昨日は貝原益軒の養生訓を読みました。江戸時代に書かれた八巻からなる書物は、その死後300年を経て現代医学が到達した事実と恐いほど符号します。現代科学が解き明かした医学を進化と呼べるのか疑問です。気に入っているのが、家業に励むことが養生の道であり、安座してはいけないと説くくだりです。座る生活の危険性が注目されるのは最近のことです。昼夜を分かたず働く生活は一見体に悪そうですが、それは主体性のない仕事の場合です。人間は多少の負荷がかかって目標に向かい前進するときに生命力を漲らせます。仕事に向かう姿勢が人生に対する姿勢そのものだと思います。那須湯元温泉の共同浴場で見かける80歳を超える元気なお年寄りは働いている人も多く、自分の理想は生涯働くことです。よく働いて体を動かすことこそが養生であり、「労働をなすべし」と貝原益軒は言い切ります。
お知らせ
ワークライフバランスのいかがわしさ
昨日は銚子の企業に伺いました。海のそばに来ると細胞が元気になります。いつの時代も経営者の悩みの大部分は人の問題です。昨今その悩みが深刻化していると思います。人が採用できず人件費が高騰し、他方でスキルもモラールも低下しています。モチベーションをいかにして引き上げるかといった議論が盛んでしたが、従業員が統制によって動機付けられるのは、会社の夢と自分の夢を重ねることができた成長局面だけです。企業が将来に希望を持てない今日、雇用を前提にする限り自発的モチベーションは芽生えないと思います。多くの企業は命令統制によるC&C(Command & Control)型組織ですが、人が変わるのは本人が腑に落ちたときだけであり、C&Cの風土から主体性は生まれません。ワークライフバランスと言う言葉を好きになれないのは、ワークとライフの融合なしに幸せなキャリアなど存在しないからです。ワークとライフを対立概念として分離する経営の前提は間違った先入観だと思います。
経営と執行を分ける不可解さ
その行方に世界が注目するゴーン・ショックですが、経営と執行を分けることの不可解さが背景にあると思います。監督と執行を分離するという主張は一見正しくても簡単に骨抜きにされ、国際標準と言われる法外な役員報酬は日本的経営の美点であった組織の一体感を分断しました。執行役員制度を最初に導入したソニーが、次第に輝きを失って行ったことも利益を追う変節にあると推察されます。90年代の経営を表現するなら「思い上がり」でしょう。先人の功績を忘れ、自分たちが企業や国を動かしているかのごとく錯覚した経営層が、考えもなく欧米流の経営を志向したことは想像に難くありません。株主至上主義的なガバナンスとプロ経営者への無批判な礼賛は、企業の持つ存在理由を消し際限のない欲望の淵へ導いたと思います。そしてその残像はいまも企業をじわじわと苦しめています。
成長に立ち会える幸せ
昨日は娘の高校の保護者会と留学報告会に行きました。1年前にはあれほど頼りなった娘やその友達が、夢と情熱を持ち成長しようとする姿には目を見張ります。子供の成長に立ち会える教師は素晴らしい職業だと思います。他方で、世間の教員が幸せな職業人生を送れているとは思いません。その理由は学校における経営の欠如です。仕事をかけがえのない生きがいにするのもつまらない義務にするのも経営如何です。以前は学校の業務改善の仕事をしていましたが、当時は教育に営利企業的な経営概念を持ち込むことにアレルギーがありました。営利企業の良さはある意味貪欲さですが、貪欲さの対象が短期的な収益に向くとコントロールを失います。一方で教育は神聖な領域とされ、その聖域ゆえに無駄と惰性が生まれます。営利であるか否かは剰余金の分配ルールの違いだけの問題であり、経営目標を達成することにおいては変わりません。問題は経営者が圧倒的に不足していることだと思います。
100年の歴史の評価
昨日は新年の準備が進む明治神宮に寄りました。奇跡のような人工の森を歩いていると、何もピラミッドのような建築物ばかりが壮大な事業ではないと思います。建築としてのピラミッドは現代技術でも作ることが不可能とされるほど高精度で、現在も存在すること自体がミステリーです。他方で、この永遠の森を100年前に予測していた先人の叡智には都心に居ながら触れられ、それは未来につながって行きます。東京を好きになれないのは、世界最大級の人口を誇る都市が、制度化された管理社会そのものに見えるからです。森こそ人が本来居るべき場所であり、東京オリンピックに建物を間に合わせるばかりが都市開発ではないと思います。多くの人の善意により作られいまや自然化したこの森にいると、100年の歴史の評価に耐える都市の姿に思いが至ります。
魅力の褪せた海外旅行
週末に来年の10連休に海外に行くという話をしていて、自分は全く気が乗りません。選択肢がなく法外な航空運賃、満席の機内や混雑する空港を想像しただけで気分が萎えます。サラリーマンの時はあれほど休暇を待ち焦がれ、いかなる代償を払ってでも海外に行こうとしたのに、いつでも行けると思うと行きたい衝動は起きません。無益な消費へ駆り立てていたものは強迫観念だと思います。見たいものや行きたいところはたくさんありますが、そのために払う対価と犠牲に見合うと、今は思えません。純粋に楽しみとして考えるなら日帰りで登れる山でも同様に満足できます。人生にはどうしても必要なものなど一つもありませんし、魅力的だと思っていたものは思い込みだった気がします。一番好きなのは半分仕事など行く理由のある海外旅行です。
お金を使わない娯楽
昨日家族でユニクロに行き3人分の冬物衣料をそれなりに買ったつもりでしたがレジでは1万円もしません。知的興味の多くは図書館とYouTubeが満たしてくれ、大半の音楽や映像コンテンツは無料で手に入ります。趣味はトレイルランニングですが、入山にお金を請求するのは唯一富士山ぐらいです。たまに海外に行きますが、多くは仕事です。年間3万kmほど自動車で移動しますが、フィアットのディーゼルは1km走るのに5円程度の燃料代ですから、一人で乗ってもそれほど経済的な負担を感じません。シェアリング経済が進展すると、自動車の利用コストは今の数分の一から十分の一程度に下がるとされ、空家率の上昇により住居コストも低下します。我が家のラブラドールは2代目ですが、2匹とも成犬になってから譲り受けました。糖質制限を始めてからは食欲をコントロールできるようになり、人間はそれほど食べなくても生きていけることに気づきました。贅沢を言わず変な欲に惑わされなければ現代の日本はお金のかからない国だと思います。誰しもお金の心配をしたくありませんから稼ぐ方法を考えますが、不要不急の浪費をしなければお金の心配はなくなります。お金を使わない生活そのものが娯楽なのかもしれません。
貧しい先進国
娘が留学していたニュージーランドのホームステイ先のホストマザーは電力会社のマネージャー職で、7時半に出社して14時半まで働き、帰宅後2時間自宅のジムで汗を流し、21時には寝る生活だそうです。家の周囲は広大な牧場と明媚な自然に囲まれ、夜空の美しさは想像を超えると言います。世界三位の経済大国の日本が、幸福度ランキングで低迷する理由は働く環境にあると思います。言葉だけが安易に流布される働き方改革ですが、その議論はいつも本質とは別の場所にあります。劣悪な労働環境の原因は、無駄なことに惑わされ集中すべき仕事が見えないからだと思います。昔ながらのやり方や仕事の全体像をとらえないマイクロマネジメント、人間の浅ましさがそこにはあります。深く考えもせずに間違ったことを真面目にやる見識のなさが、日本を貧しい先進国にしていると思います。
企業理念を作る愚かさ
残り2週間となった2018年は企業不祥事が後を絶たない一年でした。世界が注目するゴーン・ショックは言うに及ばず、免震ダンパーなど大企業による性能データ改ざん、自動車の燃費測量データ改ざん、品質管理に関する不正、地方銀行による不正融資など、今や企業不祥事はニュースの価値さえありません。一連の不祥事に共通するのは意図して行われたことです。企業が平気で嘘をつく風潮は企業理念に起因すると思います。どの企業も立派な理念を掲げていますが、文章表現の美しさだけを競い実行する気概などなく大半は嘘です。企業理念を掲げられるほど立派な企業は本来一握りのはずですが、皆が企業理念を掲げる風潮はお互いの嘘を許す企業風土につながっていると思います。ありもしない企業理念を真面目に作る愚かさに疑問を持たないことが本当の恐ろしさです。
願いと欲の境界
今朝の新甲子温泉は氷点下2度で風もなく寒さは感じません。昨日人生のTODOリストを書いていて、欲望と願望が混在していることが気になりました。地位財と非地位財という整理は分かりやすい反面自分の気持ちを正確には説明してくれません。願いは祈りに近く、自分や他人の平穏無事を望む神聖さがあると思います。尊敬する経営者でも稲盛さんには神聖さを感じますが、カルロス・ゴーンにはそのオーラがありません。神聖さは我に返り心を満たす力があります。胸に手をあて考えろと言いますが、随分前にバンコクの街角で年配の女性に胸の前で両手を合わせて挨拶されたことがあり、その立ち振る舞いの美しさが印象に残っています。子供の頃祖父の家で毎日仏壇に手を合わせていた意味が分かりました。