原発マネーをめぐる黒い交際は底しれぬ闇の深さを感じさせます。劣化した社会の正体が露見すると疑心暗鬼が広がります。経済成長や地域振興を無邪気に是としていた社会ではその負の側面に光が当たることはなく、金の亡者が跋扈する貧しい昭和の時代の亡霊が舞い戻ってきたようです。一見お堅い公共インフラを担う企業において現役トップが不正に絡み、報酬2割の2カ月返上という甘い社内処分を見ると寒気さえします。人は自分の思考と真逆の可能性を信じることができません。われわれが身につけた社会常識は見たくない社会の裏面を見落としていると思います。本質とは誰かの意図によるバイアスを取り除いたものですが、黒い霧に包まれた戦後の原子力政策の背後には悪意が見え隠れします。病的なまでに法令遵守を唱えていたはずの大企業で未だに繰り返される粗暴な不祥事を見ると、そもそもコンプライアンスそのものが悪意のために利用されてきた疑念さえ起こります。歪んだ村社会発想の行き着く先は日本の負けパターンである運命共同体の暴走でしょう。
お知らせ
実は自身に語っている
今日から日本工学院の後期授業が始まります。立教大学以来講師歴は17年になりますので、教える仕事は本業と言えるかもしれません。人前で話すのが苦手で大学の教育実習で母校に行く前日にとても緊張したのを思い出します。コンサルティング会社に転職したとき、プレゼンテーションのトレーニングで「君は話すセンスがあるね」と講師に言われた一言は意外でした。以来自分は話すのが得意なのかもしれないと自己暗示をかけるようになり、人前で話すことに緊張がなくなりました。話すことへの苦手意識はなくなったのですが、それはあくまでも話したいことがあるときだけです。プレゼンテーションの基本は聴衆が聞きたい話をすることですが、自分の場合はそれより自分が話したいかどうかが重要です。話したいことがなければ、予定調和で無味乾燥の退屈な挨拶のようになってしまいます。後期4コマの授業は昨年の授業とほぼかぶりますが、昨年の講義資料を見ても話したいという気持ちが起こりません。自分が学ぶことの楽しさを感じなければその熱を学生に伝えることはできず、講義をしているようで実は自身に語っているのかもしれません。
未来の可能性を信じる
人は自分を客観視できない生き物だと思います。サラリーマン生活に汲々として自由時間がないときは仕事のないリタイア生活を夢見るのに、いざ自由時間ができるとやりたいことも気力もなく漫然と空虚な日々を過ごします。最近聞かなくなった言葉に「壮年」があります。厚生労働省の資料では25~39歳を「壮年期」としていますが、現役期間が長くなりこの年代のみを働き盛りとすることは適切でないと思います。最近では還暦を祝う習慣も薄れてきました。還暦祝いに贈る赤い衣服は魔除けの意味で赤色が使われた産着で、生誕時に還るという意味があると言います。引退を奨励する習慣は今の時代には有害でしょう。社会の都合で一線から退かされ、自分は年寄りだという自己暗示が寝たきりなどの不幸を生みます。危険なのは、身体が除々に弱り最後は寝たきりになるという嘘を信じることです。脳や筋肉は鍛えればいつまでも成長を続け、現役のまま死ぬことができるのに日野原重明氏や三浦雄一郎氏は例外だと決めつける思考はいずれ現実になります。未来に目標を持ち、その可能性を信じることが高齢社会の先頭ランナーである日本には必要だと思います。
忙しいときほど山に行く
消費増税を静かに始めたい政府にとってワールドカップの熱狂は心強い存在です。増税しても可処分所得が増えるなら問題はなく付加価値生産性の向上が日本の課題です。仕事の生産性が最優先なら淀んだ空気の執務室ほどふさわしくない場所はないと思います。リモートワークが技術的に可能になってから四半世紀が過ぎてもいまだに産業革命当時の匂いのするオフィスで働く習慣は変わりません。パタゴニアの経営で有名なのは「社員をサーフィンに行かせよう」というメッセージです。日本支社が鎌倉から戸塚に移り本当にサーフィンに行けるかは疑問ですが、福島で毎朝のように山に登るとこれが単なるスローガンや誇張ではないことが分かります。忙しいときほど自然の元に出かけ運動をすべきだと思います。早朝の森の澄んだ空気を吸いながら高度を上げていくと歩く瞑想になり、下りはリズミカルに駆け下りると脳の血流が上がります。標高差1,000m程度の山なら2、3時間で往復でき、山頂を踏むプチ達成感が一日の仕事を始めるきっかけになります。運動をし過ぎると疲れて肝心の仕事ができなくなりますので、運動量の見極めは重要です。惰性的な仕事に給料を払う余裕があるうちは、パフォーマンスを最大化する職場環境や脳の活性化と言った議論は無用なのかもしれません。
60代、70代が現役
にわかラグビーファンを増やしたワールドカップは、アイルランド戦の歴史的勝利という世紀の番狂わせで予選プール首位に立ち、盛り上がりは最高潮に達した感があります。食わず嫌いならぬ見る機会がないためにラグビーには興味がありませんでしたが、ゲーム展開が早くアスリートらしい肉体の躍動に引き込まれます。周りには元ラガーマンは少なくありませんが、今でもプレーをする人はほとんどいません。運動能力の低下や怪我のリスク、蓄えた脂肪も理由で、中高年でも続くスポーツで人気なのは野球とゴルフでしょう。どちらもあまり動かないスポーツで野球選手のBMIはアスリートとは言えないレベルにあるとの調査もあります。学生以来30年のブランクを経て自分が突然スポーツを始めたのは20kgの減量のおかげで、元の体重では走ることもできず足を壊していたはずです。スポーツをする素晴らしさは高揚感がやる気スイッチを入れ自らを律すること、加えて人間関係の広がりと学生時代の記憶が蘇る若返り効果だと思います。トライアスロンやトレイルランニング人気が衰えないのは60代、70代になっても現役として参加できる競技だからでしょう。
幸せの代償としての消費
マインドフルネスが世界的に注目されるのは、自分を見失うほど世俗の雑音が耐え難いからだと思います。あらゆる面で人との比較を強いる都市は心身を疲れさせ深い安定をもたらす自己の内面と向き合えなくなります。本音を隠して生きると、やがて素で生きることができなくなり心と身体のバランスを崩し最後は自分さえ信じられなくなります。収奪装置としての都市はフォーカシングイリュージョンである飲食や娯楽、高級品などの消費で魅了し、お金で悩みを解決しようとする快楽脳を歓迎します。都市が人を引き止めているのは華やかな消費ですが、なりふり構わない経済成長が終わった日本に、都市を延命させる理由は無くなります。世界人口の過半数が都市居住者になったのは5年ほど前ですが、都市が本来の居場所でないことは誰もが知っています。人体は自然の摂理に従い生きることがデフォルトで無機質な空間での生活は人類史の異常事態です。福島にいる頃は那須連山を望む旅館の隣の丘から阿武隈源流の川音を聞くだけで幸せでしたが、東京にいると幸せな時間を実感できません。それを癒やすためには消費を繰り返すことが必要なのでしょう。
残飯でさえ美味しい?
意図した断食ではなく、ストレスから5日間何も食べられなくなったことがあります。雪に閉ざされた真冬の甲子高原で6日目に食欲を感じるようになり、そのとき初めて普段の食欲は仮初の欲求だったことに気づきました。多くの宗教が伝統的に断食を行うのは、身体に静寂を取り戻すことで狂った五感を補正する役割を経験的に知っているからだと思います。そのときはご飯と味噌汁、たくわんが無性に食べたくなり、おそらく捨ててある残飯でも美味しく感じたと思います。生きるための食欲こそ人間本来の欲求ですが、飢餓を知らない現代人は微細な味の違いとステレオタイプの記号を消費します。ボードリヤール(Jean Baudrillard)が「消費社会の神話と構造」で述べたように、大量消費社会におけるモノの価値は、モノそのものの使用価値や生産に利用された労働の集約度ではなく、商品に付与された記号にあると思います。人は美味しそうな料理という外部世界で形成されたコードに従い、映画「マトリックス」が描いた仮想現実の世界を生き、自己説得してでも満たされたいのだと思います。
健康に通ずる道
類は友を呼ぶのか回りには健康オタクが多く、そのため以前は誰もが健康が好きなのだと思っていました。しかし、実際には世間の多数は健康嫌いで、少なくとも積極的に好きな人は少数派です。健康は窮屈な生活を強います。食べ過ぎはいけないとか運動をしないといけないとか、ネガティブリストとポジティブリストを見るだけで、死んだ方がましと言う人さえいます。一方で健康を気にして検診を受けるほど、医師の介入を受けるほど早死にするという調査結果もあります。健康に良いと称する食べ物や健康法が次々と消費され、以前の常識が書き換えられるいかがわしさは誰のための健康なのか疑問も感じます。科学的なデータは参考になりますが、一番信頼するのは自分の感覚です。自分の身体を注意深く観察すると不調や健康リスクに対して敏感になります。加えて信用するのは生理的な欲求である生体恒常性と伝統的な生活です。世界の長寿郷における伝統的な生活は国や民族、宗教が違っても概ね菜食、生涯の仕事、豊かな人間関係と、現代の都市が失ったサーカディアンリズムに従う生活という点で共通しており、そこに健康に通ずる道があると思います。
食欲は何を満たすのか
昨日は36時間食事を抜きました。トレイルレース中の補給で負担をかけた胃腸を空にして正常な食欲を取り戻すには間欠的断食(Intermittent Fasting)は最適の方法です。共感を得にくい考え方でしょうが、美味しいものを食べるためには、少なくとも一日は食事を抜くことが必要だと思います。食べない時間が続くと食べることにストイックかつ敏感になり、普段以上に深く味わおうとします。食べるから食べたくなるのであって、食べないでいると不思議と食欲は減退して行きやがて本当の食欲が現れます。マインドフルネスで言う食べる瞑想は普段は気づかない味覚の繊細さを発見でき、日常的な過食が味覚を鈍くしていることを戒めます。食べなければ人は死にますが、生活習慣病の大半が食源病であるように食べ過ぎも人を殺します。食べないことで体の内側に静けさが戻り、普段から胃腸がいかに重労働をしているか理解すると、食べることを無批判に賛美できなくなります。食欲とは気のせいであり、お腹が空くから食べるのではなく、食べなくてはいけないと思う空腹感で習慣的に食べていると、食欲が何を満たそうとしているのかが分からなくなります。
ゴールの清々しさ
トレイルレースから3日が過ぎても痛めた腰と下半身の筋肉痛は引きません。ゴールした後に足を引きずる選手もいて満身創痍といった状況で過酷なレースが身体に良いはずがありません。お気軽で安楽なレジャーが幅を利かせる現代にあって、プロでもない多くの選手が自らを困難に追い込む心理は当事者ながら理解し難いところがあります。2時間早くスタートした140kmのトップ選手は、すでに30kmをあとにしたとは思えないスピードで山道を駆け下りて来ます。まだゴールまで110km以上の距離を残しているとは思えない速さで走り抜け、その半分の距離でも断念した自分との違いを見せつけられます。それでもトレイルランニングは高齢化する日本に適したスポーツだと思います。世界最高峰のレースUTMBでマルコ・オルモが優勝したのは還暦間際の59歳で、しかも2年連続優勝という快挙です。全盛期にあった日本のトップランナーの鏑木毅氏に3時間の差をつけたイタリアの英雄がトレイルランニング始めたのは40歳と言います。丸一日以上走り続けるエンデュランス系レースでは、燃費の悪い解糖系エネルギー産生より、脂肪を燃焼してエネルギーに変える方が有利で、更年期を過ぎた中高年の体に適したスポーツと言えます。ゴールシーンがいつも清々しいのは、老若男女を問わずスポーツに挑戦するとき、人が一番輝くからだと思います。