残飯でさえ美味しい?

意図した断食ではなく、ストレスから5日間何も食べられなくなったことがあります。雪に閉ざされた真冬の甲子高原で6日目に食欲を感じるようになり、そのとき初めて普段の食欲は仮初の欲求だったことに気づきました。多くの宗教が伝統的に断食を行うのは、身体に静寂を取り戻すことで狂った五感を補正する役割を経験的に知っているからだと思います。そのときはご飯と味噌汁、たくわんが無性に食べたくなり、おそらく捨ててある残飯でも美味しく感じたと思います。生きるための食欲こそ人間本来の欲求ですが、飢餓を知らない現代人は微細な味の違いとステレオタイプの記号を消費します。ボードリヤール(Jean Baudrillard)が「消費社会の神話と構造」で述べたように、大量消費社会におけるモノの価値は、モノそのものの使用価値や生産に利用された労働の集約度ではなく、商品に付与された記号にあると思います。人は美味しそうな料理という外部世界で形成されたコードに従い、映画「マトリックス」が描いた仮想現実の世界を生き、自己説得してでも満たされたいのだと思います。

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