健康的な生活を送る場所

今朝の新甲子温泉は台風一過の青空が広がっています。紅葉していた木々の多くは強風で葉を落としました。阿武隈渓谷から吹き上げる風で落ち葉が蝶のように舞います。温泉の前にブナの大木が2本ありますが、那須連山側の風をまともに受ける木はほとんど葉を散らしているのに、もう一方は葉を茂らせています。

人間も同じで60歳を前に老け込む人もいれば、80歳を超えて長距離の山岳レースを完走する人もいます。都市が健康的な生活を送るのにふさわしくないと思うのは、健康の要素である運動、食事、ストレス管理に不適だからです。

皇居外周のジョギングが喘息の原因になるように、空気の悪い都市での運動はリスクがつきものですし、郊外まで出かけるには時間がかかりすぎます。都市で提供される魅力的な食事はほぼ例外なく体にマイナスの影響があります。満員電車などあまりにも自分の空間が少ない都市はストレス管理が難しく、加えてヒートアイランド現象など体への負荷は年々高まる傾向にあります。

他方で週末に自然豊かな場所へ移動したりリラックスしすぎることを繰り返していると自律神経バランスが崩れこれも不調の原因になります。こうした問題を解決するのが自然豊かな場所への移住ですが、その前の段階として多拠点居住があると思います。最高気温が20度台の夏や花粉症のない春を中心に住居を移しリモートワークをするライフスタイルです。ぼくの住む西郷村は日本唯一の新幹線停車駅を持つ村で、東京へは最短1時間10分で出ることができます。

すべてを失った福島にできること

新甲子温泉は台風の接近で雨ですが、穏やかな朝です。

昨日は、5月の旅館再生イベント以来助言をもらっていた方、いつも何かと気を配ってくれる中学校の同級生、木曜日のクラウドファンディングセミナーでご一緒させていただいた白河や郡山で街の活性化に取り組む3名の方、日帰り入浴以来親しくさせてもらっているトレイルランニングの2名の方と、再会や新たな出会いの機会をいただきました。必要なときに必要な人に出会える幸運は運命的なめぐり合わせとしか思えません。宿を営む素晴らしさは出会いに恵まれることだと思います。人と話すことで自分が見えなかったことが見え、自分の頭の片隅にあったアイデアが目の前に降りてきます。

会社などすでに出来上がった組織には気の合わない人もいます。ストレスの要因は人間関係といわれますが、やはり仕事は気の合う人とやりたいと思います。今は気の合う人と吸い寄せられるように出会いが起きますので、何事も話が早いです。

ぼく自身が実践している二拠点居住の可能性が広がれば、この西郷・白河エリアのポテンシャルが活かされると確信しています。ある意味、一度すべてを失った福島から世の中を変えていくことができると、今のぼくは信じています。

どの季節もベストシーズン

今朝の新甲子温泉も晴天です。この数日晴天続きですが、至るところに沢ができ阿武隈源流の水量が増えています。紅葉のピークを迎え、落葉により森が明るくなり、宿のまわりで一番大きなブナが道からよく見えるようになりました。落ち葉の絨毯を敷かれた剣桂神社に行くと身が引きしまるようです。

自然のなかで生活をしているとどの季節も好きになります。白一色の神々しい静けさに支配される冬も、新緑が生命の輝きを見せる春も、山での運動が最高に楽しい夏も、そして落葉前に日々森が色を変える秋も、どの季節もベストシーズンです。都市にいると生理的な暑い、寒いしか感じませんが、ここにいると季節を五感で楽しむことができます。

出会いこそが宿の価値

今朝の新甲子温泉は快晴で、紅葉の盛りを迎えています。

昨夜は郡山でセミナーがあり、22時過ぎに宿に戻りました。車を降りると満天の星空です。外国映画で見るような空一面に輝く星空で、次の瞬間に何かが起きそうで不安なほどの美しさです。

昨日もそうでしたが、この一年で多くの出会いに恵まれました。以前なら人との出会いは人脈だと考えていましたが、今はめぐり合わせの縁だと考えるようになりました。ぼくがサラリーマン時代にもらった名刺の数は6,000枚前後になります。営業職を経験していませんからこの枚数は多くありません。しかしいくら出会いの機会があっても共振の起こらない人間関係は発展性がありません。

先日、逗子駅前に今月開業したコワーキングスペース「Coworker’s Kitchen」でオーナーと話をしていたとき、たまたまそこに居合わせた人が私の宿に何度か泊まられたそうで、温泉から見た雪景色など思い出深い宿だそうです。この偶然などはめぐり合わせとしか思えません。そんな出会いが起きる宿にしたいものです。

性格さえ変える森の空気

今朝の新甲子温泉は紅葉真っ盛りの快晴です。ラブラドールと赤面山から流れる沢に行くと、派手な紅葉ではありませんが、色づいた木々と渓流に癒されます。生命力に満ち溢れる新緑の季節が好きですが、紅葉の美しさは間違いなく日本人の美意識に大きな影響を及ぼしていると思います。

この1年を振り返ると自分自身に多くの変化が起こりました。一番大きな変化は積極的・社交的になったことです。ぼくには組織のなかをうまく立ち回る器用さがないので、給与所得者時代はいつも自分の体に合わない服を着せられている違和感がありました。組織の衣を脱ぎやっと本来の自分の身体に戻れた気がします。

30代に入った頃からいつもその違和感に悩まされながら転職という形でその場をしのいできました。しかし今は、給与所得者という衣を脱がない限り本当の自分には出会えなかったと感じます。

人に嫌われたくないとか、成果を上げたいとか、地位が欲しいとか、そんな執着をぼくが暮らす森の渓流の空気が浄化してくれます。もちろん人間の性格の歪みは簡単には直りませんので、性格がよくなったわけではありませんが、ストレスホルモンを分泌させることが少ない今の生活を続けていれば、いずれ性格も変わると思います。

自分ができる貢献

衆議院議員選挙があわただしく終わりましたが、ぼくは政治が何かを変えてくれるとは思いません。社会を望ましい方向に向けるためのイシュー設定がない状態で、ショーと化した政治に注目が集まる状況は不自然だと思います。日本の課題のひとつは世界最速の高齢社会の到来と生産人口の減少でしょう。他方で先進国最低レベルの生産性改善という伸びしろがあります。

所得格差が大きい国では国民全体の健康状況が悪く暴力が蔓延する傾向にありますが、日本は所得格差が小さい国とされます。40兆を超えた医療費も対GDP比で見ればOECD加盟国では優秀な方です。国の借金が多いとはいえ世界最大の対外債権を持ち、国債に占める国外比率が低いなど、国の運営状況としては及第点だと思います。それは日本のおかれた地政学的な環境や国際情勢がもたらした幸運という側面もあるでしょう。

問題はいつも自分の内面にあると思います。目先の利益や便益を求める自分の内面の我欲こそが問題であり、広い意味での政治システムそのものが問題だと思います。

阿武隈源流の森で暮らし始めてますます政治への関心を失いました。もし世の中を変えたいのであれば、政治に期待するのではなく、まず自分が地域に対して何の貢献ができるかを一人ひとりが考えることが先であり、それが結果的に政治の世界を変えていくのだと思います。

根源的な欲求を満たせない都市

新甲子温泉で暮らすようになりおよそ11ヶ月、身体の変化のひとつは疲労感を感じなくなったことです。仕事の内容が変わったことも理由だと思いますが、20%のエネルギーを脳が消費する原因とされるDMN(Default-mode network)の活動が低下し、脳疲労が軽減されたことが大きいと考えています。

脳全体のエネルギーの60%~80%がDMNの雑念回路で消費されると言われますが、森に暮らしていると深呼吸をする回数が多くなり、それがマインドフルネス状態をつくり脳の雑念回路を構成する部位の活動が低下したのだと思います。

二つの登山口に面した新甲子温泉では時間があれば山で体を動かしますので、ぼんやり過ごす時間もなくなり、これもDMNの活動が過剰にならない理由のひとつです。きれいな空気を吸うという、生きていく上でのもっとも根源的な欲求を満たすことができない都市生活に戻ることはないと思います。

400年の時を生き抜いてきた剣桂神社の森も、厳しい雪の季節を前に葉を落とし始めました。

トレイルランナーという幸せな生き方

昨日は二年前まで一緒に働いていた同僚とそのランニング仲間に泊まってもらいました。同じ運動をする者同士は初対面でも親近感があります。マラソンや山岳レースの苦しい共通体験とそれがもたらす高揚感を知る者同士ゆえのことでしょう。宿の営業を始めて半年が経ちますが、いまでも知らない人と同じ屋根の下で一晩を過ごすことは落ち着きません。日本に昔からある「一見客お断り」ビジネスは生理的に正しいやり方だと思います。

残念ながら台風の影響で滞在中の天気はよくありませんでしたが、雨天でも許してくれる寛容さがアスリートのよさです。屋外で行う競技は天候悪化が前提ですから、トレイルが滑りやすい雨天という状況に評価や判断を加えず、ただあるがままの状態で走ることは練習になります。マインドフルネスは「あるがまま」を意図的に行う技能ですので、トレイルランナーは自然とマインドフルネスを実行していることになります。

反応の選択こそが幸せの鍵

台風が近づくなか、新甲子温泉は雨の朝です。寒さが緩み昨夜は外で食事をしました。昨日は以前の会社の同僚が、一昨日は親戚が泊まりに来てくれました。自分のことを心配して気にかけてくれる人がいることほど心強いことはありません。他方で、やろうという気になりさえすれば何でもできる今の自由な生活は恵まれていると思います。

刺激と反応の間には間隔があり、その間隔には反応を選ぶ自分自身の自由があり、その反応こそが成長と幸せの鍵だと思います。今の状況を先が見えなくて不安と思うか、何でも自由に選択できると思うかによって人生の充実度は違ったものになるのでしょう。

哀愁の街道

今日は「うつくしま・みずウオーク2017源流の郷・西郷大会」が宿の周りの阿武隈源流を使って行われます。晴れていれば盛りの紅葉を見られるのですが生憎の天気です。

写真は今週行った会津中街道です。江戸と会津を結ぶ幹線であった会津西街道が水没で通行不能となったため、1695年(元禄8年)に整備された街道です。那須山中の三斗小屋宿から標高1,468mの大峠を経て会津に至る峠越えの難路です。最盛期は参勤交代にも使われたようですが会津西街道が再整備され次第に使われなくなったようです。幕末、会津側の防衛線であった大峠には今も塹壕跡がその山肌に痕跡を残しています。大峠から会津に向かう街道沿いには墓石も多く、この道を歩くと会津敗走の歴史を思い感傷的にさせます。

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