納車から1か月のN-VANで3,500kmを走り、郊外を中心に走った平均燃費は19.2km/LとJC08モードの17.6 km/Lより良好です。しかしN-VAN の最大の欠点が燃費の悪さだと思うのは、1kmを走るための燃料費が、軽油を使うフィアットの6.5円に対して8.5円と3割高いからです。加えて4WDの燃料タンクは25Lと小さく、走行可能距離の目安はフィアットの600kmに対し400kmほどです。ハイルーフのためカーブが続く道ではロールが大きく上り坂ではパワー不足が露呈すること、リアシートが長距離移動に適さないこと、助手席側の大開口のために前後のドアに組み込まれたセンターピラーが巨大で左側面の視界が悪いことも欠点です。一方で、商用車ならではの広い空間を車中泊などに使え、宿を決めることなく、そのときの気分で好きな場所に移動できる自由さはこの車の魅力です。商用車と乗用車のカテゴリーを破壊したN-VANによりカーライフが広がり、ノマドランドのような漂流生活をしてみたくなります。
何かを生み出す
昨日は白河と南会津で草刈りをしました。自然のなかで行う草刈りはもはや開放的なスポーツでありレジャーの一部です。草刈りの合間に川辺で弁当を食べると、人間が自然に近い場所で共存していた頃は、ことさらに刺激を求めなくても十分に幸せだった気がします。無秩序に茂っていた草木を刈ることで、土地に一種の調和をもたらします。商業的に提供されるレジャーの多くは、誰かが作ったお仕着せの商品を消費する受動的なもので、その最たる価値は刺激を強めることです。より強い刺激を求めて、より多くの対価を支払います。以前行った登山道整備がレジャーとして成立するのも、そこに集まる人が生き生きしているのも、それが能動的なレジャーだからだと思います。自分の体を鍛えることであれ、街の清掃であるにせよ、人生の質を決めるのは何かを生み出すことであり、消費するだけの人生はむなしいのかもしれません。
軍隊用サウナ
昨日はフィンランドのサヴォッタ(Finn-Savotta)社のテントサウナを見ました。サウナの価値は外気浴であり、最良のサウナは真冬に入る水辺のテントサウナだと思います。サヴォッタは木こり向けのバッグを作り始めた1955年の創業以来、過酷な使用に耐える製品を作り続け、フィンランド国防軍の戦闘用ベストや軍用テントなどの装備が50年以上使われる実績があります。工場はフィンランドとエストニアにあり、フィンランド国境警備隊、フィンランド警察の他、エストニア国防軍でも使われます。軍用装備品を作るメーカーだけにテント生地はシンプルで、断熱性より耐候性が重視されます。そのためか室温は85度程度までしか上がらないようですがロウリュをすれば問題はありません。ストーブもステンレスではなく通常の鉄のため程よく錆びてスパルタンな印象です。テントサウナは軍隊用として発達した側面もあり、最も好みの製品かもしれません。
事なかれ主義の現れ
最近ファミリーマートに行かずローソンに行くようになったのは、PayPayが使えるからです。スマホ決済に慣れると、財布を持ち歩いたり取り出すことさえ億劫になります。企業の戦略ですからとやかく言う筋合いではないにせよ、生業的な商店でも使えるスマホ決済が使えず、自ら売上機会を放棄する姿勢は疑問です。同じ理由で小型スーパーのまいばすけっとの代わりに西友に行くようになり、日々使う店舗にとっては少なくない影響だと思います。ラブラドールと旅行で宿に泊まる際は車に犬を残すことがありますが、先日行ったとあるチェーンホテルではそれを禁じていました。気温の下がった夜間だけですし近隣に迷惑がかかるとも思えないのですが、その企業に対するブランドイメージは低下します。ビジネス感覚があればそこに商売の機会を見出すのでしょうが、何事も禁止し不便にするのは事なかれ主義の現れかもしれません。(事実誤認があったようでファミマではPayPayは使えるようです)
嗜好品以前の世界
観賞用に買ったナスタチウムが枯れて、花壇の肥料にでもなればと捨てたつもりでした。昨日見るとすっかり根付き、葉は若々しく茂り、買ったときより多くの花をつけています。人が世話などしなくても、多くの植物は自然の環境に置かれると、本来の生命力を取り戻すのかもしれません。生物である人間にも同じことがあてはまるなら、人間の生命力を高めるのも自然でしょう。人体にとっての自然とは、嗜好品が生まれる以前の世界だと思います。嗜好品という用語を最初に使ったのは森鷗外とされますが、摂取時の高揚感を楽しむために飲食される食品や飲料、すなわち娯楽ではない、栄養・エネルギー源を期待した食事ということになります。嗜好品の大半は消費者を中毒症状に誘うことで販売効率を上げますが、健康になるには食生活を嗜好品以前の自然に近づけることが必要なのでしょう。
常に新しい朝
昨日はキャンプイベントに行きました。アニメやコロナの影響でキャンプブームが盛り上がった頃は真冬のキャンプ場でさえ満員でしたが、さすがに懲りた人も多いらしく、中古商品販売店にキャンプ道具が大量に持ち込まれたと聞きます。それでも都会を離れ、自然のなかで心ときめく発見をするキャンプの魅力は色あせません。日が沈む頃に大音響のライブ演奏が始まると、バーニングマン的な身体を高揚させる空気があたりに充満し、人々は開放的で自由な雰囲気に浸ります。キャンプ・デービッドで数々の難しい外交問題に合意を取り付けたように、キャンプが持つインフォーマルな雰囲気がビジネスにとっては不可分なものになると思います。そこがキャンプ場であれ、自然のなかで迎える朝には一つとして同じものはなく、特有の湿気と気温、日差しがあり、常に新しい朝を味わうことができるのはキャンプの醍醐味なのでしょう。
8分の1で幸せ
ドライブレコーダーの普及によって、滅多に遭遇することのない交通事故を目にする機会が増えました。最も悲惨な映像は2020年8月に首都高湾岸線で起きた事故で、268km/hを出していたとされるポルシェが、何の落ち度もない車に衝突して夫婦を死亡させた事件です。スピードを出す高揚感は神経を麻痺させて一種の心神耗弱状態に陥り、その点においてこの事件の被告は異常とも言い切れないのかもしれません。重要なことは自分を狂わせる誘惑には近づかないことだと思います。以前大排気量の車に乗っている頃はよくイライラしましたが、排気量が4分の1のフィアットに替えると、精神状態が安定し運転が楽しくなりました。そしてさらに排気量が半分のN-VANに乗ると、以前は低過ぎると思っていた制限速度さえ気にならなくなりストレスがさらに減ります。持ち物を身の丈にダウンサイジングすることで、麻痺していた感覚が正常に戻るのでしょう。
人との繋がりという豊かさ
雑司ヶ谷鬼子母神堂に行くと、境内には風情を感じる駄菓子屋の「上川口屋」があり、日本最古の店だと後で知りました。養子として10歳の頃から店に立ち始めた13代目の主人は、84歳の今も雨の日以外は無休で店に立つと言います。人情味溢れる昭和の象徴でもある駄菓子屋は近年注目されますが、飴屋として創業したのは1781年(天明元年)で、翌年には日本の近世最大の飢饉が起こります。建物は江戸期からあるものとされ、関東大震災や東京大空襲を生き残り、100種類ほどの駄菓子が並ぶ店頭の桐の箱は100年以上使っているそうです。ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」のロケ地としても知られ、海外からも取材される駄菓子屋は、コンビニやスーパーの出現により、将来性のある商売ではありません。売っているものは、便利さや値段の安さを求めた生活が失った、お金では買えない人との繋がりという豊かさなのでしょう。
住まいが芸術的
古民家巡りが趣味ですが、100年を超える築年数の家に入り感じるのが、日本は貧しくなったのではないかという錯覚です。現代の住宅では見ることのない大黒柱や手彫りされた太い梁を見ても、立派な神棚に床の間や欄間、襖や引手に施された手の込んだ装飾にせよ、住まいが芸術的な要素で満たされます。残念ながらそれらは朽ち果ててしまい、かつての栄華を偲ばせる生き証人でしかありません。諸行無常は世の常とは言え、松尾芭蕉が奥州平泉を訪れ詠んだ「夏草や兵どもが夢の跡」に込めた人の世の儚さを感じます。同様に杜甫の「国破れて山河あり」も栄枯盛衰へ思いをはせたように、われわれは愚かな破壊を繰り返しているだけのような気がします。住宅に新建材を入れた時から、自然との関係性が絶たれ、自然が持つ一貫性という調和した世界からはじき出されたのかもしれません。古民家は行政の力ではなく、ビジネスによって守るべきだと思います。
いつでも好きな場所に
草津温泉で車中泊をした結果、旅や自動車への考え方が変わりました。究極のソロキャンプ・マシーンと言えるN-VANは百万円台で買えますが、どれほどの高級車でも公道を走る限り機能は、その価格差を正当化するほどの違いはありません。一方で家ごと旅行できるスペース・ユーティリティの高さは、それらの高額車は逆立ちしてもN-VANの真似ができません。運転席以外をたためる商用車ならではの低床設計は、2、3人用テントより一回り大きな空間を生み出し、よく言えば茶室のような落ち着きを与えます。とは言え結局はシェルターみたいなもので、居心地が良いと言えばやせ我慢になります。それゆえ、草津の共同浴場を巡り、地元のスーパーに食べ物を調達しに出かけることで、よりディープな草津体験ができます。自宅の寝具や食器で、自分の部屋の雰囲気のまま、いつでも好きな場所に移動できる旅の自由さを経験すると元の世界には戻れません。