大半の国民の知らない密室の数の力で決まった自民党新総裁には二候補も含めて国のリーダーらしいオーラを感じません。平日は5時に起きて赤坂の議員宿舎から40分ほど散歩をするのが日課とのことで、サラリーマン時代に六本木のスウェーデン大使館付近で二人のSPを伴い歩くスーツ姿の菅さんに何度か会ったことがありますが華やかな印象はありません。米露との太いパイプを持つ外交における安倍ロスは誰がやっても埋まらないので、安倍政権の経済政策が継続されるのであれば順当な選択でしょう。今でもインバウンド6,000万人を掲げIRなど素直に同意できない政策もありますが、民泊推進やラブホテルの一般ホテルへの改装支援、国立公園内の高級ホテルにも前向きな令和おじさんは観光、宿泊業界にとっては救世主かもしれません。平成おじさんから首相になった小渕首相をビートたけしが、まずいと思って食べたら意外と美味かった「海の家のラーメン」と評したように、安全保障、景気回復、成長戦略で望外の実績を上げてもらいたいと思います。
究極のグルメ
人は食べることに興味を持ちますが、最近の関心は食べないことです。体重は高校以降で最も軽い57kgになりましたが、今のところ健康状態は良好で登山のコースタイムに低下は見られません。人類誕生以来、食べることは最も大切な欲求であり疑念を挟む余地はありませんでした。体内合成という人体の不思議なメカニズムが次第に明かされ、エネルギー産生システムが3系統あることが広く知られるようになったのは比較的最近です。固形物を摂らずに生きる不食者は世界に数万から十万人に及びNASAの研究対象になっています。人間は経験から学ぶ存在であり、それが荒唐無稽な仮説だとしても自分の経験に根ざしたものであれば強い信念を形成します。ライトイーターと呼ばれる基礎代謝の半分程度のエネルギー摂取で生活することは経験的に可能だと思います。現代の栄養学と常識では説明できませんが、不足するエネルギーは食事以外の何らかの方法で体内合成している可能性があり、究明が進むと不食のメカニズムが解き明かされます。もし不食が可能になれば食べることは純粋な楽しみとなり、そのとき人は究極のグルメに到達するのでしょう。
登山は合理的な運動
昨日は300km超を始め海外の主要レースに出るトレランの友人と八ヶ岳に行きました。権現岳は雲のなかで眺望はありませんでしたが、雨まじりの天気でコケの美しさが際立ちます。今朝は編笠山、西岳に一人で登りそれぞれに楽しみがあります。ハイキングは遅い人に合わせますがトレイルランナーは速い人に合わせますので人と登ると練習になります。一人の登山は自分と向き合うために有効で、山は体を鍛えるジムであり、心を整える僧院にもなります。連日山に入るとかつての記憶を筋肉が取り戻すのか、体が自由自在に動くようになり、下り道が楽しくなります。登りは持久力のある赤筋を使うのに対して、下りでは体重の何倍もの負荷を受け止めるために瞬発力を発揮する白筋が使われます。引き延ばされながら何度も衝撃を受け止めることで筋肉繊維が破壊され、筋肉が回復する段階で大量の成長ホルモンが分泌されます。成長ホルモンは血管の強化や肌のハリも良くするなど若返りホルモンとして注目され、さらに白筋は回復すると太く強化されエネルギー源である糖質を吸収し糖尿病改善効果も指摘されます。バランスよく全身の筋肉を鍛えられる登山は合理的な運動だと思います。
フォロワーシップなき日本
昨日は長野市に行きました。中心街の日中の体感温度は33、4℃ですが、人通りのある長野駅周辺を15分ほど歩いてもマスクをしていない人は2人だけです。真夏日の炎天下に強制されたわけでも、効果があるわけでもないマスクを徹底できる国は強権的な独裁国家を除いて日本しかありません。一方で冬になると毎年やって来てより多くの人が死ぬインフルエンザは野放しでした。マスメディアと同調圧力でここまで統制できる国を誇らしく思うよりも薄気味悪く感じます。地球上の文明の中で有史以来一国家一文明を維持してきた国は日本しかないとサミュエル・ハンティントンは言います。GHQ以外に占領されたことのない島国日本は長期的視点に立ち一枚岩になれる側面があり、それが製造業の現場力として世界を席巻したと思います。日本ではリーダーシップの問題が取り上げられますが、本来のリーダーシップには自律的な判断力を伴うフォロワーの存在が不可欠です。皆がマスク警察に加担する日本には、見識が問われるフォロワーシップが欠如していると感じます。一部の業界においてもムラ社会の横並び意識が環境適応を遅らせていると思います。
昨晩のことは記憶に無いのに
歳がバレるのですが、三島由紀夫が数奇な運命の末に市ヶ谷駐屯地で自決したときも、そして19年前の今日、米国で同時多発テロが起きたときもどこで何をしていたのかはっきりと覚えています。記憶には意味記憶とエピソード記憶があり、出来事に関連づけて覚えるエピソード記憶は時の流れとは無関係に鮮明に残ります。昨晩の夕食の記憶は怪しいのに、19年前の今日、どこで誰と会い、食事は何を食べ、誰と電話で話し、その内容まで記憶しているのはわれながら驚きです。19年前の今日は関西にいて午後はホテルの客室で仕事をしていました。日中は暑く、空気が澄んだ日で、印象に残っているのが客室から見た瀬戸内海に沈む夕日の美しさです。凪いだ瀬戸内海に面する山々がはっきりと見渡せ、その上空の雲に太陽の光が黄色く反射する美しい光景に見とれました。感動を生むビジネスをやらなくてはならないとそのとき感じたのですが、この19年にどれほど進歩したのかは考えざるを得ません。人生には啓示を受ける瞬間があり、テロ攻撃が起きる4時間ほど前がまさにその時でした。
途中で止めるフルコース
最も人気のない家事は炊事でしょう。それは食事を堅苦しいものにして自分でハードルを上げているからだと思います。育ち盛りの子供がいるお母さんは大変ですが、自分のための自炊なら気楽です。最も効果的な手抜きは食事の回数を減らすことで、一日三食の思い込みを捨てお腹が空いたら食べるようにするだけです。歴史的には二食時代が長く、さらに遡れば数日に一度食べられるかという時代もあったはずです。空腹を待って食べると一日1.5食程度に落ち着き、食事を作る手間は半減し肥満とも無縁で健康になります。一日30品目食べようなどと考えず一汁一菜なら味噌汁を作り置きして漬物でもあればあとはご飯を炊くだけです。一人のときは、まず一品作って食べてお腹が空けばさらに一品作る受注生産方式、つまり途中で止めるフルコースみたいなもので、2、3品食べると「もういいか」という気になり食べ過ぎを防げます。料理が最初から並ぶと食べてしまうのが人情です。料理の基準は冷蔵庫を開けてから3分位内の手間で作れること、美味しくかつ飽きないこと、運動をするために必要な栄養を摂れることで、視点を変えると料理は五感を磨き、感性を研ぎ澄ます創造的な活動になります。
バカバカしくて笑うしかない?
2013年に放送された前作が平成のドラマで一位の42.2%という驚異的な視聴率を出した「半沢直樹」は、今作でも令和最高の数値を出し今年最大のヒット作となりそうです。新人類と言われたバブル入行組の作家が描くアナザー・ワールドの偏狭な組織は、「沈まぬ太陽」などの企業批判とは異なり、もはやバカバカしくて笑うしかないというレベルで、それが悪を懲らしめる水戸黄門的な痛快さに現れていると思います。7月末にルノーが発表した半期の純損失は過去最高の巨額赤字で、その3分の2がかつては金のなる木だった日産の赤字によるものです。日産の中国企業への売却を避けたい経産省はありえないホンダとの経営統合を画策したとされます。日本企業の再編加速を予測する外資ファンドは対日投資に意欲的です。一方で日本の大企業は、未だに「半沢直樹」が描いた垂直統合時代の自己完結的な閉鎖構造と古い価値観に浸り、外部のアイデアを組み合わせるオープンイノベーションの時代になると、ムラ社会の弊害による意思決定の遅さや低い生産性が深刻な問題となりそうです。
水辺にサウナは必須?
久しぶりに物欲を刺激するものを見つけました。屋外に設置するテントサウナで、持ち運びができ、これほど素敵なものが数万円から10万円台で手に入るなら安いと思います。サウナを作ると建築費に加え毎月の光熱費も結構な金額になりますが、燃料の薪は甲子高原なら安価に入手できます。国立公園内なので難しいのですが、冬の阿武隈源流を水風呂代わりにできたらなどと妄想します。昨年日本に上陸したロシアのモルジュ(MORZH)のように、これらの製品はロシアやフィンランドの軍用モデルの民生品という点も引かれます。昨今サウナが注目されるのは確実かつ効率的に脳と体を整えるコンディショニング効果で、サウナ、水風呂、外気浴を素早く実現するのに屋外サウナは最適です。脳や身体の疲労を回復させる深い徐波睡眠が延長され、ヒートショックプロテインが抗酸化力とインスリンの感受性を上げ、心筋梗塞や認知症、アルツハイマー病のリスクが下がることが報告されています。水辺にある宿泊施設にとって屋外のサウナは必須になる予感がします。(写真のサウナは据え置き型です)
安心というエゴ
週末に某上場企業の商業施設に行ったとき、マスクがないことを理由に入店を拒まれました。民間企業の施設ですからどのようなガイドラインを作ろうと勝手ですし、時代の空気はマスクが完全に正義です。しかし、科学的根拠も有効性の証明もないマスクを強要して過度に恐怖を煽るのはやめるべきだと思います。高規格の医療用マスクを別として、それらしき不織布や布で口を覆って得られるメリットは顔を触らないようになる、喉の湿度が保たれることぐらいで、WHOも手洗いや咳エチケットを重視します。マスクをしてのランニングの危なさは花粉症の季節に実感しましたが、暑さのなかマスクによる死者も出ました。迷信を鵜呑みにするマスク警察が世界中に広がる現象は21世紀の珍事でしょう。安心というエゴのために数百億の損失を出した築地移転のように、根拠もなく何となく不安が既定路線になることは問題です。そもそも新型コロナの死亡者のカーブは自然死より高齢側に振れているとの指摘もあります。何となく決まった空気に従う従順さの怖さは、国民ヒステリーの暴走が国の方向性さえ誤らせることだと思います。
現代に再興した修験道
昨日は八ヶ岳北端に位置する日本百名山の蓼科山(2,531 m)に登りました。30万年前に噴火した溶岩ドームは円錐形の美しい山容で、山頂には蓼科神社の奥社があります。吉野、蔵王、熊野、石鎚山、羽黒山などの霊峰に行かずとも、身近な山に分け入ると山岳信仰や山林修行の面影に触れることができます。欧米中心のトレイルランニングの歴史はせいぜい半世紀ですが、日本各地に存在する修験道は千数百年の歴史を誇ります。世界に類を見ない登山そのものを教義の中心に据える修験道は修行の場である山を素早く移動する文化的背景を持ち、そのストイシズムの正統な後継者はスピードハイクやトレイルランだと思います。登山の身体的行為を通じ一種の修行を行うトレイルランは、自然を慈しみながら自身と向き合うことにおいて修験道と同じです。明治5年の修験道廃止令により制度宗教としての修験道は解体を余儀なくされ天台宗や真言宗に組み込まれました。山歩きに全霊を傾けて人間の感覚を研ぎ澄ませて行く修験道のエッセンスは、トレイルランという一般人のための宗教として物質至上主義の現代に再興したのだと思います。