60代、70代が現役

にわかラグビーファンを増やしたワールドカップは、アイルランド戦の歴史的勝利という世紀の番狂わせで予選プール首位に立ち、盛り上がりは最高潮に達した感があります。食わず嫌いならぬ見る機会がないためにラグビーには興味がありませんでしたが、ゲーム展開が早くアスリートらしい肉体の躍動に引き込まれます。周りには元ラガーマンは少なくありませんが、今でもプレーをする人はほとんどいません。運動能力の低下や怪我のリスク、蓄えた脂肪も理由で、中高年でも続くスポーツで人気なのは野球とゴルフでしょう。どちらもあまり動かないスポーツで野球選手のBMIはアスリートとは言えないレベルにあるとの調査もあります。学生以来30年のブランクを経て自分が突然スポーツを始めたのは20kgの減量のおかげで、元の体重では走ることもできず足を壊していたはずです。スポーツをする素晴らしさは高揚感がやる気スイッチを入れ自らを律すること、加えて人間関係の広がりと学生時代の記憶が蘇る若返り効果だと思います。トライアスロンやトレイルランニング人気が衰えないのは60代、70代になっても現役として参加できる競技だからでしょう。

幸せの代償としての消費

マインドフルネスが世界的に注目されるのは、自分を見失うほど世俗の雑音が耐え難いからだと思います。あらゆる面で人との比較を強いる都市は心身を疲れさせ深い安定をもたらす自己の内面と向き合えなくなります。本音を隠して生きると、やがて素で生きることができなくなり心と身体のバランスを崩し最後は自分さえ信じられなくなります。収奪装置としての都市はフォーカシングイリュージョンである飲食や娯楽、高級品などの消費で魅了し、お金で悩みを解決しようとする快楽脳を歓迎します。都市が人を引き止めているのは華やかな消費ですが、なりふり構わない経済成長が終わった日本に、都市を延命させる理由は無くなります。世界人口の過半数が都市居住者になったのは5年ほど前ですが、都市が本来の居場所でないことは誰もが知っています。人体は自然の摂理に従い生きることがデフォルトで無機質な空間での生活は人類史の異常事態です。福島にいる頃は那須連山を望む旅館の隣の丘から阿武隈源流の川音を聞くだけで幸せでしたが、東京にいると幸せな時間を実感できません。それを癒やすためには消費を繰り返すことが必要なのでしょう。

残飯でさえ美味しい?

意図した断食ではなく、ストレスから5日間何も食べられなくなったことがあります。雪に閉ざされた真冬の甲子高原で6日目に食欲を感じるようになり、そのとき初めて普段の食欲は仮初の欲求だったことに気づきました。多くの宗教が伝統的に断食を行うのは、身体に静寂を取り戻すことで狂った五感を補正する役割を経験的に知っているからだと思います。そのときはご飯と味噌汁、たくわんが無性に食べたくなり、おそらく捨ててある残飯でも美味しく感じたと思います。生きるための食欲こそ人間本来の欲求ですが、飢餓を知らない現代人は微細な味の違いとステレオタイプの記号を消費します。ボードリヤール(Jean Baudrillard)が「消費社会の神話と構造」で述べたように、大量消費社会におけるモノの価値は、モノそのものの使用価値や生産に利用された労働の集約度ではなく、商品に付与された記号にあると思います。人は美味しそうな料理という外部世界で形成されたコードに従い、映画「マトリックス」が描いた仮想現実の世界を生き、自己説得してでも満たされたいのだと思います。

健康に通ずる道

類は友を呼ぶのか回りには健康オタクが多く、そのため以前は誰もが健康が好きなのだと思っていました。しかし、実際には世間の多数は健康嫌いで、少なくとも積極的に好きな人は少数派です。健康は窮屈な生活を強います。食べ過ぎはいけないとか運動をしないといけないとか、ネガティブリストとポジティブリストを見るだけで、死んだ方がましと言う人さえいます。一方で健康を気にして検診を受けるほど、医師の介入を受けるほど早死にするという調査結果もあります。健康に良いと称する食べ物や健康法が次々と消費され、以前の常識が書き換えられるいかがわしさは誰のための健康なのか疑問も感じます。科学的なデータは参考になりますが、一番信頼するのは自分の感覚です。自分の身体を注意深く観察すると不調や健康リスクに対して敏感になります。加えて信用するのは生理的な欲求である生体恒常性と伝統的な生活です。世界の長寿郷における伝統的な生活は国や民族、宗教が違っても概ね菜食、生涯の仕事、豊かな人間関係と、現代の都市が失ったサーカディアンリズムに従う生活という点で共通しており、そこに健康に通ずる道があると思います。

食欲は何を満たすのか

昨日は36時間食事を抜きました。トレイルレース中の補給で負担をかけた胃腸を空にして正常な食欲を取り戻すには間欠的断食(Intermittent Fasting)は最適の方法です。共感を得にくい考え方でしょうが、美味しいものを食べるためには、少なくとも一日は食事を抜くことが必要だと思います。食べない時間が続くと食べることにストイックかつ敏感になり、普段以上に深く味わおうとします。食べるから食べたくなるのであって、食べないでいると不思議と食欲は減退して行きやがて本当の食欲が現れます。マインドフルネスで言う食べる瞑想は普段は気づかない味覚の繊細さを発見でき、日常的な過食が味覚を鈍くしていることを戒めます。食べなければ人は死にますが、生活習慣病の大半が食源病であるように食べ過ぎも人を殺します。食べないことで体の内側に静けさが戻り、普段から胃腸がいかに重労働をしているか理解すると、食べることを無批判に賛美できなくなります。食欲とは気のせいであり、お腹が空くから食べるのではなく、食べなくてはいけないと思う空腹感で習慣的に食べていると、食欲が何を満たそうとしているのかが分からなくなります。

ゴールの清々しさ

トレイルレースから3日が過ぎても痛めた腰と下半身の筋肉痛は引きません。ゴールした後に足を引きずる選手もいて満身創痍といった状況で過酷なレースが身体に良いはずがありません。お気軽で安楽なレジャーが幅を利かせる現代にあって、プロでもない多くの選手が自らを困難に追い込む心理は当事者ながら理解し難いところがあります。2時間早くスタートした140kmのトップ選手は、すでに30kmをあとにしたとは思えないスピードで山道を駆け下りて来ます。まだゴールまで110km以上の距離を残しているとは思えない速さで走り抜け、その半分の距離でも断念した自分との違いを見せつけられます。それでもトレイルランニングは高齢化する日本に適したスポーツだと思います。世界最高峰のレースUTMBでマルコ・オルモが優勝したのは還暦間際の59歳で、しかも2年連続優勝という快挙です。全盛期にあった日本のトップランナーの鏑木毅氏に3時間の差をつけたイタリアの英雄がトレイルランニング始めたのは40歳と言います。丸一日以上走り続けるエンデュランス系レースでは、燃費の悪い解糖系エネルギー産生より、脂肪を燃焼してエネルギーに変える方が有利で、更年期を過ぎた中高年の体に適したスポーツと言えます。ゴールシーンがいつも清々しいのは、老若男女を問わずスポーツに挑戦するとき、人が一番輝くからだと思います。

筋肉と同様に脳を鍛える

たまにしか激しい運動をしないためにレース後数日は筋肉痛が残ります。運動にはその強度に耐え得る筋肉を鍛える必要がありますが、なぜか仕事をするときには業務の手順は勉強しても脳を鍛えて能力を最大化する発想がありません。われわれの生活の多くを経済行為が占めているのに、新しい発想で脳を活性化してこなかったことは不思議です。一世風靡したブルーオーシャン戦略は自社のポジショニングやバリューカーブを他社と変えることで競合のいない市場環境を作り出しますが、同じ競合回避でも業界の閉鎖性により競争を避ける思考停止こそが斜陽産業を生み出したと思います。タクシー業界や宿泊業界など法規制などの参入障壁により新種のプレイヤーを排除する業界は少なくありません。1970年代の米国で航空規制緩和によりLCCが飛躍的に増えた時代があり、やがて危険な飛行機が空を飛び始めた苦い経験はあるものの、その経験がなければ今日われわれが低廉な価格で飛行機を利用する時代は来なかったはずです。必要なのは時代環境に適した従来と異なる発想に脳を使い、筋肉と同様に鍛えることだと思います。

怠惰な生活への懺悔

トレイルレースに限らずあらゆる運動やスポーツではトレードオフの克服が鍵だと思います。レースになると競争本能がそうさせるのか前に人がいると取りあえず抜こうとし、そのことがスピードアップにつながります。自分のように順位を気にする必要のない人までが早くゴールに着こうとしますが、エネルギー効率を縦軸にスピードを横軸にとるU字曲線を思い出します。スピードと消費エネルギーは比例しますので、前半にスピードを上げてしまうと後半にエネルギーが切れ、このトレードオフは筋肉とスピードの関係や、装備品の重量と体力消耗の関係にも生じます。自分のように78kmを走る筋肉やスタミナもないのに、ほとんど練習もせず20km程度のスピードハイクでレースに出てしまうと全身の痛みとしてその無謀さを戒めます。昨日出たレースには千数百人が参加し、自らの気力と体力の限界に挑む旅が人を集めるのは、安楽な環境では人は成長できないことと関係があるかもしれません。辛いことや不快なことも含めて自らの感情変化を楽しむ昨今の冒険旅行トレンドに似て、今の時代が持つ何らかの願望が人々を引きつけているはずです。自分の内面と向き合うストイックな旅は日頃の怠惰な生活への懺悔と言えるかもしれません。

自分を変えたい

今日は上州武尊山スカイビュートレイル(78km)に出ました。自分にとっては十分に長い距離ですが多くのFB友達は倍の144kmに出ています。バーチカルレースのようなスキー場の登りとハイスピードで下るゲレンデの衝撃で腰を壊し48km地点でリタイアしました。心残りは昨夜娘からラインで送られてきたベストを尽くすように、という言葉です。誰もベストの状態で臨めるレースはなく辛い条件は同じですからベストを尽くしたと言い切れない気持ちが残ります。走ることが嫌いで不得意な自分がなぜレースに出るのかうまく説明ができません。レースが持つ一種の達成感、高揚感は魅力的ですが、レースが近づくと憂鬱な気分になります。今もゴールでフィニッシャーを迎えるアナウンスが聞こえますが、あのゴールに立ったとき、きっと新しい自分に出会えるのだと思います。写真は前半のハイライト武尊山(2,158m)山頂からの眺めです。

始まるポストバブル消費

団塊世代が後期高齢者になる2025年問題が取りざたされます。単に例年の倍の人口というのみならず、この世代独特の感覚が消費をリードしてきたと思います。1980年代の後半に社会に出た自分にとっての原体験は短いながらも強烈なバブル景気時代です。団塊の世代に至っては1970年代、80年代の狂乱的な経済成長の時代に社会人生活の半分を過ごしていますから、2025年以降は本当の意味でのポストバブル消費が始まると思います。幸せな社会人生活を送り蓄えのあるこの世代のお気に入りは海外旅行です。働き詰めの企業戦士は短期間の海外旅行で一気に散財し、その消費パターンがいまの観光宿泊産業に根付いています。自分の30年のサラリーマン生活を振り返っても夏休みに1週間海外に行き、あとはほとんど休まないという働き方でした。しかし、時間が増えて安い航空券が取れる状況になると海外旅行はなぜか面倒に感じます。現地に数日滞在するために、往復20時間近く飛行機に乗る感覚は、かつてスキーシーズンに夜行バスで何度も週末スキーに行った消費行動を今の若者が理解できないのと同じだと思います。

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