マインドフルネスブームの迷信

人は食べなくても何日も生きられますが、呼吸が止まると数分で死にます。昨日読んだ「人生が変わる最高の呼吸法」は、呼吸に対してあまりに無頓着過ぎることを考えさせられる本でした。喘息を始めとした不調の原因が吸い過ぎにあるというのは盲点です。鼻呼吸の有用性は知っていましたが、マインドフルネスや呼吸法の本が、この点を強調してこなかったことは意外です。日常生活と中程度の運動を鼻呼吸で行い、息を止めるトレーニングにより高地トレーニングと同じ効果が得られると言います。食べ過ぎが身体に悪いことは大半の人が知っていますが、水の飲み過ぎと空気の吸い過ぎについてはいまだに誤解や迷信があると思います。呼吸の目的は体内にある余分な二酸化炭素を排出することですが、排出されずに体内に残る二酸化炭素が一定量残っていないと正しい呼吸ができない点を見落としていました。無節操なマインドフルネスブームは深い呼吸という迷信を広めていますが、安静時も運動時も軽い呼吸を心がけるだけで健康と運動能力の向上に効果があるという話は、痛快ですらあります。

幸福の正体

戦後最悪の放火殺人事件に接すると、幸福を語る軽薄な愚かさを思わずにはいられません。豊かな生活や幸福を求めるパラダイムこそ不幸の起源であり、求めることではなく気づくことが見落とされています。幸福は難しい話ではなく、健康、人とのつながり、情熱の3つだと思います。突然失われた33人の日常にはおそらくそれがあったはずです。たとえ他のすべてを失ってもこの3つが残れば人生は満ち足りたものになり、ことさらに幸せを求める意味などなくなります。手垢のついたステレオタイプの幸せは一見魅力的で人々を引き寄せ、そこには金脈があります。幸福をネタに商売をする人に共通するのは、幸せを阻む恨みや執着など金にならない現実的、本質的な問題には目を向けないことです。人生の喜びは自分で見い出すものであって人から与えられたり教えられるものではありません。都市がもたらすお気楽な快楽がないと幸せを感じられない人は不幸です。幸福ビジネスは、すでに充たされている人にその事実を知らせず、いつも欠乏を感じさせ幸福を追い求める幻想で金を取ろうとします。

功利主義と規範主義の違い

日本工学院に行く木曜日はスポーツのことを考えます。スポーツは成長戦略における注目セクターでありながら、十分な雇用や給与水準を実現できていません。日本版NCAA(全米大学体育協会)として、一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS)が2019年3月に発足しましたが、米国ではテキサスA&M大学のように、単独の大学で年間100億円近い営業利益をあげるケースもあり、学生スポーツのビジネス化において日米の差は歴然としています。この背景には学校教育に対するスタンスの違いがあると思います。学生スポーツがショービジネスとして成立する米国の場合、部活動は限られたスポーツエリートのために存在するもので、多くの学生にその価値を提供し公平性が担保される日本とは異なります。学生スポーツをビジネス、すなわちエリート偏重の労働者と考えるか、教育として学生への公平性の担保を優先するかの違いです。この功利主義と規範主義の背景の違いを理解せずに、1990年代以降おかしな企業経営を始めたことがその後の失われた20年を生んだと思います。

脳の生活習慣病

学生と話すと過半数が考えることが苦手な印象を受けます。いつから自分が考えることが嫌いでなくなったのか定かではありませんが、最近まで運動が苦手でしたので思考嫌いの気持ちも似ていると思います。筋肉も脳も負荷をかけて鍛えれば年齢に関係なく成長を続け、さらに鍛えたくなり気持ちが前向きになりますが、人間は面倒が嫌いで本能的に楽を求め、運動も思考も避けようとします。思考にも三大生活習慣病があると思います。狭い関心以外に興味を示さない「思考の放棄」、識者の意見を鵜呑みにする「思考の依存」、偏った思い込みの「思考の歪」です。これらの症状は出身校の偏差値とは関係がなく、記憶力勝負の学力を奨励してきた日本の教育は思考力を育むのに不適です。旅館事業の継続は自分の思考の多くを占めますがこの課題があるから、何を見てもビジネスモデルを考えたり、収支計算をしたり、人の動きを観察したり常に無意識のシミュレーションをします。脳も筋肉も惜しみなく使い切ることが生きる力を高める健康の鍵だと思います。

都市は与件ではない

短期間ながら福島に住んだことで生まれ育った東京を当事者ではない新たな視点から見るようになりました。表参道や青山に行きますが、マイバッハやフェラーリが生息し、マクドナルドのランチをウーバーイーツがピックアップする光景が昔なら好ましく見えたかもしれません。今は足早に歩く人の物憂げな表情に目が行きます。きっと自分もうつろで憂鬱な表情をしているはずです。自然のなかにいる時、人は晴れやかで穏やかな表情になりますが、それは単に週末だからということだけではないと思います。ニュージーランドで10ヶ月を過ごした高校生の娘は日本に定住する気はないといいます。自分の世代には日本まで捨てる勇気はありませんが、疲れるだけの東京に未練はありません。都市からお金と多くの便宜を得る人が世界の人口の半数を超え、いつしか都市は生きる与件としてわれわれの人生を支配するようになったと思います。

人生にはスパイスが必要

東京都から長野県まで雲取・甲武信・金峰・瑞牆の4つの百名山を通る「分水嶺トレイル」が週末に開催され、妻が出たのですが、夜通し雨に降られ滑落するなど悲惨な状況だったようです。ひどい風雨のなか全身びしょ濡れになりながら暗闇の森を一人、ドロドロの登山道を通常のトレイルレースよりはるかに重い荷物で登り、低体温症で一睡もできず胃の調子が悪く何回も戻したと言います。世間的には理解困難な冒険旅行の魅力は、人間の持つ生きる力をリブートさせる旅にあると思います。いつでも止められる葛藤と戦いながら肉体と精神の限界が近づくとβエンドルフィンが分泌され幸せな時間が訪れます。平日は空調のきいたオフィスの安楽な環境でお金をもらいながら仕事をして、一方不快で悲惨な状況をレジャーとして楽しむアンバランスさこそ現代消費の特徴でしょう。美味しいものを食べきれいな景色を眺めて温泉につかるお気楽旅行と、悲劇的な冒険旅行を矛盾も感じず同時に楽しむ人が増えています。従来の安楽レジャーに欠落するのは人生にはスパイスが必要だという観点です。肉体が弱るのは気力を失うからであり、楽しみや快楽だけを求めるレジャーは、知らないうちに自分の肉体と生きる力を蝕むと思います。

最も安上がりな健康法

健康に必要な運動、食事、睡眠のうち、運動と睡眠の方法は多少の相違があっても概ね識者間の合意が得られると思います。しかし何を食べるべきかについては、少食が良いとかバランス良く何でも食べるといった一定の合意以外、諸説入り乱れています。玄米菜食の時期もありましたが人間は草食動物に近い雑食性だと思っていて、今は魚も肉も食べます。重要なことは昨今の過度な肉食奨励など極端な食べ方をしないことと健康リスクの高い食材を避けることだと思います。トロや霜降り肉といった日本人が信仰する高級食材は健康被害の可能性がありますし、加工肉をはじめ流通する肉や養殖魚は抗生物質や成長促進剤が、加工食品には添加物が、外食なら殺菌や食中毒も無視できない健康リスクです。現代社会で空気や水、食材から健康リスクを排除することは不可能ですが、有効なのは食べる瞑想で、食べ物に意識が向くと30回ぐらい噛むようになり、食べるスピードも落ち、自分の食べるものに自然と注目しますので、最も安上がりな健康法だと思います。

必要のない幻想を売る必然

読書やスポーツが趣味ですが、以前は旅行、ドライブ、ホテルめぐりが加わっていました。今でも旅行を楽しみますが、写真のなかの思い出にしか残らない虚しさを感じ、仕事や用事の必然がない旅に出なくなりました。昔の旅は行商や巡礼、湯治などに限られていたはずです。19世紀以降に普及した楽しみとしての旅は今後衰退し、一方で学ぶための旅や働く手段としての旅、転地を伴うリトリートは増えると思います。ドライブも同様で以前は楽しみのために車を走らせましたが、今は必然的な移動を車で楽しむようになりました。ホテルめぐりも同様で、バーチャルな世界と割り切って楽しむ消費から関心が遠のきました。高級と言われる商材は、消費者が本当の顔を隠し仮面をつけてゲームとして楽しむものだと思います。高級という概念が本格的に商業化されたのは産業資本家がかつての支配階層の生活様式を模倣したことに始まり、消費者は自尊心を満たすフィクションを欲しがり、一方で事業者は買う必要のない幻想を売る必然があり両者のニーズが合致したのだと思います。

失う不安がない幸せ

二十歳前後の学生と話していると、自分の学生時代に興味の対象であった自動車や旅行などの高額商品への関心が低いのは明白です。以前なら消費への憧れが仕事や勉強のモチベーションになりましたが、今の若者は違います。一方、内閣府の「国民生活に関する世論調査」では7割の若者が今の生活に満足し、他の世代よりも高い割合です。国際比較で見てもThe Global Youth Wellbeing Index で日本の若者は7位に上位ランクされます。希望を失うから幸せを感じるという意見もありますが、収入や世帯消費支出が減るなかで高額消費に関心を示さなくなるのは環境適応に見えます。意図してそうなったのではないにしても、お金を尺度に幸せを測らない傾向は本質をついていると思います。手痛い失敗を契機に消費への関心を失った今のほうが以前より幸せを感じる自分のように、失うことで本質を得るものかもしれません。いくら金銭的に充たされていても情熱や愛情や健康を失えば心は満たされません。持てば失う恐怖が人を不幸にします。お金があれば何でもできると思っても時間を取り戻すことも愛情を買うこともできません。持たざる若者は失う不安がない分幸せなのかもしれません。

20年経ってもまだ半分

週1回学生と接するとき自分の年齢を考えずにはいられません。自分が使うたとえ話が彼らが生まれる前の話だったりするとき、月日の過ぎるスピードを感じます。アラフォーになったのも随分前ですが、若いと思っていたのに人生が半分しか残っていないことに愕然としました。しかし、寿命が伸びているためか、単に楽観的なのかあれから20年ほど経った今でも人生が半分残っていると思います。ヘイフリック限界を信じるならヒトの寿命は120歳あたりですから、まだ半分しか生きていないと強弁できます。年を取ることを人はネガティブにとらえますが、脳も筋肉も成長を続けることが分かっていますので、悲観する必要はないはずです。人は生まれたときから死ぬ運命にありますが、悪夢は身体が徐々に弱り人生の残り時間に怯えながら暮らすことだと思います。人体はよくできていて、間違った使い方さえしなければ生活に不自由なく寿命を全うでき、老年的超越により年を重ねるほど幸せになると信じています。

Translate »