ヒルトン炎上


ネパール航空のゲートにいると、日本人は登山、ネパール人は出稼ぎの人が多く、共通するのは35kg 限度いっぱいの荷物です。原初の旅は生きるための必然であり、身体を動かし生きる術を得ることは本能的な行動です。出稼ぎと観光がGDPの大半を占めるネパールにとって、この飛行機は外貨を運ぶ生命線です。ネパールは生と死を目の当たりにできる場所と言われます。カトマンズの街が生気に溢れるのは、生きるための必然があるからで、ただ何となく流されるように生きる自分としては、その姿が眩しく映ります。カトマンズで一番見たい場所はダルバール広場ではなく、昨年政権を転覆させた暴動で、燃やされてしまったヒルトンホテルです。腐敗まみれの政権幹部の家族の持ち物とされ、その凄まじい熱狂に圧倒されます。美しい近代建築があれほど燃えるのは不思議です。

しばらく旅に出ます


今日の午前便でカトマンズに行き、3週間ほどエベレスト街道を歩く予定です。これほど長く日本を離れるのは初めてです。エベレスト登頂を目指す登山隊に同行してエベレストベースキャンプ(5,364m)を訪れ、ネパール政府の登山許可証なしに登れる最高峰のカラ・パタール(5,644.5 m)に登る予定です。費用と長い移動や待ち時間、様々なリスクや面倒はあるものの、ヒマラヤの魅力は自分の脚で到達する絶景だと思います。他方で、あれほど見たかったアンコールワットも、実際に行くと暑くて早く帰りたいと思い、「人生で訪れるべき場所」というワードは旅行会社の広告のような気もします。もう一つの目的は標高2,846 mにあり、滑走路が500mほどの世界一危険とされるテンジン・ヒラリー空港を見ることです。農業と観光、グルカ兵に代表される出稼ぎが経済を支えるネパールが、人生を変える場所であることを期待したいものです。(日本帰国は4月27日の予定で、今回はパソコンを持参しませんのでしばらく投稿はお休みします)

身体の変化を実感できる


定期的に行く唯一のサウナは西麻布のアダムアンドイブです。サウナに行くと言うよりは肌のターンオーバーにあわせてアカスリに行く感覚で、サウナはアカスリの引き立て役です。この店特有の熱めのスチームサウナと温浴で体を緩めるのは、交感神経の過剰な立ち上がりを避けながら角質が剥離しやすくするためです。一般には皮膚のダメージを回避するために、エステ的なソフトなミトンを使いますが、ここでは韓国式の物理刺激の強いものが使われます。スピードやリズム、角度と圧力などスタッフによるスキルのバラつきはありますが、総じて施術の水準は高いと感じます。この店に来ると他店の弱い刺激では満足できなくなりリピート化します。アカスリ後にドライサウナに入ると、普段より汗の量が増えるのが分かります。身体と対話をしながらその変化を実感できることは、サウナの楽しみのひとつだと思います。

ラウンジよりも思い出に残る


今年はめずらしく毎月海外に出ています。サラリーマンの頃は飛行機を利用する機会が多くラウンジを利用していましたが、今はそのステイタスからも外れ、寂しい気もします。他方で、現代的成功のささやかな象徴とも言えるエアラインのラウンジは、顧客ロイヤリィティを最大化するために設計された幻想にも見えます。承認欲求の受け皿としてのラグジュアリー装置の魔力を描いた、『マイレージ、マイライフ』は好きな映画です。主人公は常に旅を続け、極限まで身軽な人生という現代的な成功を体現しますが、映画は後半に入り問を反転させます。マイル・キャリア・お金という自由の象徴を獲得したものの、それは現実からの逃避だったという制作者の意図は示唆的です。今の自分は電源のあるカフェに入り、空港内を歩き回り店や人を観察しながら時間を過ごしますが、ラウンジでの優雅な時間よりも思い出に残る気がします。

飲茶という魅力


すかいらーくHDが展開する、点心・中国料理の桃菜に行きました。点心など50品食べ放題という魅力的な店ですが、東京近郊の2店が閉店し、今は本社に近い三鷹と志木に残るのみです。広い厨房とスチーマーなどの点心用の設備は転用が難しく、売上の見込める店を残した形に見えます。当初は全国展開を狙った業態でしたが、すでにIR資料からも消された存在です。印象的なのはロボット調理の難しいチャーハンが美味しかったことです。週末の食べ放題は4,000円に近く、これ以上上げることはできない反面、人手依存の点心と上がらない客単価は事業のボトルネックになります。一方で過剰投資に見えた配膳ロボットは、この店のような大量の皿が多頻度に出る業態では効果的かもしれません。巷の飲食店の閉店率を考えれば、この業態へのR&Dコストは妥当と言えそうですが、飲茶という魅力的な商品をいつか全国展開してもらいたいものです。

より悪くない社会


ベトナムの独立記念日は1945年9月2日です。ダナンの9月2日記念碑はフランス植民地からの独立を記念するもので、仏領インドシナに進駐した日本軍が、欧米列強の植民地支配からアジアの国々を解放した証と言えます。アメリカの主張をわれわれは受け入れがちですが、イランの視点で考えると別の景色が見えます。国民の虐殺は許しがたいことですが、他方でアメリカの傀儡政権であったパーレビ王朝時代にも同じことをしています。イラン革命によって女性の社会進出は制限されるようになりましたが、他方で女性の教育機会が拡大し大学進学の6割が女性になりました。イランのイメージは宗教指導者が率いる狂信的なテロ支援国家ですが、1953年のイランクーデターによって民主的な政権を倒したのはアメリカです。正義はいつの時代も暫定的であり、「より悪くない社会」という単純化された意思決定により修正をし続けるしかないのかもしれません。

プロ意識を感じない日本


先日のダナンでは平均3.9万歩ほど歩きましたが、荷物のある雨の日の移動にはgrabを使います。外国に出てうらやましく思うのは配車アプリの便利さで、市街地ならあっという間にマッチングされ2、3分で車が到着し、市場原理の働く料金は格安で、しかも安全かつ快適です。車を降りるとすぐにアプリが立ち上がり運転手の評価を聞いてきます。少し気になることがあったので、5段階評価の4をつけたのですが、grabでは4の評価を重視しているようで、コメントを要求されます。つまり1から3は明確な問題、4は改善のためのインプットになります。ダナンでは数度grabを使いましたが、いずれの車も日本のタクシー並みに清掃され、交通カオスのダナンにあってクラクションを鳴らすこともなく、安心して乗ることができます。Uberの方が既存のタクシーより事故率が低いデータもあり、プロフェッショナル意識を感じない日本は中途半端に思えます。

納得できる虚構


新年度が始まりました。4月1日はエイプリルフールですが、毎日のようにフェイクニュースに接していると、もはや全てが嘘に思えてきます。AIがリアルな画像を生成し、偽物の限界コストがほぼゼロになると、どの画像もフェイクを疑う必要があります。生成AIがそれらしい独創性を発揮すると、「オリジナリティ=本物」という概念も成立しません。フェイクニュースを他人事のように批判するマスメディアも、偏向報道の癖が抜けない点では警戒すべき相手です。自分は「本物を見抜く目がある」と豪語する人もいますが、狭い視野から見たその人なりの解釈でしかありません。誰が、いつ、何を切り取るかによって真実は変わり、現代の真実は多層的に構成されていると思います。つまり本物とは対象物そのものの問題ではなく、受け手にとっての納得できる虚構なのかもしれません。

旅行に必須の相談相手


AIの活躍は日常生活のあらゆる場面に及びますが、一番役立つのは健康相談だと思います。とくに体調を崩しがちな旅先の、慣れない土地では頼りになる存在です。1月のソウルは寒過ぎて風邪をひき、2月の釜山では肩こり、先月のダナンではあせもがでましたが、いずれも滞在しているホテルの徒歩圏の店と、買うべき商品を写真つきで値段まで教えてくれるので、店に行ってスマホを見せるだけで事足ります。ダナンの薬局は値段が適当な店もあり、吹っ掛けられることもありますが、地雷を踏まないための店選びまで教えてくれます。見るべきカフェや泊まるべきホテルもチャットを繰り返しているうちに精度が上がり、ほぼ外すことがなくなります。自分の趣味嗜好を詳細に至るまで把握しているAIは、こちらの潜在ニーズに先回りした提案をしてくれて、もはや旅行に必須の相談相手です。

車を操る自覚を取り戻す


ダナンでは電気自動車をよく目にしますが、他方で商用車などを中心にMT車もそれなりに走っています。渋滞の常態化する日本の道でマニュアルは敬遠されますが、今のマニュアル車は十分に安楽でむしろ実用的だと思います。昔のミッション車はクラッチが重く、シフトチェンジが気難しい時代もありましたが、今や坂道発進さえ気を使わず、どうやってもギアは入ります。楽をすれば際限が無くなり、より安楽になることで、やがて自動車を運転する自覚すら消失し、危険を招くと感じます。自分で操る喜びとともに運転に集中するようになると、長距離を走っても疲れません。MT車の事故率が低いという統計は知られますが、ペダルの踏み間違え事故が起こる可能性もほぼなく、同時に脳を活性化します。無自覚にぼんやり運転することが事故原因の一つであり、安全な車社会を築くには、車を操る自覚を取り戻すMT車が必要だと感じます。

Translate »