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悪名は無名に勝る


昨日は白河に行きました。地方でよく見かけるのがいわゆる「キリスト看板」です。聖書配布協力会が設置する黒塗りのトタン製看板は、「神と和解せよ」、「死後さばきにあう」などと高圧的で不気味です。好感度を狙った布教ではなく、自動車で通り過ぎる人に、強烈な短い言葉で、一瞬で印象を刻み込む手法です。古い民家、空き家など広告看板の設置がイメージダウンになる場所を選び、気味の悪いメッセージを掲げることは、一見すると逆効果に見えますが、悪名は無名に勝るということなのでしょう。商品広告として考えれば異常な手法ですが、われわれが目にする広告もポジティブな感情を刺激するものはむしろ少数です。サプリを売る広告は加齢による身体の不調を前面に人に恐怖を植え付ける点では同じです。好感度ではなく、恐怖により認知され、記憶され、選択肢に入れるという本質を教えてくれるのがキリスト看板なのかもしれません。

自然と調和した生き方


1カ月ぶりに八ヶ岳から東京に戻り、入手できなかった食材などを買いに行きました。今やどこにいても仕事ができAmazonも届きますが、人々が都市を離れないのは職場が首都圏に集中しているからです。学生の頃白馬でしばらくアルバイトをした後、新宿駅の人混みが怖くて歩けなかったことを思い出します。離れてみると人口過密な都市は、人体に負荷を与える場所ですが、一方で選択肢が広がり消費機会が増える魅力があります。しかし、魅力的な誘惑が増えるほど健康の維持は難しくなり、消費の多様さに魅力を感じない人間にとっては、都市に住む必然性は見出しにくくなります。何でも手に入ることが豊かさなのか、必要なものだけで満たされることが豊かさなのか、考えさせられます。八ヶ岳の麓はすでに秋の気配で、これから厳しい冬に向います。それでも人間らしい五感を磨くのは自然と調和した生き方だと思います。

空腹を楽しむ


甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根を往復した翌日は、やけにお腹が空きます。前回登った際のYAMAPのデータによると消費カロリーは4,000kcalほどになります。日曜日は山頂の先にある摩利支天には行きませんでしたので、これよりは少ない運動量ですが、昨今の運動不足を解消するには十分です。このような長時間の持久性運動によりエネルギーの赤字を作ると、翌日はエネルギー補充を求めて食欲が強くなると感じます。普段から朝食を摂りませんので、甲斐駒ヶ岳の山頂までは無補給です。空腹で長時間の運動をするとエネルギー不足のシグナルが出され、脂質利用やミトコンドリア新生が促されます。空腹は身体に良いと脳が学習すれば、空腹を楽しめるようになり、やがて空腹を感じにくい体質に変わります。さらに何を食べても美味しく感じるようになり、一方で肥満体だった体重は面白いほど落ちました。自分にとっての健康の秘訣は、空腹で運動することに尽きます。

マウンテン・マゾヒストの山


甲斐駒ヶ岳に登りました。標高770mから2,967mまで、約2,200mを一気に登る黒戸尾根は日本三大急登に数えられる、国内屈指のスパルタンなルートです。一般のハイカーは標高2,000m超の北沢峠から登りますが、両者の強度差は全く別の山と言えます。山頂までの圧倒的な標高差と距離、山岳信仰の名残である石仏・石碑が多く、近代登山以前の山岳文化の空気を濃厚に残していることが好きです。加えて中央本線側からみた山容と山頂からの南アルプスの眺望、ハイカーが少ないテクニカルなコースであることも理由です。七合目には七丈小屋がありますが、このルートを使う人の多くは日帰りで、累積標高2,516mと18kmを身体の鍛錬目的のジムにしているマウンテン・マゾヒストに見えます。トレラン競技のトップ選手に会いましたが、山頂で景色を楽しむ間もなく引き返すストイックな姿は、かつての修行としての登山を今に伝えている気がします。

理想にこそ警戒を


終戦の日の昨日は、4万発を打ち上げ例年50万人の人出がある、諏訪湖の花火大会に行きました。諏訪湖SAを閉鎖するほどの人気に、混まずに観られる場所を探している際、諏訪湖に近い大熊城跡を教えてもらいました。椅子を用意する地元の人もいる穴場は、静かに花火を見ることができます。蒸し暑いイメージのある終戦の日ですが、昨夜は涼しく虫の声が響き秋を思わせます。美しくも儚く夜空に消える花火を見ていると、国を守るための尊い先人の犠牲を思わずにはいられません。美しいものほど、失われるのは一瞬です。戦後生まれの日本人が大半を占める今、単に平和の大切さを訴えるだけでは不十分だと思います。共産主義が世界でおびただしい数の自国民を死に追いやったことを考えると、理想を掲げる思想ほど、現実との乖離を警戒しなければならない気がします。

メディアで勝って事業で負ける


昨日の昼食は娘が食べたいというビャンビャン()麺を作りました。流行ったのは結構以前のようですが、食べるのは初めてです。Instagram やTikTokをクローラーのように巡回して若年層文化を知らせてくれる娘の存在は便利です。幅広麺の漢字の画数は57あるらしく書ける人はいないでしょう。SNSを介して大量にバズり大量に消える時代には、個別の商品を追うことに意味はありません。他方で、人々が反応する商品を観察することは、より正確に時代の空気を読むことができると思います。短いスパンで淘汰を繰り返す飲食業界では、時代の寵児だったブランドが数か月後には話題から消えます。その前途に希望を見出すことが難しく見えるジャングリアも、メディア戦略の勝者でした。セルフプロデュースとインフルエンサー戦略が一度は当たったものの、メディアで勝って事業で負けるという評価をはね返して欲しいものです。

親子の文化的ギャップ


夏休み中の娘と松本に行きました。普段は互いの行動時間帯が違い顔を合わせることが少ないので貴重な機会です。不思議なのは、娘とは40歳も離れているのに、文化的ギャップが少ないことです。車中では同じ歌を歌い、レストランでは似た料理を頼み、旅行先、美意識、社会への関心にもさしたる違いがありません。一方で私と戦前生まれの父は30歳差とむしろ世代は近いのに、戦前・戦中の価値観、戦後の物不足の中で人格が形成されたためか、そこには明らかなギャップが存在しました。戦後の平和な80年が、世代間の文化伝播を容易にしたと思います。加えてYouTube、Netflix、SNSなどのメディアの普及が、親子間の文化が断絶しにくい構造を支えている気がします。結果として私が父の時代の文化をほとんど継承しなかったことは、そこには文化的な変化があり、他方で娘世代との間には発展がなかったと言えるかもしれません。

幸福を得る場所


天候が崩れた昨日は里にいましたが、山で身体を鍛えるときは充足を感じます。今競技中のTJARのように、少ない荷物でなるべく遠くまで到達する山行には達成感があります。山を歩くことは単なる運動ではなく、自分の能力の限界を押し広げる行為でもあります。歩いた距離、獲得した累積標高は、健康診断の数値より意味があると思うのは、身体能力を現実に実証しているからです。山は現代社会の対極にあります。山の中では資産も肩書きも所有物も人脈も役に立ちません。最後に残るのは脚力、持久力、判断力、経験、精神力という自分自身です。備えあれば患いなしですが、最小限の荷物にこだわるのも、現代社会が所有物の多寡を競うゲームであることへの抵抗です。「まだ自分はできる」的な自己効力感が上がり、「自分らしく生きる」という自己一致が生じやすい山こそ、幸福を得る場所のような気がします。

苦手意識を消せない


数年ぶりにマニュアル車を運転するという娘の助手席に乗りました。フィアットパンダのときにも一度だけ助手席に乗りましたが、踏切の真ん中でなぜか2速から3速にシフトアップし、エンジンがストール寸前で肝を冷やした悪夢が蘇ります。普段から仕事でAT車は運転しているのですが、今ギアが何速に入っているか分からなくなるらしく、N-VANの世界最長のロングストロークエンジンは、8,000rpmのタコメーターを無情にも振り切ります。後続車両がいるととくに緊張するようで、坂道発進の交差点では案の定エンストをします。「今時のマニュアルはギアが簡単に入り楽だ」とか、「ギアがまともに入らない4速のコラムシフトで免許を取った」とか自慢するのは年寄りの証拠でしょう。何事も、できる人間にとっては簡単で、できない人間にとっては苦手意識を消せないものかもしれません。

贅沢なのは寒い山頂


白樺湖夏祭り花火大会に行きました。花火につきものの渋滞と人混みが嫌いなので、車山
の山頂から見ることにしました。車山肩駐車場から、夕焼けで赤く染まる北アルプスの稜線を見ながら登って行くナイトハイクは刺激的です。風は比較的穏やかでしたが、外套を着ても寒い山頂を夏に味わうことは贅沢でしょう。山頂から白樺湖までは数km離れていますので、湖畔で見るほどの臨場感はありませんが、山頂の魅力は何と言っても満天の星空です。昨日は空気が澄んでいて、暗闇のなかで人工衛星や流れ星を見ることができます。花火の魅力はお腹に響く大音響と自分の上から降ってくるかのような火の粉ですが、山頂から見る花火はそれとは対極にある、静寂な夜空です。夏と言えば花火ですが、より贅沢なのは寒い山頂で星を見る事のような気がします。

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