2020という不思議な響きの年は何か大きな時代の転換を暗示している気がします。新型ウィルス肺炎の感染拡大は深刻な影響を世界経済に及ぼすことが懸念されます。真実が隠蔽される一方で、マスコミが人為的に刷り込んだ恐怖は連鎖的に拡散します。満足にモノさえ買えなくなった中国の1,000万都市はゴーストタウンと化し、金で手に入れる幸せは危機に直面するとその脆さを露呈します。一昨夜NHKで屋久島の幹周り16.4メートルの縄文杉を上回る巨大な屋久杉を発見するドキュメントを見ていて、無性に森に行きたくなりました。しかしわざわざ屋久島に行くことは合理的と思えません。国土の大半を森に覆われる日本にいながら、森を見るために飛行機を使うことは無駄ですし、移動による疲れから体調を崩すのが落ちです。樹齢4,000年でなくても数百年の巨木は日本各地にあります。その感動の一瞬はもしかしたら人生を変える体験になるかもしれませんが、同時にもっと見たいという執着を増やします。車なら1時間で行ける丹沢の森を歩き晴れた日に富士山を眺めた方が合理的なだけではなく幸せが長続きすると思います。
組織と人間の境界
昨夜は雪国のような箱根に泊まりました。経営危機に見舞われながらドラスティックな改革を行い成長戦略に転じた旅館です。問題が生じたとき、解決の答えを見つけることは重要ではなく何かを信じて実行することが全てです。答えが間違っていても実行しながら修正していくことはできますが、行動を起こさないことには何も始まりません。不安に身をすくめて動けずにいると直感までにぶります。行動に必要なのは自己否定であり、それなくして自分を変える第一歩を踏み出すことはできないと思います。弱い組織ほどトップが自画自賛をしがちでその歪んだ愛社精神は疫病のように組織に蔓延し、誰も現状否定ができなくなります。こうした組織では意識改革から始めねばならないために改革には気の遠くなる時間が必要になります。和をもって尊しの日本人は賛成、反対の境界をあいまいにしたままなんとなく改革へ移行しがちですが、中途半端な改革はリスクが大きくコストも高くつき改革者を反逆者にします。従来の組織論にもモチベーション理論にも興味がわかないのは、無機質な組織と有機的な人間の境界が曖昧なままだからだと思います。
われわれは進化などしていない
土曜日は確定申告に行きましたが、会社の決算が夏にあるので半年おきに似たような作業をします。徴税のために途方も無い時間とコストをかけるよりも最も手間のかからない税金に絞って税体系をシンプルにできないものかと思います。非文明的な作業をしていると政府の提唱するソサエティ5.0が単なる絵空事にしか思えません。日曜日は4年ほど使ったiPhone SEが壊れ8に交換しました。ここでも前近代的なパスワード地獄に見舞われ、世の中が本当に進歩しているのか疑わしくなります。全ての進歩は幻想と妄想から生まれる証拠に、携帯電話1台を交換するのに1時間半もかかります。われわれが進化と呼んでいるものは無駄な機能を加えることによる複雑化だと思います。それは医学の進化により専門分化が進んだ結果、人間全体の健康が置き去りにされたのに似ています。ハイテクノロジー・ハイコストのパラダイムが人間を幸せにするとの思い込みは幻想です。至るところで悲劇的なまでに無駄があふれているのは近代科学の愚行であり、本当に世界が進化してしまうと困る人たちによってわれわれは幻想を見させられているのだと思います。
年齢を半分にして生きる
昨日は誕生日でしたが、年を気にせざるを得ないこの日を祝う気になれず複雑な思いです。誕生日は自分がこの世に生を受けたことに感謝し、何のために生かされているのかを振り返る日だと思います。自分の使命を発見すると人生は一変すると言われます。誕生日を迎えたからと言って急に居住まいを正すこともありませんが、惰性的に過ごしてきたこの一年を反省します。多くの人がその潜在能力を封印したままこの世を去るのは、最晩年に後悔するように自分らしく生きないことが原因です。その理由は古いタイプの社会通念に従い、人生の本質とは関わらない消費に目を奪われ、あるいは執着を具現化するSNSなどの情報に振り回されるからだと思います。最初の人類は死を避け生きることに必死だったはずです。今の時代は命を奪いかねないものを避ける必要がなくなりましたが、皮肉にも生きることを意識する必要さえなくなり、尽きない欲望を満たすために金で買える刺激を求めます。そうした安楽な人生の時間認識は現在志向になり、人生のビジョンや生きる気力、やがて自らの生命力まで奪っていきます。年を嘆くと娘は「第二の人生まだ7歳じゃない」と言いますが、人生100年時代は年齢を半分にして生きるのがふさわしいのでしょう。
強くて脆い組織
SARSの10倍以上の感染規模とされる中国湖北省武漢市を中心とする未確認のコロナウイルスは不気味な広がりをみせ世界はパンデミックの淵に立っています。2,000万人が住む対象地域の交通遮断など強権国家の面目躍如ですが、対応が後手後手となった理由は硬直した集権体制による無責任、隠蔽体質との指摘もあります。昔は組織論に関心がありティール組織のような話に熱中しましたが、今は興味がありません。日本でも中国でも組織に巣食う人間のエゴが一見強くて脆い組織を生み出し、組織ありきの組織論は今後大きく見直されると思います。ネアンデルタール人が滅んだ理由を組織のサイズに求める主張もありますが、様々な関係者が協力して社会課題に取り組む時代には企業や行政に見られる伝統的な組織ではなく、社会という組織単位を前提に再構築する必要があります。社会を分断するこれまでの組織論を一度忘れ、ドラッカーの言う人間変革機関と市民性創造を担うための、社会におけるナレッジ・マネジメントという観点が必要だと思います。
過去を諦め許し忘れる
昨日は高校時代の部活の先輩、同級生と会う機会がありました。意外なのは自分が生涯忘れ得ないと思っている出来事を誰も覚えていないことで、同じ時間を共有しても捉え方は人それぞれです。歴史は勝者によって書かれるフィクションと言われますが、記憶は不安定で書き換えられ、過去や履歴を歪曲しない人などいないのかもしれません。大脳新皮質を経由せずに直接記憶を司る海馬や扁桃体につながる嗅覚は遠い昔の記憶を鮮明に蘇らせます。自分にとっては古いエレベーターで感じるオイルのような匂いが一瞬にして子供時代のある記憶を詳細に目の前に浮かび上がらせます。思い出すのは楽しい記憶が多く、嫌な記憶を都合よく上書きし美化して生きているのかもしれません。過去を諦め、許し忘れることは心がけ次第で可能になり、つらい記憶を浄化しない限り永遠に欲望と執着を取り去ることができないのだと思います。
働くことは生命力をみなぎらせる
新年を迎え早くも3週間が過ぎ昨年末から遅くなり始めた日没に次いで、先週から日の出時刻が早くなります。東京の日の出は6月中旬に向けて早くなっていきますので本格的な寒さを前にすでに冬が終わった感覚です。季節が変わるとき人は自然界に生かされていることを感じます。決まった回数季節が巡るとテロメアが細胞分裂の回数をカウントしていてやがて死に至ります。一方で人間は不自然なものに囲まれて生きていてその典型が消費だと思います。人は買うことで幸せを手に入れようとしますが、最高を求めることが序列化を生み執着につながります。われわれの目はより良い理想の消費を求めて外部にばかり注目し自分自身と分断している弊害を見落とします。幸せは社会や他人に認めてもらうことではなく自分が基準なのに序列を無効化することはできません。人生の気晴らしでしかない買うことに執着するうちに人生の持つ重要な価値を見失い、欲望を満たすために物財を消耗する行為の虚しさは人生の息苦しさにつながります。人は価値を作り出す、すなわち働くことでしか生命力をみなぎらせることができないのだと思います。
ゴーンの逃亡は緊急避難?
投資家のジム・ロジャーズは徹底的に調べれば推論の余地はなくなると述べ未来を断言します。他方われわれはたいして調べもせずに未来への備えを怠っていると思います。カルロス・ゴーンの逃亡が日本中を震撼させましたが、元外務省主任分析官の佐藤優氏が解説するように裁判に10年かかり8年の懲役が相場ならたとえわずかな成功確率でも逃亡を試みるのは当然の帰結です。特別背任事件の審理開始が検察側の意向で2021年か2022年になると聞き絶望したカルロス・ゴーンを責める気になれません。司法取引制度がある米国でも有罪率が99%超の事実はともかく、日本の司法制度が第三世界並と世界に映っていることは確かでしょう。ゴーンのレバノン会見を全て見たわけではありませんが、このプレゼンテーションは論点が定まっていません。強欲経営者への裁きと日本の司法制度の問題を同時に語る無理が混乱をさせます。日産や政府の陰謀説など唱えず、この裁判を続けて行けば自分は確実に獄中死することだけを訴えれば、明らかな違法行為が人生を賭けた緊急避難だったと好意的に解釈するお人好しの日本人もいたはずです。
いかに壊すか
昨日は気温1、2度の甲子高原に行ってから鬼怒川温泉に泊まりました。復興割引5,000円企画は6,000円ほどで泊まれるのに夕食の品数は旅行代理店指定の13品が揃い手抜きはありません。日本を代表する大企業が今でも夕食の品数勝負を信仰しているとは信じられませんが、旧態依然とした画一的な価値観の押し付けが国内観光をだめにしたと思います。国が全国に高級ホテル50軒の建設を後押しする政策も、日本の観光地がどこも場末の風情になってしまう発想も同根でしょう。明治維新からなのか戦後だったのか一夜にして宗旨変えすることが日本人は得意になりました。メイドインジャパンへの品質信仰とは裏腹に、安普請で適当にごまかすずるさを日本人は身につけてしまい、どこの観光地もみすぼらしい建物やサインで埋め尽くされます。世界が熱狂する禅的な美意識の総本山であるはずの日本らしさは、今やどこでも見られる廃墟に変わりました。空き家問題より深刻なのは景観を破壊する時代遅れの建物群を建て直す事業スキームで、建てることが優先された経済成長のツケとして、今求められるのはいかに壊すかだと思います。
幸せ追求は不幸の始まり

昨日は裏丹沢の姫次(1,433m)に登りました。駐車した場所からスノートレッキングが始まり、稜線に近づくと膝近くまである新雪を踏んでのラッセルは適度な運動になりTシャツに薄いアウターだけでも体は十分に温まります。降雪の翌日は小屋番の人でさえ道を見失うほどの雪に覆われ、青空に雪化粧した木々が映えます。山にいるときは概ね幸せですが、晴れた日に柔らかな新雪をリズミカルに踏んで下るトレイルに勝る幸せはありません。これは個人的な感覚ではなく、幸せと安らぎの神経伝達物質と言われるセロトニンの合成は太陽光など高照度の光とリズミカルな運動に集中することによって活性化します。さらに副産物としてメラトニンが合成されることから睡眠を促しうつや疲労からも開放されます。人に会わないこの季節の静かな山歩きは心を落ちつかせるのに最適で早朝の静寂さと冷気もセロトニン活性に申し分ない条件です。幸せを売り物にする商品は市場に多く出回りますが、中毒性のあるドーパミン的な快楽で不安や苦痛を麻痺させるものが中心です。セロトニン、オキシトシン系のほどほどの幸せこそが本来人間に与えられた分量であり、理想の生活を目指す貪欲な幸せ追求は不幸の始まりだと思います。