最新情報

Information

製薬業界の代理店

学術的知識を持つ専門職を指すキュレーターがトレンドセッター的により広範な意味で用いられるようになったのは比較的最近です。ファッションや食、旅行などスタイリッシュなライフスタイルを提案することで新しい流行傾向を先取りし消費者の好みや欲求を喚起します。流行にはいつも金の臭いと欺瞞がつきまとい、昨今のキュレーターという言葉にもどこか胡散臭さを感じます。キュレーターが真に必要なのは医療の分野だと思います。昔は金持ちの関心は有名な医者や政治家と知り合いになることでしたが、今では医者に近づくほど過剰医療の犠牲者になる可能性が指摘されます。医療費のかなりの部分は必要を超えて人為的に作られた病気に使われます。薬の処方頻度とアルツハイマーを始めとした様々な病気の発症には明確な相関がありますが、多くの人は因果が逆転していることを見落とします。「病院のCEOを選ぶなら病院を治療のための機関から、治療する人のマネジメントをする機関に変えることのできる人を選ぶ」と述べたのはピーター・ドラッカーです。日本を薬漬け大国にする理由は医療機関がキュレーターではなく製薬業界の代理店だからだと思います。

偉大な人生の体現者

福岡空港に昨日無言の帰国をした中村医師のひつぎをニュースで見ると涙が止まりません。死の危険を顧みず30年にわたるアフガニスタン復興にその生涯をかけ異国の地に斃れた無念さだけが理由ではありません。活動した地域の住民がその死を悼んだように「私たちに生き方を示してくれた」からだと思います。種の保存を最大の使命とする生物は本来怠惰なものです。ライオンが狩りの時以外は寝そべるように人も必要がなければ働きません。自分の世代は年金逃げ切り世代になるのかもしれませんが、そんなものに期待する生き方は精神衛生上良くありません。成功者の多くが貯金よりも自己投資を勧めるのはそれなりに意味があると思います。挑戦こそが最大のアンチエイジングで前に進むことでしか人は生命力を保つことができません。年を重ねたからではなく好奇心を失ったときに人は老いると言われますが、好奇心の対象として仕事ほど素晴らしいものはないと思います。平和への純粋な思いと不毛の大地を蘇らせる社会的な意義が重なった73歳の偉大な生涯こそが人生の理想であり、その体現者を失った喪失感を世界が共有していることは唯一の救いです。

空腹は気の所為

この2日ほど食事を抜きましたが食べないと使える時間が増えます。体を休ませリラックスする最良の方法は断食だと思います。食べると消化活動に多くのエネルギーを使い代謝がおろそかになります。人間の体は美味しい料理もダイエットプログラムもない時代に適応していますから食べることは一種の自傷行為ですが、食欲という脳が操る邪念からは自由になれません。三食規則正しく食べることを推奨する意見もありますが、人類の遠い祖先は運や自然任せの食料がいつ手に入るか分からない生活を続けてきたはずで、三食食べられる生活を始めたのは最近です。人間の体が定期的に食べる生活に適応していないからこそ、長寿遺伝子が働くのは飢餓状態に限られます。食べ物を見つける可能性を高めるために嗅覚が鋭くなるように断食中は人間の五感が敏感になります。美食を語る人が多い反面、食べないことの幸せや豊かさについて知る人は少数です。美味しい食事、美しい景色、温泉は旅行の三種の神器ですが、食事をしないことなど考えられないのは、思い込みにとらわれその可能性を試さないからだと思います。断食は苦行ではなく自分の体と向き合うリラクゼーションであり、食べないことの静けさこそ非日常の贅沢だと思います。

波長が合うかが全て

友達の数を自慢する人がいますがナンセンスだと思います。人生を変えてくれるのは少数の波長の合う友人であって数は重要ではありません。先日は海外のホテルなどで長く経験された方と話をする機会があり、マクドナルドで5時間半も話し込んでしまいました。いい大人がコーヒー1杯で居座るなどあってはならないことですが、話に夢中で気がつけば5時間半が過ぎていて、しかも初対面なのにです。話が噛み合うと時間の感覚が消える経験をたまにします。職場のいじめがにわかに注目されますが、ストレスの大半は人間関係によるものです。海外でも業績の良い企業は人柄重視の採用をしますが、日本の大企業は優秀さを基準に採用する傾向があり、勝ち気な人柄の悪い社員にしばしば遭遇します。人柄の悪さは周囲を汚染し生産性を落としますが、経営者の多くがこの問題に無関心なことは意外です。仕事ができなければ解雇できますが人柄が悪いことを理由に辞めさせることは難しく、経営者も社員の優秀さに目が行き人柄の悪さは見ぬふりをします。波長と相性の合う人同士のチームの歯車が噛み合ったときの破壊的な力は過小評価されていると思います。

好きと意義と利益

旅館を買った日から3年が過ぎました。年とともに時の過ぎ行くスピードが加速するなかでこの3年間だけは例外です。あっという間に過ぎたと言うより、色々なことが起こり多くの人に助けられ、わずか3年前の出来事なのだという感覚です。サラリーマン時代に3回転職して4回目は自営業になりましたが、転職するときは転職するメリットと転職するデメリットに気を取られ、転職しないメリットと転職しないデメリットは意外に考慮しません。転職直後で新しい環境に適応できない頃は前の職場の良さが分かり転職しないメリットを過小評価していたことに気づきます。しかし、自営業になって3年経ちますが以前の職場への未練はありません。人生は金のために時間を切り売りするか自由を手にするかの二者択一を迫られます。ライフシフトが叫ばれる今でこそマルチステージの生き方が奨励されますが、自分が社会に出た頃は働かない選択肢などありませんでした。仕事で天職にめぐりあう確率など奇跡に等しいなかで生き生きと働く可能性を封印していたと思います。仕事をつまらないものにしているのは、好きと意義と利益の噛み合う会社が世の中に少ないからでしょう。

生きる意味

同じ毎日を繰り返す単調な生活はあっという間に過ぎます。時の流れを緩やかにする方法は挑戦しかないと思います。ファーブルのような昆虫学者が夢だった中村医師がアフガニスタンに関わるきっかけは、氷河期に遡るモンシロチョウ起源の地とされるヒンズークシュ山脈登山に医師として同行したこととされます。「百の診療所よりも一本の用水路」と語り、長年の紛争で疲弊したアフガニスタンの不毛の大地を病院や用水路建設で潤した偉業への信念をどうすれば持てるのでしょうか。「軍事力があれば自分の身を守れるという迷信から自由でいられる」と語り、復興事業によって平和が戻る日を夢見ていた気の遠くなるような忍耐力を人が持ちうることを教えてくれます。人生において時間が何より大切と考えるのは、残された時間が刻々と希少になっていくからです。確かなことは誰しも死を運命づけられていることです。期限があるから人生を動機づけられ、自己の可能性を探求する旅にこそ生きる意味を見出すのだと思います。

結末の分かっている映画

昨日は用事で渋谷に行きました、とことわるほど都心はわざわざ行く場所になりました。FBの友人が関わる大規模再開発により、渋谷は高層ビルが立ち並び商業施設が続々と開業する最先端の地域に変貌しています。困ったことなのか本来の人間らしい反応なのか人混みが苦手になり、わざわざ施設を見ようという気が起こりません。あれほど好きだったホテルでさえ開業後何年も経っているのに行ったことのないところは少なくありません。自動車も旅行も洋服も食にも食指が動かないのは、結局すべては想像の範囲でこれまでと大きな違いがないからだと思います。他方で1軒の宿泊施設を見たい衝動に駆られてペナンまで行ったりする自分の内側の矛盾をうまく説明することができません。琴線に触れるものを都市に見つけることが年々難しくなっています。自然の美しさには心を動かされても人工的な構造物に感動することなど無理な話かもしれません。年末商戦で活気を見せる繁華街に立つと、結末の分かっている映画を見るようでどこか虚しさを覚えます。

「ちょっといい」という罠

多くの産業は消費者を育てます。自動車会社なら免許を取って最初に乗る小さな車をライフステージにあわせて大きな高価格車に誘導して利益を出します。以前大きな車に乗っているときは細かな不具合ばかり気になりましたが、安くて小さな車に変えると狭さや騒音も馬力のなさも気にならなくなりむしろ運転が楽しく愛着が増します。小さくして安くすることへの抵抗に一度免疫ができると、高級か否かは幸せや本音の満足とは関係がないことに気づきます。西武百貨店の広告に「ほしいものが、ほしいわ」というキャッチコピーが使われたのは30年以上前の1988年です。バブル経済全盛の当時の日本とは時代背景もその意味するところも違いますが、切実にどうしても手に入れたいものなどありません。すべての商品は相対的なものであり、「ちょっといい」という程度の違いしかありません。ちょっといいに人が反応するのは高級ブランド信奉を刷り込まれているからです。大脳新皮質の働きが強くなると進歩的な幻想に取り憑かれ、商品をステップアップしていかないと気が済まなくなる人間の性質こそが経済成長の原動力だと思います。

禅の世界にいざなう深い森

気がつけば師走に入り、今は一年で日没が一番早い時期です。東京にいると華やかなクリスマスイルミネーションが年の瀬感を盛り上げますが、昨年まで暮らしていた阿武隈源流の森では本格的な冬が到来し、凛とした厳しさのなかにも浄い空気を感じる季節です。情報過多で執着にまみれた淀みに身を置くと、何が大切で自分がどこに向かっているのかも分からなくなりその不安を消すために刺激を求めます。他方で自身の内面と深く向き合うのに森の中ほどふさわしい場所はありません。日没の頃、寒々しい河原から川面を眺めていると一人でいても孤独に襲われることはありません。世間の常識や自分が過去に積み上げて来たもの、環境適合や生存競争といった世俗の価値観など、もうどうでもよくなります。静寂な時間は執着から離れ、悪い感情を脱ぎ捨てすべてを手放すことでしか本当に大切なものが姿を見せないことを教えてくれます。夜の帳が下り、冷たい風を頬に受け、川のせせらぎを耳にしながら森の香りで心が平静を取り戻すと、「禅」の世界に少しだけ入り込んだ気がしました。

贅沢消費の欺瞞

たまにデパ地下に行くと行列を見かけ、行列の先には自分では絶対に買わないような高額なスィーツを売っていたりします。買う人がいるからビジネスが成り立つのであって何ら文句を言う筋合いもありませんが、わざわざ並んでまで買いたい心理は分かりません。体に良いならともかく、たいていは見ただけで血糖値が上がりそうな砂糖のかたまりや、消化が悪くて眠りが浅くなるような食べ物ばかりです。自分の感覚がずれているのか、こんなものをこんな価格でと思う商品が都会にはあふれています。生産者が最高のものを作りたいとこだわる気持ちは健全ですし、それが付加価値として評価されるのは素晴らしいことだと思う一方で、贅沢志向の消費のあり方にはどこか欺瞞を感じます。華やかな世界に住む成功者とは所詮お金のスケールが違いますから消費行動を理解できないのも道理ですが、他方で華やかな生活から転落する芸能人の自暴自棄的な生活を垣間見ると、何と遠回りの人生なのかと思います。遠回りならまだしも人生にやりたいことも目標もなく刹那的に消費を繰り返しているとしたらもったいない気がします。

Translate »