日頃の調理は妻に依存していますが、昨日のように時々料理をします。リタイアが近づき料理に目覚める男性は少なくありませんが、全く料理をしなかった自分は旅館を買って初めて調理を始めました。時間を見つけては白河の図書館で料理本を読み漁りました。ポイントは大量調理できること、入手が容易な野菜を使って原価が落とせること、冬場氷点下になる厨房にいられる時間を考え短時間で調理できること、食中毒の発生リスクがないことです。飲食店で働いた経験はおろか料理経験さえない自分の強みは仕事にしていた業務改善です。仕込みから盛り付けまでの調理プロセスを秒単位の最短で結ぶ厨房配置と調理したまま料理提供できる4台のマルチクッカー、90人分が調理できるパエリア鍋に落ち着きました。昔からプロの料理人に女性が少ないことが不思議でしたが、何十人分の料理に計量カップは使いませんので、男性の強みは目分量ができることだと思います。料理をする人には当たり前でしょうが、調理時間を短縮する上で有効なのが複数の料理を最後だけ分岐させる方法です。昨日作ったサバカレーと豚汁は途中までの調理プロセスが同じなので一度の調理時間で二品を作れます。旅館を買っていなければ今でも皿洗い専門だったはずです。
お知らせ
高偏差値時代の終わり
元祖予備校講師タレントの「金ピカ先生」こと佐藤忠志氏が先月末68歳で亡くなったと報道されました。予備校文化全盛の1980年代には絶大な人気を得て年間2億円以上を稼ぎ8億円の豪邸を建てた時代の寵児の最期は、生活保護を受け電気もガスも止められた部屋での孤独死です。生活に困窮してからも甲斐甲斐しく世話をしていた妻さえ去り、生きる屍となった死ぬ1ヶ月前に取材をした週間現代に対し、「早く死ねたらいいのに」と絶望のなかで語ったといいます。放蕩の限りを尽くした末の自業自得と切り捨てることができないのは、知的レベルが高いはずの人でも自分を良く見せたい衝動には勝てず簡単な収支計算ができなくなる不幸です。年収が多くても蓄えのない人などいくらでもいますし、高額宝くじに当たった人は破産するケースが多いとされます。プライドと見栄はいつも成功者に復讐をします。人生の敗者と見られることを恐れ、身の程知らずの消費という外部の世界に人は逃げ込みます。今あるものに感謝をせず、快楽と世間体に翻弄される人生が行き着く先は破滅です。高偏差値の大学に合格すれば、明るい未来が約束されると信じていた時代の終わりを象徴するかのようです。
経済成長はGHQのおかげ?
現場の対応は大変だったのでしょうけれども、消費増税から静かに一週間が過ぎました。10%がまやかしに過ぎないことは公然の秘密です。2018年に121兆円だった社会保障費は自分が後期高齢者になる2040年には190兆円へと57%増加します。今享受できるベネフィットがそのままということはありえず、負担が増加するのは明白です。戦後の日本は自由と民主主義を守りながら格差の少ない社会を築いてきました。「世界で最も成功した共産主義国」と揶揄されるいわゆる日本型社会主義は利権構造や会社主義を生んだ側面もありますが、いくつかの幸運にも助けられ世界に誇れる国を作り上げました。第二の敗戦とも言える失われた30年から反転するための、第二の日本型モデルが必要だと思います。企業ではビジネスモデルや経営戦略、中期経営計画が当たり前なのに、国レベルのまともな戦略を見たことがありません。以前ニュージーランドの保健省で話を聞いたとき、その理論整然とした国家戦略に感銘を受けたことがあります。戦後日本の経済成長をもたらした国家デザインはGHQという絶対的権力者がいたからできた偶然だったのでしょうか。
迷信になったカーボローディング
週末は八ヶ岳の編笠山、西岳に登りました。海辺でぼんやり過ご時間も魅力的ですが、マリンスポーツをしない自分は受動的になり、良好な刺激を受けられるのは山にいるときです。3時間半ほどで周回できるこのルートは高度を上げるに従い森の植生が変わり、山頂直下は多量の岩塊が現れる変化に富み、登りながら様々なアイデアが湧きます。西岳からの下りは走る瞑想に適したトレイルで、坐禅のように警策で肩や背中を打たれなくても集中力を欠けば石に躓いたり、木の根に滑ったり、足を挫きますので、純粋に楽しめる上に集中力を養えます。糖質制限をしていれば糖新生と脂肪酸ケトン体システムを使ってエネルギーが作られますので、補給は途中の清水だけです。脂肪をエネルギーに変えやすい体になれば、持久力が向上しより速く長く動き続けられ、自身の人体実験の結論は糖質を摂らなければ低血糖によるハンガーノックにもなりません。長距離のランニングで胃腸を壊す人は多いのですが、その主犯も糖質だと思います。走ることで交感神経が優位になり胃腸の消化吸収機能が極端に低下し、消化が悪い炭水化物が残ることで胃酸が過剰分泌されるのがそのメカニズムです。米文化の日本で糖質制限には抵抗があり、欧米では迷信になったカーボローディングが未だに信じられています。
フィクションなのか現実なのか
昨日は夕刊紙の見出しのような「関西電力 反原発町長暗殺指令」を読みました。一連の問題の震源地である原発銀座高浜町の今井町長(当時)の原発警備犬による暗殺を関電若狭支社の副支社長(同)が警備の委託先に命じたとする疑惑を扱った本です。犬を凶器にする荒唐無稽な発想は、有象無象が原発マネーに群がる現実が露呈した今は真実味を増します。話題の森山助役も同和利権の実力者、原発利権の中心人物として描かれ、関係者の多くが実名で書かれます。関電に忠義を尽くせば豊かな生活や金を得ることができる原発の町には言いしれぬ寒々しさを覚えます。反社会勢力を使い裏の仕事を仕切る幹部は、かつては多くの大企業にいたのでしょうが、原発という聖域には今も闇社会が広がっているのかもしれません。表の顔を持ったエスタブリッシュメントが実は裏社会を仕切るという陰謀説は世界中で注目が集まるようになりましたが、本を読み進めるとこれはフィクションなのか現実世界の話なのかさえ曖昧になります。
多様でありながらシンプル
昨日は逗子、鎌倉に行きました。山に行く機会が多く海に行くのは年に二、三度ぐらいですが、砂浜でアーシングをしながらただ打ち寄せる波と雲を眺めているだけで心が落ち着きます。由比ガ浜付近はすっかり欧米人の生息地帯になり、ラブラドールを連れているためか外国人観光客2組に道を尋ねられ浜辺でも声をかけられます。波が高い昨日は、海辺に佇むだけで自然の息吹を感じられます。自然の懐に入るだけでも気分は良くなりますが、運動を媒介に自然と関わるとより高い満足をもたらします。マリンスポーツをする東京で働く人にとって、湘南暮らしはひとつの理想形でしょう。自然が近くにあると夜明け前や夕日の美しさなど、都会には乏しい時間や季節の移り変わりを感じることができます。自然に近い暮らしほどコルチゾールやα-アミラーゼ酵素の分泌量低下などストレスレベルが下がり、精神的に安定することを多くのデータが示しています。見落とされていることは、自然と触れ合っていると感じるだけでも効果があることです。オフィスを出て屋外で仕事をするだけでもメンタルヘルスの改善につながります。都会で感じる美しさはどこか異物感を覚えますが、自然には多様でありながら調和が取れているシンプルな美しさがあります。
運命共同体の暴走
原発マネーをめぐる黒い交際は底しれぬ闇の深さを感じさせます。劣化した社会の正体が露見すると疑心暗鬼が広がります。経済成長や地域振興を無邪気に是としていた社会ではその負の側面に光が当たることはなく、金の亡者が跋扈する貧しい昭和の時代の亡霊が舞い戻ってきたようです。一見お堅い公共インフラを担う企業において現役トップが不正に絡み、報酬2割の2カ月返上という甘い社内処分を見ると寒気さえします。人は自分の思考と真逆の可能性を信じることができません。われわれが身につけた社会常識は見たくない社会の裏面を見落としていると思います。本質とは誰かの意図によるバイアスを取り除いたものですが、黒い霧に包まれた戦後の原子力政策の背後には悪意が見え隠れします。病的なまでに法令遵守を唱えていたはずの大企業で未だに繰り返される粗暴な不祥事を見ると、そもそもコンプライアンスそのものが悪意のために利用されてきた疑念さえ起こります。歪んだ村社会発想の行き着く先は日本の負けパターンである運命共同体の暴走でしょう。
実は自身に語っている
今日から日本工学院の後期授業が始まります。立教大学以来講師歴は17年になりますので、教える仕事は本業と言えるかもしれません。人前で話すのが苦手で大学の教育実習で母校に行く前日にとても緊張したのを思い出します。コンサルティング会社に転職したとき、プレゼンテーションのトレーニングで「君は話すセンスがあるね」と講師に言われた一言は意外でした。以来自分は話すのが得意なのかもしれないと自己暗示をかけるようになり、人前で話すことに緊張がなくなりました。話すことへの苦手意識はなくなったのですが、それはあくまでも話したいことがあるときだけです。プレゼンテーションの基本は聴衆が聞きたい話をすることですが、自分の場合はそれより自分が話したいかどうかが重要です。話したいことがなければ、予定調和で無味乾燥の退屈な挨拶のようになってしまいます。後期4コマの授業は昨年の授業とほぼかぶりますが、昨年の講義資料を見ても話したいという気持ちが起こりません。自分が学ぶことの楽しさを感じなければその熱を学生に伝えることはできず、講義をしているようで実は自身に語っているのかもしれません。
未来の可能性を信じる
人は自分を客観視できない生き物だと思います。サラリーマン生活に汲々として自由時間がないときは仕事のないリタイア生活を夢見るのに、いざ自由時間ができるとやりたいことも気力もなく漫然と空虚な日々を過ごします。最近聞かなくなった言葉に「壮年」があります。厚生労働省の資料では25~39歳を「壮年期」としていますが、現役期間が長くなりこの年代のみを働き盛りとすることは適切でないと思います。最近では還暦を祝う習慣も薄れてきました。還暦祝いに贈る赤い衣服は魔除けの意味で赤色が使われた産着で、生誕時に還るという意味があると言います。引退を奨励する習慣は今の時代には有害でしょう。社会の都合で一線から退かされ、自分は年寄りだという自己暗示が寝たきりなどの不幸を生みます。危険なのは、身体が除々に弱り最後は寝たきりになるという嘘を信じることです。脳や筋肉は鍛えればいつまでも成長を続け、現役のまま死ぬことができるのに日野原重明氏や三浦雄一郎氏は例外だと決めつける思考はいずれ現実になります。未来に目標を持ち、その可能性を信じることが高齢社会の先頭ランナーである日本には必要だと思います。
忙しいときほど山に行く
消費増税を静かに始めたい政府にとってワールドカップの熱狂は心強い存在です。増税しても可処分所得が増えるなら問題はなく付加価値生産性の向上が日本の課題です。仕事の生産性が最優先なら淀んだ空気の執務室ほどふさわしくない場所はないと思います。リモートワークが技術的に可能になってから四半世紀が過ぎてもいまだに産業革命当時の匂いのするオフィスで働く習慣は変わりません。パタゴニアの経営で有名なのは「社員をサーフィンに行かせよう」というメッセージです。日本支社が鎌倉から戸塚に移り本当にサーフィンに行けるかは疑問ですが、福島で毎朝のように山に登るとこれが単なるスローガンや誇張ではないことが分かります。忙しいときほど自然の元に出かけ運動をすべきだと思います。早朝の森の澄んだ空気を吸いながら高度を上げていくと歩く瞑想になり、下りはリズミカルに駆け下りると脳の血流が上がります。標高差1,000m程度の山なら2、3時間で往復でき、山頂を踏むプチ達成感が一日の仕事を始めるきっかけになります。運動をし過ぎると疲れて肝心の仕事ができなくなりますので、運動量の見極めは重要です。惰性的な仕事に給料を払う余裕があるうちは、パフォーマンスを最大化する職場環境や脳の活性化と言った議論は無用なのかもしれません。