予定外のお金が入ると人は衝動買いをするもので、入金されるはずの定額給付金と同額の自転車を買いました。物持ちが良い方で自動車は10年10万キロ以上乗る主義ですが、自転車に至っては結婚祝にもらった2台を30年以上過ぎた今でも日常的に使っています。空気を入れる以外のメンテナンスなどしないのに、ブリジストンのベルトドライブは圧倒的な信頼感です。買ったのは娘の自転車の代替車でベルトドライブ、ディスクブレーキ、内装8段変速のついた10万円を切る軽量のクロスバイクは理想のスペックでデザインも悪くありません。2,000万を超えるフェラリーを買ったわけでもないのに気分が高揚するのは久しぶりです。自転車を受け取り帰宅する途中の爽快さは初めて原付に乗ったとき以来かもしれません。自転車を評論する知識はありませんが、剛性やブレーキのタッチ、加速感や直進安定性など30年前の兄弟車とは別ものです。高級商材を扱う企業が知られたくない不都合な真実は、10万円を切るクロスバイクと数千万の高級車がもたらす高揚感はさして変わらないことだと思います。執着が少ない分だけむしろ幸せかもしれません。
束縛されない心地よさ
全国的に梅雨に入った今が一年で一番日の出が早い時期です。暑くもなく寒くもなく、早朝の清涼な森の空気を感じながらの山登りに最適な時期です。雲海越しに残雪の南アルプスを眺めていると、人生に必要なものがそれほど多くないことを感じます。静かな森で雑音を消すと本当に必要なものが見え、社会や他人の評価を自分の本音に置き換えると本質が姿を現します。生活を小さくして生きれば執着の対象が減り心は満たされ、他方で消費に翻弄され心を操られるうちに人生の意味を見失うこともありません。晴れた山頂で日常を隔絶すると、楽しむために消費し、執着を増やすために金を使い、そのために働くことの虚しさを思います。人生を謳歌するという風潮が危険なのは楽しむもうとするほど執着を増やし純粋さを失うからです。結局のところ最小でき生きる心地よさは何者にも束縛されない自由から来るのでしょう。
もし手元に一冊だけ置くとしたら
新居に来て手元にあった紙の本を処分しました。それらの書籍は長年手元にありましたが参照したのは数えるほどです。もし手元に一冊だけ本を置くとしたらどんな本だろうと思っていたところ、図書館のリサイクルコーナー(抹消資料)でその本を見つけました。普段は足を止めないのに一冊の本が目に止まり手に取りました。その本を書棚に戻して帰ろうとしたとき背表紙が日に焼けてほとんど読めない隣の本が目に入りました。著者の名前は栗林忠道で、激戦地硫黄島の最高指揮官です。栗林中将(のちに大将)に関する書籍はこの本も含めてほとんど読みましたが迷わず持ち帰りました。もし手元に一冊だけ本を置くとしたら辛いときに読み返す本だと思います。小笠原兵団の最高指揮官でありながら良き夫であり、優しい父であった栗林中将が戦地から出した手紙をまとめたもので、逃げ場のない絶海の孤島、耐え難い気候や乏しい食料と水、度重なる空襲と迫りくる多勢の敵という限界を超える過酷な環境にありながら家族を思うその筆跡は胸に迫ります。講和に望みをかけ、一日でも本土空襲を遅らせたいという使命感こそ今の日本人が失ったものでしょう。
平静をもたらす断食
この2日間食事を抜きました。ファスティングには色々な作法がありお手軽なのは固形物を摂らない方法ですが、自分のやり方はお茶と水のみ摂取し糖分を絶ちます。この間に山登りなどの有酸素運動を行うことでエネルギー産生回路がケトン体系に移り脂肪を燃焼させます。糖質を完全に絶つ方法には賛否ありますが、2日間の断食中に40km以上のトレイルランニングなど有酸素運動をしても何ら支障がないことは福島時代に確認しています。糖質を絶つ危険性を指摘する声が根強い一方、自分の経験は逆で糖質を摂った後にこそエネルギーが切れるいわゆるシャリバテが起きます。今でも糖質が唯一のエネルギーと誤解する人は少なくありませんが、体感すればそれが迷信であることに気づきます。人類の祖先は数日間何も食べずに狩猟に行くような生活が普通でそのエネルギー産生メカニズムを受け継ぐ現代人にも同じことができると進化生物学が解き明かします。日夜働き続ける身体には、せめて食事を流し込まない休息が必要で、消化によるエネルギーの消耗を抑え蓄積された有害物質を除去する静かな時間こそが心の平静と健康の秘訣だと思います。
ジョブクリエイトこそ生きがい
久しぶりに八ヶ岳南端の西岳(2,398m)に登りました。富士見登山口から往復2時間半の八ヶ岳で最も低い山ですが、自粛生活で心肺機能と脚の筋力が低下したことを実感します。前回登ったときの雪深いトレールは蝉時雨に包まれる初夏の風情です。過去3年の5月の歩数が一日平均1万5千歩なのに、今年の5月は5,900歩しか歩いていません。自粛は経済を殺すだけでなく肉体を静かに蝕みます。運動習慣があれば体力低下を実感するのでそこから巻き返そうと鍛えますが運動習慣がなければ身体が衰えていくことに気づきません。歩いているときに思い浮かぶのは決まって将来の仕事のことです。生きるために働くのか?働くために生きるのか?という問に、サラリーマン時代は前者を選びましたが、職場のしがらみがなくなると考えが変わり後者を信じるようになりました。前者を信じれば職を探し、後者を目指す人は仕事を生み出そうと考えます。若者の間では起業志向の高まりが見られますが、ジョブクリエイトほど生きがいにふさわしいものはないと思います。
皆さんそうされていますから
日本人を説得する常套句は「皆さんそうされていますから」というジョークがありますが、実態もその通りだと思います。今なら科学的根拠の乏しいマスクを強制する風潮で、マスク警察が幅を利かせるあたりは不健全を超えて全体主義を礼賛する気味悪さを覚えます。空気の吸入量が減るだけでなく熱中症リスクも高まる上、正しいマスクの使い方は難しくむしろ感染を助長するなど有害な面は考慮されません。総合的に判断すればマスクの優先順位はむしろ低いはずなのに何となく不安という感情優先で何となく合意されたことを疑わず、皆がしていると今さら無用だと言い出せないのも日本人の特徴です。マスクに有効な側面があることは事実ですが、健康を害する可能性のあるマスクの着用には慎重な判断が必要なはずです。思考力の低さが引き起こす問題は、検察庁法改正案のTwitterデモや社会の混乱に乗じるアメリカの左翼扇動組織が加担した暴動も同じです。マスメディアや一部の知識人に戦後75年も騙され続けた日本ですが、コロナショックにより露骨な扇動が露呈したことはむしろ好ましい前兆かもしれません。
犬はマインドフルネスの先生
全米の暴動報道とは裏腹にアメリカでは雇用改善が急速に進み株価は依然高水準です。人間同士が接触できない影響は数多くの産業セクターを失速させ世界恐慌を超える惨劇を招くと一部では喧伝されますが、未知のウィルスによりもたらされる世界は予測不能です。自然界は予測不可能な複雑性であふれていますが、退屈な社会や組織の日常は予測可能なルーティンに埋没し、環境適応のための創造性を磨く機会がありません。人生は多少のストレスやチャレンジがあってこそ生き生きするものですが、社会が混乱するほど人は安定を求め内向きになります。成熟市場における企業は予測可能な一定方向に一群となって向かい同質化し、消費者にとって無意味な差別化で生き残ろうとします。人間が他の動物と違うのは危険を概念化して予測することですが、多くは無用なストレス反応を起こし自滅に向かいます。昨夜近所で落雷があるといつもは窓際に寝ているラブラドールはあわてるでもなく娘のベッドに移動しています。犬はいつもマインドフルネスの先生です。
森を歩くという奇跡
自宅の居室の多くは地下にあり自分の部屋と玄関が1階にあるのですが、屋内に階段のある家に住むのは30年ぶりです。階段のある暮らしで気づいたのは、朝起きた直後の脚はぎこちない動きで階段を下るという複雑な動きを器用にこなせないことです。寝ている間は硬直状態で一晩のうちに驚くほど身体機能が低下していることを実感します。椅子に座る生活と喫煙が同様に健康を害するように、身体機能を抑える安楽な暮らしは飢餓など生存環境が悪化しているという誤った信号を身体に送り、生存確率を上げるために新陳代謝を押さえ脂肪を蓄え、体は衰弱し気持ちも落ち込みます。運動をしなければ筋肉は減り関節は硬くなり、免疫系は低下し衰えが始まります。長い自粛生活が明け最初にしたいことは山に行き身体を動かすことです。生存が保証された戦後生まれにとって絶対的に必要なものなどありませんが、健全な精神衛生を保つ上で自然のなかで運動する時間が必要だと思います。外界の雑音から隔絶された森で過ごす時間ほど人間の生体リズムと調和するものはなく、森のなかを歩くという単純な経験さえも美しい奇跡に変わります。
行動変容が生き残りの鍵
31年前の昨日は天安門広場で大虐殺が起きた日です。1月7日に昭和天皇が崩御し64年続いた昭和が終わり、平成の始まるこの年は結婚した年でもあります。日本企業が世界の株式時価総額を席巻し、三菱地所がアメリカのロックフェラー・センターを買収したのも1989年です。ベルリンの壁が崩壊し、民主化への期待とは裏腹に経済成長を背景に中共政権が増々凶悪化し始め、日本の失われた30年が始まるのもこの頃です。経済成長を礼賛し続けた戦後の昭和が終わり、潮目の変化に適応できなかった30年が変わることに期待をしてはいけないのかもしれません。人は古い考えと行動を変えることが難しく、新陳代謝という淘汰が必要だと思います。新型コロナ騒動を契機に生活スタイルを変える人が出始め、自分の周りでも東京を離れる人が散見されます。人体は古いものから新しいものに常に生まれ変わっていて新陳代謝が終わるとき命も終わりますが、社会も同じだと思います。古い生き方にしがみつけば一緒に沈み、生活と行動を変容させられる人が生き残るのでしょう。
内省的な本音
すべての変化にポジティブな面を見いだせると人生は途端に楽になります。大恐慌の恐怖が世界を覆い7割経済に明るい未来を描けず、フリーポートとして繁栄した香港の民主主義が中共政権に蹂躙され、左翼扇動組織の加担した暴動が全米を覆う今でさえ、目の前の現実に一喜一憂し、あるいは目を背けるのでもなく、変化のなかに未来の可能性を感じることはできると思います。勝海舟は「生業に貴賤はないけど、生き方に貴賤がある」と言ったとされます。重要なことは外界に起こっている事柄ではなく、自分の人生に自らの使命とでも言える軸を見つけることでしょう。過密都市への信仰が薄れ、過去に悩まず未来を追わず今を大切にするきっかけを多くの人が持てるのであれば、新型コロナのもたらす災いでさえ好ましい傾向と言えるかもしれません。自滅的な現在快楽型の生活ではなく、未来を追いストレスだらけのワーカーホリックになり燃え尽きるのでもない、内省的な本音の喜びを感じる生き方に切り替えるだけで、運をつかむ確率を高めることができると思います。