週末からイギリスに留学する娘が、毎日日本時間の夕方からZOOMの授業を受けていて、昨日も和気あいあいとした13人のクラスに続き複数の教授陣による200人の授業がありました。リアル、音声・映像、テキストに次ぐ、Web会議という洗練された双方向メディアで最も大きく変わる産業は教育だと確信します。Web会議システムは以前からありましたが、人は慣れ親しんだ習慣に安住するもので、対人接触手段を断たれて教育の世界は大きな転換期を迎えるはずです。米国などで高止まりする学費の問題もこの動きを加速するでしょう。メディアの使い分けの過渡期と言える今、メールやメッセージすべきことを電話し、電話で話すべきことを行間を伝えないテキストで送ってくる人がいますが、より重要な問題はメディア特性に合わせた学びのスキルです。途上国ほど学びへの意欲が高く、高等教育や教材へのアクセスが容易になることで日本人は益々世界との競争にさらされます。働き方改革のミスリードでハードワークを忌避する風潮まで広がればこの国には何が残るのでしょうか。ハードワークを肯定すれば時代錯誤と言われますが、資源もない日本が焼け野原から歴史上類を見ないスピードで復活したのは勤勉さに根ざすハードワークがあったからこそだと思います。
商業施設より宗教施設

昨日は長野市に行き、打ち合わせまで時間があり善光寺に寄りました。あれほど大阪に行きながら大阪城を見たことがないように、善光寺の前を幾度となく通りながら足を運んだのは初めてです。四連休には賑わったであろう参道や歴史的な建造物が目を引く一級の観光地は落ち着いた風情です。なんと言っても宿坊の佇まいが素晴らしく真冬に訪れたくなります。今、宿泊施設にお金を使うとすれば自分の本音に一番近いのは宿坊です。使い切れないほどのお金でもあれば話は別ですが、予定調和でリアリティを感じない今風のホテルや旅館に確認行為のためにお金を払う気にはなりません。宗教施設である宿坊は商業施設であることを忘れさせてくれます。加えて、食べすぎは酵素やエネルギーを大量消費する一種の自傷行為ですから、抑制のきいた精進料理は免罪符として魅力的です。古今東西多くの賢人が中庸の大切さを説き、バランスをとることが人間らしい生き方であり、快楽も禁欲も偽りの輝きであるなら宿坊は自分にとっての中庸です。宗教性が高い人は低い人に比べ死亡率が2割低下して寿命が伸びるという研究があるのは、ハイパーコンシューマーリズムの中毒から逃れる効用があるからでしょう。
現代のスピリチュアリティ
観光地に人が戻り始めた四連休最終日は暖かな日差しの八ヶ岳に登りました。澄み渡る秋らしい空と雲海越しの富士山を眺めていると世間などどうでもよく感じられ、執着が洗い流されていく感覚になります。こんなとき、幸福は追い求めるものではなく足元にあることに覚醒するもので、人が生きるのにたいそうな理由など必要なく毎日を真面目に生きることだと気づかされます。物質世界の肉体として生きながら、他方で欲と執着から逃れる方法に人は救いを求めてきました。黙々と山道を歩いていると、山というご神体のなかで身体を使って心を修めた山伏修行の理由が分かります。理屈より自分の五体と五感を通して体得した感覚が心を高め、いずれ悟りに到達するのでしょう。ヨガが古代から伝わるインドの宗教的実践から発展したように、マインドフルネスが起源である原始仏教の瞑想法から宗教性を排除したように、現代のスピリチュアリティは制度化された宗教の外にあると思います。山道で出会う人の多くは単独行動で、一般人のための実践的な宗教であった修験道を、多くの人は意図することなくすでに実践しているのでしょう。
制限速度は悪夢?
昨日は速度の一斉取締を見かけました。1、2分立ち止まって見ている間に2台が捕まり、信号がなく見通しの良い50km/h制限の直線道路ですからいずれも善良そうな車です。先頭を走らない、制限速度+20km/h以上出さない、取締をしそうな道路や天候、時刻に注意するなどを徹底すれば滅多に捕まることはありませんが、それでも車で65万km、バイクで5万km運転するなか速度違反で3回捕まりました。覆面パトカーや白バイに追尾されたことはそれよりはるかに多く、捕まったのはいずれも注意力が散漫になっていたときです。実用的と言えない速度の取締に反感もありますが、速度制限が野放しにされる世界を考えると節度ある取締は認めざるを得ません。最近はゲリラ的に見慣れない場所で取締を行うケースが増え、神出鬼没の移動式オービスも導入されています。抜き打ち的な取締の不確実性が抑止力となり、低コストで違反者を減らす有効な方法なのでしょう。ビル・ゲイツは年間5回スピード違反で捕まり、交通裁判専門の弁護士を雇い訴えを取り下げさせていたとされます。ビジネスジェットで移動するエグゼクティブにとって、地上の遅すぎる制限速度など悪夢でしょう。
四季を感じる暮らし
行楽地に人が戻って来たようで、20台ほどが止まれる登山口の駐車場は朝5時過ぎには満車になり、あふれた車が道路を塞いでいたので登山は止めました。喉元過ぎれば熱さを忘れるで景気が回復してほしいものです。夏の名残のある東京とは違い、季節を先取りする山はすでに秋が進み、9月は遭難の多い季節でもあります。都会の9月はまだ残暑の印象ですが山頂などで風が吹けば低体温になり、天候が急変すれば遭難につながります。都会では嫌われる冬や夏こそ山が最高の輝きを見せる季節で、残雪から新緑に向かう季節も、空気が澄んだ秋の空も捨てがたい魅力があります。吉田松陰が29歳で刑死するとき、30年の春夏秋冬があったから後悔はないと言ったそうですが、その倍近い四季を経験しても未練があるのは、季節を身近に感じて来なかったからだと思います。田舎暮らしは何度かブームになり、初期のペンションブームの頃もそうでした。東京圏の転出超過が伝えられる今は、自然のもとでの四季を感じる暮らしが、都会で手にする収入以上の価値があると考える人が増え始めたからなのでしょう。
情報リテラシを測るマスク
新型コロナに関する感染症法の扱いが1-2類相当から5類への格下げもしくは法指定自体から外すことが安倍首相退任のタイミングで発表されました。感染拡大以後弱毒化したウィルスは、日本に関してはただの風邪だったことになります。中国からの渡航者を受け入れていた2月に東京都医師会の感染症危機管理対策協議会が発表した声明は極めて妥当なものでした。外出後は手洗い、うがい、咳やくしゃみをしている人はマスク、健康で症状のない人はマスク着用の有効性は高くないと丁寧に断っています。感染力はインフルエンザと同等かそれより弱く例年のインフルエンザでも重症化し、簡易的な診断方法も治療薬もなく、予防は標準的な感染症予防策で十分としています。そして最後に、多くの不正確な情報が氾濫していることを警告します。マスメディアはこうした良心的な声に耳を貸さず、デマを拡散する専門家と称する人ばかりを重用してきました。マスクを強制する感染症対策は、0.1μのウィルスを10μの粗さのマスクで防ごうという竹槍精神の為せる技でしょう。人と会うときは一応マスクをして相手がマスク警察でないときは外しますが、マスクは情報リテラシを測る手段になります。
上昇志向より下降志向
6年で13万km目前のフィアットが点検から帰ってきました。ワックスがけやコーティングは一度もせず、機械式洗車でさえ滅多にかけず、軽トラックのように酷使しているので、車内にはウッドチップや薪の破片と犬の毛が散乱しています。これまでに乗った車のなかで走行距離の伸びが最速なのは1km走るのに燃料費が4、5円と安く、かつ長距離の運転が苦にならないからです。1.2Lのディーゼルは低速域から厚いトルクがあり坂道でも遅いと感じることはありません。高級車やスポーツカーが、血管が縮小して一気に血流が上がる交感神経系の刺激だとすると、小さなエンジンが健気に回るフィアットはしみじみとした副交感神経系の喜びです。幸福感には2種類あり、高額な商品は決まって前者でその高揚感がすぐに終わることが難点です。車検を待たずに高級車を買い換えるのは節税やリセールバリューだけが理由ではなく飽きるからだと思います。そしてモア&モアの終わりなき上昇志向の欲望から抜け出せなくなります。車に求めるのは人の能力を低下させる安楽装置ではなくプリミティブな性能です。最小排気量のフィアットはもうこれより下がないミニマルな魅力があり、他の車に乗り換えたいと思いません。
30年というモラトリアム
海外では鉄壁と評されているらしい菅首相の内閣人事は、無難というより強い意思を感じます。免許証のデジタル化が早速報じられますが重要政策であるDXの推進に期待したいものです。名寄せできないマイナンバーが改善されれば、コロナ禍で不評だった給付金のもたつきもなくなり行政手続きの効率化とスピードアップが一気に進むでしょう。その影響は医療、教育、納税などあらゆる領域と民間セクターに及び、電子政府で周回遅れの日本にとっては先進国最低の生産性の汚名を削ぐ契機になるかもしれません。その前にすべきことは平成の失われた30年の総括だと思います。この間に米国がICTのソフト分野で、中国がICTのハード分野でそれぞれ躍進したように、日本の生存領域を明らかにすることが重要です。7月には東京圏の人口が、統計を取り始めて以来初の転出超過になったように、デジタル化の推進は地方への人の流れにはずみをつけることになります。大量消費を信奉する巨大都市が、幻想と虚構を産み出す神話の語り部であることに気づくのに、30年というモラトリアムが必要だったのかもしれません。
最良の治療は最小の治療
自粛の同調圧力が薄れた先月あたりから山に行く機会が増えました。一見体に良さそうな山での運動は不調と隣合わせです。膝、腰、胃腸を壊す人が多く、以前は常に膝の痛みに悩まされました。これは過体重が原因で今より20kg以上重ければ、体重の数倍の衝撃を受け止める膝が壊れるのは必然で、減量後は膝に不安はありません。昨年までは腰痛がひどく去年の上州武尊山スカイビュートレイルを50kmほどで棄権したのも腰の痛みが原因です。施術も受けましたが、これもごく簡単な方法で治癒しました。背中にテニスボールを当てながら骨盤を立てるコンディショニングを1分程度、運動後にするだけで完治しました。運動以外でも、花粉症は鼻うがいで、胃痛は冷たい飲み水をお湯に変えるだけで簡単に治り、大半の不調は誤った体の使い方が原因です。最も深刻な不調は食べ過ぎによる自傷行為で、生活習慣病の多くは自らが生み出しています。取り扱い説明書がない人体は、正しい使い方を学ぶ必要がありますが、一見豊かな生活は内なる声を聞けなくなり、手厚い医療体制が治療を人任せにしました。最良の治療とは最小の治療による自発的治癒に尽きると思います。
ハングリーがデフォルト
派閥に恵まれず不運なめぐり合わせに翻弄された新総裁の政治家生活は転落と復活の人生ゲームさながらのシーソーゲームでした。新人ながら有力者野中広務を敵に回し再起不能と思われたときも、やられればやられるだけ燃える、と流行りのテレビドラマさながらの不屈さです。非世襲、無派閥の苦労人に世論は概ね好意的です。安倍下ろしだけが存在価値で最も深刻な安倍ロスを被った大手メディアにとってはやりにくい相手です。生まれながらのエリートには華がありますが、雑草には生命力があります。日本に欠けるのはハングリー精神で、飢えこそが生命力をかきたてます。食事を減らして飢餓に近づくと体が必死になって養分を吸収しようとするのが分かります。飽食社会は詰め込むばかりに執着し栄養を消化吸収できません。世間が豊かな人生だと思い込んでいる幻想とは裏腹に、飢えを感じることこそが生命力を高める因子だと思います。厳しい環境を生き抜いた人体は、生命の危機を感じると脳幹が活性化され、逆に満たされた状態では生命力は徐々に蝕まれていきます。多くの宗教が禁欲を説くのは、それが抑制ではなく生命力の高揚に他ならないことを経験的に知っているからだと思います。