今日が日本工学院の文化祭(紅華祭)の代休による休校だと気づいたのは昨日で、天から一日を与えられ幸せな気分になりました。受け止め方一つで人はいつでも幸せになれます。幸せな人生とは何かと学生に尋ねると多くの場合「自分らしさ」と言います。自分らしく生きるとは、本音と直感で構えることなく主体的に生きることだと思います。21世紀の素晴らしさは、一人ひとりがホリスティックな存在として面白いと思えることをやり、気の合う人と会い、心地よいと感じる場所に身を置きながら自由に生きられることです。人を縛りつけて管理する企業の多くはやがて役目を終えると思います。ゴーイングコンサーンの大企業が必要なのは、電力、輸送、原材料などコモディティを生産する一部の産業セクターだけになるのでしょう。多くの職業は民間、公共、市民、アカデミアの境なく新陳代謝を繰り返す細胞分裂型組織になる、いわゆるクアトロ・ヘリックスの時代が来ると思います。
職業に貴賎なし
職業に貴賎なしと言われるように、どの仕事も社会に必要とされ職務を全うする限り等しく尊いと思います。自分のキャリアを振り返るとコンサルティング会社2社で16年、事業会社2社で14年8ヶ月を過ごしました。最初の事業会社の半分の7年はシンクタンクに出向したので、キャリアの75%はコンサルタント的な仕事をしたことになります。他人の会社に乗り込んで好き勝手に振舞うコンサルタントが昔は嫌いでしたし、コンサルタントになってからも虚業という批判を受けました。個人事業者になった背景には虚業コンプレックスもあると思います。自分のリスクで旅館を買い古い施設の営業許可取得の難しさを実感したとき、それまでの職業人生とは景色が違って見えました。違うのはリスクを取りサバイバルな生き方をするかどうかだと思います。
己の執着に自滅する
昨日午後スタートした日本山岳耐久レース(ハセツネ)はトレラン界で最も有名なレースです。妻をはじめ多くの友人が夜通し山中を走っていることを思うと家でのんびりと仕事などしている自分に後ろめたさを覚えます。ハセツネは2年前に自分史上唯一のDNF(リタイア)をした屈辱のレースです。2年前も気温と湿度がそれなりに高く、曇りの天気予報と1ヶ所しかないエイドを甘く見た結果、水のない苦難のレースになりました。最大の敗因はタイムへの執着です。上位争いに関係なくても、結局レースはどこまで行ってもタイムというヒエラルキーに支配されます。友人が多く出るレースゆえのタイムへの執着が1.5Lの水しか持たないという致命的なミスを犯し、リタイアした42km地点のはるか手前で水が尽きました。エイドで補給された1.5Lの水をその場で一気に飲み干しレースを放棄したときは、脱水状態での登山の苦しさに打ちのめされリタイア以外を選択する気力が起こりませんでした。古今東西、人は己の執着で自滅していくのだと思います。
実は自分に語っている
週半ばの7コマの授業は規則正しいタイムリミットとして自らを律してくれます。学生が聞きたいことを話すのが基本だと思うのですが、講義をしていると「人は自分に語っている」という格言を思い出します。気がつくと、人生を価値あるものにするものは何か、自分の人生を生きるとは、といった話をしています。仕事の意義を明確に語れる組織人は少ないような気がします。目指す目標を聞くと「毎日が平穏無事に過ぎる」といった模範回答をします。以前の自分なら「それで何が楽しい?」と聞いたのでしょうが、今の若者こそ人生の本質を捉えているのかもしれません。学生に話しているようで実は自分に問いかけているのだと思います。
全身にみなぎる生命力
自宅の近くを昨日歩いているとアラブ系の外国人が細い路地にダンプカーを誘導していました。その完璧な日本語もさることながら、息を呑むほどの鮮やかさで電柱と壁すれすれに大きな車を滑り込ませる技は、リズミカルで繊細な舞台芸術のようで見とれてしまいました。遠目にもやる気オーラを辺りに発散していることが分かります。一流企業で働く会社員と目の前の生き生きと働く作業員のどちらが幸せなのかを考えてしまいました。閉店した近所のガソリンスタンドにもやる気に満ちた元気なスタッフがいて、値段が高いのにその店で入れていました。生命力を全身にみなぎらせ完璧な仕事をする彼らが何に動機づけられているのかを知りたいです。一緒に働くなら彼らと働きたいと思います。
嗅覚の世界に魅せられる人生
ラブラドールと朝夕散歩に行くと嗅覚の世界に魅せられて一心不乱に、まさにゾーンに入ったように歩きまわります。犬も歩けば棒にあたるという人生訓は優れていると最近思います。元は犬がうろついていると棒で叩かれるという戒めでしたが、現代の解釈は好意的です。自分の直感と嗅覚を頼りにおもしろそうなものに興味をもつ好奇心さえあれば、人生の幕が次々と展開して新しい世界が広がります。以前は老後を心配しましたが、好奇心さえ持ち続けて今を生きれば、老後の心配はなくなります。人生がいつ終わるか分からない定めなら、せめて今日一日を自分らしく大切に生きたいと思います。自分らしく生きるためには少しばかりの情熱と勇敢さが必要です。
1割の生徒をつかまえる
ご多分にもれず日本工学院でも授業中に寝たりスマホでゲームをする学生は後を絶ちません。昔は申し訳なさそうにしたものですが今や当然の権利です。授業を始めた頃は怒ったり退出させましたが、「できない生徒など存在しない、存在するのはできない教師だけだ」というピーター・ドラッカーの教えに従い、授業のやり方を変えるようにしました。教育が最初にすべきことは学習意欲の醸成だと思います。日本の大学生の勉強時間が国際比較で極端に短いことは知られていますが、自分を振り返っても必要性がなければ勉強をしませんでした。学生による授業評価は定着していますが、学生におもねる教育に未来があるとも思えません。学生が授業を聞くか聞かないかは最終的には自己責任だと思います。ドラッカーはこうも言っています。「教員は上位1割の生徒をつかまえればよい。上位1割をつかまえれば平均的な生徒はついてくる。もっと下の生徒は祈るしかない」
復讐する快楽
昨日は以前の勤務先に行きました。通い慣れた場所なのに境遇が変わると景色まで違って見えます。3回の転職で14年、2年、14年、8ヶ月と4つの会社で働きましたが、不思議と勤続年数の短い2社の記憶が鮮明で自分自身を成長させてくれたと思います。ぼくが生き方を変えたのは海外不動産投資で失敗した時からです。借金こそしませんでしたが蓄えの大半を失い金に目がくらんだ自分の愚かさを呪いました。自分らしく生きるためには経済的手段の確立が必要だと思い込んでいたのです。当時は働かないで暮らせる人生が理想でした。大きな勘違いは自分らしさの捉え方にあります。その時の自分らしさは働かないという快楽を基盤にしていました。快楽を求める限りもうひとつの生き方である自己の成長はありません。人は快適な環境ではそこに留まり成長することができないからです。致命的なもうひとつの誤解は仕事を不快な義務だと思っていたことです。仕事こそ自分を成長させる最高の舞台であることに気づいたのは比較的最近のことです。
就職活動は恵まれない人のため?
この週末に留学する娘の高校で文化祭がありました。プログラムの表紙に書かれた「絶対全員主人公」の文字が目を引きます。立教大学で教えている頃から2割ほどの学生は就職に興味を示しませんでした。優秀な学生はジョブクリエイト(job create起業)を目指し、ジョブシーク(job seek就職活動)には関心がありません。講義のあと質問に来る熱心な学生は授業の内容ではなく、自分のビジネスプランへの助言を求めていました。イノベーションの権威である某先生が言うように、就職活動は恵まれない人がする時代になるのは目の前かもしれません。生活の糧を誰かに依存すれば、いつも何かに怯えて暮らすことになります。世界のソニーが「設立趣意書」を起草したのは終戦翌年の1月です。四輪車販売世界7位、二輪車と小型ジェット機世界首位のホンダが浜松市で起業したのも1946年です。GEM(Global Entrepreneurship Monitor)の調査によると日本の起業活動率は67カ国中66位とほぼ世界最低です。多くの日本人は仕事を創るという魅力的な選択肢を忘れています。主体性を失い守りに入れば人は老います。既得権にしがみつく老害が巣食う社会を終わらせる第二の戦後こそ日本が生き残る道だと思います。
30年を突き抜ける狂気
世の中には性善説と性悪説の二つの会社があり、その中間はないと思います。信頼が全てであり、一度疑えば全てを失います。性悪説の企業では良識的に振舞っているつもりでもルール違反を問われ、管理され続けた社員は判断力を失い同時に人を信頼しなくなります。かつての人類がビタミンCを体内合成できたように、人間は使わなくなった機能を封印します。組織論理に染まり長年自己を押し殺し続けると、人生の主体性を主張する権利があった記憶を失います。思考停止が習慣化して次世代に引き継がれた会社では、社会に提供すべき価値よりも組織の論理、すなわち共同体を守ることが優先されます。イノベーションが求められる時代に、無難な人しか役員にならない企業に未来はあるのでしょうか。人は同じ環境にいれば型にはまり突破力を失います。今の日本に欠けるのは思考する前に反射神経で行動する狂気であり、それが失われた30年を突き抜ける力だと思います。