総花的な働き方改革

今朝は雨の高尾山に行きました。雨天はトレイルランナーにとって好都合です。ハイカーのいない森で雨音に癒され、すべる路面を走る練習ができます。高尾山の山頂に着く頃には全身に血流が行き渡り頭も冴えてきます。オフィスにフィットネス設備を持つ企業も増えていますが、朝一番の運動と知的生産性の相関を示すエビデンスが以前からありながら、この考え方を積極的に導入する企業は皆無です。単位あたり生産性で欧米の6割とされる先進国最低の生産性に無頓着な企業が多いのは奇異に見えます。働き方改革や健康経営は本来生産性に直結する議論なのに、分離されることに不自然さを感じます。政治主導の議論はいつも総花的で成果もあげてこなかったと思います。

「知らぬが仏」は幸せ

「知らぬが仏」は優れた人生訓だと思います。この言葉に続く「知るが煩悩」は日常使いませんが、比較の対象が増えるほど人は不幸を発見します。ぼくは自分の車がフィアットなので、イタリアではフェラーリを乗り回すお金持ちより、フィアットに乗らざるを得ない庶民の方が幸せだという仮説を持っています。フェラーリを持てばフェラーリにふさわしい生活をしますが、フィアットはどう使おうが自由です。幸せと高い相関を示すのは何ものにも拘束されない自由な生き方であり、自分の生活を物に既定されたくありません。運転しても自分の体のように小さく非力なフィアットは生きる高揚感に包まれます。

17年前の内なる声

17年前の昨日は大阪にいて、ホテルの客室から見た18時過ぎの光景が印象的でした。日記によると、瀬戸内海に面する山々に沈む太陽の光が上空の雲に黄色く反射して美しい光景を作り出していました。ハイジャックされた2機の767が貿易センタービルに激突したのを知るのは22:00過ぎの緊迫したテレビのニュースです。当時勤めていた外資系企業の社員3名が犠牲になったことは後日知りました。日記は、人間の愚かな行い、景気への不安とともに、感動を生むビジネスをやらなくてはならない、と締めくくられています。17年が経った今もまだその途上にいます。

誰も実行しないパタゴニア型経営

昨日の朝は誰もいない北高尾に行きました。「社員をサーフィンに行かせよう」というパタゴニアの主張はまっとうで、朝一番の運動は脳によい影響を与えます。目覚めたばかりの山の清涼な空気を全身に取り込んでから仕事を始めるのと、酸欠状態の満員電車で身動きも取れない状態で会社に行くのでは生産性が異なります。運動は「副作用のない精神安定剤」と言われストレスを緩和する作用もあります。アメリカのハードワーカーと日本の長時間労働者の違いは主体性と成果の帰属先にあると言われます。前者は自ら望んで仕事を行いその結果が自分に帰属するが、日本では職場の雰囲気や指示でいやいや働かされるため、日本の生産性はアメリカの6割ほどに留まります。パタゴニア型経営の本やセミナーは日本でも人気なのに、実行した企業の話は聞いたことがありません。新入社員であれ経営者であれ、自分のモチベーションを最大化することこそ最優先すべきだと思います。

今を生きる死への寛容さ

同級生の訃報に接するとき、普段は思考を封印している死を考えます。死がなければ人生は絶望的に退屈な時間だと思います。この瞬間も自分に残された時間がカウントダウンされるからこそ、今日一日を真面目に生きる気持ちになります。2年前に個人事業者になったのは、惰性で繰り返される同じ毎日に残りの人生を費やすことに我慢ならなくなったからです。困難や恐怖がありながらこの2年間絶望しないで済んだのは、一見安定的な人生を送っていた時より死に対して寛容になれるからです。丁寧に食べ、丁寧に人と接し、丁寧に仕事をして、すべての瞬間と真摯に向き合いたいと思います。

憑き物が落ちる人生最良の瞬間

どうせならかっこよく生きたいと思います。洒落た服を着たり、いい車を乗り回したいという話ではありません。いまやビジネス界では「クレイジー」がほめ言葉であるように、トレラン界では「変態」が最高の讃詞であるように、型破りな方法で生き生きと何かに没頭したいのです。ミハイ・チクセントミハイの言うフロー状態に入ると誰かがぼくの体に乗り移ります。自分の体とは思えないほどの速さで山道を下り、岩を飛び越えてから着地場所を探す時など脳より先に体が動きます。陶酔感とも違うのですが、憑き物が落ちるようなさわやかな感覚になります。次の課題は人生最良の瞬間であるフロー状態になれる仕事をすることです。

健全な向上心の芽生え

古来より山はインスピレーションを与える神聖な場所だったと思います。山の空気が体中に注入され余分なものが抜け落ちたのか、トレイルレースから一週間も経たないのに山に行きたくなり今朝は高尾山に行きました。2、3年前がそうだったように、またトレイルレースに出たいという高揚感があります。成長への意欲、すなわち向上心を失うとき、老いは始まると思います。生きる活力を失い楽ばかりを求める生活はしたくありません。レースではぼくの前に4人の50代の選手がいて、その時間差は圧倒的で追いつけるレベルではないのですが、それでももっと速くなりたい、強くなりたいという意欲に火をつけます。スポーツは損得のないシビアな世界で、健全な競争心や向上心が芽生えます。企業組織でこうした意欲が芽生えないのは目標になるような上位人材が不足しているからだと思います。

日常の偉大さ

関西と北海道を襲った災害は都市生活のもろさを露見します。東京でも先日の強風で電車が止まり多くの人が狭い車内などに足止めされました。普段は気にも留めない日常生活の偉大さをこんなときに改めて感じます。いま自分が使っている電気も照明も空調も水も食べ物も全てが偉大な贈り物であることを忘れてしまいます。無駄な消費をして、乱暴に食べて、さらなる快楽を人は求めようとします。失ったときにその偉大さに気づくのに、人は当たり前の日常に満足しない過ちを繰り返します。体を壊すまで誤った生活習慣を正そうとしない現代の生活が社会保障費を跳ね上げていると思います。自然のなかでの活動は、人がより少ないもので生きていけることを教えてくれます。

優秀組織の無能化メカニズム

1ヶ月ぶりに日本工学院の授業で八王子に来ました。高尾山の山並みが迫ると、まだ筋肉に痛みが残るのに山に行きたいと思う精神状態は自分でも説明がつきません。誰もが自分らしく生きる場所を探していると思います。トレイルレースの写真を見るとどの選手の顔も生き生きと輝いています。こざかしいルールがはびこり小利口に立ち回る器用さが求められる現代の職場では決して見ることがない笑顔です。優秀な人が多いはずの大企業に限って機能不全に陥る理由は、ローレンス・J・ピーターの提唱する階層社会学により無能化のメカニズムが解説されています。古いタイプの階層組織の役目は終わったとぼくは考えています。(写真は昨年のOSJ安達太良山トレイルレースの写真を拝借しました)

人を本気にさせない職場

二年ぶりに出たトレイルレースのダメージは大きく、丸二日が経っても足のむくみは引きません。普段はほとんど走ることがないのに、レースがスタートした途端に、あたかも誰かがぼくに乗り移ったように標高差600mほどの山道をそれなりのスピードで5回も駆け下りる代償は少なくありません。個人競技のトレイルレースは一人で考え判断するセルフマネジメント、セルフレスキューが基本です。趣味であれ仕事であれ本気で生きてこその人生だと思います。一方チームで行うことが多い仕事の場合、精神を蝕まれるような職場が目立つ現代、本気で取り組む対象にはならないのかもしれません。多くのサラリーマンはすでにできあがった儲けの仕組みの上でルーチンワークをするだけです。過労死やパワハラは看過できない問題ですが、コンプライアンスや時短にがんじがらめにされた組織は、人を本気にさせる場所ではないのかもしれません。

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