恐怖こそが生きることを輝かせる

今日は誕生日ですが特段の感慨もありません。「四捨五入すると還暦になる」と何人かの先輩が嘆いていた年になりました。会社に入ったのは55歳定年の時代ですから、昔ならリタイアが許される年齢です。老後は直視したくない現実ですが、ぼくは生涯現役を考えていてリタイアや老後という発想はありません。50歳を過ぎてから運動を始めたせいか体力の衰えを感じることもなく、今の境遇になってからは日々の生活で幸せを感じるようになりました。もちろん人間いつかは死ぬのですけど、死への恐怖こそが生きることを輝かせてくれると思います。

惰性で生きる予定調和の人生がたまらなく嫌なのは、ただ老いていくことへの恐怖だと思います。先の見えない人生を生きることは、ぼくにとっては老いへの抗いともいえます。写真は午後に寄った浅草です。

人生に彩を添える出会いと別れ

シドニーから来た娘と同学年の留学生が帰国し、三人家族の生活に戻りました。夕方になると、今でも「ただいま」と言って玄関のドアを開けそうで、わずか三ヶ月暮らしただけなのに家族が減ったような寂しさがあります。

福島で初めての雪を見たときも嬉しそうでした。夕食後一緒にお菓子を食べながら話すときが一番ハッピーな瞬間だと言ってくれます。到着したシドニーの空港からは「もう日本に行きたいなー」と妻にラインが入りました。そして彼女と双子のように寄り添っていた娘も今週には日本を離れ一年間の留学に出ます。出会いと別れは人生に彩りを添えてくれます。

写真は先日東京への移動中に国道4号線から見た富士山です。

大雪の東京への冒険旅行

昨日は急遽東京に行くことになり福島を夕方4時に発ち東京には明け方4時に着きました。大雪の警戒態勢の首都圏に向かうのは、ちょっとした冒険旅行の気分です。冒険旅行にふさわしく矢板の手前の国道4号線で後続車に衝突されましたが、普段から旅館のトラブルに慣れているので、動揺することもなくなりました。町中が大混乱のなか警察が来るはずもなく話し合いで別れました。久喜ICで通行止めにしながらすべてのETCレーンを閉め有人レーンひとつだけの東北道のお粗末さは雪に不慣れ以前の問題だと思います。写真は途中で1時間ほど仮眠を取った羽生パーキングエリアです。

時間の価値は人によって異なる

今日は我が家に3ヶ月ホームステイしていたシドニーの留学生が帰国するので羽田に行きました。日本で誕生日を迎えた16歳は「泣くと思っていたけど泣かなかった」と話していたものの、やはり羽田空港での別れ際にハグをすると泣き顔になっていました。

惰性で生きていると3ヶ月などあっという間ですが、日本に来たばかりの頃は日本語に不自由していた彼女は今では日本人とほとんど同じレベルです。同じ3ヶ月でも人によって時間の価値は全く異なることを実感します。日本人以上に気を配るのに、主張はストレートにするなど教育方針の違いを感じる3ヶ月でもありました。羽田空港からの帰りは温かい晴天に誘われて多摩川の土手を帰宅ランすることにしました。浮いた電車代は田園調布で寄ったカフェの喫茶代に消えました。

ビジネスと商売

昨日は宿の営業で有力なトレランショップに行きました。自分とは異なる業種の店でもいつも気になるのは商売のことです。コンサルタント時代のぼくはリアリティのないビジネスの世界に生きていたと思います。いまは目の前で現金が行ったり来たりする商売のことばかりを考えます。ぼくの感覚ではビジネスは損得勘定で割り切れる冷徹な取引ですが、商売はより広範な人間関係も含めた温かい取引です。これからの取引は工業化以前の商売の世界に回帰していくような気がします。

本音で話せるプライスレスな時間

昨日は様々な顔で働く方と会い3時間以上刺激的な時間を過ごしました。その人は複数の企業の経営と複数の大学の教員の顔を持ち、複数のプロジェクトをこなすまさに現代的な働き方をもう何十年も実践しています。会うのは20年ぶりぐらいなのに全く時間の経過を感じさせず当時と印象が変わらないのは幸せな働き方、ではなく生き方をしているからだと思います。

夜は以前の会社の仲間と会いました。ぼくが最後に働いていた会社で、30年のサラリーマン生活で最短の在籍期間ながら、毎日が学園ドラマのような、泣いて笑ってけんかする濃密な時間を過ごした職場です。本音で話せる人と過ごす時間はプライスレスです。

甲子高原はこれから本格的な雪の季節に入りますが、自宅近くの公園では梅がほころび、衣料品店には春物が並びます。

宿を通して編集すべき自然

昨日は山梨県にあるリゾートホテルに伺いました。バブル期に建てられしばらく放置されていた宿泊施設を改装しています。リノベーションされた施設を見ると、同業者としては改装コストやメンテナンスのことばかりに目が行きます。

うちと同じ800m強の標高からは、生憎の雨天ながら美しい雲海を望むことができます。宿を通して街の日常を編集する「まち宿」と同様に、豊かな自然に囲まれるリゾートホテルでフォーカスすべきは、宿を通して編集すべき自然の切り取り方だと思います。午後のひとときコーヒーを飲みながら窓の外に広がる雲海を眺めていると、今という時間の大切さを感じることができます。

偉大な日常

昨日は開業以来大変お世話になっている方の自宅に呼んでいただき宿の経営に関して有益な助言を受け、夜はリノベーションした「まち宿」のセミナーに行きました。住みにくい東京を離れたい思いはあるものの、先端の情報を得られることは依然東京にいる最大のメリットです。

写真は豊島区の椎名町で、空き家だった築50年のとんかつ店「とんかつ一平」を「宿」と「ミシンカフェ」にリノベーションした事例の紹介です。宿を通して街の日常を編集して特別な体験に変えた複数の事例からは、ステレオタイプの非日常ではなく偉大なる日常が価値を持つ現代消費の一面を垣間見ることができました。70人の枠に収まらず100人に増やしても満席というセミナー会場の熱気は時代が動き始めたことを感じさせます。

ささやかな達成感

週末のロードレースの余韻が今も筋肉痛として残っています。レースに出る素晴らしさは決意して達成する成功体験だと思います。重要なのはゴールセッティングです。たかだか21kmであってもゴールまで行くと決意することで、スタートラインに並ぶとアドレナリンがでます。途中のプロセスが辛くてもゴールをしたときのささやかな達成感が思い出を美化し、そのポジティブな感情はしばらく続きます。

写真は自宅近くの欅の大木です。長年住んでいるのに自然を愛でる余裕がなかったのか間近で見たのは初めてです。

挑戦を躊躇する落差

昨日は1年半ぶりのレースで21kmを走り、自分の筋力不足を不甲斐なく感じました。しかし運動らしい運動をしていなかった数年前の自分から見ると、21kmも走れること自体が想像できません。ぼくの周りでは100kmや100マイルのレースに挑戦する人が年々増え、もしかしたら自分も走れるのではないかという希望がわきます。

出来る人間にとっては簡単なことでも、できない人間には想像ができないという、この落差があるから人は挑戦を躊躇するのだと思います。スポーツの力は、やればできるということを教えてくれます。

昨日は人の力を実感することにもなりました。ゴール直前にいた友人をはじめ沿道の応援、とくに米兵のノリの良いハイタッチには力をもらいました。

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