仕事は、し始める方法が大切だと思います。自宅で仕事をするとメリハリを失いがちですので朝マクドナルドに行きます。近所のマクドナルドは近くに図書館もあり、人との打ち合わせにも使え、昨今は店内の雰囲気も洒落ていて気分はコワーキングスペースです。自販機と変わらない値段の飲み物だけでワイファイや電源まで使えて有り難い存在です。昨日は前に高齢の男性客がいて、店に入るなりナフキンを数十枚ポケットにしまいます。注文したコーヒーが出る間にカウンターにあったシュガースティック30本ほどとミルクをやはりポケットにねじ込みます。原価率の低くない100円のコーヒーでモラルの欠けた客を相手にするマクドナルドは大変だと思います。別の高齢の客は悪気はないのですが独り言がひどく、周りで仕事をしていた若者は集中できず席を立ち、自分もイヤホンの音量を上げなくてはなりません。外食経営を難しくしているのは、自分のようなバーゲンハンターも含めて、会社に損失を与える客です。90年代以降流行った顧客満足経営の大切なエッセンスは不適合顧客をビジネスから締め出すことですが、外食企業の多くはそれを実現できずにいます。
執着と愛着の境界
昨日は渋谷まで歩きました。街を歩くと執着を生み出すものばかりが目につきます。開店前のパン屋には行列ができ、松濤には豪壮な住宅が並び、そこには高級車も必要になります。執着を捨てることでしか人は幸せになれませんが、経済は執着を増殖させることでしか成長できません。こんまりメソッドや断捨離が世界に波及するのも、執着の生み出す際限ない欲が人を苦しめることに気づき始めたからです。執着と似たものに愛着があります。他との比較が可能なものが執着で自分なりの尺度を持てるものが愛着だと思います。同じ自動車でも長年持ち続けると愛着ですが、何年かで買い換えるなら執着でその境界は曖昧です。ブランドものとされる商品の多くは執着を生みますが、世界はよくできていて低価格なものほど執着を生まないで済みます。
60、70代は現役世代
昨日は雲取山に登りました。東京都最高峰の百名山とは言え、歩きやすいトレイルは急な登りもなく小学生でも登れます。6時半に鴨沢の駐車場を出発してスピードハイクなら2時間少々で山頂に着き、山頂でのんびりしても11時には下山できます。山頂で写真を撮ってあげた男性は66歳だと連呼しますが、60代は老け込むような年代ではありません。周りでは80代の現役や、70代で100マイルレースを完走する人は珍しくありませんから、今や現役世代の60代が雲取山に登っても自慢になりません。空腹時の有酸素運動がケトン体とミトコンドリアを活性化させますので、前日の夕食以来水をのぞいて無補給ですが、3、40km程度までの山歩きであればエネルギーが切れることはありません。テント泊で縦走する妻と雲取山で別れ、公園の散歩道のような美しい新緑の森をラブラドールとゆるランで下りました。
グルメ情報がかき消す内面
水を控えるだけで長年の胃の不調が回復して食事が美味しくなりました。食事が美味しいのは最初の1口目だけという事実を大半の人は知りながら、その刹那的瞬間のために労を厭いません。コース料理で美味しいのは前菜だけでその後の料理はあまり美味しくありません。真夏に飲む冷えたビールの最初の一口はお酒を飲まない自分でも美味しく感じますが、それ以降は惰性で飲んでいるだけです。人は食欲を単純なものとみなしただ満たそうとしますが、食欲にはムラがあるという重要な性質を見落としています。過食を続けると満腹中枢が機能しなくなり、脳の低血糖状態である空腹感が中毒症状を引き起こし食源病になります。静かに自分の内面を観察すれば過食を止めることはできますが、世に氾濫するグルメ情報や企業のプロモーション、便利すぎる生活がそれをかき消すと思います。
戦争責任の帰趨
昨日は靖国神社に寄りました。靖国神社に来る日はいつも快晴ですが、ここを特別な場所にしているのは参拝者が作り出す独特の雰囲気だと思います。インバウンドであふれる明治神宮とは異なり、白百合学園の関係者なのか申し合わせたような濃紺スーツの女性が集まり、戦中世代の白髪の男性が深々と頭を下げて境内に入って行く空気は、日本人から見ても特別な場所です。決して広大ではない神社の裏手には都心とはにわかには信じがたい、巨木の森があり英霊が帰るにふさわしい厳かさがあります。遊就館の零戦のエンジンは今にも息を吹き返しそうで、戦争を遠い記憶にしてはいけないことを戒めているようです。戦犯合祀が外交問題になりますが、ヒトラーのような個人に戦争責任を押し付けられない日本固有の問題なのかもしれません。
市場細分化の罠
自宅最寄りの快速しか止まらない京王線の駅で待っていると、団子状態の3本の列車が通過していきます。準特急や区間急行というどこに停車するのか不可解な列車に続いて混雑時に迷惑な全席指定の京王ライナーが呑気に続きます。「もっと便利な毎日へ」という標語を額面通り受け取ることはできません。ノロノロ運転をするぐらいならハブ&スポーク理論に従って、ハブを結ぶ特急とスポークの各駅停車だけでよいはずですが今や列車の種類は7種類以上あります。不慣れなインバウンドでなくても、どれに乗ればよいのか分かりません。沿線人口の増加に期待できず目新しさにすがりたい気持ちも分かりますが、これは市場細分化の罠です。牛丼一筋をだいぶ昔に放棄した吉野家も「ライザップ牛サラダ」を出すご時世ですが、本質の大切さを見失っているように見えます。
夢を失う世界
日本は総じて不幸の少ない国ですが、目をそむけたくなる凄惨な事件と向き合わないことはできません。運が悪かったでは済ますことのできない悲劇は世の必然なのでしょうか。自分の不幸を社会の責任に転嫁するのは簡単です。やりたいことがあればどのような境遇でも人生は充たされますが、幸せな生活を復讐対象にする人間はどこにも存在します。社会が方向感を失った現代は夢の持ちにくい時代かもしれません。経済成長の時にはシミュレーテッド・リアリティだったにしてもアメリカンドリームのような夢を社会が共有することができました。経済成長と新興宗教はセットとされるように、そこに取り残された人を宗教が救ってきましたが、現代の日本はそのどちらも力を失っています。
現場力を失う大企業病
時々使う某航空会社はいつも遅れる飛行機というイメージがあります。遅延理由を羽田空港混雑の為と言いますがそれは本質的な理由ではないと思います。定時発着率の高い別の航空会社は窓側席の乗客から乗せて満席でも人の流れはスムーズですが、この会社は親会社の優先搭乗方式を踏襲します。搭乗機までバスを使う場合でも同じ搭乗方式のために、機内への搭乗順序が逆になり機内は混乱しますがお構いなしです。機内でもその印象は同じで、飲み物を回収する袋を持ち何度も通るCAはこちらが容器を返そうとしても気づきません。現場に改善力がなく漫然としたルーチンワークの惰性に陥る会社は、大小に関係なく大企業病です。写真はバスから見たトランプ氏の乗ってきたエアフォースワンで本文とは関係ありません。
復活する?運動会
全国が猛暑日に見舞われた昨日は娘の高校の運動会に行きました。爽やかとは程遠い酷暑の気候は、もはや5月の東京で運動会をやることを難しくしています。遮るもののない校庭には真夏の日差しが降り注ぎ、救護室は熱中症の対応に追われ担架で運ばれる生徒もいます。昔ながらのリレー競技は今でも人気者ですが、ハイライトはここでもダンスです。運動会というと徒競走の順位も決めないなど、年々ひ弱になっていく印象でしたが、騎馬戦や棒倒しといった暴力行為に発展しかねない危険な伝統競技は今も健在です。本気でぶつかる若者の姿には清々しさを感じます。建前ばかりが渦巻く企業が運動会を復活させたくなる気持ちが分かります。
巨大な鬼城
令和最初の国賓として日本を訪れるトランプ米大統領が、深遠な道筋を考えているのかアメリカ・ファーストの頑固者なのか分かりません。世界を巻き込み始めた米中経済戦争が抜き差しならない局面に入った時期の来日は歴史の転換点かもしれません。先日訪れた人口1,450万人の深圳市を見ると中国の発展は驚異的です。一方で中国は深刻な社会矛盾を抱えたままの強引な成長と、リーマンショック後のモラトリアムのつけがまわり、プラザ合意と人口オーナスの影響が日本を苦しめたように、人類史上最大のバブルが中国で崩壊するとの指摘もあります。ファーウェイ包囲網などが経済崩壊の引き金を引けば未来都市深圳さえ巨大な鬼城にならないとも限りません。日本も中国も持続不可能な政治を続ける点では同じですが、より人災に近いのは後者です。