日本社会には人の可能性を閉ざす風潮があると思います。学校でも企業でも無気力を学習させられ、「どうせ自分などは」と可能性を自ら閉ざす人が多い気がします。学校や企業には国民を戦争に駆り出した時代の国家統制の名残が見え隠れし、企業の肩書は軍隊の階級を踏襲して権威主義の基盤になります。自虐的になればチャンスがチャンスと思えず偶然を味方にすることもできなくなります。ベンチマークすべき人を見ても「あの人とは元々違う」と決めつけ、成功者も最初は自分と同程度の能力、才能、センスしかないことを見落とします。長寿社会の魅力はいくつになってもチャンスがあることだと思います。今年86歳でアコンカグアに挑んだ三浦雄一郎氏ができるなら自分にもできると思うか、別世界の話と思うかによって人生は変わるはずです。先日亡くなった中村医師の成し遂げた業績は偉大でも、最初の一歩は誰にでも踏み出せます。未来の可能性を信じるようになったのは仕事を窮屈なものにする企業組織を離れてからです。成功は雪だるま式に蓄積され、幸運は挑戦者にしか訪れないと今は思います。長寿社会は年々チャンスが減っていくと思うと苦痛に、毎日が可能性に満ちていれば天国になるのでしょう。
星野リゾートは安倍政権?
先日某大学が運営するセミナーで、星野リゾートの人がゲストスピーカーで話をした際、並入る企業の幹部クラスを前に話したのは入社4、5年目の女性でした。ほかの企業が大学側に気を使って役員クラスを派遣してくるのに対して、自社のトレーニングの一貫と考えているのか、星野リゾートらしい強かさを感じます。話の内容に過不足はありませんし質問にも的確に答えていて新卒でも4、5年すれば対外的に会社を代表できるという自信は素晴らしいと思います。わずかな謝礼が出たにせよ収益を生まない付き合いに幹部を派遣するなど合理的な判断と言えませんし、体面ばかり重視する従来の企業風習を真っ向から否定する潔ささえ感じます。話で印象的なのは離職率で、リブランドなど他社からの複数のテイクオーバー物件があることを考慮すると想像より低い数値でした。積極的な情報開示により求職者にセルフスクリーニングをしてもらうことが雇用のミスマッチを防ぐ上で重要です。常にベターであり続ける強すぎる星野リゾートは、どこか好きになれないけど他に選択肢がないから認めざるを得ない安倍政権と似ているのかもしれません。
高級ホテルは新種の税金?
日本各地に世界レベルの高級ホテル50カ所程度の新設を後押しすると週末に菅官房長官が発表しました。滞在すべきホテルがないからハイエンドのインバウンドが取れないとか、ホテル業界に投資を呼び込まないといけないという意見には一理ある一方で性急なホテル開発を懸念する声もあります。なんとしても経済を活性化したい政府としては先進国の都市に比べて少ないとされるラグジュアリーホテルを増やす政策は魅力的でしょう。ニセコやそれに続く白馬などの活況にも刺激を受けたはずです。他方で、都会のホテルでさえ優秀人材が確保できない昨今、世界レベルのホテルをハードだけで作る考えには危うさがあります。中途半端なホテルを作れば富裕層から見向きもされずリゾートバブルの再来になります。かつては多くの日本人が最初に出会うホテルはプリンスホテルあたりの規格化されたホスピタリティ商品で、それでも一種の憧れを感じてきたのですが、日本が誇れるのは風土が育み、欧米でも評価される旅館だと思います。個人的には高級ホテルを使う機会もつもりもないのですが、富裕層からお金を吐き出させる新種の税金と考えれば、推進すべき政策かもしれません。
製薬業界の代理店
学術的知識を持つ専門職を指すキュレーターがトレンドセッター的により広範な意味で用いられるようになったのは比較的最近です。ファッションや食、旅行などスタイリッシュなライフスタイルを提案することで新しい流行傾向を先取りし消費者の好みや欲求を喚起します。流行にはいつも金の臭いと欺瞞がつきまとい、昨今のキュレーターという言葉にもどこか胡散臭さを感じます。キュレーターが真に必要なのは医療の分野だと思います。昔は金持ちの関心は有名な医者や政治家と知り合いになることでしたが、今では医者に近づくほど過剰医療の犠牲者になる可能性が指摘されます。医療費のかなりの部分は必要を超えて人為的に作られた病気に使われます。薬の処方頻度とアルツハイマーを始めとした様々な病気の発症には明確な相関がありますが、多くの人は因果が逆転していることを見落とします。「病院のCEOを選ぶなら病院を治療のための機関から、治療する人のマネジメントをする機関に変えることのできる人を選ぶ」と述べたのはピーター・ドラッカーです。日本を薬漬け大国にする理由は医療機関がキュレーターではなく製薬業界の代理店だからだと思います。
偉大な人生の体現者
福岡空港に昨日無言の帰国をした中村医師のひつぎをニュースで見ると涙が止まりません。死の危険を顧みず30年にわたるアフガニスタン復興にその生涯をかけ異国の地に斃れた無念さだけが理由ではありません。活動した地域の住民がその死を悼んだように「私たちに生き方を示してくれた」からだと思います。種の保存を最大の使命とする生物は本来怠惰なものです。ライオンが狩りの時以外は寝そべるように人も必要がなければ働きません。自分の世代は年金逃げ切り世代になるのかもしれませんが、そんなものに期待する生き方は精神衛生上良くありません。成功者の多くが貯金よりも自己投資を勧めるのはそれなりに意味があると思います。挑戦こそが最大のアンチエイジングで前に進むことでしか人は生命力を保つことができません。年を重ねたからではなく好奇心を失ったときに人は老いると言われますが、好奇心の対象として仕事ほど素晴らしいものはないと思います。平和への純粋な思いと不毛の大地を蘇らせる社会的な意義が重なった73歳の偉大な生涯こそが人生の理想であり、その体現者を失った喪失感を世界が共有していることは唯一の救いです。
空腹は気の所為
この2日ほど食事を抜きましたが食べないと使える時間が増えます。体を休ませリラックスする最良の方法は断食だと思います。食べると消化活動に多くのエネルギーを使い代謝がおろそかになります。人間の体は美味しい料理もダイエットプログラムもない時代に適応していますから食べることは一種の自傷行為ですが、食欲という脳が操る邪念からは自由になれません。三食規則正しく食べることを推奨する意見もありますが、人類の遠い祖先は運や自然任せの食料がいつ手に入るか分からない生活を続けてきたはずで、三食食べられる生活を始めたのは最近です。人間の体が定期的に食べる生活に適応していないからこそ、長寿遺伝子が働くのは飢餓状態に限られます。食べ物を見つける可能性を高めるために嗅覚が鋭くなるように断食中は人間の五感が敏感になります。美食を語る人が多い反面、食べないことの幸せや豊かさについて知る人は少数です。美味しい食事、美しい景色、温泉は旅行の三種の神器ですが、食事をしないことなど考えられないのは、思い込みにとらわれその可能性を試さないからだと思います。断食は苦行ではなく自分の体と向き合うリラクゼーションであり、食べないことの静けさこそ非日常の贅沢だと思います。
波長が合うかが全て
友達の数を自慢する人がいますがナンセンスだと思います。人生を変えてくれるのは少数の波長の合う友人であって数は重要ではありません。先日は海外のホテルなどで長く経験された方と話をする機会があり、マクドナルドで5時間半も話し込んでしまいました。いい大人がコーヒー1杯で居座るなどあってはならないことですが、話に夢中で気がつけば5時間半が過ぎていて、しかも初対面なのにです。話が噛み合うと時間の感覚が消える経験をたまにします。職場のいじめがにわかに注目されますが、ストレスの大半は人間関係によるものです。海外でも業績の良い企業は人柄重視の採用をしますが、日本の大企業は優秀さを基準に採用する傾向があり、勝ち気な人柄の悪い社員にしばしば遭遇します。人柄の悪さは周囲を汚染し生産性を落としますが、経営者の多くがこの問題に無関心なことは意外です。仕事ができなければ解雇できますが人柄が悪いことを理由に辞めさせることは難しく、経営者も社員の優秀さに目が行き人柄の悪さは見ぬふりをします。波長と相性の合う人同士のチームの歯車が噛み合ったときの破壊的な力は過小評価されていると思います。
好きと意義と利益
旅館を買った日から3年が過ぎました。年とともに時の過ぎ行くスピードが加速するなかでこの3年間だけは例外です。あっという間に過ぎたと言うより、色々なことが起こり多くの人に助けられ、わずか3年前の出来事なのだという感覚です。サラリーマン時代に3回転職して4回目は自営業になりましたが、転職するときは転職するメリットと転職するデメリットに気を取られ、転職しないメリットと転職しないデメリットは意外に考慮しません。転職直後で新しい環境に適応できない頃は前の職場の良さが分かり転職しないメリットを過小評価していたことに気づきます。しかし、自営業になって3年経ちますが以前の職場への未練はありません。人生は金のために時間を切り売りするか自由を手にするかの二者択一を迫られます。ライフシフトが叫ばれる今でこそマルチステージの生き方が奨励されますが、自分が社会に出た頃は働かない選択肢などありませんでした。仕事で天職にめぐりあう確率など奇跡に等しいなかで生き生きと働く可能性を封印していたと思います。仕事をつまらないものにしているのは、好きと意義と利益の噛み合う会社が世の中に少ないからでしょう。
生きる意味
同じ毎日を繰り返す単調な生活はあっという間に過ぎます。時の流れを緩やかにする方法は挑戦しかないと思います。ファーブルのような昆虫学者が夢だった中村医師がアフガニスタンに関わるきっかけは、氷河期に遡るモンシロチョウ起源の地とされるヒンズークシュ山脈登山に医師として同行したこととされます。「百の診療所よりも一本の用水路」と語り、長年の紛争で疲弊したアフガニスタンの不毛の大地を病院や用水路建設で潤した偉業への信念をどうすれば持てるのでしょうか。「軍事力があれば自分の身を守れるという迷信から自由でいられる」と語り、復興事業によって平和が戻る日を夢見ていた気の遠くなるような忍耐力を人が持ちうることを教えてくれます。人生において時間が何より大切と考えるのは、残された時間が刻々と希少になっていくからです。確かなことは誰しも死を運命づけられていることです。期限があるから人生を動機づけられ、自己の可能性を探求する旅にこそ生きる意味を見出すのだと思います。
結末の分かっている映画
昨日は用事で渋谷に行きました、とことわるほど都心はわざわざ行く場所になりました。FBの友人が関わる大規模再開発により、渋谷は高層ビルが立ち並び商業施設が続々と開業する最先端の地域に変貌しています。困ったことなのか本来の人間らしい反応なのか人混みが苦手になり、わざわざ施設を見ようという気が起こりません。あれほど好きだったホテルでさえ開業後何年も経っているのに行ったことのないところは少なくありません。自動車も旅行も洋服も食にも食指が動かないのは、結局すべては想像の範囲でこれまでと大きな違いがないからだと思います。他方で1軒の宿泊施設を見たい衝動に駆られてペナンまで行ったりする自分の内側の矛盾をうまく説明することができません。琴線に触れるものを都市に見つけることが年々難しくなっています。自然の美しさには心を動かされても人工的な構造物に感動することなど無理な話かもしれません。年末商戦で活気を見せる繁華街に立つと、結末の分かっている映画を見るようでどこか虚しさを覚えます。