先月末に米食料品チェーンのディーン&デルーカが米連邦破産法11条の適用を申請し、本格的な大倒産時代の到来を印象づけました。一方で、朝近所の公園に行くと休校中の子どもたちで賑わっています。目立つのがサッカーやバスケット、バドミントンをする小学生とお父さんの姿です。平時なら足早に職場に急ぐ父親が公園で子供と遊ぶ光景は、人間らしい生活にとって本当に大切なものが何かを思い出させてくれます。唯一感染者のいない岩手県は過疎なのではなく人間らしく暮らせる適正な人口密度です。長年東京に暮らしたおかげでその異常さに気づきませんでしたが、過密な都市を基準にする生き方は不自然だと思います。都市の歴史は疫病の歴史でもあり、その脅威は都市の発展とともに増加します。各国が鎖国をせざるを得ない今は、グローバル化の進展により分断され格差が広がる社会を考え直す機会にもなりました。人が近くにいることを許さないウィルス騒動は残酷ですが、日本のインフルエンザ死者数は例年の3、4割に留まる予想です。多くの人が我にかえり、より人間らしい暮らしを取り戻せる機会になるなら、新型ウィルスのパンデミックにも意義を見出すことができます。
事業欲が勝敗を決める時代
人との接触を7、8割減らす自粛生活が全国に広がりました。世界が動きを止める状況はゲームを変え、考え方次第では後にも先にもない千載一遇の機会でしょう。2003年のサーズ下の中国でeコマースが急成長したように、テレワークが根付かない日本でも抜本的なテレワーク推進の動きは後戻りしない気がします。オンライントラベルエージェントの台頭により駅前一等地に多くの店を構えていた旅行代理店の淘汰が一夜にして始まったように、一等地のオフィスの必然性は減じていくと思います。人が集まることを忌避する世界では都市の価値は下がり、長年の懸案だった東京一極集中が緩和されるかもしれません。心情的には自然環境が豊かで食材も安く環境のよい場所に住んで、都市的な過剰をやめる生活こそが人体にふさわしい暮らしだと思います。すべてが過剰な普段のスピードを落とせば見える景色は違ったものになります。人は幻想に引きつけられ幻想に恐怖する生き物ですが、悲壮感など感じている場合ではありません。生き残りをかけた事業欲が勝敗を決める時代が始まるなら、都市を作った定住という考え方さえなくなると思います。
人のいない世界
コロナ騒動が長引くとの懸念が広がり、ビジネス形態は感染リスクのある人と人が接触しない世界を目指すと思います。テレビ局は無人カメラを設置した一人だけのYou Tube放送局に代替できますし、アマゾンなどのオンライン小売やフードデリバリーが増え、学校の授業だけではなくフィットネスクラブや飲み会もオンライン化しています。場所や人の固定費がかからず距離の制約がなくなり、オンラインビジネスは成長産業になる可能性があります。一方で2億人にユーザーが急増したオンラインミーティングソフトのZoomが標準外の暗号化で北京のサーバーにデーター転送していたことをCEOが認めました。中国政府が今年1月に施行した暗号法では、中国にある外国企業は海外ネットワークにまで中国当局が侵入でき、Zoomは中国で700人がアプリ開発を行います。20カ国9万校のオンライン授業で使われるZoomは、経団連、経産省をはじめJAL、楽天など有力企業が利用しており対策が急がれます。自粛が続こうが続くまいがあらゆる面から人がいない世界へと社会の構造が大きく変わり始めると思います。
パラノイア2.0
2割、3割の売上が当たり前に落ちる未曾有の事態の問題は、経営者が固定的な人件費を払う恐怖に目覚めたことだと思います。リモートワークで家賃が切れるように人件費も後腐れなく切る方法があります。一緒にリスクを取ってくれるパートナーではなく、一方的に給料を要求して依存する従業員と経営側が敵対するのは怖いシナリオです。奇しくも同一労働同一賃金がスタートした時期とも重なり、企業は正社員を雇用する将来負債をより厳しく吟味し、会社の外部との連携を強めるでしょう。戦後松下やソニー、ホンダ、ダイエーなどが生まれ世界を席巻したのは日本の幸運な時代背景もあります。経済を牽引しそうな企業を探すとソフトバンクにも楽天にも明るい話題はありません。かつてインテルのアンドリュー・グローブが予言したようにパラノイアだけが生き残る時代が到来したのかもしれません。パラノイアは人を信じず、温もりもなく、効率追求を至上命題に完璧を追求しますが、その行き着く先は均質化と弱肉強食の世界です。4年前にサラリーマンをやめたのは組織の息苦しさが理由ですが、あの頃はまだ良かったと言う時代が来ないとも限りません。
武に欠ける日本
コロナ騒動への企業の対応はその会社の経営層の力量を映すと思います。代替手段があるのにリスクのある通勤を止めない会社もあれば、ビジネスは動いているのにBCPなどお構いなしに全ての業務を止める極端な反応まであります。非常時にこそリーダーの役割が試されますが、コンプライアンスブーム以降増えたのが、交通事故を減らすには全ての車を走らせないと考えるような思考停止した経営者です。判断ができないリーダーを増産したのは偏差値偏重教育だと思います。真珠湾攻撃で燃料施設と肝心な米空母を取り逃がしその後のミッドウェイでの惨敗を招いたのも、攻め時を判断できず艦隊を無傷で帰すことに執着したハンモックナンバーで選ばれた司令官です。欧米のエリート教育が伝統的にスポーツを重視する文武両道なのは机上の勉強では状況を見て瞬時に判断する能力を養えないからです。ルールに拘束されるリーダーは人工知能との比較以前に判断ができない点で有害です。日赤病院のドクターを語るチェーンメールを拡散して医療崩壊や特定利権に手を貸すことも判断力の無さでしょう。体育会採用には気合、根性だけではない一定の合理性があると思います。
当たり前の日常に帰る
消費が美徳だった日本では戦時中の「欲しがりません」が復活したように、レジャーや外食に行こうものなら非国民扱いされる耐乏生活が始まりました。医療崩壊を避けることが最優先ですから自分が感染している可能性を前提に慎重に行動する必要があります。常に感染リスクにさらされる医療関係者や厚労省の現場にいる職員、受け入れ施設の人にも家族と生活があり、その心労を思えば「5月6日まで我慢しても緊急事態が解禁される保証はない」などと贅沢を言う気持ちもなくなります。高騰した野菜の値段も戻りスーパーには潤沢に食品が並び何の不自由もありません。震災後の被災地では壊れた自宅のことよりスーパーの再開を優先した人がたくさんいたと聞きます。この騒動の好ましい面は、当たり前の日常を支えてくれる人への感謝の念を取り戻すことです。毎日が非日常の度を越えた都市生活が日常に戻ると考えるなら好ましくもあります。自粛以降ダイエットを始め、冬の間に溜め込んだお腹とお尻の脂肪をほぼ一掃しました。運動量を増やしながらお腹が空くまで食べないだけで本来の食欲が戻り、一日一食でも満足でき、ジャンクフードを食べたくなくなりました。養生を生活の中心に置くのなら消費の自粛は良いことばかりに見えます。
人生を主軸にする社会
ウィルス騒動では多くの人が被害を蒙り「お気の毒」などと他人ごとを言っている場合ではありません。一方でこの騒動とは無縁で何事も無かったように給料が振り込まれ、職場に行かなくて助かると呑気に構えていられる人もいます。皮肉なことに価値を生み出す現場から遠い所にいる人ほど安全です。組織ぐるみでお互いに仕事を作り合っている会社を離れると、自分が生み出している価値だけが残ります。平時ならもっと注目されたはずですが、4月から同一労働同一賃金が始まりました。これを厳密に運用すると困る人が正社員の大半を占めることは公然の秘密です。働き方改革や人事制度の多くがミスリードしていると思うのは、労働の一面しか見ないからです。企業は賃金をコストと考え、労働者は生活の糧と考えます。つまり賃金と生活にばかり目が行きますが、労働にはもうひとつの重要な側面があります。それは働くことが人生と分かちがたく結びついていることです。「人は働くことが嫌い」という性悪説を前提に制度が作られ、われわれは働くのも学ぶのも生活のためだと思ってきましたが、本来は働くことも学ぶことも人生を豊かにする生きがいであり、一人ひとりの人生を主軸にする社会がポストコロナに出現して欲しいものです。
モノが買えない社会
東日本大震災のあと5Lのガソリンを買うのに30分並んだことや外国人スタッフが帰国した外資系ホテルが営業を休止したことと、都市が今直面している状況は別次元です。夜のクラブ活動が敵視され多くの飲食店が営業できない世界は「モノが買えない社会」というかつて経験したことのない壮大な社会実験をしているようなものです。モノが買えないことの素晴らしい美点は所得格差が解消されることです。お金そのものには価値がありませんから使うあてがなければ格差は意味を失います。同様に世界には有望な投資先が限られ始めていて、超富裕層がさらに富を拡大することも難しくなります。そう考えると暴力的におぞましいほどの格差を広げた中国でウィルスが発生したことには納得がいきます。金で手にする幸せの儚さを世界が知るのであれば一連の騒動には意味があると思います。昔は美味しいものを食べられる人が幸せだと思いましたが、本当は美味しく食べられる人が幸せなのです。運動を増やして食事を減らせば本当の食欲が戻りすぐに健康体になりますが、都市の生活ではその逆が奨励されます。食料から燃料、そしてレジャーまで自前で調達できる自然のなかの暮らしへの憧れが増々膨らみました。
30年間進歩しなかった企業組織
トム・ピーターズの「新エクセレント・カンパニー」を読みました。36年前(執筆時)の前著は世界で600万部以上の大ベストセラーになりましたが、ケーススタディで取り上げた43社の過半数の経営が出版の5年後に失速したことでも有名になった問題作です。一番知りたいのはエクセレント・カンパニーが凋落した理由ですが、「36年のうちに大方の企業が輝きを失ってしまった。巨大企業の貢献はかなり過大評価されていた。」と他人ごとで反省の弁はありません。彼の著作はいみじくも世の中にエクセレント・カンパニーが存在しないことを示し、これに続く「ビジョナリー・カンパニー」もその点で同じです。しかしトム・ピーターズの偉いところは前著出版の直後に改心したことです。その後に連発される著作はワォ!やクレイジー!といった情熱系路線に宗旨変えし、ありきたりで退屈だったビジネスの世界に大地を揺るがすほどのワクワクとみなぎる元気を持ち込みました。今回の本が30年以上前の著書群から唯一進歩したのはサブタイトルに「AIに勝てる組織の条件」がついたことです。問題は今でもこの本が売れることで、この30年間企業組織は進歩しなかったことになります。もしエクセレント・カンパニーを一社だけ上げるなら彼も絶賛したサウスウエスト航空を置いて他にはないでしょう。
学校も会社もいらない
かなり控えめに言っても今の状況は戦後最大の異変ですが、重要なのはこの状況を味方にできるか否かだと思います。低俗なマスメディアの終焉が見えてきたこと以外にも好ましい面があります。グーグルによると、職場への移動は米国で38%、イタリアでは63%減に対し日本は9%減にとどまり、三密が好きな日本社会の対策の遅れが目立ちます。先進国のなかで一番遅れているとされるリモートワークやオンライ授業を日本もせざるを得ないことは明るい兆候です。ポストコロナに待ち受けるのはハコとしての会社も学校も不要になる社会です。さらに発展して世界から最良の教師や最良の従業員を選べるようになればハコだけではなく学校や会社組織そのものがいらなくなります。これは決して突飛な発想ではないと思います。教育は人格形成であるといった、理想論ときれい事で聖域を作り規制するのは権威に弱い日本人の悪い癖で、殺伐とした教室が人格形成にふさわしいはずがありません。三密の権化のような会社のオフィスもその不合理さと非効率さが露呈するはずで、硬直した建前文化を壊し学ぶや働くを再定義する抜本的な改革が進むことを期待したいと思います。