店の店頭から生活用品が消える光景を見ると東日本大震災や古くは70年代のオイルショックを思い出します。9年前もわずか5Lのガソリンを買うのに30分並びました。人は希少性に引きつけられ群がります。希少性は常に需要を呼び起こし、希少であることより人々が希少だと認識することが高い価値を生みます。一方人生における究極の希少資源は時間でありその使い方が人生を豊かにします。スティーブ・ジョブズの「今日が人生最期の日だとしたら、今日の予定は本当にやりたいことだろうか」という言葉を思い出します。癌になった後の彼は何かを選択をするときに自分はじき死ぬことを思い出したと言います。死を目前にしたら、目先の快楽や非日常、プライドや執着など些細なことに思えます。生きる時間を制限する死は同時に人生に意味を与えてくれます。本当の幸福は自分らしく生きることであり、より具体的に言うなら使命を果たし常に成長することだと思います。人体の構造からして物凄く幸福という状況は存在しません。その点で幸福はポジティブリストではなくネガティブリストなのでしょう。最大のネガティブリストは自分らしさを放棄することだと思います。
濃厚接触が不可避な都市的な生き方
昨日は「ブルーゾーン 世界の100歳人に学ぶ健康と長寿のルール」を読みました。世界の長寿村を調査した本は多数あり、この本も含めて調査対象地域はそれぞれ微妙に異なりますが導かれるエッセンスはほとんど同じです。元気な長寿者がきわめて多いエリアを青いインクで囲んだことから呼ばれるようになったブルーゾーンの特徴は、食などの伝統文化が色濃く残り、ストレスにならない程度によく働き、家族やコミュニティの連帯が強く、生きがいや強い目的意識を持て、少食で野菜中心の食事、安息日を持つなどある種の信仰心にあふれることが共通しています。一方現代の都市には大量生産のジャンクフードがあふれ、仕事はストレスを生み、核家族化や単身世帯が増え、刹那的な娯楽に目を奪われ、肉食が奨励され、信仰心は初詣ぐらいとまるで逆です。人類史から見ればわずかな点に過ぎない都市の生活を与件にわれわれは生きていますが、阪神淡路や東日本の大震災をきっかけに少なからぬ人が人生を変え始めたように、一連の武漢熱騒動をきっかけに濃厚接触が不可避な都市的な生き方を見直す人が出るのかもしれません。
世界一心配性な日本人には運動が必要
昨日は八ヶ岳の三ツ頭(2,580m)に登りました。山にいるときはいつも幸せですが、この季節の特権ともいえる柔らかな雪で覆われて走りやすくなった極上のトレイルを下るのは至福の時です。幸せになる方法は3つあると思います。ひとつは目標達成や自己実現により得られる幸せでドーパミンが関係していて、もうひとつは親切やふれあいによるオキシトシンの働きによる幸せです。3万年かけて選別的に交配された犬を撫でると人間と犬双方の血中のオキシトシン濃度が高まり血管を広げて血圧を下げ心血管病リスクが下がります。ドーパミン系の幸せは報酬回路が際限なくエスカレートして幸せは続かず、成功者の末路が必ずしも明るくないことに関係があります。3つ目の幸せが太陽を浴びながら自然のなかでリズミカルな運動への集中によりもたらされるセロトニン系の幸せです。早朝の静寂な森で腹式呼吸による腹筋リズム運動を伴う有酸素運動はセロトニン活性に申し分なく、セロトニントランスポーターが少なく世界一心配性と言われる日本人は自然のなかでもっと運動をすべきだと思います。
仕事と運動は最良のパートナー
全国で学校が休校になる今、311の時のようなテレワークが奨励されます。通勤やオフィスコストを考えるとテレワークは合理的ですが、人は群れたい生き物なのか普及しません。30年に及ぶサラリーマン生活の半分はオフィスにあまり行かない生活で、生産性の高い働き方を試すのは一種のライフワークです。結論は締め切り間際ならどこでも仕事ははかどるということですが、例外は会社のオフィスです。どうでもよい会議や雑用に呼ばれて集中できません。企業は絶望的なほど付加価値のない仕事と無駄にあふれています。無用と思える仕事や商品が雇用や業界を守るために奪えない社会の構造に似ています。自身が生み出す付加価値と投入される時間コストを意識して働く人はまれです。人間の思考は拡散と収束を繰り返していて、その性質にあわせた働き方が重要だと思います。早朝の体育授業でアメリカの高校生が成績を向上させたように朝一番で最大心拍の80%程度の運動をすることは有効です。理想は森林浴を兼ねた早朝のトレイルランニングで脳の血流を上げてからインプット作業を行い、アウトプットは再びウォーキングなどの有酸素運動を行いながらスマートフォンなどに音声入力で記録し整理する方法です。仕事と運動は切り離すことのできない最良のパートナーだと思います。
健全になるメディアの世界
中国のサプライチェーンに組み込まれた日本ではマスクに限らず生活必需品の不足が始まったと伝えられます。製造業を米国に呼び戻すと叫んだトランプは正しかったのかもしれません。武漢熱を引き起こした後も沖縄本島近くに爆撃機の編隊を飛ばし公船による領海侵入を繰り返す中共政府に対し、チャイナプラスワンより踏み込んだ対応をすべきとの論調もあります。闇で売られて権力者の懐を肥やすだけのマスクや防護服を気前よく送ってしまった人たちには日本の感染拡大が見えませんでした。14億人のマーケットがほしい経済界は、一党独裁の人権抑圧政権でもネズミを取るなら良い猫という鄧小平理論を信奉します。近視眼的な思考を防ぐには良質な情報を得ることが必要です。社会人になった頃の客先での会話は「今朝の日経に・・」で始まるのが常でしたが、いまやオールドメディアの有料記事にお金を払う人は絶滅種です。キュレーターが発信するYou Tubeなどが人気をさらってしまえば情報操作も難しくなります。新聞広告を奪ったリクルートに対して昔なら未公開株事件でリベンジしましたが、政治を使って競争相手をつぶすこともできませんから、メディアの世界は多少健全になるのでしょう。
保身による呆れるほどの無駄
政府による今後2週間のイベント開催の中止・延期要請を受け娘の高校の卒業式の謝恩会が中止になりました。卒業式も生徒のみ、もしくはオンラインでの実施が検討されていると聞きます。世間は不要不急の集まりをヒステリックに忌避し始めたようです。一方で中国お抱えのWHOは楽観論を広めることに余念がなく、国賓招待した手前中国に忖度せざるを得ない日本政府の対応にも疑問の声が上がります。日本を席巻するイベント中止の嵐は消費増税で崖っぷちに追い込まれたアベノミクスにとどめを刺しかねません。ムラ社会に生きる日本人は右に倣えが好きですがその背景にあるのは保身だと思います。組織人はあらゆる場合に言い訳ができるように準備しなくてはならず、その有害不毛な仕事が会社を疲弊させます。本来は戦略の観点から考えなくてはならないコンプライアンスは保身の道具にされた感があります。保身、忖度、嫉妬の渦巻く世界はいかなる組織をも非生産的な地獄に変え、ほとんどの大企業が呆れるほど無駄なお金を使っていると思います。
本能と感性を抑圧する大脳
時間ができると森に行きます。八ヶ岳南麓の早朝の登山道を鹿の大群が渡っていきます。歩きにくかったトレイルの岩の上にはカーペットを敷いたような積雪があり走るのに快適です。アウトドアブームとは言えこの時期に森を目指す人はごくわずかですが、静寂に包まれる今の季節の森は内省に最適です。座りながら問うことが座禅なら、山行は歩きながら問う瞑想です。足運びは呼吸とシンクロし、山頂まで規則正しい呼吸に意識を向けていると瞑想と同様の効果を得られます。あるがままに今を見ることで、起こりもしない未来の不安や過去の後悔から解放されます。あまり興味のわかない近所のリゾートホテルには人があふれ、人工的な環境に満足して都会に帰っていく行楽スタイルは健在です。戦後急速に欧米的な暮らしやレジャーを取り入れた日本は大量生産のために皆が同じ夢を見る必要があったのでしょう。人は生まれてから得た知識や見たものを大脳皮質にためていくとされます。ステレオタイプのリゾートホテルが今でも人気なのは大脳に刷り込まれた幻想が人間の本能や感性を抑圧しているからだと思います。
大量消費中毒でも禁欲主義でもない
パレートのいわゆる80:20の法則は様々な場面に使われますが、最も大切な人生の時間の80%はどうでもよいことに費やされていると思います。20%がどこにあるか考えると、昨日のように早朝の森を抜けて雪を踏みながら山頂を目指すとき、真冬の那須湯元温泉の高温浴槽に身を沈めているとき、無我夢中で山岳レースを走っているときなどが思い浮かびます。共通するのは都会に住むことを前提にしなければたいしてお金がかからないことです。海外旅行や外食などの洗練された非日常を本音で楽しめないのは瞬く間に過ぎ去りまた普段の日常に戻る味気なさがあるからです。人生の満足に直結するのは日常生活のなかに何気ない幸せを感じる時間を持つことだと思います。自然を感じながらゆったりと深い呼吸をするだけなら誰にでもできます。人にはそれぞれの生き方がありますが、人体に備わるホメオスタシス(生体恒常性維持)が身体を機能させ思考に秩序を与えることは共通です。ギリシャのアポロン神殿に刻まれた古代の警句は「中庸を知れ」で、ブッダもアリストテレスも森羅万象において中庸を行くことこそ人間の幸福の鍵だと教えました。幸せとは大量消費主義の中毒になることでも極端な禁欲主義や社会から逃避することでもでもないのでしょう。
日本人にこそ悟りが必要
昨日は八ヶ岳に行きました。山はマインドフルネスに最適です。マインドフルネスと言うと瞑想、瞑想というと座禅をイメージしますが、もっとも気軽に行えるのは登山だと思います。修行の方法である座禅は一定の訓練を要しますが、登山には歩行と座禅と瞑想を組み合わせた効果があります。この時期の静かな森は五感を研ぎ澄ませ、世間に向いた目を自分に向けることができます。憂鬱なことがあっても山に入るだけで気分が晴れます。今この瞬間が大切に思え、執着から解放されてシンプルで身軽な生活を送ることの心地よさを思い出させてくれます。不況になっても、シンプルで堅実な生活の良さを知っていれば無闇に悲観をすることもなくなります。スティーブ・ジョブスは禅に深く傾斜し、ビル・ゲイツも日本庭園を愛で、ラリー・エリクソンが南禅寺に家を買ったように、シンプルさを特徴とする日本の伝統文化は海外で評価されますが、日本人の目は欧米型の派手な世界観に向いたままです。日本人は「悟り」と言う言葉を使いますが、意識の構造的な転換が必要なのは日本人の方かもしれません。
美しい国などいらない
昨日八ヶ岳に来ました。三連休ですがどこも渋滞しません。世界中に蔓延してしまった新型ウィルスの騒動は遠からず収束すると思いますが経済への影響は甚大です。同時に一連の騒動は政治のあり方について考える機会になりました。極論すれば平時の政治家は無用の長物ですが非常時の今こそ日本の態度を示すリーダーシップを期待したいものです。21世紀になっても領土拡張に野心を燃やす中共政府のトップを国賓で呼ぶことに疑問の声が上がっています。国賓で呼ばれた英国では日本の残虐さを吹聴してまわりながら、今も人権抑圧を繰り返す中共と付き合うことは正しいのでしょうか。理想だけでは世の中は回りませんが、理想のない経済を回すことも無意味に思えます。あらゆる生物が種の保存の使命を帯びているように日本人には日本の良さを伝える責務があります。日本に根を下ろす仏教は瞑想的な精神を創造し心の奥底から自由を感じる無我の境地に入る神秘的な力を見出します。拝金や強欲の蔓延する時代にこそ日本が世界に伝えるべき精神があるはずです。それは、かつて安倍首相が世に広めた「美しい国」というスローガンのようにいかようにも解釈できる曖昧なものではないはずです。