多くの産業は消費者を育てます。自動車会社なら免許を取って最初に乗る小さな車をライフステージにあわせて大きな高価格車に誘導して利益を出します。以前大きな車に乗っているときは細かな不具合ばかり気になりましたが、安くて小さな車に変えると狭さや騒音も馬力のなさも気にならなくなりむしろ運転が楽しく愛着が増します。小さくして安くすることへの抵抗に一度免疫ができると、高級か否かは幸せや本音の満足とは関係がないことに気づきます。西武百貨店の広告に「ほしいものが、ほしいわ」というキャッチコピーが使われたのは30年以上前の1988年です。バブル経済全盛の当時の日本とは時代背景もその意味するところも違いますが、切実にどうしても手に入れたいものなどありません。すべての商品は相対的なものであり、「ちょっといい」という程度の違いしかありません。ちょっといいに人が反応するのは高級ブランド信奉を刷り込まれているからです。大脳新皮質の働きが強くなると進歩的な幻想に取り憑かれ、商品をステップアップしていかないと気が済まなくなる人間の性質こそが経済成長の原動力だと思います。
禅の世界にいざなう深い森
気がつけば師走に入り、今は一年で日没が一番早い時期です。東京にいると華やかなクリスマスイルミネーションが年の瀬感を盛り上げますが、昨年まで暮らしていた阿武隈源流の森では本格的な冬が到来し、凛とした厳しさのなかにも浄い空気を感じる季節です。情報過多で執着にまみれた淀みに身を置くと、何が大切で自分がどこに向かっているのかも分からなくなりその不安を消すために刺激を求めます。他方で自身の内面と深く向き合うのに森の中ほどふさわしい場所はありません。日没の頃、寒々しい河原から川面を眺めていると一人でいても孤独に襲われることはありません。世間の常識や自分が過去に積み上げて来たもの、環境適合や生存競争といった世俗の価値観など、もうどうでもよくなります。静寂な時間は執着から離れ、悪い感情を脱ぎ捨てすべてを手放すことでしか本当に大切なものが姿を見せないことを教えてくれます。夜の帳が下り、冷たい風を頬に受け、川のせせらぎを耳にしながら森の香りで心が平静を取り戻すと、「禅」の世界に少しだけ入り込んだ気がしました。
贅沢消費の欺瞞
たまにデパ地下に行くと行列を見かけ、行列の先には自分では絶対に買わないような高額なスィーツを売っていたりします。買う人がいるからビジネスが成り立つのであって何ら文句を言う筋合いもありませんが、わざわざ並んでまで買いたい心理は分かりません。体に良いならともかく、たいていは見ただけで血糖値が上がりそうな砂糖のかたまりや、消化が悪くて眠りが浅くなるような食べ物ばかりです。自分の感覚がずれているのか、こんなものをこんな価格でと思う商品が都会にはあふれています。生産者が最高のものを作りたいとこだわる気持ちは健全ですし、それが付加価値として評価されるのは素晴らしいことだと思う一方で、贅沢志向の消費のあり方にはどこか欺瞞を感じます。華やかな世界に住む成功者とは所詮お金のスケールが違いますから消費行動を理解できないのも道理ですが、他方で華やかな生活から転落する芸能人の自暴自棄的な生活を垣間見ると、何と遠回りの人生なのかと思います。遠回りならまだしも人生にやりたいことも目標もなく刹那的に消費を繰り返しているとしたらもったいない気がします。
作り手の温もりが心を満たす
オリンピックを来年に控えた日本ですが、景気の動向は潮目の変化を示しているようです。景気が悪化しても、もともとストイックな生活が好きなのでそれほど気になりません。週末に38円の豆腐で朝から湯豆腐を食べる程度のことで十分に幸せです。旅館を買って自分で料理を作るようになってから味覚を観察するようになりました。食べるだけのときは料理というアウトプットから調理工程を想像することができませんでしたが、自分で作るとリバースエンジニアリング的に食材や出汁や調味料の織りなす微妙なバランスの変化が味を作り出すことを理解できます。ミシュランの店に行かなくても美味しいものを食べることはできると思います。味を決める主役は食材と調味料で、出汁と良い塩があれば高いお金を出すことなく料理を味わい楽しむことができます。美味しいことが至上命題の外食は食べる人の健康はそれほど考慮しません。SNSを賑わす料理も概して体に悪そうなものが主流ですが、食べものに必要なのは食欲の喚起や都会的洗練ではなく人の温もりだと思います。先日出先でいただいた素朴なお弁当は添加物や着色料が入っていたとしても作り手の温もりが伝わるような温かいおにぎりだけで心と味覚を満たしてくれます。
おもしろきこともなく世をおもしろく
従軍経験があり、昭和の歴代総理大臣の中で最後の存命者であった中曽根元首相が101歳で逝去しました。激動の戦後政治をつぶさに見てきた歴史の証人が最後に見た日本の姿はどのように映ったのでしょうか。高杉晋作の辞世の句は心に残ります。死に直面したとき人は人生の収支を考えるのかもしれません。人生の収支は良し悪しの総和ではなく面白いか面白くないかの総和だと思います。人が最晩年に後悔するのは自分らしく生きなかったことであり、人生に悔いを残さないためには自分の気持ちに素直に生きる必要があります。収支には会計期間がありますが、人生の収支は今この瞬間の気持ちが全てだと思います。人生最後の日が近づいているならスティーブ・ジョブズのように、この世でやり残したことは何かを考えます。人生最後の瞬間に今が最高と思える老年的超越は理想の人生です。
楽をすると早く死ぬは嘘?
相関を因果と取り違える過ちを人は犯します。会社の仕事などで楽をしている人は早く死ぬと言われていて、自分の実感とも一致するので長年この経験則を信じていました。先日、早く死ぬ人はもともと虚弱体質だから仕事も手を抜かないといけないと指摘されて考え方を改めました。手抜きをしている人を見ると腹が立ちましたが見方が変わると全く違った景色が見えてきます。マスコミは因果であるかのように相関を語り世論を誘導します。一方逆も真なりで、長寿を全うした人のなかにはもともと虚弱体質だった人が多く、鍛えているうちに体が強くなることもあります。原因に見えたことが実は結果で因果が入れ替わることはしばしば起こります。運動は健康に良いと信じられていますが、相関関係は証明できても因果を示すことはおそらく不可能です。健康な人ほど運動に取り組む活力があると考える可能性をわれわれは見落としています。医療が発達しても不健康が蔓延するのは、西洋医学が単一の原因かつ因果関係が明確な急性期の外傷や疾病にしか対処できないからだと思います。
開運の法則
昨日は傘を持たずに外出し出先から濡れて帰りました。雨の多い日本では頻繁に傘の出番となりますが、海外では傘をささない人は珍しくありません。傘がないと視界が開け雨の日でも傘の閉所感から開放されて明るくなり、自然を直接感じる機会を与えてくれます。スーツを着ることはないので多少不快だとしても夏場に汗をかいて着替えることを考えれば濡れても問題はありません。全てのものは相対的な存在であり絶対に必要なものなど世の中には存在しません。われわれを悩ますものは思い込みであり、視点が変わるとあらゆるものが不要になります。人生に必要なのは嫌なことと人にやらされることを最小化することだと思いますが、思い込みはこの両者で人を苦しめます。好きなことを基準にキャリア形成をした方が生き残れる可能性が高くなると学生に話すのは半ば無責任で半ば本気で、好きなことを必死になってやれば運命は開けます。その法則に気づいたのは残念ながら比較的最近のことです。
7時間睡眠の嘘
もう何年も目覚まし時計は使ったことがなく、遅れることができない日は念のため目覚まし時計をかけますが頼ったことはありません。22時前後には寝て朝は3、4時に起きる5、6時間睡眠のサイクルは正確で、疲れた日や糖質を摂ると睡眠時間は伸びます。7時間睡眠が一番長生きといった主張は誤解を招く統計データの嘘だと思います。自分が知る百寿者は短眠の人か平均より長く眠る人で、睡眠時間は個性的でかつ状況により変化します。睡眠時のノンレム・レムの1周期は90分前後とされ、最初のノンレムでの眠りの深さであるStage3とStage4と言われる徐波睡眠が重要であり時間の長短は気にする必要がないと思います。原始の昔から続くサーカディアンリズムに沿って日の出前に起き、朝の光を浴びてからおよそ15時間前後に始まるメラトニン分泌の時間をリセットすることも重要とされます。早起きをするとメラトニン分泌が早まり、体のメンテナンスを行う成長ホルモン分泌がピークを迎える時間帯と、最初のノンレム睡眠が重なることで短時間でも疲労が取れると思います。
たくさん試す人生
人間は一日に数万単位の意思決定をしているとされます。黄色の信号でブレーキを踏むべきかアクセルを踏むべきかといった一見小さな意思決定でもときには重大な結果をもたらします。人間関係に関する判断は難しく、今相手に伝えるべきか一日頭を冷やしてから言うべきか悩んだりします。昔は言ってしまってから後悔しましたが、人生の全ての出来事は最善かつ必然と考える「最善観」を持つと、どちらでも良くてその結果を受け入れ楽しむようになります。日経新聞の私の履歴書に多い文章表現は「たまたま」「偶然」「思いがけず」だそうで、多くの成功者は運を引き寄せています。「計画された偶発性理論」では好奇心や柔軟性が重要とされ、企業経営者が一般にサイエンスよりアートを重視する傾向が強いことと似ていると思います。昔は熟慮が良いとされましたが、一方で大和銀行ニューヨーク事件のように不作為が取締役への巨額賠償につながったケースもあります。最初の転職もサラリーマンを辞めた時も旅館を買った判断も後先を考えない軽はずみな行動ですが、面白そうかどうかという好奇心を基準にたくさん試して早く前に進む方が、行動を起こさないよりは人生を楽しめると思います。
グルメは食べない?
自分で行く数少ない外食店に業績好調のスシローがあります。ファミレスのような雰囲気と安っぽい食器さえ気にしなければ値段を気にせず食べられるのは魅力的です。高級な寿司の名店で食べ過ぎの体にさらに食べ物を詰め込むことと、100円の寿司を空腹で食べることは等価値だと思います。消費者の認識こそが実態であるとする知覚品質(Perceived Quality)のPerceiveには五感で掴むというニュアンスがあります。何を食べるかという外部刺激よりも、どう食べるかという内部反応のほうが知覚品質においてはより重要なはずですが、社会の評価を基準に生きる人は美味しいと思い込むために外部刺激を求めます。今の日本に豊かさを感じられないのは皮肉なことに社会が豊かになったからだと思います。週に1日断食をする理由は、人体の細胞分裂回数を決めるテロメアの反復配列を伸長させる酵素テロメラーゼをサーチュイン遺伝子が分泌するのが空腹時だからです。断食明けの食事は何を食べても美味しく空腹は幸福感を呼び寄せます。グルメとは人生であと何度食事ができるか考える人ではなく、食べることを最小化することで繊細な五感を磨く人だと思います。