昨日は紅葉シーズンの安達太良山に登りました。先月の安達太良山トレイルレース以来の山行で、すっかり体内の空気が入れ替わり頭も身体もリフレッシュしました。人類の長い歴史の舞台であった自然こそが人体のデフォルトです。55kmのレースの絶景ポイントだけを回る3分の1ほどの距離ながら、ハイキングとしてはそれでもハードです。麓からゴンドラで押し寄せた大量の行楽客が登山道を塞ぎ大渋滞で動きません。金で全てが手に入る都市の論理を安易に持ち込み、自然のリスクを軽視する姿勢は危険です。成長至上主義の必要悪だったはずの都市の生活が、いつしか理想の暮らしにすりかえられたと思います。
お知らせ
生き残るための革新性
後期が始まり学生と話す機会が増えると、彼ら彼女らの就職先である企業に思考が向きます。以前と考えが変わり今の自分は就職活動ではなく起業を勧めます。よい会社に勤めるという経済成長期に適合した発想を奨励することはむしろ無責任だと思います。中小企業の新卒の過半数が3年以内に退職する時代ですから、一社に生活の糧を依存して怯えるように暮らすのではなく、自分の力で仕事を創りだす道があることを伝えます。結果として大半の学生が就職するにしても、アントレプレナーの視点を持ち合わせればその職場で成長できる確率が上がります。人類進化とともに長年かけて組み込まれた遺伝子情報は、生存のための保守性と、環境変化を生き残るための革新性という矛盾したメッセージを内包しています。現代の社会で必要なのは後者だと思うのです。
失うものはない
子供の頃は心配性で慎重な性格でしたが、今の自分はリスクに無頓着です。このご時勢に借金をして旅館を買うなど冷静さとはまるで無縁です。50歳を過ぎてからエクストリーム系スポーツのトレイルランニングにはまるのも、以前の自分とは別人です。分別を欠く行動の背景にあるのは老いへの抗いだと思います。人生の残り時間を意識すると、その恐怖を消してくれるのは前に進む生き方です。人生で一度は見たいものは、世界の絶景や秘境ではなく、自分でビジネスをすることの先にある景色です。以前怖れていたほど失うものはないと思います。所詮われわれが見ている世界は脳が作り出した幻想なのですから。
自分は何を語りたいのか
行儀が悪いのですが、日本工学院で教室に行く前はアップテンポの曲でテンションを上げます。最初にすべきことは自分を動機付けることだと思います。話をしたいという気持ちが自分になければ相手には伝わりません。教科書で教えることができないのは、そこに感情移入できないからです。講義資料を作るのはいつも直前です。1ヶ月前に作った資料はすでに生気を失い自分の熱も冷めていて気分が乗りません。学生が何を聞きたいのかと同様に重要なのが、今の自分は何を語りたいのかです。居ながらにして情報を取れる時代になると、授業のような対面型プレゼンテーションは非効率で贅沢なコミュニケーションです。相手の心を動かし行動させることができないのであれば対面コミュニケーションは時間の無駄だと思います。大人の会合にありがちな形式的な挨拶など、日本中には無駄なコミュニケーションが今もあふれています。
細胞分裂型の未来
今日が日本工学院の文化祭(紅華祭)の代休による休校だと気づいたのは昨日で、天から一日を与えられ幸せな気分になりました。受け止め方一つで人はいつでも幸せになれます。幸せな人生とは何かと学生に尋ねると多くの場合「自分らしさ」と言います。自分らしく生きるとは、本音と直感で構えることなく主体的に生きることだと思います。21世紀の素晴らしさは、一人ひとりがホリスティックな存在として面白いと思えることをやり、気の合う人と会い、心地よいと感じる場所に身を置きながら自由に生きられることです。人を縛りつけて管理する企業の多くはやがて役目を終えると思います。ゴーイングコンサーンの大企業が必要なのは、電力、輸送、原材料などコモディティを生産する一部の産業セクターだけになるのでしょう。多くの職業は民間、公共、市民、アカデミアの境なく新陳代謝を繰り返す細胞分裂型組織になる、いわゆるクアトロ・ヘリックスの時代が来ると思います。
職業に貴賎なし
職業に貴賎なしと言われるように、どの仕事も社会に必要とされ職務を全うする限り等しく尊いと思います。自分のキャリアを振り返るとコンサルティング会社2社で16年、事業会社2社で14年8ヶ月を過ごしました。最初の事業会社の半分の7年はシンクタンクに出向したので、キャリアの75%はコンサルタント的な仕事をしたことになります。他人の会社に乗り込んで好き勝手に振舞うコンサルタントが昔は嫌いでしたし、コンサルタントになってからも虚業という批判を受けました。個人事業者になった背景には虚業コンプレックスもあると思います。自分のリスクで旅館を買い古い施設の営業許可取得の難しさを実感したとき、それまでの職業人生とは景色が違って見えました。違うのはリスクを取りサバイバルな生き方をするかどうかだと思います。
己の執着に自滅する
昨日午後スタートした日本山岳耐久レース(ハセツネ)はトレラン界で最も有名なレースです。妻をはじめ多くの友人が夜通し山中を走っていることを思うと家でのんびりと仕事などしている自分に後ろめたさを覚えます。ハセツネは2年前に自分史上唯一のDNF(リタイア)をした屈辱のレースです。2年前も気温と湿度がそれなりに高く、曇りの天気予報と1ヶ所しかないエイドを甘く見た結果、水のない苦難のレースになりました。最大の敗因はタイムへの執着です。上位争いに関係なくても、結局レースはどこまで行ってもタイムというヒエラルキーに支配されます。友人が多く出るレースゆえのタイムへの執着が1.5Lの水しか持たないという致命的なミスを犯し、リタイアした42km地点のはるか手前で水が尽きました。エイドで補給された1.5Lの水をその場で一気に飲み干しレースを放棄したときは、脱水状態での登山の苦しさに打ちのめされリタイア以外を選択する気力が起こりませんでした。古今東西、人は己の執着で自滅していくのだと思います。
実は自分に語っている
週半ばの7コマの授業は規則正しいタイムリミットとして自らを律してくれます。学生が聞きたいことを話すのが基本だと思うのですが、講義をしていると「人は自分に語っている」という格言を思い出します。気がつくと、人生を価値あるものにするものは何か、自分の人生を生きるとは、といった話をしています。仕事の意義を明確に語れる組織人は少ないような気がします。目指す目標を聞くと「毎日が平穏無事に過ぎる」といった模範回答をします。以前の自分なら「それで何が楽しい?」と聞いたのでしょうが、今の若者こそ人生の本質を捉えているのかもしれません。学生に話しているようで実は自分に問いかけているのだと思います。
全身にみなぎる生命力
自宅の近くを昨日歩いているとアラブ系の外国人が細い路地にダンプカーを誘導していました。その完璧な日本語もさることながら、息を呑むほどの鮮やかさで電柱と壁すれすれに大きな車を滑り込ませる技は、リズミカルで繊細な舞台芸術のようで見とれてしまいました。遠目にもやる気オーラを辺りに発散していることが分かります。一流企業で働く会社員と目の前の生き生きと働く作業員のどちらが幸せなのかを考えてしまいました。閉店した近所のガソリンスタンドにもやる気に満ちた元気なスタッフがいて、値段が高いのにその店で入れていました。生命力を全身にみなぎらせ完璧な仕事をする彼らが何に動機づけられているのかを知りたいです。一緒に働くなら彼らと働きたいと思います。
嗅覚の世界に魅せられる人生
ラブラドールと朝夕散歩に行くと嗅覚の世界に魅せられて一心不乱に、まさにゾーンに入ったように歩きまわります。犬も歩けば棒にあたるという人生訓は優れていると最近思います。元は犬がうろついていると棒で叩かれるという戒めでしたが、現代の解釈は好意的です。自分の直感と嗅覚を頼りにおもしろそうなものに興味をもつ好奇心さえあれば、人生の幕が次々と展開して新しい世界が広がります。以前は老後を心配しましたが、好奇心さえ持ち続けて今を生きれば、老後の心配はなくなります。人生がいつ終わるか分からない定めなら、せめて今日一日を自分らしく大切に生きたいと思います。自分らしく生きるためには少しばかりの情熱と勇敢さが必要です。