今年は異例に遅い梅雨明けにより夏らしくありません。一方で台風がなく、扇風機だけで過ごすことができ身体は楽です。自然と親しむようになるとどの季節も好きになります。雪に閉ざされる真冬の無音の世界も、可憐な花が顔をのぞかせる雪どけの季節も、生命力にあふれる初夏の新緑もそれぞれに印象的ですが、とりわけ感傷的になるのが夏の終わりの風情です。夏の強い太陽によりセロトニンが分泌されることと関係があるのかもしれません。遠い過去の記憶を呼び覚ます匂いや音楽があるように、季節ごとの印象が特定の場所の記憶と紐付けられます。夏の終わりの蝉しぐれを聞くと思い出すのは日光中禅寺湖畔であったり、澄み渡る秋の空を感じると思い出すのが箱根の仙石原といった具合です。自粛生活でオンとオフが渾然となり夏休みが縮小される若い人たちが、遠い夏の記憶を失うなら気の毒なことです。
お知らせ
型破りを殺す民度?
在宅勤務率7割要請のためか都心に向かう電車は空いています。暑い時期に全員がマスクをする日本は民度が高いのか同調圧力に弱いのか、北朝鮮並の統制社会です。青山、赤坂界隈を歩くと表通りの路面店には長く閉店したままの店、閉店予告を出す店、取り壊している店が目立ちます。25兆円規模で500万人を雇用する外食産業は年内に3割が減少するとされます。3割減少経済は未曾有の事態でありその対策を知る人はいません。平成の時代にデフレが常態化したのは、不採算部門の撤退や効率化など自明のことしか行わなかった結果だと思います。企業社会に蔓延する管理強化は秩序と効率性を生む反面、独創性とイノベーションは殺されます。3割減少経済に必要なのは洞察力や直感、発明、独創性と情熱に支えられた画期的なアイデアのはずです。自粛要求やマスクに従順に従う日本人の民度が高いなどと喜ぶ気にはなれません。産業革命の模範生だった日本は戦後の大量消費社会においては大きな成功を収めましたが、高度化された産業で必要なのは、最初に海に飛び込む勇気や臨機応変の独創性といった型破りの才能だと思います。
問題はときめきが少ないこと
人手不足に悩むスーパー大手のサミットが雇用年齢を75歳に引き上げたのに続き、7月1日に社内規定を改定した家電量販店ノジマは3,000人いる全社員を対象に80歳まで従業員の雇用を延長する制度を設け、80歳を超える雇用延長も検討すると報道されます。70歳までの就業機会の確保を努力義務とする改正高年齢者雇用安定法が来年4月に施行され70歳現役社会が本格的に始まります。この分野で先行しているのは定年という概念をなくし、全国に4万2千人いるビューティーディレクターのうち500人が90歳以上というポーラです。現役で活躍する99歳がギネス世界記録に認定されたこともあります。商品の委託販売契約を交わし個人事業主として活躍する働き方は労働市場の主流になるかもしれません。定年制度は作業スピードが要求される生産ラインで働くことを前提とした前世紀の遺物です。自然界では生殖機能を失った生物は淘汰される運命にありますが、例外的に長生きする人間には生きがいにもなり、運動量も増える仕事が必要だと思います。問題はときめきを覚える仕事があまりにも少ないことでしょう。
操作された欲望
東京五輪に備えた今年限りの4連休は、移動を悪者視する短絡思考の蔓延で盛り上がりに欠けました。連休中は食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べる自炊生活をしましたが、味覚の変化を実感します。断食などをきっかけに味覚は変わり、以前は毎日3、4杯飲んでいたコーヒーをこの1ヶ月ほど飲みたくなくなりました。欲求には健全なものと不健全なものがあり、前者は正常な心身のありようと矛盾しない欲求だと思います。言い換えると生体の恒常性維持のために食べるか快楽のために食べるかの違いです。ミシュランの星付きレストランの数からして日本人ほど食へのこだわりの強い国民はいませんが、それを素直に喜べないのは欲にまかせて食べる風潮があるからです。豊かになると限界効用は逓減するはずですが、飢えとは無縁の現代人がむき出しの欲望を隠そうともしないのは奇異に感じます。人が中毒や依存に陥るのは空腹リスクを過大に恐れる人類進化の歴史があるからでしょう。身体は食べ物で作られますが、一世紀以上に及ぶマーケティングの歴史は今や脳を騙すテクニックに長け、その最たるものが食欲の操作でしょう。
今年の春は遠い昔
不公正な取引を正す米中貿易戦争が始まったときは、中国市場をオープンにする経済問題だった米中対立は人権問題を始めとした冷戦、そして今は南シナ海を舞台とした戦争に発展する危険があります。民主的なプロセスを経ない極左冒険主義の革命政権はその出自からして法治概念の欠如した犯罪集団です。プロパガンダによる思想コントロールで民衆の心の隙きをつくポピュリズムはやがて暴力と金による恐怖政治で国民を支配しました。実質マイナス成長とされる経済崩壊、豊かになる前に高齢化した社会崩壊、そして常軌を逸した香港国家安全法の域外適用で、香港の租借と同じ99年で中共政権が終わる気配です。背景を持たない故に消去法で選ばれた習近平は彼が尊敬する毛沢東と同じ過ちを犯しましたが経済成長の終わった今、鄧小平はいません。中共と組んで儲ける親中派がいなければソ連と一緒に崩壊していたはずの中共の命運は尽きるのでしょう。習近平の国賓来日を議論していた今年の春が遠い昔に思えます。
人生に何かが足りない?
昨日は西岳と編笠山に登りました。四連休とは言え雨の日はハイカーに会うこともなく静かな森を独り占めできて内省に最適です。晴れた日ほどテンションは上がりませんが人生と同じで雨の日には雨の日の楽しみがあります。身体を鍛えるためでもコースタイムを競うためでもなく、苔むした樹林帯の景色を楽しみながらゆっくり歩きます。不快な雨具なしに雨を楽しめるのは夏の特権です。1時間も歩くと血流が良くなり筋肉がリラックスして体調が整い、雨の日でも気分が落ち込むことはありません。編笠山の下りで目の前を狐が横切ります。人生を豊かに過ごす秘訣は自分の人生に必要な物を見つけることだと思います。山に行けてある程度の仕事があれば、執着やしがらみを増やすだけのそれ以外のモノは要りません。かつて考えた理想の休日はスポーツカーで郊外のフレンチレストランにでも行き、夜は箱根あたりの高級旅館に泊まるというステレオタイプのものです。幸か不幸かそんな境遇にはありませんが仮に実現していたら、一日の終わりに温泉の湯船につかり脂肪のついたお腹を見ながら、自分の人生には何かが足りないと虚しさを感じていたはずです。
ドーパミンと脅しの幻想経済
例年なら梅雨明けの今頃は天候の安定する時期ですが、レジャー業界期待の四連休は雨が続く見通しです。世界最大の都市圏からの移動が難しくなり、起死回生のGoToキャンペーンも利権構造が明るみになりました。あらゆる業界が試練に直面する今、ビジネスは転換期を迎えていると思います。脳は利己的でエキセントリックな臓器です。生存本能を発揮する反面中毒や依存で他の臓器や細胞を犠牲にします。多くの業界は脳のこの性質を経験的に知っていてそこにプロモーションを集中してきました。中毒症状を起こす嗜好品やギャンブルはわかりやすい例ですが外食やレジャー産業の多くが購買行動を左右する脳の暴走を利用してきたと言えます。その結果中毒や肥満が蔓延してQOLが低下してもそれは自己責任であり、いまや商業的側面の強い病院でさえその例外ではありません。ドーパミンを活用した商品計画と脅しにより消費者の思考を奪う手口は頻繁に用いられます。両者に共通するのはフォーカシング・イリュージョンと呼ばれる幻想に焦点をあてる方法です。必要ないものを買わせる幻想経済のあり方を見直す時かもしれません。
自分を偽らずに生きる場所
昨日は権現岳(2,715m)に登りました。かつては八ヶ岳権現と呼ばれ山頂には祠がある聖なる山です。山に行くことは神聖なものに近づくことで、自分を見つめる機会になります。以前なら敷居の高い山でしたが、荷物の少ないスピードハイクなら富士見登山口から西岳、権現岳、編笠山の3つのピークを抜けて5時間かからず朝食前に戻れます。山や森が人々を惹き付けるのはその美しさや清涼な空気だけでなく、大木や大岩に宿るオーラが傷ついた細胞を癒やしてくれるからだと思います。登りは規則正しい呼吸で一歩一歩筋肉に意識を向けますがデフォルトモードネットワーク(DMN)が動いて次々と雑念が頭をよぎります。過去の出来事を反芻するうちにアイデアが思い浮かんだりするので音声入力装置が手放せません。一方、下りはスピードを上げるので、滑る木の根や浮いた石に神経を尖らせる集中瞑想状態でDMNが停止し雑念が消えます。不思議な静寂に満ちた早朝の山は心を静め、本当の豊かさを感じます。山は誰にも邪魔されず自分を偽らずに生きる場所だと思います。
美味しいものには関心がない
この2日ほど食事を抜きました。体調が悪いときや一人で食事を作るのが面倒なとき、忙しいとき、静かな時間を過ごしたいとき、出張のときに断食をします。時間はとくに決めておらず食べたくなったら食事を再開し、2日間ぐらい食事を抜くと正常な食欲が戻ってきます。断食には壊れた脳の欲求をデフォルトに戻す機能があると思います。本来、食べるという快感は生物が生き残るための動機づけとして存在します。しかしその快感が主観的な認識であるために飽食社会では快感の追求が無制限に許され、やがてドーパミンに依存した強迫観念や妄想により過食になります。断食の心地良さは、食に対してより真剣に向き合おうとすることです。脳が正常な欲求を区別できるようになると味覚も正常になり自分の身体に必要な食物を判断できるようになります。美味しいものに目を奪われると健康な身体を維持できなくなり、野放図な快楽を求める生き方は生命の危機とのトレードオフの関係にあります。関心があるのは美味しいものではなく身体に必要なものを美味しく食べることです。
今やただの風邪?
様々な説が取り沙汰される新型ウィルスの感染は、誰もが知るタレントの死やマスコミの扇動により形成された世論を変える事は難しい状態です。最大の謎は初動が遅れた日本の死亡者の少なさでしたが、ビックデータ解析に基づき、東アジア風土病説は仮説の1つから事実になりつつあります。国境封鎖が遅れたことが幸いして複数のウィルスにバランスよく感染した日本は集団免疫を形成していたと言います。抗体検査の陽性率の低さは検査数値の目盛りのトリックだったことになります。緊急事態宣言もPCR検査もマスクも自粛も不要で、重症患者のいない今やただの風邪と見ることができます。気がかりなのは最も早期からウィルスを研究しその起源を知る香港大学の閻麗夢氏が人類が遭遇したなかで最も毒性が高く、もう時間がないと警告していることです。フォックスニュースの4時間に及ぶインタビューの全てを見たトランプ大統領が翌日には初めてマスク姿でマスコミの前に現れたことも気になります。さながら成り行きのわからないミステリー小説ですが、一歩一歩真実に近づいていることは確かでしょう。