地方創生は国を変えるチャンス

娘の留学先の高校のフェイスブックを見ると、動画も含めて3度ほど娘の写った記事が投稿されていました。先月着いた手紙には太ったと書かれていましたが、写真からも顔つきが変わった様子が分かります。

留学先のニュージーランドには10年前に仕事で行き、ニュージーランドの医療制度の本を書いたことがあります。当時保健省などを訪問して話を聞き、国家戦略が非常に明確で日本の手本になると感じました。それはニュージーランドの人口が、都道府県9位の福岡県と10位の静岡県の中間にあたる460万人ほどしかなく小回りがきくからだと思います。昨今話題になる地方創生が有利なのは、小回りの良さだと思います。動きの遅い国に頼らず、県や市町村主導でパイロットスタディができます。そのためには新しい発想を持つ人を積極的に受け入れる工夫が必要だと思います。

小さな幸福からの脱却

昨日は、朝7時前に氷点下2度の静岡県富士宮市の田貫湖から天子ケ岳、長者ケ岳、天狗岳のトレイルランニングに行きました。富士と桜が見られる絶好の行楽日和とあって、UTMF/STYの試走をするたくさんのトレイルランナーに会いました。

ランニングと瞑想は、これまで何度も挑戦しながら、その度に挫折をしてきました。50歳になって始めたトレイルランニングはその両者を満たしてくれます。走ることは自己肯定感を高め、遠くまで行けるトレイルランニングは達成感を与えてくれます。規則正しい呼吸は体を瞑想状態にして、一定の運動強度により多幸感に包まれます。一番大きなメリットは挑戦する意欲を高めてくれることだと思います。この一年半、先の見えないこと、できるかどうかわからないことに挑戦する気持ちになれるのは、トレイルランニングにより脳が活性化されたからだと感じます。居心地のよい小さな幸福に安住する人生など、ただ老いを待つだけの人生に思えてしまいます。

人の心を狂わす組織

評論家的に書きたくないのですが、自衛隊の日報といい、財務省の改ざんといい、勤勉だった日本はいつからこんな国になってしまったのでしょうか。企業も役所も組織が大きくなれば、組織の論理が優先されて自分が集中すべき使命が見えなくなります。行き着く先は相撲界のように不祥事が常態化します。人は一人では何もできません。しかし組織という安全地帯はそこに依存して利己的に利用する人間を増やし、人の心を狂わせると思うのです。

正解はいらない

花粉症はピークに達しますが、悲観することがなくなりました。以前と違い働く場所を選べるので、移動さえすれば花粉症の症状をいつでも消せると思うと気が楽です。今もコンサルタントの仕事をしますが、ぼくがコンサル会社勤務時代と大きく変わったのは正解を重視しなくなったことです。以前は情報収集と分析を通じて最適解を抽出することが善だと信じていました。今は、正解やアイデアには価値がなく、実現することこそ尊いと思います。できるかできないかはやってみないと分かりません。ゴールだけ決めて、あとは行動するだけです。人間がAIに勝てるのは、感性と直観と根拠なき自信に基づくパッションだけだと思うのです。

自分ブランドの時代

世の中はぼくらの予想より早いスピードで変化していると思います。先日報道された日経新聞の調査によると、副業を認めるか検討している企業は一昨年12月時点の17.1%から今年3月時点では41.8%へと短期間に急上昇しています。同様に副業を経験したことのある社員の増加率も著しく、もはや副業(複業)を認めない企業には人が集まらないパラレルキャリアの時代に入りました。組織のブランドではなく、自分のブランドで勝負をする時代の到来は、「自分は何者か」を追い求め、成長や変革を望む人にとって喜ばしいことでしょう。義務的で苦しい「Labor」から開放されて、創造的で楽しい「Work」を実現できる時代だと思います。

常識を疑うと意見が言えない?

昨日阿蘇のパワースポットの投稿をした直後からフェイスブックのレイアウトが変わり、投稿もコメントも人の投稿へのリアクションもできなくなり、スマホでコメントを書きました。これは祟りか超常的な何らかの警告かフェイスブック社のアルゴリズムによる作為なのか、一度は投稿削除も考えましたが一晩経ち復旧しました。意外なのはこうした非常識な投稿が冷静?に受け止められることです。

ぼくが「常識」という言葉に疑問を持ったのは30代で米国系コンサルティング会社に転職したときです。「それって世間じゃ通用しないから常識って言わないでくれる?」と同僚に指摘されたのはちょっとした衝撃でした。以来自分の考えや意見を批判的に考える癖がつきました。同時に自分の意見を主張できなくもなりました。物事には光と影があり、その良否はだれがどの時点で何を基準に評価するのかによって結論が異なります。ですから政策に対する意見など聞かれても、「どちらとも言えない」と答えます。

超常現象が起こるパワースポット

出張であれ休暇であれ、日常から離脱する旅は新しい自分の内面を育くみます。阿蘇のパワースポットで体験したのは人生観が変わるような出来事でした。日本にあまたある自称パワースポットの類とその場所が全く異質なのは、何の変哲もないスプーンが曲がることです。案内をしていただいた方はスプーンを飴細工のようにいとも簡単に曲げてしまいます。信仰心が薄いのか邪念のためかぼくは曲げることができません。驚くべきは7割ほどの人がスプーンを曲げてしまうという、現代科学の知見では受け入れがたい現象です。

しかし考えてみれば人体の世界は超常現象だらけです。現代医療が無力な癌を、普通の人が民間療法で消してしまいます。

現代の転地療養

昨夜は阿蘇に宿泊しました。会津や那須の山々とは全く異なるスケール感のある雄大な外輪山に圧倒されます。場所が変わり空気が変わると思考の枠組みも変わります。普段と異なる環境で、にわかに脳が活性化されていきます。昨今では転地療養という言葉を聞く機会も減りましたが、異なる土地での気分転換こそ、AI時代の働き方の前提条件だと思います。その点で地域の自然に触れることは極めて重要だと思います。写真はまだ雪をかぶる南アルプスの上空です。

現代社会における最大のリスク

「現代社会における最大のリスクは、たった一度の人生を後悔で終わらせることだ」と誰かが言っていました。これまで自分が無分別な判断をしてきた理由が、この言葉を聞いたときに分かりました。ぼくは行動するリスクより行動しないリスクを怖れます。それぞれ14年勤めた二つの会社を辞めたときも、旅館を買ったときも後先を考えない意思決定ですが、その先にある人生を見ずに死にたくないという思いが強かったのだと思います。

阿武隈源流を見下ろす丘に行くと、「生きていくことができれば満足だ。」「ここではすべてが正常だ。」というメキシコの先住民タラフマラ族の言葉を思い出します。

いつでも誰でも、は3Kの原因?

昨夜は昨年夏にもお越しいただいたゼミ合宿の皆さんにお泊りいただきました。気心の知れた知り合いの宿泊は変に神経を使うことがありません。旅館やホテルが産業化された大きな背景は宿泊客の匿名性だと思います。いつでも誰でも泊まれるといった利便性が産業化の最大のメリットです。他方で、「いつでも誰でも」という市場ニーズがこの産業を3K化させる一因だと思います。民泊の参入もあり、この産業は歴史的な転換点に差し掛かっています。

早春の新甲子温泉では、いたるところでフキノトウが見られ、今朝はてんぷらにしました。

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