可能性を信じるか否か

日本社会には人の可能性を閉ざす風潮があると思います。学校でも企業でも無気力を学習させられ、「どうせ自分などは」と可能性を自ら閉ざす人が多い気がします。学校や企業には国民を戦争に駆り出した時代の国家統制の名残が見え隠れし、企業の肩書は軍隊の階級を踏襲して権威主義の基盤になります。自虐的になればチャンスがチャンスと思えず偶然を味方にすることもできなくなります。ベンチマークすべき人を見ても「あの人とは元々違う」と決めつけ、成功者も最初は自分と同程度の能力、才能、センスしかないことを見落とします。長寿社会の魅力はいくつになってもチャンスがあることだと思います。今年86歳でアコンカグアに挑んだ三浦雄一郎氏ができるなら自分にもできると思うか、別世界の話と思うかによって人生は変わるはずです。先日亡くなった中村医師の成し遂げた業績は偉大でも、最初の一歩は誰にでも踏み出せます。未来の可能性を信じるようになったのは仕事を窮屈なものにする企業組織を離れてからです。成功は雪だるま式に蓄積され、幸運は挑戦者にしか訪れないと今は思います。長寿社会は年々チャンスが減っていくと思うと苦痛に、毎日が可能性に満ちていれば天国になるのでしょう。

Translate »