雨の日こそトレイルランニング

今朝は2年ぶりにトレイルランニングの練習で高尾山に行きました。お気楽なハイキングには何度か行きましたがレースを想定した練習とは別ものです。北高尾から南高尾を経て高尾山口に降りる28.43kmのルートは累積標高が2,037M、消費エネルギーは1,539kcalと短いレース並みです。朝から強い雨が降り続き、北高尾にハイカーの姿はなく好都合です。帰路も会うのはトレイルランナーばかりで雨の日こそトレイルランニングの練習に最適です。北高尾ルート最後の山の堂所山(733m)の手前では家のラブラドールを3倍くらいに太らせた大きさのイノシシ2頭が藪から飛び出し、呻き声をあげながらトレイルを渡りました。練習の目的はハムストリングなど必要な筋肉を取り戻すことと、ケトン体の産生回路を活性化することです。南高尾ルート最初の山の大洞山(536m)までの20kmは朝食も補給もしていないので、ケトン体によりエネルギーが作られていると思います。

内なる声を手紙が引き出す

昨日は南半球にいる娘に手紙を書きました。月に一度の手紙を書くとき、いつも手紙の持つ力に敬意の念を抱きます。面と向かっては絶対に言わないし、瞬時に届いてしまうメールにも書かない本心を手紙が引き出します。離れていても本音で向き合い心を動かされる手段は手紙をおいて他にはないでしょう。メールで告白をする今の人は気の毒だと思います。そこに書かれた思いはおそらくその人の内なる声ではないからです。衛星やインターネットの技術進化の系譜が行き着く先は人間の幸せではないと思うのです。

若者の可能性を信じる

7カレッジ39学科を擁する日本工学院では日々様々な若者の姿を目にします。昼休みに行われるライブ演奏を聴いていると、楽器演奏ができたらいいだろうなと思います。音楽の力は自分だけではなく周囲を高揚させることができます。真剣に打ち込む若者の姿を目にすることは清々しい気持ちにさせてくれます。一方で社会に出た新卒の3%しかわくわくとした夢がない、というデータもあります。可能性を秘めた若者が思う存分に生きるための基盤を作るのが教育であり、可能性を信じてその才能を引き出すことが教員の仕事だと思います。

生きる気力を自然が取り戻す

一昨日娘から手紙が届きました。手書きの手紙は電子メールと違い何度も読み返します。都会的な留学に憧れていたはずなのに、「この半年の生活を通じてつくづく感じることは人間の幸せは自然がつくりだしているということです」と書かれているのには驚きます。田舎はいやだと言って福島の旅館にも近づこうとしなかった姿からは想像できません。昨日の授業では「人はいかにして変わることができるのか」というテーマで、個人の変革管理について討議をしました。自分自身、阿武隈源流を見下ろす丘でお茶を飲んだり、阿武隈源流にいすを持ち出し読書をしたり、早朝の山頂で朝日を見たり、トレイルを走って下る至福の時間が主体的に生きる気力を取り戻すのだと感じます。

互いに教えあう学び

日本工学院の1、2年生向けの多人数の授業が一方的になるのに対して、少人数の3年生の授業は双方向型で刺激的です。ビジネスの上では付き合うことが少ない20歳前後の感覚を知ることができる場は気づきと発見があり貴重です。日々その兆候を目にしているにも関わらず、人は目の前で起こっている変化に気づきません。文明評論家のジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)が提唱する第三次産業革命が進むと、知識や学びの形は大きく変わると思います。知的財産権やノウハウの秘匿により価値を生み出す垂直統合の時代は終わり、世界中の知をオープンソースとしてシェアする時代になり、学びのあり方も変わります。教員が知識を所有し一方的に伝える時代から、ともに学び互いに教えあう学びの時代になると思います。

別の生き方を模索できる日本

今朝は阿蘇に来ました。朝もやの外輪山の壮大な山並みに囲まれる高原の朝は、連日の都会の猛暑とは別世界です。露天風呂から目の前に広がる美しい田園風景を眺めながら、もはや人が住むことができなくなった都市の異常を思います。明け方の空を飛び交うつばめを見ていると豊かさの概念が揺らぎます。人類の活動が、地球の生態系にとって取り返しがつかない惑星限界(Planetary Boundaries)を迎えたとされる今、野放しにされてきた個人のエゴと浪費を手放す以外に、持続可能性を見つけることはできないと思います。幸いにも日本の人口は減少しており、1950年代以降の世界的トレンドである経済成長とは別の生き方を模索できる状況にあります。

自動車中心の交通インフラ

この週末は兵庫県尼崎と京都の親戚の家に行くために1,000km走りました。京都では9日連続の38度超えという猛暑のなかエアコンを常時使い、帰りの東名高速は事故で御殿場から渋滞する国道246号線を走ったために、フィアットの燃費は19.1km/Lと平凡ですが、関西を往復してもディーゼルの燃料代は6千円ほどです。足の不自由な母との移動に公共交通は負担が大きく、車の方が経済的な上に、SAなどのバリアフリーも整備され便利です。高齢社会の日本は列車中心の公共交通ではなく、自動運転を主軸とした自動車を中心にすべきなのかもしれません。

捏造された幸福

昨日は村野藤吾最後の建築となった宝ヶ池プリンスホテル(グランドプリンスホテル京都)に泊まりました。企業の都合で、勝手に名前を変えないで欲しいと思います。同じ村野藤吾設計の箱根プリンスホテル(ザ・プリンス箱根)も好きなホテルで、弧を描く独特の建築は落ち着きます。非効率な丸い建物にいると、人類が豊かになるためにやってきたことは実は全て逆だったのではないかと思います。快適な空間を追求し、夜を明るくし、豪華な食事や華やかな生活など、浪費のために欲望を煽ってきました。経済的発展が幸福と相関しないことはもはや常識です。マーケティングの一環で捏造された幸福の形から、消費者の洗脳が解けるのに時間はかからないと思います。

厚顔なおもてなし

親戚を訪ねて今朝は酷暑の京都に来ました。街なかで見かける欧米人観光客には気の毒な耐え難い暑さです。ホテルの和食の店に入ると、欧米人カップルが「写真のメニューが見たい」と話していて店にその用意がないためにコーラだけ飲んで帰ってしまいました。日本人でも京都に来れば和食を食べたい気分なのに、インバウンドの集まる京都にしてこの対応は不親切だと思います。インバウンドが最初に目にする成田空港の列車案内でさえ、日本人から見ても不親切なのに、恥かしげも無く「おもてなし」と言ってしまう日本人は、いつから厚顔になったのでしょうか。

対話を好まない?医者

関係者には申し訳ないのですが、急性と外傷性のものを除いて医者には行きたくないと思います。高齢者施設に入る父を訪ねたところ腕と頭がかゆいと言っていて、加齢による皮膚機能の低下が原因でしょうが、医者は説明をしてくれないと言います。父親世代は医者への依存が強いので、医者が説明をすればそれで安心すると思います。偏見もあるでしょうが医者には二つのタイプが多いと感じます。病状を説明しないタイプと、もう一方は「治すにはこの方法しかない」と決め付けるタイプです。患者が治療のプロセスに参加することが重要だと思いますが、患者との対話を好まない医者が目立つことは残念です。

Translate »