ゆらぎが仕事の生産性を高める

昨夜はまとまった雪が降り4時半頃には除雪車が来ました。青空に月が浮かび雪景色とモルゲンロートの美しい朝です。建物が古いので冬の生活は寒さや凍結との戦いですが、この季節が一番美しくやはり冬が好きです。
源流の森で暮らすようになって一年、なぜ森のなかにいるとこれほど心地よいのか考えます。以前からオフィスの仕事の生産性が低いことを実感していながらそれをうまく説明することができませんでした。一言でいうならそれは、ぼくが毎日森で感じている生命力だと思います。動物の気配がしない森でもそこには生命力があふれています。一方オフィスは人がいても無機質な空間です。森にある、そよ風、木漏れ日、せせらぎなど自然界の現象である「ゆらぎ」がそこにはないのです。
アルファ波が注目をされたように、脳全体の活動や自律神経の働きにはゆらぎがあります。ゆらぎがないオフィスなどの人工的空間は体内環境がゆらぎを失い思考回路が単純化すると言います。不規則な規則性が特徴とされるゆらぎには、微妙なずれがあるからこそ複雑性が生じて新たな発見が得られます。また、ゆらぎのある環境は疲労の予防や改善に効果があるとされます。多くの発明家や哲学者が散歩を日課にしたように、五感が適度なゆらぎを感じて脳にその情報が加わることでアイデアが生まれるのでしょう。

脳に騙される味覚

今朝の新甲子温泉も快晴です。防寒対策をして外に出ると拍子抜けする温かさで、ユニクロのウエアを着ていると汗ばむほどです。それでもトレイルには雪がつき、阿武隈源流の水溜りは氷が張っています。

今朝は湯豆腐にしました。一人分の食事を作るのが面倒ということもありますが、湯豆腐や蒸し野菜といったあっさりした食事が多くなりました。今はいつでも運動ができる環境にいるので体力の低下を感じることは少ないのですが、味覚は確実に変わってきています。長年脳に欺かれ続け過剰に食べてしまったように、味覚も舌ではなく、脳がステレオタイプの判断をしてきたのだと思います。

これで十分なゲストハウス

新甲子温泉は冬らしい快晴です。オレンジ色の太陽がまぶしい朝で山の稜線がはっきりと見えます。フィアットの気温計は氷点下4.5度を指しており早くも真冬の風情です。昨日は池袋にあるBOOK AND BED TOKYO IKEBUKUROを見せてもらいました。東京を代表するゲストハウスのひとつで駅至近の雑居ビルの7、8階にあります。以前泊まった金沢のTHE Share Hotels HATCHiに比べて投資額は限定的で収益効率は高そうです。8階は真っ暗ななかにバーカウンター風のレセプションがあり、第一印象からインパクトがあります。料飲施設を持たない軽量化された施設はベッドの造作も普及品の合板が使われる簡素なものですが、雰囲気はよくこれで十分です。将来的にベッドのサイズを広げる際の改装も簡単そうです。

夜は、普段は福島でお会いすることの多いプロトレイルランナーの眞舩孝道さんのイベントに行きました。スポーツの持つ力を実感すると同時に、トップアスリートでも一般のトレイルランナーと同じような悩みを抱えていることには親近感がもてました。

昼食は不要

外食機会の増える季節になりました。ぼくが習慣としての昼食を食べなくなってから数年が経ちます。それ以前は習慣的に、あるいは義務的に何の疑いも持たずに食べていた昼食ですが、不思議なことになぜ食べなくてはいけないのか疑問に思ったことはありませんでした。今はおなかが空き自分の胃が食べ物を消化できそうなら食べるという感じで、通常は一日に2食、たまに3食、まれに1食か断食というスタイルです。海外に行き食事の量が増えて1、2食抜くことは以前からありましたが、それさえも今思えば食べ過ぎだったと思います。

食事が負担をかけるのは消化機能ばかりではありません。出勤日を年間250日として毎日1,000円の昼食やお茶を仮に40年続けるとしたらサラリーマン時代を通し1千万円を払う計算になります。生涯賃金を2億5千万円とするならその4%が昼食代に消えることになり経済的負担は無視できない額です。

食べない方が健康になれるというパラドックスを受け入れることができれば、体調を自分でコントロールできるようになります。今の日本では多くの人が無意識に食べ、体調不良を薬で治すという負のスパイラルにはまっているように感じます。

疲れをとるには今の季節が最適

今は一年で一番日没が早い時期です。12月中旬にかけて日中の時間が一年で一番短くなるのですが、夜の長いこの時期は疲れを取るのに最適な季節です。文科省の調査では日本人の6割が疲れを感じているとされます。肉体的な疲労も精神的な疲労も疲れているのは自律神経とその中枢がある脳ですから、睡眠により脳を回復させることが対策になります。

疲労を取るに良質な睡眠にくわえて無駄な情報を脳に送らないことが有効です。マインドフルネスはDMNといわれる脳に浮かぶ雑念を遮断する技術の一つです。この1年ほどテレビのない生活を送っていますが、たまにテレビを見ると本当に苦痛です。同じ情報ばかり何度も流し、しかも情報の大半は気持ちを暗くさせるものばかりです。

自然のなかでの適度な運動で脳を刺激して血流をあげると疲労物質の代謝が促されます。昨年の今日は会社買収の決済をした日ですが、この1年で「疲れた」とつぶやくことがなくなりました。

歩く移動ほど刺激的なことはない

この一ヶ月ほど、シドニーから来た留学生を預かっています。高校一年生ながら、14歳からアルバイトをしていて、自分の主張をしっかりするところは頼もしく感じます。伝統的な日本社会では、自分の主張をすることは和を乱すことと捉えられがちですが、それは論理の飛躍だと思います。彼女は自動車に乗るのが嫌いで歩くのが好きというので、昨日は近所を散歩しました。歩数計は3万3千歩を超えていて、山以外の場所をこれだけの距離を歩くことはまれです。自動車や電車に依存しない歩く移動は予定調和ではない発見が多く刺激的です。

コモディティ化する映像

昨日は久しぶりに親戚の結婚式に出ました。披露宴で印象的なのは映像を駆使することで、編集技術の長足の進歩を感じます。SNSでの動画投稿が一般的になり、実用化されている編集技術を使えば離れ業ではありませんが、当日の二人の様子や結婚式、30分ほど前の披露宴の映像までが参列者の名前とともにエンドロールとして流れるあたりは隔世の感があります。

30年近く前の自分の結婚式当時から動画撮影は一般的でしたが、二度と見ることがないと揶揄される当時のビデオ映像とは別次元です。映像は余興にも効果的に取り入れられていて、その演出効果はもはやバラエティ番組以上です。かつてはプロの領域であった映像の世界がコモディティ化することで業界地図は大きく変わっていくのでしょう。

死を意識する

2001年より日記を付けています。時々何年か遡り自分の生活と考え方がどのように変わってきたのか確認します。昨年の今日は新甲子温泉で住むにために南会津に薪を買いに行き、一昨年は当時の勤務先で買収検討中のホテルに調査で泊まり、5年前の今日は中央自動車道の笹子トンネルで崩落事故がありました。9名が亡くなる事故は、蓼科の帰りにぼくがトンネルを通過する1時間ほど前に起こりました。ニュースで見るだけの事故が、突然自分の人生を終わらせることを意識しました。死を意識することは悪いことではなく、今日を真面目に生きなくてはいけないと戒めてくれます。

死ぬこと以外はリスクではない

師走に入りました。12月は1年で一番月替わりを意識する月かもしれません。昨年12月から新甲子温泉に居を移したぼくにとってはこの1年を振り返らざるを得ません。多くのことが目まぐるしく展開して決して昔のことには思えませんし、かといってこの1年が短かったという感覚もありません。一言でいうなら、たくさん悩み、たくさん助けてもらった1年です。

先の見えない自営業になって不安な毎日ながら以前より幸せを感じます。以前は一見満たされている生活なのに常に何かに怯えていたように思います。それが何かはよく分かりませんが、何も成さずに死ぬ自分を怖れていたのかもしれません。今は死ぬこと以外はリスクではないように感じます。

痕跡を残さないシェルター

夜中の那須おろしの強風も止み、穏やかな朝です。温泉の前のブナの木々をリスが素早く渡っていきます。昨日は奥会津の金山町で見たベルギー発のドーム型テントDom’Up(ドムアップ)を設置できないか宿のまわりを見てもらいました。

オランダ在住の樹木医Bruno de Grunneとベルギーの建築家Nicolas d’Urselが開発したDom’Upは2本の木に吊るすシェルターです。開発者であるベルギーのTrees & People社のBruno氏の『NO TRACE』(痕跡を残さない)という哲学に基づき、樹木を傷つけない設置方法を採用し、撤去後には元の森に戻すという森林環境に配慮しています。造成や基礎工事が不要で、重機を用いる事無く設置や撤去が行え、強風時にはシェルターを地上に降ろす事で樹木への負荷を軽減します。

ぼくが独立して変わったのはよくも悪くも計算をしなくなったことです。勝算がなくても、成功する具体的なイメージがなくてもとりあえずおもしろそうなことを優先します。現状に満足せずに一歩を踏み出さない限り自分の人生は前に進まないと思います。

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