前回香港に来たのはペニンシュラホテルのタワーが工事中の頃ですから20世紀です。当時も今も至るところで工事をしており、街に活力を感じます。若者しかいない歪んだ人口ピラミッドの深圳から長寿大国の香港に来るとほっとします。しかし、マカオも深圳もそして香港でも臆面もなく経済成長や浪費を礼賛する空気は共通です。ホテルのオンライン予約サイトは日本人の予約を把握しているらしく、この時期香港のホテル価格は暴騰します。九龍や中環のホテルは泊まれる価格ではなく、昨日は香港島裏側のアバディーンにあるゲストハウスに泊まりました。洗濯や調理ができてパブリックスペースの充実するゲストハウスは普段泊まるのにも合理的です。ゲストハウスに馴染むとコリビングやシェアハウスにも抵抗がなくなり、旅と暮らす感覚は急速に融合していきます。
お知らせ
中国の強権政治は必然?
昨日深圳から新幹線で香港に移動しました。乗車時間わずか14分の国内とは言え香港に戻ると安心します。未来都市深圳に滞在して中国の強権政治に対するイメージが少し変わりました。2008年のオリンピックを契機にマナーが改善したとされる中国ですが、厚顔無恥はどこでも目にします。豊かになっても行儀の悪さは相変わらずで、アウディーのショールームでは客がいてもスタッフが助手席の椅子を倒して寝ながらスマホを見ています。高級ホテルに来るような親子でも躾という習慣がありません。個人や家族の単位で社会性を身につけることができないこの国では、共産党が暴力で支配しない限り国がまとまらないのは無理もないことかもしれません。世界の工場の心臓部深圳は、その監視社会の評価を置いておくとして、経済発展のあり方を示しています。国を作り直すための壮大なパイロットモデルであり、日本よりはるかに巨大な国でありながらダイナミックに国を変えようとしているところに戦略性を感じます。
人類最後の監獄都市?
昨日は秋葉原の30倍という広さの電気街、CEEC(中国国際消費展示電子交易中心)、世界最大の書店など深圳詣の聖地を回りました。あらゆる取引が電子決済される深圳から見ると、連休前にATMの現金がなくなる日本は未開の国です。他方、無機質で人の営みが欠如した都市は、美しいけど安らぎを感じる場所ではありません。監視カメラにより行動が統制され、それゆえ物々しい警官の姿を見かけることは多くありません。地下鉄に乗るにもX線検査が必要な都市は人間らしい未来とは異なります。高層ビルが並ぶシンガポールやクアラルンプールは昔ながらの人情や風情を持つ一角があり落ち着きますが、似ているのはマニラ中心部のマカティやボニファシオ・グローバルシティです。65歳以上人口2%の理由は仕事から離れてまで住む理由がないからかもしれません。深圳の最大の強みは過去の遺産を一切引き継いでいないことです。この壮大な実験を新しい未来都市の始まりと考えるか、人類最後の監獄都市と見るか評価にはまだ時間がかかりそうです。
70年後に実現した1984年
昨日マカオから深圳に移動しました。人口30万人の漁村が、30年で1,400万人超に膨れ上がり、香港を抜いて中国トップのGDPを誇る都市は、高齢化が進む中国にあって65歳以上人口2%の前評判通り、地下鉄の車内は若者だけです。QRコード決済などで現金を持ち歩かない先端都市は、電車もバスも小額紙幣がわずかに使える程度で到着したばかりの旅行者には不便です。マカオから船で着くと事前に各自が機械で指紋登録をするのですが、不慣れな旅行者には分かりづらくイミグレーションの職員も横柄で不親切です。慣れてしまえば容易いことばかりですが、小額紙幣を持たない旅行者は地下鉄のトークンひとつ買えません。交差点には多数の監視カメラが設置され、警官がサブマシンガンを持つ高層ビルの立ち並ぶ街にはゴミひとつ落ちていません。美しい街はどこかいびつで、1949年に刊行された小説でジョージ・オーウェルの描いた未来は、1984年ではなく70年後のアジアの大国で実現したことになります。
図書館がそばにある生活
即物的な欲求のはけ口としてのカジノ、ポルトガル統治時代の面影を残す荘厳な教会、生命力と死が同居する市場など、異なる要素が混在するマカオは思考をかき混ぜる場所です。中国人観光客の圧倒的な購買意欲に、平成バブルの熱狂の記憶が蘇ります。一番気に入った場所は、マカオ最大の図書館であるロバート・ホー・トン図書館です。1894年以前に建築されたポルトガル人の住居を1958年から図書館として使っています。コロニアル建築と2005年に完成した新棟、それらが囲む中庭の居心地が良く、年配の女性が涼し気な木陰で本を読む姿に目を引かれます。先日見た沖縄県立図書館もそうですが、良い図書館がそばにある生活に憧れます。
レガシーエアと失われた30年
昨日マカオに来ました。経営悪化でキャセイに買収されたLCCの香港エクスプレスは、乗客のほとんどが日本人なのに日本語アナウンスを全くしない割り切りようです。トイレこそ無料ですが個人モニターもなく、水も出ません。一方、同じような値段で売りながら機内食を出し、エコノミー客にまでワインを何度も勧めるようなレガシーエアは過剰品質であり放漫経営にさえ見えます。顧客満足がいくら高くてもそれが単価上昇に結びつかないレガシーエアの姿は、平成が終わる今日、デフレ下の30年間の日本企業と重なります。
人間が向かうべき新天地
AIの不気味な進化とRPAの洗練はシンギュラリティの議論を消し去るように見えます。米国では医師、会計士、弁護士などの士業が静かにAIに置き換えられ、花形とされた戦略コンサルさえお払い箱になっていると聞きます。誰もが人間に残される仕事の領域を考えます。しかし、ディープラーニングの仕組みを人間が解明できないのに、AIは何が苦手か考えることは無駄だと思います。言えることは、AI時代の恐怖が人々を走らせる先にはビジネスチャンスがあるということです。まだわれわれが気づいていないが、生物としての人間が本来持つはずの人体の眠れる能力が次のフロンティアだと思います。広い領域の事象を無意識に組み合わせる全体性、ルールに抵触するきわどさやいい加減さとの両面性、生身の人間が発する場の空気を透視する嗅覚など、五感で感じ肉体を通じてアウトプットすることこそが人間が向かうべき新天地だと思います。
目標のない人生なんて
真冬に戻ったような寒さのなか、昨日は100マイル山岳レースのUTMFに多くのFB友達が参加しました。温かい室内でGPSの航跡を追うだけの自分にとって、雨天から雪にかわった山を夜通し走る友人たちは遠い存在です。ゴールという目標のある人は幸せだと思います。花粉症を口実に練習もせず、怠惰な生活を許す自分に罪悪感を覚えます。人間はいくつになっても体と心を鍛え続けなければ急速に衰えていきます。美味しいものを食べ友達と楽しく過ごし、たまに旅行やスポーツをするだけの余生を夢見ていましたが、目標に向かおうという気力のない人生など、退屈で気持ちは満たされないと思います。
反捕鯨こそが野蛮
ニュージーランドに呼応したとされるスリランカのテロといい悲劇の連鎖は跡を絶たず、異文化理解とは逆の力で世界は動いています。カルロス・ゴーンの逮捕について米国有力紙が批判を繰り返しますが、グローバルスタンダードのような顔をしている米国の訴訟社会こそ病んでいます。刑務所の民営化で終身刑を乱発するような国が日本の司法制度に文句をつける資格はありません。2月にロンドンに行ったとき、WWF(世界自然保護基金)に勤める親戚が英国の入国審査官に「捕鯨問題をどう考えるのか?」と聞かれて足止めされた話を聞きました。捕鯨問題の腹立たしさは、酷い方法で日々動物を大量殺戮している国が日本の伝統文化を糾弾するご都合主義です。鯨だけは特別という勝手な主張で過激なテロに及ぶ連中に寛容な反捕鯨の風潮こそが野蛮です。
エリート支配対平民主義
カルロス・ゴーンの再逮捕と保釈のニュースに接し、日本における教育のあり方を考えます。いまに始まったことではありませんが、全入時代の高等教育は学ぶ意味を奪い、知的探究心のない学生を量産します。他方で良い面もあり、それは教育の平等性です。カルロス・ゴーンが教育を受けたグランゼコールはエリート養成機関として高等教育を受けるに値する知的能力の有無を早い段階で厳しく選別し、国が丸抱えで育成します。遅咲きの知的能力をもった子供は切り捨てられ、最終学歴によって一生人に使われる仕事に甘んずると言います。エリート支配が政治の公正さを捻じ曲げているのが格差の拡がる米国や中国です。平民主義を歓迎する日本でカルロス・ゴーンが逮捕されたのは象徴的な出来事に思えます。