昨日はラブラドールと陣馬山に登りました。普段高尾山に来るときは始発電車で、歩き始めるのは6時過ぎです。自分と静かに向き合いたいので人に会いたくありませんが、ルートを選んでもハイカーと会わないことはできません。小仏峠に車を停め陣馬山まで3時間で往復します。山の中で迎える朝は格別で、目覚める前の高尾山は神秘的な一面を見せます。体を鍛えるためでも達成感を得るためでもなく、自分を整えるために歩き、筋肉をほぐす程度に走ります。途中で出会ったのは陣馬山山頂の一人だけです。その彼は独り占めできると思っていた山頂に先客がいて、犬まで一緒だったことに気分を害したのか、挨拶をしても素っ気ありません。皆一人になれる場所を探しているのかもしれません。10時には帰宅して仕事を始められます。
お知らせ
健康になるのは難しい?
多くの人が健康を求め、市場には健康情報や商品が溢れながら、飽食やストレスに苛まれる現代は健康になることが難しい時代です。多くの人が健康になれなくて悩んでいる一方で多数の「健康嫌い」が存在し、その理由は同じです。多くの健康本は「~せねばならない」か「~してはならない」のどちらかで、いずれにしても人をネガティブな気分にさせます。そして多くの健康常識は他の常識と矛盾しますので、何かを信じても裏切られることが少なくありません。常に新説が登場する健康常識は、10年前の常識にさえ安心することができません。5年前に「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」が日本で出版されたときその目新しい視点に共感しましたが、重要なことは人体のデフォルト状態を知ることだと思います。
現代人を救うケトン体
昨日の朝は陣馬山まで無補給で往復しました。行楽客の来ない南高尾から北高尾に抜ける40kmは累積標高2,400m超で約2,000kcalを消費します。人間が体内に蓄積できる糖質量だけではフルマラソンを走り切ることもできませんので、就寝中の基礎代謝で使い果たした糖質に変わり脂肪酸から生成されたケトン体がエネルギー源になります。ケトン体濃度を上げるために前日の夕食以降食物を摂取しないので、運動に必要なエネルギーは糖質からケトン体に変わり脂肪が消費されます。糖質制限によりケトン体濃度が上がると、体に蓄えた脂肪が1gあたり9kcal(糖質は4kcal)のエネルギーに転換されますので、無限に近いエネルギーを手にすることになります。良いことにがん細胞は正常細胞と違いケトン体をエネルギーにすることができませんので、糖質制限によるケトン体利用はがん細胞を死滅させる可能性でも注目されます。
目から鱗の胃の不調
外科中心に発達した現代の医学は対症療法に終始し、慢性疾患に対しては原因不明の不定愁訴などと曖昧な診断をします。人間の体は正常な状態に戻ろうとするホメオスタシス(恒常性)があり、本来は持病など存在せず全ての不調には原因があります。20年来胃の不調に悩まされ何度も受診し胃カメラの検査も受けましたが医師は誰も本当の原因を教えてくれませんでした。胃に未消化物の違和感がありよく断食をしましたが、そのときに限って一層調子が悪くなります。それもそのはずで普段より多く水分を摂るからです。喉の乾きに関係なく習慣的に水分補給をし、運動で汗をかいてもそれ以上の水分補給をしていたことになります。摂取する水分量を意識するだけで20年来の胃の不調が改善するなど目から鱗です。
オフィスではなく運動
週末の阿蘇ARTや彩の国などの100km、100mileトレイルレースに友人が出場しているのに刺激され、昨日は高尾山にリハビリに行きました。人体は運動をする状態がデフォルトで、運動をしないのは病的な状態ですから、そこから抜け出すにはリハビリが必要です。硬直した筋肉をほぐすように下りだけ走って南高尾から城山まで20kmほど体を動かしました。森に響く鳥の声を聞きながら早朝の森を歩くと様々なアイデアが降って来ます。ワーカーに必要なのはオフィスではなく運動だと思います。運動が脳を活性化し勉強や仕事に効果的なことに関する多数のエビデンスがあります。それでも運動を仕事に取り入れないのは即効性が感じられないからです。血糖値上昇をもたらすエナジードリンクが支持されるのもそのためです。運動強度を上げないとホルモン分泌など脳の活性化を体感することは難しく、学校教育などを通じての習慣化が必要だと思います。
胃のむくみと巨大市場
ここ20年来胃の調子が悪いのですが、数日前に読んだ本で水分の摂りすぎによる胃のむくみという概念を知りました。朝食の一杯に始まり、熱中症対策やお茶の効能など水分を摂ることばかり熱心に勧められ、水を摂るなという指摘は意外な盲点です。胃のむくみにより消化機能が低下し、同時に胃酸が薄まることで胃に食べ物が停滞すると言います。胃はますます胃酸分泌を活発にするために熱を発し、胃を冷やすためにさらに水を飲むスパイラルに入ります。対策は簡単で水分を減らして汗をかくことですが、わずか2日で症状は目に見えて改善しました。自分では胃薬は飲みませんが、簡単に治ることのために巨大な胃腸薬市場が形成されていることになります。
お茶屋遊びはラットレース
京都に来てイメージするのは一見さんお断りのお茶屋です。客の与信機能を担うが故のシステムなのでしょうが、こうした排他的な商品に人は憧れます。事業者は消費者が階段を上がっていくかのような幻想を意図して抱かせます。社用車であったり、料亭の利用といったフリンジ・ベネフィットは、かつては組織内のモラール維持に不可欠な舞台装置でした。海外に口座を持つとか、名医を知っているといった錯覚は長らく成功のステータスシンボルとされてきましたが、終わりなきラットレースへのエントリーに他ならないと思います。伝統を重んじる京都は、他方で日本を代表する企業を生み出すインキュベーターです。京都の伝統はおそらくイノベーションとセットで機能してきたと思われますが、商品化された伝統は権威性を帯び人を洗脳するのでしょう。
観光地嫌いに最適なゆるラン
法事で京都に来ました。京都に来る時は家の用事か仕事ですので、40年以上前の修学旅行以外に観光をした記憶はありません。観光資源を多く抱える京都の街に何となく食指が動かないのは人混みが嫌いだからです。登山を別にすれば観光目的の旅行をしたいとも思いません。金を払って人混みの観光地に行くなど願い下げです。早朝に近所の寺でも訪れたほうがよほど心が鎮まり、感情を突き動かしてくれます。それでも、どこからともなく漂う懐かしいお香の香りや、観光客のにわか着物に紛れた着物姿の年配の女性が緩やかなテンポの京言葉で話す街の風情は独特です。日の出前に走ったり歩いたりで10数キロゆるランをすると人の気配のしない京都を楽しむことができます。
目標を求める欲求
トレラン界の一大イベントUTMFの熱狂が冷めると本格的な山の季節を迎えます。例年今頃の季節になると冬の間に蓄えた贅肉を落とすための肉体改造の必要に迫られます。レースなどの目標がない漫然とした生活では運動をしないばかりか食生活まで乱れて醜い体に自己嫌悪を覚えます。食欲があっても労働欲がないように、睡眠欲があっても運動欲はありません。食欲や睡眠欲が本能的な欲求であるのに対して、労働や運動は思考や論理構成を介した理性的な欲求だと思います。他方で、労働も運動も封印された本能であり、一度目覚めると欲求が増幅され人生を切り開く原動力になります。欲を制する自制心は、人生の成功に大きな影響を与えるとされますが、労働にも運動にも一定の自制心や努力が必要です。両者は単純な快適な状態とは異なるために、仕事嫌い、運動嫌いを生み、市場には商品化しやすい本能的欲求を充たす商品ばかりが氾濫します。食欲や睡眠欲が簡単に充たせる欲求であるのに対して、労働や運動は努力や忍耐の先にいわゆるフロー状態を経験する複雑な欲求故に、人生には目標が必要なのだと思います。
覆る働き方の常識
立夏を過ぎ暦の上では夏が訪れ新緑の眩しい季節になりました。仕事帰りに近所の豪徳寺を通ると、招き猫で有名な寺は連休中賑わったのでしょうが、静かな境内は心が落ち着きます。現役時代には疑いもしなかった、毎日定時で働く働き方はむしろ異常で合理的ではないと思います。仕事の目的は成果をあげることですから、最も成果の上がる場所で最も成果の上がる時間に最も成果の上がる方法で働くべきなのに、毎日決まった場所で決まった時間に同じように働くことは効率の良い働き方とは思えません。多くの組織は自由に働くことを許さず、何をするにも制約があります。それらはすべて無駄な間接コストですから、本来人は今ほど働かなくても同じ給料を受け取ることができます。将来を悲観していないのは、あまりに非効率な従来のやり方が幸いして、ある日突然パラダイムシフトが起こり常識が根底から覆ると思うからです。