シンギュラリティが来ても来なくてもAIが人間の仕事を奪うことは現実問題です。答えのある反復作業はやがて限界費用ゼロで行われ、残る仕事は人間が持ちうる身体性だと思います。クリエイターと呼ばれる人たちが手書きのノートを使い続けるのもそこに理由があるのでしょう。人体を通して生み出される価値に焦点が当たると、ビジネスの世界にも人間性回復が求められます。過密人口、過剰消費、運動不足という都市のビジネス環境はより人間らしい自然重視、節度ある消費、運動による健康増進へと転換していくと思います。トップアスリートが試合でフローに入るルーティーンが必要なように、ビジネスで最良のパフォーマンスを発揮する環境が必要です。運動と断食は自分の身体を知る最良の手がかりになります。断食をすると本当の食欲が明らかになり自分が何を消化できるかが分かり、運動をすれば身体を最高の状態にするのに必要な栄養素が判明し、山道を走って下ると警策で叩かれなくても心の乱れが分かります。自然環境豊かな場所で働くワークスタイルは、単に気持ちが良いという感覚を超えて競争優位の条件になると思います。
人は光で生きられる?
PayPalを設立したピーター・ティールが採用面接で必ず聞く質問は「賛成する人がほとんどいない大切な真実とは何か?」だそうです。答えのある知識を学び常識に囚われる人にとってハードルの高い質問でしょう。自分なら、「人は食べずに生きられる」とか、「人は生まれ変わる」といった答えをすると思います。信仰として後者を信じる人は少なくありませんが、超微小体のソマチッドで転生輪廻の説明を試みる人もいます。前者に関してはそれほど信者がいないためか科学的な解明は進んでいませんが、不食を主張する人は複数存在します。人間が固形物なしに1ヶ月程度生きられるのは事実ですし、飢餓などあらゆる悪条件を生き抜いた個体の子孫であるわれわれは最小のエネルギーで生きるように作られています。人体が糖質やビタミンDをはじめ多くの必須栄養素を体内で合成できることを考えれば、太陽光のみで生きるという可能性を排除するのは不当にも思えます。人体光合成仮説が科学的に証明されないのは、誰もこの仮説を信じようとしないからです。コロナショックがもたらす非接触社会がトリガーとなって社会変革が一気に進む時代には、常識外れの発想の受け入れが求められるのでしょう。
森に暮らし、都会のように働く
昨日はラブラドールと霧深い森に行きました。雉が突然目の前の藪から静寂を破って飛び立ちます。原始の昔から続くはずの森の静けさを感じると本来の自分を取り戻す感覚が訪れます。森に引き寄せられるのは普段と真逆の生活でバランスを取る必要があるからだと思います。欲望の赴くままに好きなだけ消費する日頃の不健全さを中和するために、森に来るときは食事を抜き、早朝の清涼な空気を感じながら、長時間の有酸素運動をすることで傾きかけていた身体のバランスを整えます。都市を離れる手段となるリモートワークが高い生産性を実現できるかはまだ分かりませんが、在宅勤務によりいらない仕事が可視化されたことは重要です。森に暮らしながら都会的に働くというライフスタイルは倍速で浸透していくような気がします。森のなかにいるとわざわざマインドフルネスを唱えなくても同じような心の静寂がもたらされると思います。平穏のなかに感じる幸せは決して平凡なものではなく、内面の繊細さを伴い鮮やかな感動を伝えます。
人生の選択肢は広がる
多くの企業で3月決算が発表され業績見通しを未定とする会社が続出しています。先行きが見えなければ消費者は生活を縮小し経済回復はさらに遅れます。生活を小さくする最適な方法は消費を誘惑する都市を離れることです。他方で、一極集中が進む日本で都市を離れることは組織を離れることと同義語で、住む場所にフリーハンドの選択肢を持つ現役などわずかです。あらゆるものが集積しあらゆる欲望にアクセスできる都市には魅力を感じません。ダイエットの基本は手の届く場所から食べ物を遠ざけることですが、誘惑に囲まれて執着を増やすライフスタイルには心の平安が訪れないと思います。森に暮らし、山に登り、温泉に浸かる阿武隈源流での暮らしは、うしろめたい喜びにお金を費やすことがなくても幸せでした。人間の脳は、大脳新皮質が人間を支配するという欠陥を抱えていて、食欲を抑えられないのも、社会の支配構造を守ろうとするのも、必要のない恐怖で自殺に追い込まれるのも大脳新皮質が作り出した幻想のためです。執着に焦点を当てる脳の性格さえ理解すれば人生の選択肢は広がると思います。
10万も数千万も変わらない
予定外のお金が入ると人は衝動買いをするもので、入金されるはずの定額給付金と同額の自転車を買いました。物持ちが良い方で自動車は10年10万キロ以上乗る主義ですが、自転車に至っては結婚祝にもらった2台を30年以上過ぎた今でも日常的に使っています。空気を入れる以外のメンテナンスなどしないのに、ブリジストンのベルトドライブは圧倒的な信頼感です。買ったのは娘の自転車の代替車でベルトドライブ、ディスクブレーキ、内装8段変速のついた10万円を切る軽量のクロスバイクは理想のスペックでデザインも悪くありません。2,000万を超えるフェラリーを買ったわけでもないのに気分が高揚するのは久しぶりです。自転車を受け取り帰宅する途中の爽快さは初めて原付に乗ったとき以来かもしれません。自転車を評論する知識はありませんが、剛性やブレーキのタッチ、加速感や直進安定性など30年前の兄弟車とは別ものです。高級商材を扱う企業が知られたくない不都合な真実は、10万円を切るクロスバイクと数千万の高級車がもたらす高揚感はさして変わらないことだと思います。執着が少ない分だけむしろ幸せかもしれません。
束縛されない心地よさ
全国的に梅雨に入った今が一年で一番日の出が早い時期です。暑くもなく寒くもなく、早朝の清涼な森の空気を感じながらの山登りに最適な時期です。雲海越しに残雪の南アルプスを眺めていると、人生に必要なものがそれほど多くないことを感じます。静かな森で雑音を消すと本当に必要なものが見え、社会や他人の評価を自分の本音に置き換えると本質が姿を現します。生活を小さくして生きれば執着の対象が減り心は満たされ、他方で消費に翻弄され心を操られるうちに人生の意味を見失うこともありません。晴れた山頂で日常を隔絶すると、楽しむために消費し、執着を増やすために金を使い、そのために働くことの虚しさを思います。人生を謳歌するという風潮が危険なのは楽しむもうとするほど執着を増やし純粋さを失うからです。結局のところ最小でき生きる心地よさは何者にも束縛されない自由から来るのでしょう。
もし手元に一冊だけ置くとしたら
新居に来て手元にあった紙の本を処分しました。それらの書籍は長年手元にありましたが参照したのは数えるほどです。もし手元に一冊だけ本を置くとしたらどんな本だろうと思っていたところ、図書館のリサイクルコーナー(抹消資料)でその本を見つけました。普段は足を止めないのに一冊の本が目に止まり手に取りました。その本を書棚に戻して帰ろうとしたとき背表紙が日に焼けてほとんど読めない隣の本が目に入りました。著者の名前は栗林忠道で、激戦地硫黄島の最高指揮官です。栗林中将(のちに大将)に関する書籍はこの本も含めてほとんど読みましたが迷わず持ち帰りました。もし手元に一冊だけ本を置くとしたら辛いときに読み返す本だと思います。小笠原兵団の最高指揮官でありながら良き夫であり、優しい父であった栗林中将が戦地から出した手紙をまとめたもので、逃げ場のない絶海の孤島、耐え難い気候や乏しい食料と水、度重なる空襲と迫りくる多勢の敵という限界を超える過酷な環境にありながら家族を思うその筆跡は胸に迫ります。講和に望みをかけ、一日でも本土空襲を遅らせたいという使命感こそ今の日本人が失ったものでしょう。
平静をもたらす断食
この2日間食事を抜きました。ファスティングには色々な作法がありお手軽なのは固形物を摂らない方法ですが、自分のやり方はお茶と水のみ摂取し糖分を絶ちます。この間に山登りなどの有酸素運動を行うことでエネルギー産生回路がケトン体系に移り脂肪を燃焼させます。糖質を完全に絶つ方法には賛否ありますが、2日間の断食中に40km以上のトレイルランニングなど有酸素運動をしても何ら支障がないことは福島時代に確認しています。糖質を絶つ危険性を指摘する声が根強い一方、自分の経験は逆で糖質を摂った後にこそエネルギーが切れるいわゆるシャリバテが起きます。今でも糖質が唯一のエネルギーと誤解する人は少なくありませんが、体感すればそれが迷信であることに気づきます。人類の祖先は数日間何も食べずに狩猟に行くような生活が普通でそのエネルギー産生メカニズムを受け継ぐ現代人にも同じことができると進化生物学が解き明かします。日夜働き続ける身体には、せめて食事を流し込まない休息が必要で、消化によるエネルギーの消耗を抑え蓄積された有害物質を除去する静かな時間こそが心の平静と健康の秘訣だと思います。
ジョブクリエイトこそ生きがい
久しぶりに八ヶ岳南端の西岳(2,398m)に登りました。富士見登山口から往復2時間半の八ヶ岳で最も低い山ですが、自粛生活で心肺機能と脚の筋力が低下したことを実感します。前回登ったときの雪深いトレールは蝉時雨に包まれる初夏の風情です。過去3年の5月の歩数が一日平均1万5千歩なのに、今年の5月は5,900歩しか歩いていません。自粛は経済を殺すだけでなく肉体を静かに蝕みます。運動習慣があれば体力低下を実感するのでそこから巻き返そうと鍛えますが運動習慣がなければ身体が衰えていくことに気づきません。歩いているときに思い浮かぶのは決まって将来の仕事のことです。生きるために働くのか?働くために生きるのか?という問に、サラリーマン時代は前者を選びましたが、職場のしがらみがなくなると考えが変わり後者を信じるようになりました。前者を信じれば職を探し、後者を目指す人は仕事を生み出そうと考えます。若者の間では起業志向の高まりが見られますが、ジョブクリエイトほど生きがいにふさわしいものはないと思います。
皆さんそうされていますから
日本人を説得する常套句は「皆さんそうされていますから」というジョークがありますが、実態もその通りだと思います。今なら科学的根拠の乏しいマスクを強制する風潮で、マスク警察が幅を利かせるあたりは不健全を超えて全体主義を礼賛する気味悪さを覚えます。空気の吸入量が減るだけでなく熱中症リスクも高まる上、正しいマスクの使い方は難しくむしろ感染を助長するなど有害な面は考慮されません。総合的に判断すればマスクの優先順位はむしろ低いはずなのに何となく不安という感情優先で何となく合意されたことを疑わず、皆がしていると今さら無用だと言い出せないのも日本人の特徴です。マスクに有効な側面があることは事実ですが、健康を害する可能性のあるマスクの着用には慎重な判断が必要なはずです。思考力の低さが引き起こす問題は、検察庁法改正案のTwitterデモや社会の混乱に乗じるアメリカの左翼扇動組織が加担した暴動も同じです。マスメディアや一部の知識人に戦後75年も騙され続けた日本ですが、コロナショックにより露骨な扇動が露呈したことはむしろ好ましい前兆かもしれません。