シリコンバレーの企業では採用面接時に失敗経験を聞かれると言います。サラリーマン時代から海外不動産投資など手痛い失敗は数知れず、あのとき売っていたら、あれさえ買っていなければ、という後悔ばかりのタラレバ人生です。しかし、脱サラしてからは失敗することがなくなりました。自分が失敗と認めなければすべての失敗は学習機会であり、ピンチはチャレンジ、いやな人間は反面教師と脳が勝手に書き換えてくれます。人に批判されても所詮は人生観が違うからと反省などしませんし落ち込むこともありません。チャレンジすることでしか経験できない景色を見た今だからそう思います。ギブアップさえしなければいつでも再起のチャンスがあると信じています。減点主義の組織風土が、時代に適応できる時間は限られている気がします。
経営の主役を自然人に
晴耕雨読ではありませんけど、山に行かない日は本を読んで過ごします。多くは仕事に役立つのですが、ビジネス書を読まなくなりました。コンサルタントの仕事を20年ほどしていて、その間粗製乱造された理論らしきものが流行ファッションのように消費されてきました。有益な理論や方法論も少なくないのですが、BSCやKPIのような管理統制時代の遺物、CS経営のように誤解がそのまま広まったものもありむしろ有害であったり、理論的に正しくても実用的でなかったりします。近年話題のティール組織も例外ではなく、企業そのものが賞味期限を迎えている時代には後付け理論に聞こえます。今関心があるのは人間の生き様であり、人が動機づけられ最高のパフォーマンスを発揮する脳の使い方です。ぼくは経営の主役を法人から自然人に取り戻すべきだと思っています。
走るのは楽しみのためでも健康のためでもない
上州武尊山スカイビュートレイルに出る妻が今朝出かけます。標高2,000mを超える山岳地帯129kmを走破する過酷なレースです。「夜通し走るなんて正気じゃない」と言っていた自分が、今ではその世界に魅せられます。スパルタンな高低図を見ているとこのコースを体感したいという抑え難い欲求が沸きあがります。トレイルランニングの感染力と中毒症状がこれほど深刻なのは、人が生まれながらのランナーだからだと思います。走ることは捕食者から逃れることであり獲物を捕らえること、つまり生きることそのものです。走ることの原初的で飾らない単純さに人々が魅せられるのは、楽しみのためでも健康のためでもなく、長い狩猟採集時代の記憶を呼び覚ますからだと思います。多くの人には受け入れがたいことだと思いますけど。
オフィスは働く場ではない
在宅勤務やノマドワーキングを始めたのは20年前です。当時勤めていたコンサルティング会社では社員数の27%分の机しかなく、海外からの出張者が多い日は朝の9時過ぎにはオフィスに入れなくなり、同じビルのマクドナルドやカフェで仕事をしていました。居酒屋で5、6人がパソコンを出して奇異の眼で見られることもありました。当時の上司は「一番成果の上がる場所で仕事をしよう」「会社にはお金は落ちていない」と言っていました。先進的なのは、オフィスを働く場ではなく営業の場と捉えて、クライアント企業の経営会議を行うなどオフィスを収益化していたことです。今でも自宅で仕事をすることが多いのですが、自宅は会社のオフィス以上にノイズが多く仕事に適しません。ついつい読みかけの本を読んでしまったりします。一番生産性が高まるのはカフェです。誘惑がなく、オフィスのように人に声をかけられませんから、ほどよい雑音で仕事に集中できます。どこで仕事をするにしても、目前に迫る期限と仕事が自分の生きがいと重なることが重要だと思います。
イノベーションを生み出す健康経営
今日は健康経営のセミナーに行きました。健康経営が言われ始めたのは10数年前ですが、経済産業省の表彰制度により知名度が上がったのはこの数年です。健康に投資すると生産性が向上し企業価値が上がると同時に社会の課題が解決できるという触れ込みです。睡眠不足が重大事故の原因となった事例は数多くあり、平成28年に大阪地裁では勤務間インターバルが9時間未満のケースを過重労働とする判決が出ています。睡眠時間の確保は企業側の責任にしても、最終的には個々人の健康意識とヘルスリテラシーに依存する問題なのでしょう。経済損失をどう減らすかということ以上に重要なのは、イノベーションを生み出すためのベストコンディションをどのように作るかという発想だと思います。
クールではない都市の消費
昨日は青山に行きました。アウディの高級スポーツカーに乗った中年太りのおじさんは、あたりの気配を伺うと爆音を撒き散らして車を急発進させます。地位財の象徴たる高級車をこれ見よがしに誇示する行動はクールの対極にある消費スタイルだと思います。ぼくにとって最もクールなのは、週末に開催された信越五岳100マイルレースのような肉体の限界に挑むアスリートの姿です。歩くのも困難な痛みや全身から気力が失せるハンガーノック、補給食を受け付けない消化器系のトラブルなど、あらゆる試練に打ち勝ったゴールシーンは感動的です。夜は以前の職場の同僚と会いました。組織を離れ同じ境遇になると共感することが多く、お互いかつての組織人の面影はありません。共通するのは、もはや会社に管理される生活には戻れないこと、朝起きるのが憂鬱でなくなったこと、健康的で元気になったことです。
復讐心が社会を変える
目の前がゴルフ練習場ですが我が家ではゴルフをしません。ゴルフは歳をとってから始めるのに適したスポーツと言われます。フィジカルな条件に制約されるスポーツの世界では中年から始めてトップアスリートになることは不可能と思われています。長距離ランナーが最も力量を発揮するのは27歳から32歳と言われます。しかし、例外はトレイルランニングで、世界最高峰のレースUTMBでマルコ・オルモ(Marco Olmo)が二年連続で優勝したのは58歳と59歳のときです。何歳であろうと本気で取り組めば取り返しがつくと思えるトレイルランニングに魅かれます。「貧しかったので復讐のために走っている。」とオルモは語ります。イノベーションを起こす起業家もその行動の原動力は社会への怒りであり復讐なのだと思います。
アマチュアスポーツがプロを凌ぐ
TJARが超人的なレベルで競われるトレイルレースなのに対して、今日未明に32時間の制限時間を迎えた信越五岳100マイルレースは知り合いも出るより身近な存在です。「スポーツは観衆が理解できる数だけ感動を与える芸術作品」といった人がいますが、より身近な存在として一人ひとりの選手に感情移入することができます。商業化されたプロスポーツは演技者と観衆が分断され心を動かされないのですが、昨日は刻々と更新されるレースのリザルトと、本人や関係者が投稿するSNSから目が離せません。スポーツがショービジネスの色彩を強めるほど、原初的で飾らないスポーツの純粋な魅力や人間臭さが失われていくと思います。写真は2週間前に出た安達太良山の45km地点で撮ってもらったものです。
トレランが山歩きを好きにする
今朝は八ヶ岳の硫黄岳(2,760 m)と天狗岳(2,646 m)に登りました。北八ヶ岳の樹林帯は苔むした独特の風情があり早朝の森林浴は落ち着きます。トレイルランニングを始めてから山歩きが以前より好きになりました。昔は長い林道や泥沼状の登山道、登り下りを繰り返す長いトレイルは嫌いでしたが、いまはどの場面も貴重なトレーニングの場で成長ホルモンが分泌される筋肉痛も歓迎です。今日はトレラン界の一大イベント信越五岳100マイルレースがあり、多くのFB友達がいまも山中を走っていることを思うと、のんびり山歩きなどしている自分が多少後ろめたくもあります。
彷徨う発展概念
歌は人間の持つ不思議な能力を証明します。小学校の修学旅行で行った会津若松でバスガイドさんが歌った白虎隊の歌の歌詞を今でも四番まで覚えています。施設にいる父親に会いに行くと膨大な曲をファイルした歌集があります。父親世代の曲を自分の世代が聞くことはありませんが、不思議なことにぼくが高校生の頃に聞いたユーミンやさらに古いカーペンターズを高校生の娘が今頃普通に聞きます。西洋文明発展の基盤には未来志向型の時間的展望があったと思います。経済成長期には時代の空気である昔の曲は捨て去る過去の象徴でしたが、現代は発展という概念が方向感を失った時代なのかもしれません。写真は昨年2月に訪れた白虎隊終焉の地飯盛山です。