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トレイルレースは健康の実験室

自動車メーカーにとってレースが走る実験室であるように、トレイルレースは持てる健康知識を総動員して行うものだと思います。レース前は解糖系に頼らないエネルギー産生や悪路に対処できる筋肉づくり、レース中は長距離を走り切る栄養補給や極限の疲労状態を乗り切るメンタル、レース後は熱を帯びた筋肉のメンテナンスと成長ホルモンを活性化し細胞修復をするための睡眠、といった具合です。過度なスポーツが体に悪いとの指摘がありますが、長距離トレイルレースは活性酸素の発生量を最終的に押さえ込むことが最近判明しています。それはトレイルランニングが、人類がもっとも古くから馴染んできた運動に他ならないからだと思います。

普段は意識しない身体の仕組み

トレイルランニング界で100km、100Mileといった長距離レースが主流になるのは、普段発揮する機会がない能力の限界を試したいという人々の欲求があるからだと思います。昨日の安達太良山のレースは55kmながら五回安達太良山域に登り返すスパルタンさで、昨日は雨にもかかわらず5Lの水を飲んでいます。レース中はエネルギーと筋肉を、レース後半に残すことを考えます。他方で足が攣ったり、栄養補給により胃腸を壊すことがあり、長距離になるほど運動栄養学等の知識が重要になります。転居以来3ヶ月ほどバランスボールを椅子代わりにしてから体幹が鍛えられ、昨日のように路面の滑る下りでは体のふらつきが最小限になり、転倒リスクが減りスピードを上げることができます。普段は意識しない自分の身体の仕組みを考えることもトレイルレースの楽しみだと思います。

生きる力のリトマス試験紙

今日は安達太良山で55kmのトレイルレースに出ました。2年ぶりのレース復帰で、完走狙いだったので意外に走れて結果は自分としては満足できるものでした。レースに魅かれるのはチャレンジを許さない事なかれ主義へのささやかな抵抗だと思います。自分の能力をすべて出し尽くすことが出来る場を求めながら、いつも自分の弱さと向き合うことになります。今日はツキがない、とレースを投げ出すのは簡単です。普段なら安楽な方ばかり選ぶのに、レースの限界状況では常に走るという選択肢を選ぶ強さも垣間見ることができます。偽りのない本当の自分を見ることが出来るレースこそ、現代文明が封印した生きる力のリトマス試験紙なのだと思います。

不甲斐ない自分を捨てる

9月に入りましたが、今年ばかりは過ぎ行く夏を惜しむ気持ちにはなりません。日本は自然の美しい四季の国から、猛暑日の一方で雪が降る二季の国になったようです。自然のなかで行うトレイルランニングの長距離レースでは熱中症と低体温症を同時に経験します。今日は2年ぶりにレース復帰するために雨の岳温泉に来ました。ゴールの瞬間に全てが美化されるとは言え、肉体を極限まで酷使する過酷なレースを多くの人が求める理由を分析的に説明することは困難です。誰もが本気にならない社会にあって、自分の能力を試せるはけ口が耐久レースなのかもしれません。普段の生活では完全燃焼できない不甲斐ない自分を捨てることができる唯一の場がレースなのです。

人間関係の閉鎖性が生む歪

交際範囲が変わったせいか、ぼくのまわりではフリーランスの人が増えています。チャレンジを許さない事なかれ主義が蔓延した社会や組織の閉塞感の反映なのか、人生二毛作が静かなブームです。会社を辞めて分かるのは、ストレスの大半は不健全な人間関係によるものです。昔は肩書きと付き合っていましたが、今は人柄と付き合うようになりました。気の合わない人と付き合わなくてよい自由、制限なく誰とでも会える自由は代えがたいものです。高度サービス産業で重要なのは独創性を生み出す労働環境のはずなのに、多くの職場は働く人から活力を奪っています。人間関係を選べない閉鎖性の歪が、職場の主によるいじめやパワハラの常態化する古典的組織のアキレス腱だと思います。

現代人の半分が癌になる?

昨日は健康診断に行きました。触診のあと医師に不整脈があると言われ心電図をとりました。安静時の心拍数が低いスポーツ心臓症候群らしく治療の必要はないそうです。悪趣味ですが健康診断に行くと人の体型が気になります。以前のぼくのような運動と無縁で無分別に食べている体型の人が多数派です。現代人の半分が癌になるという脅しは刺激的ですが、体内時計無視の乱れた生活に多量の飲酒と先進国最高の喫煙率にストレスが加われば、健康でいられる方が不思議です。写真は月曜日の熊本便から見た富士山です。

聞く必要のない声

昨日は空港へ戻る途中、南阿蘇村の白川水源に寄りました。毎分60トンの湧水の瀬音を聞きながら澄んだ穏やかな清流を眺め涼風にあたると、自然こそが人を幸せにすると実感します。熊本県には1,000以上の湧水群があり生活用水の8割を天然の地下水で賄っています。空港で見た日没も美しく、多くの搭乗客が写真を撮っていました。日々繰り返される当たり前の日常に幸せがあると思います。偽の幸せであるフォーカシングイリュージョンに騙され、足元にある幸福のあり方を考える人は少数です。人は聞く必要のない声を聞き、自身で不幸を感じる理由を作っていると思います。

現代の山岳信仰

昨日阿蘇に来ました。機内誌で国際トレイルレースAso Round Trailの記事を読んでいたので、空港からの車中で眺める阿蘇の雄大な山並みがとりわけ美しく見えます。九州6県が見渡せる全長109km、累積標高5,000mのコースの過酷さは、全身泥まみれの選手の写真から分かります。トレイルランニングは1990年代のアメリカで勃興したスポーツですがその原型は日本古来の山岳信仰であり修験道だと思います。トレイルランニングに限らず、マラソンやトライアスロンなどの耐久レースが人気なのは、社会の閉塞感への裏返しのような気がします。

サラリーマンの収支

昨日の朝は砧公園まで往復10kmほどジョギングをしました。山とは違い空気が悪く単調な道を走ることは苦痛です。砧公園は都会のオアシスで東名高速と環状八号線に囲まれていると思えない安らぎの場所です。サラリーマン生活を止めたのは2年前の今月末ですが遠い昔に思えます。30代の頃から会社で働くことに違和感を覚えながら退職を躊躇させたのは、仕事に恵まれ待遇も悪くなかったからです。しかしここには盲点があって、所与のものとして給料をもらっていると支出の管理が甘くなります。サラリーマンが課税を逃れることができないのに対して、会社経費が使え実質的な可処分所得は以前とあまり変わらないことに最近気づきました。

空疎な人間関係を癒す言葉

昨日電車の中の二人連れが「親友が何人いるか」と話していました。親友という言葉には違和感があって、自分では親友という言葉は使いません。いくら自分が親しいと思っていても相手の思惑を確認することはできません。友達の定義すら曖昧なのに、さらに親しい友達、人によっては大親友という言葉も使います。友人関係をカテゴリー化して、ことさらに強調する必要があるのでしょうか。ぼくの友達の定義は、価値観の共有と意義深い関係性です。さらに親しければ、真夜中に電話ができる、といった条件が追加されるでしょう。親友という言葉に馴染めないのは、空疎な人間関係を癒す言葉に聞こえてしまうからです。

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