ハイカーにとって山は楽しみの対象ですが、トレイルランナーにとっては挑む対象です。健康のためには運動が奨励されますが、一方で鍛え過ぎて肉体を酷使すれば健康を害します。重要なのは食事、運動、休息の調和を取ることに尽きると思います。

集団自殺に向かうGDPカルト

英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」元東京支局長デイヴィッド・ピリングの著書「幻想の経済成長」を読みました。誤った生活習慣を推奨して人を病気にさせ、医療費でも儲ける不合理な経済のあり方に疑問を感じていたので、経済貢献の避けられない副産物として社会悪や不幸を容認するGDPカルトを批判する本書は共感できます。売春や薬物、ギャンブルが合法化される国との統計に一貫性を持たせることができない実務的な問題もありますが、経済成長の本質的な欠点は収入について教えてくれても富については何も教えてくれないことです。豊かだったイースター島が文明の最後の砦である樹木を伐採したことで不毛の地となったように、GDPというプリズムを通じて政策立案を行うと、集団自殺に向かいます。GDPの尺度を使いながらレジャーの時間や無報酬の家事労働を指標に追加し、指標から除外されるべき公害、犯罪、長時間通勤、森林喪失などの要素を引く、米国メリーランド州が採用を宣言したGPI(Genuine Progress Indicator)は現実的に思えます。

いつ悔い改めるか

健康状態の良し悪しは生産性に直結すると思います。体調が良ければ集中力が高まり頭も回り意欲的で、悩みもなく幸福度も高いので自ずと生産性が上がります。トップの元気さが組織の元気度の上限を決めるので、職位が高い人ほど健康に留意すべきです。それでも多くの人が健康的な生活をしないのは、それが不自由だからです。食べすぎや飲みすぎはいけない、運動をしなくてはいけない、夜ふかしをしてはいけない、といったネガティブリストを見るだけで健康嫌いになります。健康的な生活をするには、未来に希望を持ち健康になりたい理由と意思を持つことだと思います。今年86歳で南米最高峰のアコンカグア登頂に挑んだ三浦雄一郎氏の話を、それは例外で自分とは関係ない話だと思うか、肉体の可能性を信じることができるかの違いです。もう一つはどれだけ早い時点で自らの誤りを悔い改めるかだと思います。自身49歳で肝炎になり10日ほど入院したことをきっかけに体重を減らし運動を始めました。糖尿病の合併症や癌が進行してから悔い改めても、多くの場合手遅れになります。

南アルプスは業界関係者の練習場?

今朝は南アルプスの鳳凰三山(観音岳2,841m)に日帰り登山しました。御座石鉱泉に車を停め青木鉱泉から稜線まではスピードハイクなら3時間ほどですからトレイルランナーも多く見かけます。先週の南アルプス縦走と違い荷物が格段に軽いので身軽さの有り難みを体感します。白砂の美しい稜線は日本離れした景色で南アルプスの主峰北岳が目前に見えます。ドンドコ沢を登っていくと高度を上げても水量の多い滝に驚かされ、鳳凰三山のもう一つの魅力は滝です。昨年平ヶ岳登山で熱中症になったラブラドールの息遣いを気にしながら、標高1,150mの青木鉱泉から観音岳まで標高差1,700mの急峻な山を登って行きます。稜線ではTJARのスタープレイヤーの朽見さんに会うなど、南アルプスは業界関係者の練習場と化した感があります。ハイカーとトレイルランナーの大きな違いは、前者が山頂を目指すのに対して後者はそのプロセスに重きを置く点です。トレイルランナーにとって地図上のコースタイムは、頂上へ着くまでの時間ではなく、あと何時間トレイニングができるかの目安です。

EBMは新手の作り話

医学の進歩を信奉する人は最新が最良と考え、最新医学のデータや高度化されたEBMを有難がります。しかし、巷で喧伝される主張の根拠は相関関係であって因果関係ではなく推測の域を出ません。その証拠に全ての主張は他の主張と矛盾していてどれを信じて良いのか分かりません。唯一信用できるのは誰もが知る口述伝承された知識ぐらいで、早起早寝、腹八分目、適度な運動を実践すれば健康になれると思います。重要なことは生体恒常性のデフォルトに忠実に生きることです。規則正しい食事や朝食を重視する主張は一見正しいように見えますがその信憑性は疑われます。人体はその歴史の大半を占める狩猟採集生活に適応していて、毎朝同じ時間に食事がある生活を始めたのはごく最近のことです。何km走っても獲物にありつけない日が多かったはずですから、決まった昼休みに短時間でかき込む昼食も人体にとって不自然です。必要がなければ狩りにも行きませんから、空腹時間が長かったはずで、冷蔵庫を開ければ食事がある生活が体に良いはずがありません。EBMという新手の作り話は肝心な点を見落としているように見えます。

今こそ生きる戦争の記憶

戦中世代が減る今の社会にとって戦争はテレビで見るニュースに過ぎません。自分が生まれる20年前は太平戦争の真っ只中でしたが、幼少時に傷痍軍人を街で見かけた記憶がある程度で、痕跡を消された戦争はミステリアスな存在です。戦争の痕跡を見たくて10年ほど前にパラオ本島から60km離れたペリリュー島に行きました。関東軍の精鋭と米海兵隊の精鋭第一海兵師団が激突した狂気の戦場には、急峻な岩山に作られた500以上のトンネル陣地があり、旧日本軍の弾薬やビール瓶が散乱していました。日本側が水際撃滅バンザイ突撃という短期決戦から長期持久戦に切り替えたことで米国史上最悪の死傷率を海兵隊に強いました。長くて4日と言われた小さな島を、食料も水も乏しいなか74日も守り抜いた精神力は驚異的です。戦争中は正当な評価を受けることのない奇跡的な偉業がたくさんあったと思います。逃げ場のない絶海の孤島に立ったとき、戦争の不気味さを少しだけ感じました。われわれの日々の悩みなど、生きたいと願いながらその選択肢のなかった若者の犠牲と比べようもなく、生きることが許される時代にこそ戦争の記憶は生きると思います。

仕事を主体化する時代

やや旧聞に属しますが、ヘルスメーター大手のタニタが2021年から雇用契約ではなく業務委託を視野に新卒採用を始めるというニュースは働き方改革の核心だと思います。半数の会社がパラレルワークに前向きな時代の必然の成り行きですが、その影響は小さくありません。社歴の長い年長者に多く給料を払う年功序列賃金体系は納得を得やすい反面、そこに合理性はありません。右肩上がりの時代の組織は人に給料を払う共同体を指向しましたが、生き残りをかける時代になると組織は機能体として業務にお金を払うのでしょう。雇われるレイバーから、委託を受けるワークに変わることで、仕事は無用なしがらみから解放され初めて生きる喜びになり得ます。個人の信用格付けを一つの会社が査定する時代から社会が行う時代になると、組織人から社会人への意識改革が必要になります。企業の看板とネットワークに依存する仕事には甘えが生じ、会社が多くを提供するほどその構成員は働く主体性を失います。最も人生を豊かにするはずの仕事を主体化する時代が始まるのだと思います。

フローに至る死の危険

終戦日に向けて戦争ドキュメンタリーが放送される8月は、一年で最も死について考える月だと思います。二度の原爆投下による市民の殺戮とソ連の参戦、そして最悪の航空機事故で多くの人がむごい形で人生を終わらされたのも34年前の昨日です。当たり前のように朝が来て、大半の人が平和な死を迎える現代に、毎年3万人が自らの生命を絶たなくてはならない皮肉を考えます。生きる時間を制限する死は同時に人生に意味を与え、真剣に生を考え丁寧に生きるきっかけになると思います。先日、山での事故で身近な人の訃報に接しました。山は常に死と隣り合わせという点で他のレジャーと異質です。一見平和に見えるのどかな稜線も、一瞬の判断ミスや不注意で滑落をすれば助からないところばかりです。先日行った南アルプスの荒川三山手前のカール大斜面は岩が大崩壊地側に崩れたことで、標高差600mのナイフリッジとなり、どちら側に落ちても助からない危険地帯でした。エクストリームスポーツのアスリートがフローに入りやすいのは、死の危険が集中力を高めるからに他ならないと思います。

食べない喜び

昨年盛り上がった人生100年時代というキーワードは鳴りを潜めた印象があります。人の寿命は先進国を中心に伸び続け、2007年生まれの日本人の半分は107歳まで生きると予測されますが楽観的に聞こえます。医療技術が進歩しても人生100年時代は来ないと思います。長寿の頂点にいる今の日本人は、大正・昭和の「欲しがりません勝つまでは」の窮乏時代を生きた世代で、少ないカロリー摂取と食物繊維や乳酸菌、ビタミン、ミネラルを摂る当時の食事が長寿に適することは世界的な合意が得られています。一方の現役世代は、大量生産される発がん物質まみれの食事、栄養価の低い野菜、子供の頃からエナジードリンクを飲みグルコーススパイクを繰り返す食習慣など、戦後いち早い食の米国化で子供が先に死ぬようになった沖縄の悲劇を繰り返しています。美しい花を咲かせるには大量のエネルギーを使うように、美食やアルコール摂取は体を消耗させる一種の自傷行為ですが、飲食による快楽を礼賛する社会において食べないパラダイムは受け入れ難いものです。誘惑の多い飽食時代の今はむしろ食べないことが善であり、食べないことによる内面の静けさに喜びを見出すことで食べる感覚が研ぎ澄まされると思います。

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