人生にはスパイスが必要

東京都から長野県まで雲取・甲武信・金峰・瑞牆の4つの百名山を通る「分水嶺トレイル」が週末に開催され、妻が出たのですが、夜通し雨に降られ滑落するなど悲惨な状況だったようです。ひどい風雨のなか全身びしょ濡れになりながら暗闇のk森を一人、ドロドロの登山道を通常のトレイルレースよりはるかに重い荷物で登り、低体温症で一睡もできず胃の調子が悪く何回も戻したと言います。世間的には理解困難な冒険旅行の魅力は、人間の持つ生きる力をリブートさせる旅にあると思います。いつでも止められる葛藤と戦いながら肉体と精神の限界が近づくとβエンドルフィンが分泌され幸せな時間が訪れます。平日は空調のきいたオフィスの安楽な環境でお金をもらいながら仕事をして、一方不快で悲惨な状況をレジャーとして楽しむアンバランスさこそ現代消費の特徴でしょう。美味しいものを食べきれいな景色を眺めて温泉につかるお気楽旅行と、悲劇的な冒険旅行を矛盾も感じず同時に楽しむ人が増えています。従来の安楽レジャーに欠落するのは人生にはスパイスが必要だという観点です。肉体が弱るのは気力を失うからであり、楽しみや快楽だけを求めるレジャーは、知らないうちに自分の肉体と生きる力を蝕むと思います。

最も安上がりな健康法

健康に必要な運動、食事、睡眠のうち、運動と睡眠の方法は多少の相違があっても概ね識者間の合意が得られると思います。しかし何を食べるべきかについては、少食が良いとかバランス良く何でも食べるといった一定の合意以外、諸説入り乱れています。玄米菜食の時期もありましたが人間は草食動物に近い雑食性だと思っていて、今は魚も肉も食べます。重要なことは昨今の過度な肉食奨励など極端な食べ方をしないことと健康リスクの高い食材を避けることだと思います。トロや霜降り肉といった日本人が信仰する高級食材は健康被害の可能性がありますし、加工肉をはじめ流通する肉や養殖魚は抗生物質や成長促進剤が、加工食品には添加物が、外食なら殺菌や食中毒も無視できない健康リスクです。現代社会で空気や水、食材から健康リスクを排除することは不可能ですが、有効なのは食べる瞑想で、食べ物に意識が向くと30回ぐらい噛むようになり、食べるスピードも落ち、自分の食べるものに自然と注目しますので、最も安上がりな健康法だと思います。

必要のない幻想を売る必然

読書やスポーツが趣味ですが、以前は旅行、ドライブ、ホテルめぐりが加わっていました。今でも旅行を楽しみますが、写真のなかの思い出にしか残らない虚しさを感じ、仕事や用事の必然がない旅に出なくなりました。昔の旅は行商や巡礼、湯治などに限られていたはずです。19世紀以降に普及した楽しみとしての旅は今後衰退し、一方で学ぶための旅や働く手段としての旅、転地を伴うリトリートは増えると思います。ドライブも同様で以前は楽しみのために車を走らせましたが、今は必然的な移動を車で楽しむようになりました。ホテルめぐりも同様で、バーチャルな世界と割り切って楽しむ消費から関心が遠のきました。高級と言われる商材は、消費者が本当の顔を隠し仮面をつけてゲームとして楽しむものだと思います。高級という概念が本格的に商業化されたのは産業資本家がかつての支配階層の生活様式を模倣したことに始まり、消費者は自尊心を満たすフィクションを欲しがり、一方で事業者は買う必要のない幻想を売る必然があり両者のニーズが合致したのだと思います。

失う不安がない幸せ

二十歳前後の学生と話していると、自分の学生時代に興味の対象であった自動車や旅行などの高額商品への関心が低いのは明白です。以前なら消費への憧れが仕事や勉強のモチベーションになりましたが、今の若者は違います。一方、内閣府の「国民生活に関する世論調査」では7割の若者が今の生活に満足し、他の世代よりも高い割合です。国際比較で見てもThe Global Youth Wellbeing Index で日本の若者は7位に上位ランクされます。希望を失うから幸せを感じるという意見もありますが、収入や世帯消費支出が減るなかで高額消費に関心を示さなくなるのは環境適応に見えます。意図してそうなったのではないにしても、お金を尺度に幸せを測らない傾向は本質をついていると思います。手痛い失敗を契機に消費への関心を失った今のほうが以前より幸せを感じる自分のように、失うことで本質を得るものかもしれません。いくら金銭的に充たされていても情熱や愛情や健康を失えば心は満たされません。持てば失う恐怖が人を不幸にします。お金があれば何でもできると思っても時間を取り戻すことも愛情を買うこともできません。持たざる若者は失う不安がない分幸せなのかもしれません。

20年経ってもまだ半分

週1回学生と接するとき自分の年齢を考えずにはいられません。自分が使うたとえ話が彼らが生まれる前の話だったりするとき、月日の過ぎるスピードを感じます。アラフォーになったのも随分前ですが、若いと思っていたのに人生が半分しか残っていないことに愕然としました。しかし、寿命が伸びているためか、単に楽観的なのかあれから20年ほど経った今でも人生が半分残っていると思います。ヘイフリック限界を信じるならヒトの寿命は120歳あたりですから、まだ半分しか生きていないと強弁できます。年を取ることを人はネガティブにとらえますが、脳も筋肉も成長を続けることが分かっていますので、悲観する必要はないはずです。人は生まれたときから死ぬ運命にありますが、悪夢は身体が徐々に弱り人生の残り時間に怯えながら暮らすことだと思います。人体はよくできていて、間違った使い方さえしなければ生活に不自由なく寿命を全うでき、老年的超越により年を重ねるほど幸せになると信じています。

健康理論は一つだけ

世間には「○○に効く」といった健康本が無数にありますが、いずれも著者の個人的な意見を超えるものではないと思います。エビデンスのレベルが上がったと言っても、そもそも正しいエビデンスが世の中に存在しない以上同じことです。健康ノウハウが個人的意見である以上それらは互いに対立します。ひとつだけ健康理論を選ぶなら、人体があるべきところに自ら戻ろうとする恒常性を邪魔しないことしかありません。人間の身体は夜眠ることで疲れを取り、朝太陽を浴びることで夜眠る準備を始めます。人体が想定した飢餓時代に近い食べ方、人類の長い歴史に沿った肉体労働や移動、人との助け合いなどを心がければ、化学物質で汚染された現代社会においても健康長寿を全うすることは容易です。癌や糖尿病といった生活習慣病を防ぐ方法も、いつまでも若々しくいる方法も、お腹の脂肪を落とす方法も、腰痛や肩こりを防ぐ方法も、疲れを残さずいつも頭が冴える方法も、全て同じです。健康になるためのセオリーは、人体の設計思想に忠実に生きること以外にないと思います。

食べ物は芸術?

昨日は「蒲田初音鮨物語」を読みました。1893年(明治26年)から126年続く老舗寿司屋が、廃業寸前から予約の取れない10年連続ミシュラン二つ星店に変貌する話です。今日が人生最後の日なら最高の寿司を出す、というコンセプトで5,000円だったコースを2017年以降、25,000円、35,000円、45,000円と毎年1万円ずつ値上げしています。仕入れる魚の値段を聞いたことがなく、原価率は8割に届きわずか8席の店なのに仕入れだけで年間1億を超えます。これは外食経営の発想ではなく最高の寿司を具現化するアートの世界であり、生き様そのものです。最近になり夕食を二部制から三部制にしたことで、この事業は利益を生み出すはずです。読み終わって清々しい気分になるのは、ROE的な事業発想が今後のビジネスでは足かせになる可能性を示唆している点です。他方どこか後味が悪いのは、最高の食べ物はプライスレス=高いという発想は、単純過ぎて抵抗を感じます。写真はFBから拝借した店のまかない料理です。

無意識の幸せ

幸福は過ぎ去ってから分かるものかもしれないと思います。生活の拠点を甲子高原から東京に移して1年半が過ぎます。稜線で夜明けを待ちながら刻々と色を変える朝焼けを見たり、早朝のごく短い時間にしか姿を見せないモルゲンロートを映す那須連山を温泉から眺めたり、宿の前の阿武隈源流で足元に可憐な花を見つけたり、いずれも自然の美しさに接するとき、無意識に幸せを感じていたと思います。日の出を見たあと山を走って下るとインスピレーションがわき、ペースをあげるとフロー状態なのか気分が良くなり、思考が変わりいやなことを追い払うことができます。幸せの多くは自分の意識の外で感じていて、過ぎ去った後の喪失感として幸せであったことの残像が残るのかもしれません。都市的な快楽により幸せを感じるのは気のせいであり、自分を納得させたい感情だと思います。自然のなかでの暮らしに人を満たしてくれるすべてがあるのは、人類の歴史の大半を自然のなかで過ごしてきたからでしょう。

現代の道具が奪う直感

昨日は瑞牆山から信州峠まで往復しました。雲取・甲武信・金峰・瑞牆の4つの百名山を通る「分水嶺トレイル」に出る妻の下見に同行したのですが、この大会の特徴は踏み跡の曖昧なルートを使い、地形図とコンパス、ロープなど、かつての登山の道具が必携なことです。微かな踏み跡や古いテープを頼りに進むと、間違ったルートが何人にも踏まれてトレイルに見える箇所もあります。深い山でなくても、一般の登山ルートでも簡単に遭難が起こることは福島で経験していますので、遭難用に食料を残します。コースが整備されたおかげでわれわれは安易に山に入り、GPS頼りに道を知る必要もなくなりましたが、その代償に直感を失ったと思います。車をはじめ現代の道具は、より安易に快適にできることを主眼にした結果、運転の自覚もなくぼんやりと2トンもある凶器を走らせているとしか思えない事故も目立ちます。自然は人を癒やし、多くのことを教えてくれると思います。

清算対清算

日韓の対立が従来とは異なる次元で先鋭化するなか、日本は珍しく挙国一致で韓国と対峙しているように見えます。思い出したように反日を叫び始める厄介な隣人は日本人の悩みの種であり、政治や官僚が面子を保つ絶好の機会とも言えます。韓国は時代や状況にあわせてその時々の正義を持ち出しますが、ルールや約束を守るべきだと考える日本人はご都合主義を嫌います。公然と竹島を不法占拠しながら居直る姿も、勝つことが全てでルール無視など気にかけない姿勢に映ります。日本側の措置はあくまでも権利侵害に対する正当防衛であり、政権幹部が早い時期から公言してきただけに勝算があるのでしょう。苦労人で軍隊でも優秀だったとされる文在寅が見落としているのは、自らが主張する「積弊清算」が日本側にもあることです。日本人が執拗な反日無罪に耐えてきたのは、原爆投下や東京大空襲など戦争の悲惨さを理解するからだと思います。日本が世間並みに主張し行動するきっかけになるなら明るい兆しでしょう。

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