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ルールを守り過ぎる日本人

一連のウィルス騒動からは、一寸先は闇という印象を受けました。親切心で入港させたダイヤモンドプリンセスは「浮かぶ武漢」と欧米から叩かれ、あげくの果てにロンドン・オリンピック説まで浮上したのは今となっては笑えないジョークです。「奇妙な成功」と海外メディアが驚く日本のウィルス封じ込めを素直に喜べないのは、従順、お上意識、同調圧力という日本独自の閉鎖的な風潮も要因の一つとされるからです。昨日銀行に行くと、手回しよく近所の支店は統合され閉店していて、仕方なく行った別の支店では宣言解除をした今もわずかな行員しか居らず長蛇の列です。銀行業務など全部WEB上でやれそうなのに、未だに手書き書類の上どうでもよい作法を客にまで押し付けます。外国人は一様に日本の煩雑で無駄で絶望的なまでに愚鈍な手続きに悲鳴をあげます。勤勉なはずの日本人が世界最悪と思える手書きにハンコの非効率を放置する理由は不明です。和を尊びルールを守ることは日本人の美徳ですが、バカバカしいルールにも疑問を持たないほど従順なのは考えものでしょう。

混雑なくして儲けなし

日常生活や働き方の新しい生活様式はマスクの着用以外はむしろ好ましいものだと思いますが、問題はポストコロナのビジネスのあり方です。売上を最大化するために混雑と儲けが同義語だったビジネスの世界で、どうやって利益を出すかは暗中模索です。厚生労働省が推奨する人との間隔は最低1メートル、正面に座らない、会話を控える、なるべくオンライン、なるべく屋外というガイドラインを守れる業種は限られます。他方で一定の強制力をもって世界が行動を変えざるを得なかったことには意義があると思います。期待されるのは日本がとくに遅れている電子政府で、いまだにFAXを使い集計ミスをしたり、マイナンバーでの給付金受付を止めざるを得なかったお粗末な仕事ぶりが明らかになりました。小池一強とされる都知事選ですが、古い構造を一気に破壊してくれそうなホリエモンに期待したくもなります。少なくとも安心安全をヒステリックに叫び経済を破壊しようとする親中派の現職よりはましでしょう。

お金の自由への誤解

昨日ファミレスに行ったときの隣のテーブルの会話は持続化給付金の話で、「ダメ元でとりあえず申請する」と話していました。要件を満たす自分の会社でも申請をしたいと思いますし、周りでも申請の話を良く聞きます。当面は緊縮財政を封印して経済を最速で取り戻すことを優先すべきだと思いますが、他方で政府が何でもやってくれると考える人が増えれば、自助努力をしなくなります。国に依存すれば大きな政府になり、その行き着く先は共産主義です。一部ではMMTの議論がもてはやされますが、ジョブ・ギャランティ・プログラムなど共産主義そのものでやがて職業選択の自由を失います。自由が増えることこそ進歩であり幸福の要件ですが、自助努力なしに国に依存をすれば自由を失います。とくに重要なのがお金の自由と時間の自由ですが、お金の自由とはお金に不自由をしないことではなく、お金への執着と束縛から自由になるということだと思います。

動物なのに植物

2年の仮住まいの間使っていたバランスボールを新居でも使っています。座る生活が身体にもたらす害はもはや常識になりつつあります。安楽な生活を本能的に求める人間にとって椅子のない生活には高いハードルがありますが、慣れの問題だと思います。家にある唯一の椅子はピアノ用のものだけですが来客時以外に不便は感じません。海外のコワーキングスペースなどで見かけるようにキッチンのカウンターにパソコンを置いて立って仕事をする時間も長くなりましたが、むしろ集中できます。バランスボールは移動が簡単で空気を抜けば小さくなりますし、体幹トレーニングやバランス感覚を養うのにも使えいつも身体を動かすことに意識を向けることができます。仕事場での会議を歩きながら行うだけで、エクササイズ効果があることをメイヨー・クリニックの研究者が発表していますし、昨今歩く会議の生産的な効果が注目されます。バランスボールの効果はトレイルランニングの下りで体感でき、着地による腰のブレが最小になり最短距離で早く下っていけます。人間は動物なのに動かない植物のような生活をすることが不健康の理由のひとつでしょう。

終身雇用の時代の始まり

喉元過ぎれば熱さを忘れるのも日本人の悪い癖ですが、中国の一部ではコロナにリベンジする報復性消費の爆買が復活していると伝えられます。世界を敵にまわしGDPの7年分の巨額賠償を請求されていたら日本人なら反動消費に走る気など起こらないでしょう。緊急事態宣言の全面解禁で経済再開の道筋が見え始めた日本経済ですが、大恐慌前の不気味な静けさにも見えます。以前は複業がもてはやされましたが、今の流行は異業種間のワークシェアリングで雇用を守る民間の動きでしょう。組織の境界が曖昧なスタートアップ企業の間では従業員シェアはそれほど珍しいものではありませんが、本籍を残したまま休業を強いられる外食や宿泊産業から流通への人の移動が盛んです。多くの旧弊がポストコロナで変わると予想されますが、一つの会社の中だけで一生働く経済団体的な価値観は急速に縮小し文字通りの終身雇用の時代が始まるのかもしれません。

防げる死の回避

日本人固有の心配性故かヒステリックな自粛警察やマスク警察が話題になりました。未知のウィルスとは言えWHOも重視しないマスクに目くじらを立てスーパーの入り口に「必ずマスク」などと大書するところは周りの雰囲気に流されやすいからでしょう。政治家は国民が「緩む」と上から目線の発言をしますが、この一大事に風俗店に行ったり、賭け麻雀をしている人種に言われたくありません。世界が奇妙な成功と不思議がる日本の死亡者の少なさは、東アジアの風土病であるサーズやマーズなど同種のウィルスに日本人が感染済みとの免疫反応示しているからとされます。2月以降例年のインフルエンザが大幅に減りむしろ公衆衛生レベルでは健康になっているとの指摘もあります。東アジアの風土病を断続的に発症した日本人が免疫を獲得しているとの説が正しいのであれば、重要なことは未知のウィルスを無用に恐れることではなく、普段から健康常識を守り防げる死を回避することだと思います。

二極化する授業

遅まきながら昨日は日本工学院の最初の遠隔授業がありました。通学のないリモート授業のエネルギー消費は10分の1ぐらいで済みますし、拘束時間は半分以下になり、何より自宅でくつろいでできる授業は快適です。教室なら1割程度の学生しか発言しませんがチャットを使うと発言のハードルが下がりコメントが増え居眠りもないようです。よく使っていた黒板もなぜか無くても困りません。学校の本質的な価値は人と人の触れ合いにより生み出されますが、コラボレーションのような場の共振や人の温もりを現代の教育現場に求めるのは無理があると思います。録画で記録が残り、学生と同年代の娘から学生目線のフィードバックも受けられます。学校以外に多様な教育手段が増えた今、教員を介して対人で行う授業は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが風光明媚な木立の多い場所にある学校で散歩道を歩きながら少人数の講義や議論を行ったようにきわめて贅沢なものになっていくと思います。形骸化した授業の大半はワールドワイドの非接触空間に置き換わっていくのでしょう。在宅授業のもたらす問題点はこれから明らかになるはずですが、通学にエネルギーを奪われることなく授業のクオリティも向上すると思います。

主体的に働く時代

誰もが知る企業の経営破綻が報じられIMFが世界恐慌の再来を警告しますが、一方で戦後最大の国難にメリットを見出すこともできると思います。中共政権の脅威が世界に知れ渡り、南京大虐殺など長年日本を苦しめたフェイクニュースも色褪せ中国が今も続ける侵略政策が問題になるでしょう。普段から些細な問題で安倍政権の揚げ足を取るマスコミは、「奇妙な成功」と世界が報じる日本のウィルス封じ込めには言及しない不公正さも鮮明になりました。世界で最も成功した台湾を排除するWHOの異常さも今や世界の知るところです。普段の生活でも通勤などのルーチン移動がなくなり自由時間が生み出され、ステイホームの結果見せびらかし消費が消滅し関心がより健全な生活に向かう傾向も見られます。You Tube放送局などに注目が集まり、過剰クオリティの地上波テレビなどの旧弊を破壊して産業界は大きな転換点を迎えるでしょう。最も大きな社会的な変化は非接触社会の到来で、DXが加速される一方で大量に人を動員するビジネスには大きな転換点が訪れます。誰もが答えを知らないなかで社会経済活動が再開される今、重要なのは主体的に働くという姿勢なのでしょう。

遅過ぎた思考スピードの経営

何世紀にもわたり都市化は世界中の一貫したトレンドでした。距離により生じるコストを減らすために人口密度は上がり、一極集中の都心で働き、買い、遊ぶ生活は実用的であり経済的で、あらゆる欲求を満たして来ました。ペストの流行やスペイン風邪のあとも都市化の流れは変わりませんでしたが、今回のコロナ渦はその例外になるかもしれません。この数十年のICTの進化によって距離のコストは減少し、リモートで働き、ネットで買い、ネットで学び医療を受け、ネットで楽しむ時代になれば、大都市とその近郊に住むデメリットは容認しがたくなります。ICTが距離の壁を克服したことにより対人接触を避けられない都市の魅力は色あせていきます。ビル・ゲイツが書いた「思考スピードの経営」を読んだのはもう20年以上昔です。無駄なハンドリングコストが社会から無くなりバラ色の未来がすぐにでもやって来るような錯覚を当時は覚えましたが、四半世紀以上が過ぎた今、世界はやっと時代遅れのコンセプトに向かって動こうとしているのでしょう。

人類史におけるバブル経済

狭小の仮住まい用に買った170Lの冷蔵庫を新居でもそのまま使っています。世間的には一人住まいのための大きさですが足りないと思うか十分だと思うかは工夫次第だと思います。冷蔵庫が小さければ収納物を把握でき、2割以上が廃棄されるという食品ロスを防ぐことができます。以前使っていた倍の大きさの冷蔵庫の中からはおそらく10年以上前からそこにあるであろう大きなタッパーに入った梅干しなどが出て来ました。何より過剰に買うことがなくなり食べすぎを防ぎます。農業が発明され富の備蓄ができるようになって以来、世界は過剰を求めるようになり、大量消費社会を生みました。過剰こそが今日の経済を支えていますが、過剰には2つのタイプがあります。必要を超えた過剰と必要のない過剰でこの両者は相互に作用します。典型的なのは過食で必要を超えて食べ、無用な病気を自ら作り出し食品、飲食、医療、製薬と幅広い業界に貢献します。農業文明以来の1万年の歴史と産業革命以降の産業化の歴史は人類史におけるバブル経済なのかもしれません。

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