昨日は入笠山(1,955M)に登りました。スキー場のゴンドラで登れる山なのでたくさんの犬も来ていますが、登山道で登っても往復2時間半ほどの足慣らしの山です。八ヶ岳、南、中央、北アルプスが一望でき風もなく暖かい絶好の登山日和です。こんな穏やかな日に森林浴をしながらゆっくり標高を上げていくと「何がおもしろくて山を走るのか?」と言うハイカーの気持ちも分かります。リズム運動を伴うトレッキングはセロトニン系の副交感神経優位のリラクゼーションですが、トレイルランニングはフローになることもある交感神経優位のドーパミン系エクストリームスポーツです。急傾斜の岩場など危険な場所であるほどフロー状態に入りやすく、集中力が極限まで高まり筋肉に蓄えられた記憶によって脳を介さず自然に体が動く一種の幽体離脱状態で直感と本能に支配されます。フローに関係する神経伝達物質はドーパミン、ノルアドレナリン、エンドルフィン、アナンダミド、セロトニンの5つがあるとされ、とてつもない効き目をもたらします。科学者がフローとピーク・パフォーマンスの関係に気づいたのは100年以上前ですが、フローを企業文化の一部に取り入れるのはパタゴニアなどごく一部で、フローなど起きようがないオフィスで仕事を続ける風習は不思議に思えます。
老後破産は防げる
有り難くない2019年のトレンドに老後破産があります。年収の高い現役でさえ破産する時代は巧妙なマーケティングが生み出した弊害だと思います。マーケティングの仕事は価値のないものに意味を見出し記号化して価値を高めるサービスと言えます。かのボードリヤールはモノの消費は使用価値の消費ではなく、その商品がシンボリックに意味する記号として消費されると言いました。栄養豊富な豆腐やバナナをよく買いますがこれらは物価の優等生でしかも美味しく調理も不要です。一方日本人にとってロブスターは高級食材のイメージがあり人は高い支払いを惜しみません。かつてマサチューセッツ州は過剰に獲れたロブスターを刑務所食として提供していたところついに囚人たちがストライキを起こし食べるのを拒否したと言います。ロブスターテイルとイナゴは生物学的にはほとんど同じ食品とされます。現代人の五感は衰え記号に頼らないとモノの良し悪しが分からないのかもしれません。世間の常識や記号に踊らされずモノの価値を見極めて無用な消費を慎めば老後破産の一定部分は防げると思います。
金より自由が大事
多くの日本メディアを締め出しながら日本と日本人は好きだというカルロス・ゴーンの記者会見には違和感が残ります。日本の刑事司法制度の問題点や社内の陰謀への批判はさもあらんというところもありますが、人間関係のあやを巧みに利用し自分に黙って従うイエスマンに汚れ仕事をさせてきた彼に語る資格はありません。金へ執着し社会の公器である上場企業を私物化する振る舞いを正当化するものではなく、明らかな論点のすり替えです。日産での功績に比べ当然の報酬だとする見境のない強欲は、移民の子として生き抜いたゴーンには当たり前でも日本でもフランスでも報酬隠しで告発された米国でも通じません。日産を救った恩人を多くの日本人が尊敬しその経営手腕から学ぼうとしました。しかしゴーンは終始「報酬」にこだわり「金こそが評価」という彼の人生哲学は日本人には馴染みにくいものです。37億円を費やした逃亡劇はともかくとして、唯一共感できたのは年を重ねれば金より自由が大事という気持ちだけです。
不幸も金儲けのタネ
ゴーン事件に関して有罪率99.99%と報道され令和元年版の犯罪白書を見ました。裁判確定人員ベースで見ると公訴棄却などを除くと平成元年以降の有罪率はほぼ100%で小数点以下2桁まで100%の年もあります。目を引くのは裁判総数が減少するなか平成17、18年あたりに死刑、無期懲役判決が増えていることです。これは2001年(平成13年)の同時多発テロ以降の世界が戦争の時代に入りメディアを通じて暴力が拡散されたことと関係があるのかもしれません。ゴーン事件も霞むニュースは米国とイランの対立で大規模な戦争を予測する見方もあります。人の欲の行き着く先が戦争につながり、戦争が続けば戦争で儲ける人が増え、そうした環境下では人の心は荒んでいきます。中東情勢の緊張が高まり金融商品などの相場も乱高下し、人の不幸もすべては金儲けのタネにされます。欲は進歩の原動力であり同時に破滅の引き金でもあります。
利己的か利他的かは問題ではない
今日発表されるというカルロス・ゴーンの声明は、世界を驚愕させたゴーン劇場第二幕の趨勢を占う上で注目されます。映画化にふさわしい逃亡劇なのか、有罪判決99%という特殊事情を海外から指摘されたくない日本側が退路を用意したとの説もまことしやかに語られます。各宗教勢力の微妙なバランスの上に成り立つレバノンでは政治エリート層の腐敗に対して市民運動が活発化し安住の地となるかは微妙です。逃亡の中継地となった親日国トルコがいち早くこの事件に反応し、フランスのマクロン大統領も守銭奴のゴーンを嫌っているとされ、彼が心許せる場所は大統領待望論が起こるブラジルだけかもしれません。彼の不正蓄財は日本人的心情としては許せませんが、人生100年時代のロールモデルとして65歳のICPO国際手配の逃亡者が、故国ブラジルの大統領として経済危機を救う姿を期待したい気持ちもあります。野心家として知られるゴーンのモチベーションの原動力が利己的な我欲なのか、利他的な大我なのかは問題ではなく、その能力を社会のために活かしてほしいと思います。
食源病を放置する日本
昨夜近所のミニスーパーで、レジで前にいた同年輩の男性のかごを見るとはなしに見ると2Lのコーラ、カップラーメン、おにぎり2個、タバコが入っていました。先日も朝コンビニに行くとやはり同年輩の作業員風の男性がサンドイッチ、コーヒー、タバコを買っていました。おそらく日常的な食事風景だと思いますが、失礼ながらその老後が悲惨なものになるのは明らかです。アメリカでは医者になるのに栄養学は必須ですが、日本の場合医者ですら栄養学を学ぶ機会がありません。糖質過多の古い栄養学に基づいた食事が慢性疾患を招いているのですが、現代の日本の個食はそれ以前の問題です。欧米の栄養学のガイドラインは精製された穀物の危険性を警告しているのに、世界がその先進性に注目する和食文化を持つ日本は時代遅れの栄養常識を捨てようとしません。スポーツの分野でパフォーマンスを改善する栄養学が研究対象となったのは1924年のボストンマラソンとされますが、日本ではバルセロナオリンピックに管理栄養士が同行したことでスポーツと栄養学の関係が注目されるのは1992年まで待たねばなりませんでした。社会保障費の増加が国の財政を揺るがす日本で、食源病を放置する理由は何か意図でもあるのかと思わせます。
死の恐怖から逃れる人生という旅
今世紀に入った2001年1月1日から日記を付け始めて20年目になります。日記を読み返してショックなのは今考えていることと同じことを一年前に書いていることです。アイデアだけ言うだけで行動しないことこそ憎むべきですが、この一年間新たな行動を起こさなかったことになります。色々な場所に行き、それなりに学んだつもりでも、惰性で生きる時間に価値はありません。多少贔屓目に見ても自分の人生が後半に入っていることは認めざるを得ず、死という期限があるから人は人生を輝かせようとするのだと思います。スティーブ・ジョブズが世を去ったのは自分の今の年齢ですが、その偉大な功績を考えると人生の時間の密度は人それぞれです。人生の価値はひとえにその人が発する情熱の熱量にかかっていると思います。世界を変えるという情熱でアップルを巨大化させその絶頂でこの世を去ったからこそスティーブ・ジョブズの人生は輝きます。禅に傾斜しミニマリズムに基づく美的感覚が生み出した製品群は彼の化身と言えます。世界を変えるという刺激的な目標は、死の恐怖から逃れる人生という旅の究極のゴールなのでしょう。
自分らしく生きる
昨日は87歳の父が一人で暮らす妻の実家に行きました。杖も人手を借りずに生活している至って元気な様子を見ていると、健康は個人的なものだと思います。朝は9時か10時に起き、朝食は昼過ぎ、一日2食で寝るのは夜中の2時とサーカディアンリズムとはかけ離れた生活ですが、この周期が体に合っているのだと思います。何かが効くと聞けば人はすぐに健康知識や食品に飛びつきますが、生きる答えは自分の体のなかに見つけるものでしょう。いくら豊富な知識があったとしても自分の体の内なる声を聞くことなしに健康は実現しないと思います。教育がそうさせたのか、われわれの思考は知識量を問う頭の使い方を今でも信じ、他人を意識した環境適合や生存競争の癖を捨てることができません。正しい食事、正しい運動、正しい休養という統計学的正しさを知ることには一定の意味がありますが、生活習慣病を世界に蔓延させその被害が拡大しているように現代医学は健康を実現するには不十分です。唯一セオリーを見つけるなら、何かに依存せず自分らしく生きることが、安定した精神状態を維持することで免疫機能を強化して健康を実現するのだと思います。
正月は危険な季節
正月は健康を脅かされる危険な季節と言えます。何もせずに食べるだけの生活になりがちで、売られる惣菜やおせち料理も食料保存の知恵ではなく保存料が添加されます。常時食べ物が手に入る現代の食料事情は長い人類の歴史においてごく最近になって実現され、魅力的な料理と偽りの空腹感が蔓延する現代において食べないと言う選択肢はありません。高次の幸せは離欲の幸せですが、現代人は必要を超えて食べ、その食生活は執着を生み感謝はなくなり、やがて味わうことさえしなくなります。食べれば代謝は低下し活性酸素が発生し体は老化しますが、旺盛な食欲の前では健康リスクは過小評価され、われわれを喜ばせる食べ物が悪魔であることから人は目をそむけます。正月太りを解消しようと無理な運動をすれば生命の危険を犯すことになります。スポーツクラブにおいて心臓発作などの事故が一番多いのは正月明け最初の営業日だとインストラクターに聞いたことがあります。執着ばかりを生む世俗から離れ、穏やかな心を取り戻すことが精神的インスピレーションを生むためには必要で、一年の最初ぐらいは何不自由ない普段の生活を感謝する機会にしたいものです。
誰もがほどほどに幸せ
多くの人が神社に行き日本的な食事をする正月は唯一日本人らしく振舞う機会です。和食や禅が世界で評価される一方、住宅から畳が消えるなど日本的な暮らしをわれわれは捨てています。自然に恵まれ共存してきた日本ほど幸せに近いライフスタイルを持つ国はないと思うのですが、日本の伝統よりアメリカ発のポジティブサイコロジーなどの流行を有難がる風潮もあります。本音と建前の使い分けや遠慮や忖度ばかりが注目され、他人の目を気にする不幸な国民という文脈で語られる日本ですが、何事にも控えめな謙虚さこそが美点でしょう。清貧の思想のように日本の幸せは控えめで決して裕福である必要はありません。高度経済成長期が1980年代に入りハイソカーブームやシーマ現象が起こり、皆で豊かになるのではなく自分だけが豊かになりたいというエゴが頭をもたげ始めた頃から日本人は謙虚さを失ったと思います。日本が世界で評価されるのはトヨタ製品のクオリティばかりでなく、嘘をつかない、約束を守る、人を見下さないといった日本人の美徳に発する信頼にあるのに、人より優位に立ちたいという卑しさが高まっているように感じます。幸福感をもたらすセロトニンの分泌量は一定量で誰の人生もほどほどの幸せという実感に落ち着くのですが、物質的豊かさに執着し消費に意味を見出そうとするほど離欲の幸せという日本の良さは失われていくと思います。