安倍首相の在任期間が憲政史上最長になり株価だけが不気味に上がり続けるこの国では、すでに崩壊しているものに望みを託さなくてはならないのかもしれません。増税をしても社会保障費や借金の増加は止まらず人口が減っていく国に未来がないことは、ジム・ロジャーズに言われなくても知っています。変革を担うはずの若者の2020年卒の志望先は1位と2位が昨年と入れ替わっただけでトップは地方公務員、2位は国家公務員とされます(リスクモンスター発表)。緊張感のない政治は不要不急の話題に時間を費やし、マスコミは香港の民主化運動より芸能界の薬物汚染を騒ぎ、国民は今日何を食べるかぐらいしか関心のないのが今の日本です。歴史上平和の恩恵を今ほど受けた日本人はいませんが、その尊さを考えることもありません。1960年代に生まれた自分にとって一番輝いていた日本は1970年代です。まだ生活が豊かとは言えなかったから未来や消費に希望を見出すことができたのですが、その希望の現実が今の退廃した社会であるならわれわれは無邪気過ぎたことになります。
コンプライアンス以前の日本
芸能界には関心がないのですが、薬物中毒を長年放置してきたエイベックスの経営に焦点が当たると話は違ってきます。こうした経緯を知らないはずのないNHKが今頃になって被害者面するあたりも懲りない体質と業界の異常さを物語っていると思います。ビジネスエシックスが問われる時代に入っても人間の醜さと愚かさがもたらす倫理観を欠いた商習慣はなくなりません。業績の良い特定銘柄に投資が集中するように、成長企業の見つからない日本において企業の成長はあらゆることへの免罪符になります。業績を急成長させる経営者のエキセントリックな行いに対して社会は寛容です。税金を払わないGAFAやソフトバンクの行動も、ソフトバンクを崩壊させかねないWeカンパニーの粉飾も、エイベックスのトップに噂される薬物疑惑も同じことです。コンプライアンスに真面目に取り組むはずの日本でコンプライアンス以前の問題がたびたび起こる理由は、逃げ場のない単一民族国家の島国故に本音を隠して建前で生きることを強いられるからなのかもしれません。
勢いよく人生を終える
昨日は義理の父の家に行き、預けてある娘の荷物を整理しました。中から11歳の時に娘が自分宛に書いた「17歳の私へ」という手紙が出てきて、17歳を迎えた今の生活は手紙を書いた当時の予想よりドラマティックなようです。生涯現役が理想の自分も6年後、さらに6年後に何をしているか考えます。エクセルに日記を付けているので、昨年の今日、10年前の今日に戻ることができ、当時は何を感じていたのか思い起こします。誰しも若くして成功し悠々自適の後半生を理想にします。会社の売却などで多額の金を手にする若い起業家を見るとうらやましくもありますが、その可能性を絶たれている自分のロールモデルはKFCのカーネル・サンダースです。どの業界にも遅咲きの起業家がいることは希望を持てますが、40種に上る職を転々とした後65歳で無一文になり、90歳でこの世を去るまでケンタッキーフライドチキンの顔として活躍する壮絶な人生の右に出る者はないでしょう。人生が100年あるなら生き急ぐ必要もなく、前半に成功して除々に生命力をすり減らして消え入るよりは、後半にクライマックスが来る遅咲きの方が勢いを保ったまま人生を終えることができると思います。
予定調和かトラウマか
大物タレント逮捕のリーク情報通り麻薬取締法違反容疑で沢尻エリカが逮捕されました。実績をアピールしたい警察にとって十分な相手でしょう。12歳で芸能界にデビューし、流行語にもなった「別に」発言でも注目され、時の人であるハイパー・メディアクリエーター高城剛と2009年に結婚するも翌年には離婚を表明し、大麻使用疑惑を持たれながらも女優としての確固たる地位を築いてきました。そこからの逮捕は華やかな芸能界にありがちな予定調和の転落と見ることができます。裕福な家庭に育つ一方で馬主だった父親が9歳の時に失踪しその後病死、兄を交通事故で亡くすという不幸のトラウマに操られた人生にも思えます。人類と向精神性作用のある麻薬との関係は遥か昔まで遡ることができ、芸術や宗教の近くには薬物があり、薬物汚染は今や市民生活にまで浸透しています。挫折を経ながらがむしゃらに生きてきた苦労なのか、薬物の影響なのかその顔は33歳の割に老いが感じられます。気の毒なのか自業自得なのか金や名声は手にしてもその内面に平和が訪れることはなかったのかもしれません。
必死に働きたい!
必死に働いた経験のある人は何割ぐらいいるのか時々考えます。やれることは全てやったという完全燃焼した仕事の経験がある人は少数だと思います。自分のことを振り返ると外資系コンサル会社に勤務していた頃はハードワークで睡眠時間も満足に確保できませんでしたが、必死だったかと言われるとちょっと違う気がします。人は誰しも情熱の対象となる仕事を探していて、一方で企業経営者は仕事に情熱を注いでくれる人を探していますが、両者のニーズが合致することはまれです。必死に働く意味が少し分かったのはサラリーマンを辞めて旅館を買ってからです。営業許可が取れず5日間何も食べられなくなり、そこから恥も外聞もなく人に助けを求めて行動した頃は必死だった気がします。報われない努力だとしても必死だった時間にはどこか清々しさが残り自信にもなります。辛かったはずのトレイルランニングのレースが終わってみると美化されて清々しい思い出に変わることと似ています。仕事であれスポーツであれ、誰しも情熱を傾けられ必死になれる何かを人生に求めているのだと思います。
教科書と情熱
日本工学院の授業ではスポーツ関連企業のケースを使います。昨年扱ったライザップの事例では博打的な広告宣伝費などのリスキーな体質と体力を超えた成長追求、現代の教科書には書かれていないコングロマリット理論などの問題を取り上げたあとに一連の問題が噴出し業績が失速しました。失敗事例として用いたアンダーアーマーはアスレジャーブームで成長したあとアマゾンエフェクトにより頼みの流通チャネルを破壊され失速したように、外部環境変化への対応を誤ったケースだと思います。よく取り上げるのはプロ野球やJリーグ、B.LEAGUEなどの赤字企業を再生する新興企業のケースです。企業再生に成功する企業の共通点は教科書通りセオリー通りに、あとは情熱をもって地道に取り組むことだと思います。学ぶは真似ぶで先行する成功事例を正しくベンチマークすることは有用だと思います。成功する企業でも教科書から逸脱することがありますが、それは勝率の高い賭けであったり説明がつくものです。結局のところ一番の成功の源泉は情熱で、自分が好きで社会的な意義があり、マネタイズできることなのだと思います。
政治誘導された巨大市場
いくつかのビジネスは利益相反の側面を持ちますが、医療や製薬はその一つだと思います。戦争がなければ軍隊が存在意義を失うように病人がいなくなれば医者が不要になります。生涯薬を飲み続ける患者がいることで付加価値が最大化しますから、現代の医療が対症療法であることを批判するのはお門違いかもしれません。一部の正直な医者は「一生治らない」と事も無げに言い患者を絶望の淵に突き落とします。病気や症状の原因を聞いても答えは曖昧な割に、治らないことだけはなぜか断言します。余命宣告も多くの場合残酷で患者のことを考えた行いとは言えません。巨大産業となった医産複合体を悪魔のように扱うのは間違いで、人が病気になることで潤う産業構造を知らない方に責任があります。成熟した消費社会では不要なモノを売りつけないと産業は成立しませんので、病人を増やすことでしか成長できない宿命を誰も批判できません。治療や薬が必要ないことを告げる良心的な医者は少なくありませんが、薬を出さないと怒り出す客もいます。医療情報サービス会社IQVIAが発表する2018年の日本の医薬品市場は9兆円ほどですが、多様であったはずの医療を石油由来の合成医薬品による薬物療法だけに政治誘導することで作り出された巨大市場は、最も成功したビジネスモデルの一つだと思います。
危険を学ぶ遊び場
近所に60m四方ほどの公園がありその3分の1程度の面積を1億数千万円かけて改修するという看板が出ています。公園には防災時の機能もありますので何とも言えませんが民間の感覚では過剰投資に見えます。国土交通省の公園利用実態調査によると公園の利用者数はこの40年ほどで半分以下に減っていて公園のあり方を見直す時期に来ていると思います。全米で2,000ヵ所以上の公園を作った非営利組織KaBOOM!のように住民が公園を作る動きもあります。子供の頃からある公園ですが、安全性を考慮してかブランコの大きさは昔より一回り小さくなり、気がつけばシーソーもなくなっていました。シーソーから落ちた記憶もありますが、シーソーに乗ったときの上下動やバランス感覚は脳を刺激するはずです。昔はよく相撲をしましたが最近は見かけない気がします。子供が忙しいことや責任回避をする社会風潮により、子供が遊びながら危険を学ぶ場がなくなり身体感覚を劣化させていくことは問題だと思います。
退廃と堕落の空気
美しいメキシコの村で休暇中のMBAを持つビジネスマンが地元の漁師にアドバイスをする小話が好きです。午前中だけ漁をしてあとは昼寝をしたり友人と遊ぶ生活を聞いたビジネスマンは釣りの時間を増やし加工工場を作り最後は株式上場することを勧めます。その後はどうなるかと尋ねる漁師に、引退して故郷に戻り昼寝をしたり友人と遊びのんびり暮せば良い、と言う落ちです。金と名声しか人生を測る尺度がない現代を生きるわれわれに、この話は切実な問題提起をします。惑星限界を迎えてなお享楽に耽ける生活にしか楽しみを見い出せない姿は、食べるために吐く古代ローマの生活と同じです。搾り取った富を散財する事に情熱をかけた史上空前の快楽都市ローマはその極みとともに退廃と堕落の終焉を迎えます。非文明的な暮らしや人体の再野生化といった話に人々が拒絶反応を示すのは、無批判に是としている欲以外に信じるものがなくその幻想を追うからだと思います。若者が社会起業家や途上国支援に憧れるのは退廃と堕落の空気を敏感に嗅ぎ分けるからでしょう。
限界費用ゼロ社会に入った日本
花や植物は生活に潤いと生命力を与えてくれます。一年前に300円で買ったシクラメンは水やり以外の世話をせず、旅行中は1週間以上放置しても健気に次々と花を咲かせます。野の花に魅せられるのはそこに本質を感じるからだと思います。儀礼的な贈答品に使われる胡蝶蘭などは一種の通貨に見えてしまい美しさを感じることができません。人生100年時代の到来を前提に書かれた「ライフシフト」が主張する「自分の人生を生きよ」というメッセージは心に響きます。一世帯あたりの消費支出が減り続ける日本は、知恵を使えばお金をかけずに生きられる限界費用ゼロ社会に入ったとも考えられます。人生の時間を切り売りする金の呪縛から徐々に解き放たれることで、社会が決めた人生を生きるのではなく、自分の人生を生きられるのだと思います。お金を中心に動く世界では高級な車に乗り上質なレストランで食事をするような生活への欲求を煽り浪費させます。金や地位や名声などの表層が幸せの本質ではないことに気づくと人生の恐怖心や不安は自ずと消えていくと思います。