昨日は妻の誕生日で外食をしました。外食をするのは仕事を除けば誰かの誕生日か優待券があるときぐらいです。サラリーマン時代は習慣的に外食をしましたが、今は身元の分からない料理を食べるよりはコンビニでナッツでも買った方がましだと思います。外食は害食と呼ぶ人もいて加工食品と並んで味付けが濃く摂取した塩分や糖分量、使用している油を把握できないことが問題です。大半の外食は生きるためではなく楽しむための食事ですから店は消費者の健康より美味しく感じることを優先します。農薬や消毒リスクの高い輸入食材の多くは見えないところで加工され外食や中食に回されます。食中毒のリスクを回避するために調理器具は殺菌され腸内細菌に悪影響を及ぼします。コロナ禍でもデリバリーが急速に拡大し外食が圧倒的な支持を受けるのは、自分で調理をすることが面倒で、最も手頃なハレの場としての機能を果たしているからでしょう。最も好ましい食事は、感覚が鈍った状態で食べる贅沢な食事ではなく、本来の空腹により感覚が研ぎ澄まされた状態で身体が欲するものを食べることだと思います。
自炊が食源病を防ぐ
子供の肥満が深刻なメキシコ南部オアハカ州では未成年者へのジャンクフード販売を禁ずる州法が可決したと伝えられます。一方、揚子江沿いの穀倉地帯が水害に襲われ食糧不足の懸念される中国では食糧節約の重要指示が出されたと人民日報が伝えます。飲食店では注文点数を制限され食べ残しを処罰する飲食監視社会の始まりです。後者の目的は国民の健康のためではなく、中共の失政を隠し国民に転化するものです。食べることは最も重要な欲望ですが、同時に食源病と呼ばれる生活習慣病の主因です。とくに健康被害を深刻にするのが精製された砂糖と遺伝子操作された矮小小麦ですが、これらの食品を排除して現代の食生活は成り立ちません。とくに戦後の日本を小麦の一大消費地に変えたアメリカの占領政策は負の遺産として日本人の健康を蝕んでいます。遺伝子操作されたコーンシロップも含めてこれらの食品は一見健康志向の食品に姿を変え知らないうちに摂取しているサイレントキラーです。昨今自炊が増えたことはこれらの食品を遠ざける上では朗報だと思います。
五感を奪う都市
東京の熱中症による死者が8月に入り100人を超え酷暑が続きます。屋外は暑すぎ、一方で屋内は寒すぎる都市は不健康を助長します。ヒートアイランド化した都会の暮らしは、単一の感覚器を使う生理的な快適さが求められ、風鈴を吊るしそこに爽やかな風がそよぐといった風情が入り込む余地はありません。今年の夏はクーラーではなく扇風機を使いましたが、寒すぎるよりは多少汗ばむくらいが感覚的には快適です。「自然から遠ざかるほど人は病気に近づく」と述べたのはヒポクラテスですが、冷房の使用を最小限にして自然に近い暮らしをすることは東京でも可能だと思います。熱中症で死亡する80%が65歳以上とされ、体の冷えを嫌い冷房使用頻度が少ないこと、老化に伴い皮膚の温度センサーの感度が鈍くなることが原因とされます。何事も都合よく老化を理由にする風潮がありますが、人間は使用しない機能を退化させますので、本当の理由は長年の不自然な暮らしだと思います。人間は自然の一部であり、歳を重ねても五感の注意力を鋭敏に保つことは可能だと思います。
必須項目が欠如している
今年の夏はほとんどエアコンを使わずに過ごしました。地下住戸は想像以上に涼しく東京でも扇風機があればクーラーで身体を冷やすより快適です。しかし自分の部屋がある一階は地下と体感温度が2、3℃違い扇風機のタイマーが切れると寝苦しくて目を覚まします。日中に気温が上がると苦しげなラブラドールをバリカンでサマーカットしました。切り過ぎてもいけないと途中で止めたために、観光客に刈られた羊のようなまだら模様になってしまいました。風通しの良い夏毛なので本来は刈る必要はないのですが、アスファルトに覆われた都市の暑さは過酷です。東京にはあったら嬉しいものがほとんど揃いますが唯一欠けているものは住みやすい温度に調整してくれる自然環境です。一方で何もないように見える田舎の暮らしには数少ない必須項目があります。先日長野県で明け方3時に屋外で空を見上げると満天の星空でしばし時を忘れました。お金を払えば全てを手にできる東京ですが、「こんな時間が欲しかった」としみじみ思えるようなプライスレスの必須項目が欠如していると思います。
経済か安心かの世代間対立
先日八ヶ岳に登ったとき、私とラブラドールは下山し、妻と娘は山頂でテント泊をしたときにテレビの取材が来ていました。夏休み中の行楽地にいかに県境をまたいだ移動が多かったかが取材意図らしく、実際には地元の人が多かったのに、東京や大阪から来た人を見つけるとインタビュアーが大げさに驚くという偏向切り取り報道だったようです。世界共通とは言え今年の学生は授業もまともに受けられず夏休みが短縮され、はめを外せば自粛警察に咎められます。社会人も自粛休暇を過ごし、それがもたらす影響が気になります。インターネットに親しむ若い世代は様々な情報や意見に接することができますが、マスメディア以外の情報源を持たない情報弱者は今でも必要以上にウィルスを恐れます。それが世間の空気を形成し自己保身に走る組織に伝染します。とくに地上波や新聞しか見ない一定以上の世代は現役を離れていることが多く、経済よりは自分の命を優先し安全、安心と際限ない自粛で経済を窒息させかねません。新型ウィルス対策は経済か安心かの世代間対立の様相を呈しているように見えます。
昔ながらの観光協会・DMO
昨日は真夏の暑さの甲府に行き産業支援機構で打ち合わせをしました。疫病騒動がなくても大廃業時代を迎える日本では産業の再生は大きな課題です。旅館再生に関して言えば金利償却前利益(GOP)のP/L的な再生と、GOP以降のB/S的再生があり、前者は利益が出るまで売上を上げるかコストを下げればよいので、答えが間違っていなければあとはやり抜くしかありません。問題は後者で宿泊産業という枠組みでこの問題を解決することの難易度は高く、産業の枠組みを超えた視点が必要だと思います。もっとも有望視されるのがワーケーション的アプローチですが、日本中に空き家があり余る現状を考えると大半がコモディティになる危険性があります。人口が減少する日本でインバウンド再開の目処が立ちにくいなかで必要なのは、教育や健康など個人にとっての投資的価値を付加することだと思います。日本の地方にはその受け皿になる魅力的な資源が豊富に存在するのですが、大半の観光協会やDMOは昔ながらの集客PRなど断片的な要素でしか機能していないことが問題でしょう。
江戸の庶民はアスリートだった!
昨日読んだ「歩く江戸の旅人たち スポーツ史から見たお伊勢参り」は興味深い内容でした。1830年に伊勢を訪れた人数は3月から6月までの4ヶ月に427万人に達し、当時の日本の庶民層は約26百万人ですから6人に1人が伊勢参宮をしたことになります。寺社への参詣を旅の目的にすれば関所手形を得やすいため信仰心は旅に出るための隠れ蓑に使われたようです。各地の講が旅行のための互助会として機能していたことも同じです。驚いたのは一日の移動距離で、旅日記39編の分析によると東北の庶民(男女)の一日平均の歩行距離は34.1km、総歩行距離は平均で2,361.3kmに達します。計算すると69日以上も過酷なステージレースを続けたことになり当時の庶民はエンデュランススポーツのアスリートでした。街灯設備が乏しい時代は主要幹線でも日没後の外出を禁じられていたため移動は日中に限られます。記録の残る年齢幅は18歳から56歳ですが年齢と歩行距離には相関が見られません。歩く速度で旅をしていた時代の旅は現代とは全く別次元の過酷極まりないエクストリームスポーツそのものであり、旅に駆り立てる強烈な思いがあったのでしょう。
幸せ追求は糖尿病と同じ?
暑い日が続きますが、山はすでに秋の風が吹いています。自然に身を置くと人生の評価軸が変わります。世間では都会的な人生の評価軸が優先されてお金で買う産業的な幸せが重視されます。幸せという言葉は儲けるための軽薄なプロモーションツールになり、論じられた瞬間に胡散臭く見えます。一人ひとりが本音の心地よさを優先して暮せばよいだけのことで、本質はシンプルで感じたことがその答えです。幸せになれるという発想やノウハウは不健全で、幸せを意識するほど執着が強くなると思います。幸せを論じる前提は今に満足をしない状態ですから、モア&モアの罠に自分からかかることになります。人生には壮大な目標が必要だと錯覚するように、より幸せな暮らしという幻想は人々にさらに多くの欲望と商品を押し付けるのに好都合です。幸せの追求は理にかなっているように見えますが、食の快楽が高血糖とインスリン抵抗性を引き起こし2型糖尿病になるように、幸せに対する感受性を低下させるだけだと思います。本気で取り組むべきはポジティブサイコロジー以前の心理学がそうであったように不幸をなくすことでしょう。
その時まで生き延びていれば
75回目の終戦記念日を迎えます。敗戦を知らない自分の世代にとってそれに近いものを探すと90年代初頭のバブル崩壊ですが、今起きているのはそれを凌駕する事態です。5月頃は、夏休みには半分程度需要が戻すのではと淡い期待をしていた観光、宿泊産業は壊滅状態でもはや見捨てられた産業に見えます。現金なものでインバウンドが消えれば観光など所詮国の基幹産業ではないという冷たい空気です。宿泊産業には3種類の事業者がいると思います。半ば止めたいと思いながら以前からの経緯で続けている所、不動産収益物件として投資対象と見ている所、クリエイティブやイノベーティブがこの産業に変革をもたらすと信じている所です。生存確率が高そうなのは労働集約、装置産業というこの上ない悪条件に未来を描き、あえて飛び込んだ後者でしょう。春から夏の観光需要ばかりか秋の行楽シーズンも蒸発すれば観光産業は文字通り崩壊します。産業の崩壊を見越してその再構築に商機を狙う人もいます。時代が変わる節目となった2020年以降の世界ではクリエイティブさやイノベーティブさが伸びしろになる社会が到来すると思います。それはそれで楽しそうな世界ですが、問題はその時まで生き延びていればということです。
演出された第二波
広告収入が半減して苦しいはずのマスメディアは自分の首を絞めているのに感染拡大第二波の演出に余念がありません。PCR検査の陽性者の増加は7月前半の1万人、7月後半の1.6万人、8月前半の2.6万人と検査数を増やしたことが原因です。経済が崩壊しても安全サイドに盛っておけば責任を問われないと考える保身が日本中に蔓延していると思います。科学的根拠の乏しいマスクを強制する風潮は自分の頭を使わず答えを教えてもらう教育の賜物でしょう。新型コロナを指定感染症から外すべきとの提言もありますが、風邪やインフルエンザが重症化しても人が死ぬことは考慮されません。PCR検査は気道表面のウイルスの存在を調べるだけで感染から発症を引き起こさないケースが多く含まれるはずです。風邪を引いて喉が痛いからといって必ずしも熱が出ないのと同じです。SARSやMERSも当初は重症者や死者が出て恐れられましたが、数ヶ月で重篤性が低下し感染発症しなくなりました。PCR検査の悪用による新型コロナの誇張は、いずれ効果の怪しいワクチンを売るためのプロモーションにも見えます。