昨日は1年ほど不調の続く腰を診てみらいました。この一年間病院や治療家にかかりましたが、呼吸、歩き方、座り方など体の使い方のアンバランスで腰に負担がかかるという説明は納得できます。治療や施術により一時的に症状が改善しても普段の体の動かし方が変わらなければ再発します。日頃バランスボールに座っていると姿勢を安定させるために深く座りがちで、その結果骨盤が寝てしまうという説明は身に覚えがあります。レントゲン写真を見ると背骨が片側に湾曲していますが腰痛の原因は複合要因だと思います。人を診ずに検査数値や画像を見る現代医学は、症状が起きた原因を探求せずに標準治療を施そうとしますが治療法は一つではないはずです。金槌を持てばすべてが釘に見えるように専門家の多くは、目の前にいる患者が普段どのように体を使っているかを見ていません。都市的なライフスタイルにより現代人は人体の設計仕様にあった正しい体の使い方をしておらず、座り方など日常的な体の使い方が原因になる腰痛こそ典型的な生活習慣病でしょう。一方で人に依存して治療に参加しようとしない患者の側にも問題があり、海外の病院では医療の専門書を集めた図書館を併設するところもあります。海外のオフィスではスタンディングデスクや浅く腰掛けるカウンターチェアーが目立ちますが、日本人は今でもイスに安楽さを求める傾向があり腰痛を増やしていると思います。
労働市場をボーダーレス化するAI
先週iPhoneをSEから8に交換して音声認識の精度が格段に向上したことに気づきます。メモが取れないときなどに音声入力を重宝しています。音声認識技術は発音の個人差などにも対応し始め、500億語にのぼる日本語データとAIを組み合わせた機械翻訳は恐ろしい進歩を遂げ、街中で見かける機会が増えました。高度なスキルが必要な同時通訳が実用化されるのも時間の問題でしょう。生産人口の減少が日本経済の弱点でしたが、AIの急速な発展により言葉の問題を気にせずに外国人労働者が働く時代が来るかもしれません。もっともその頃に日本が外国人にとって魅力的な労働市場であるか疑問もあります。日本でも様々な国の出身者が普通に働く時代になり平均的な日本人より能力も意欲も高い印象があります。唯一弱点があるなら言葉のハンデだけで、人材競争のボーダーレス化が実現するのはそう遠い未来ではないと思います。自分の人生に対して不真面目で努力を怠った日本人はそのときになって後悔するのでしょう。
自然に埋もれるストイックな暮らし
昨日乗った飛行機は日曜日の始発便ということもありますが、搭乗率は2割ほどの最近見ない光景でした。あまりに人が少ない搭乗口を見て、すでに搭乗が始まったと勘違いしたほどです。増税後冷え込むように見えた消費マインドの流れを新型ウィルスの世界的な感染拡大が決定づけてしまったのかもしれません。社会人になった頃の会社は対前年売上を下回る時期が続き言い知れぬ不安の後にバブル経済の狂乱が日本中を覆い、ITバブルやリーマンショックを受け、方向感のない時代だった平成が終わりました。リーマンショックの頃は今では考えられないような手頃な価格だった高級ホテルに泊まっていたのを思い出します。不安は自己が作り出した幻想でありその実態は起こりもしない悲観的な未来ですが、原因は失いたくない執着でしょう。普段と変わらぬ新しい一日が始まる空港で多くの人が働く姿を見ていると、不安な時代こそ今日一日に全力を尽くして未来に備えるべきだと思います。失うものが少なければ自ずと不安も少なくなり、自然に埋もれるストイックな暮らしに憧れる理由はそこにあるのかもしれません。
都市の憂鬱
飲食店に行くのは仕事の関係か昨日のように家族や友人と会うときぐらいで、食べることを目的に外食をする機会はほとんどありません。以前は人並みに外食し、旅行に行き、車を買いましたが、年々その意欲を失っています。消費者は存在しない効用を勝手に期待してモノを買っていると思います。その幻想から覚めぬように企業は夢を見させて消費者の欲望を引き出します。フェラーリを運転すればその官能に満ちた世界が日頃のうさが晴らしてくれるとか、キャンピングカーがあれば生活が非日常に変わり旅行が日常化するとか、4WDがあればどんな雪道でも走れる的な幻想を抱かせます。しかし実際にはそれほど刺激的でも楽しくも走破性もなく、頭のなかで膨らませた理想と実際の消費経験は異なります。自分の選択を正当化したい消費者はその乖離を問題にしませんが、旅行や食事も終わってみれば最初の期待は消え、体と財布への負担だけが残ります。自然に囲まれて暮らすと欲望が薄れていきます。刹那的消費が世間にあふれるのは、自然の恩恵を受けられない都市の憂鬱を晴らすために手軽な夢を見たい消費者と、多く売りたい事業者の利害が一致するからだと思います。都市が労働力を確保するために消費というアメが必要なのでしょう。
マスクよりリラックス
感染症は謎に満ちたミステリーから始まります。インフルエンザは渡り鳥を宿主としてその腸内にあるウィルスが突然変異により人への感染性を獲得したものとされます。どのウィルスも長期に渡る生存を続けるために何らかの生物内にとどまる必要があり、本当は宿主を殺したくないはずです。ウィルスが人間を殺すわけではなく免疫の過剰反応によりサイトカインが放出されることがインフルエンザ感染重症化の原因です。国立感染症研究所が新型コロナウイルスの分離に成功し治療薬などの開発が期待されますが、むしろ重要なのは自身の体調かもしれません。ワクチンやペニシリンが伝染病や感染症に著しい効果を発揮したために近代医学は薬物療法を信奉しますが、ウィルスは絶えず形を変えるのでワクチンの効果を疑問視する意見は根強くあります。ウィルスを攻撃するNK細胞は交感神経が緊張した状態だと働かなくなり、前向きで明るいタイプの人はインフルエンザウィルスに感染しにくいと結論する研究もあります。インフルエンザが自然治癒することは常識になりつつあり、マスクを買い占めるよりも栄養を摂りリラックスして質の高い睡眠をとることの方が有効だと思います。
人間の醜さと美しさ
WHOが国際緊急事態宣言をした中国を見ると、原発事故で被曝の危険と隣り合わせの現場に残り職務を遂行した「フクシマ50」を思い出します。情報隠蔽と責任逃れ体質の共産党幹部とは対照的に医療現場で身を賭して今も対応にあたる医療関係者がいるはずです。危機にこそ人間の醜さと美しさが現れると思います。リーダーの本質は非常時にこそ発揮され平時のリーダーはあてになりません。尊大な態度の人間が信用できないのは修羅場になると真っ先に逃げ出す卑劣さが見えるからです。自己犠牲を伴う使命感という点で自衛隊は過小評価されていると思います。実戦経験のない自衛隊の力量を疑問視する声もありますが、対潜水艦防御網を突破した海上自衛隊のディーゼル潜水艦が米空母撃沈判定を度々記録し、航空自衛隊のパイロットの技量は相手が米軍なら戦闘機1世代分のハンデが消えると言われるほどの練度とされます。陸上自衛隊はNATOの戦車射撃競技会で2位以下に大差をつけて優勝し、2,000人が3年間駐留したイラクでは一人の脱走も一人の暴行事件も一人の無銭飲食もなかったことが世界を驚かせました。企業にあって軍隊組織は人気がありませんが、それは権力集中と言論統制をする中国のようにコマンドアンドコントロールが不完全でいびつだからだと思います。
人類滅亡の危機?
人類は病原菌に対する戦いに勝利し感染症を克服したはずでしたが、変異を繰り返し威力を増す病原体の脅威に直面しています。検査キットもベッドも不足し肺感染が疑われる患者の多くが検査も受けられずに帰され、制御不能となった武漢の街からはおびただしい数の人々が脱出し、人影の消えた都市の映像はさながらホラー映画の世界です。クライシスマネジメントのお粗末さによる人災であったにせよ急激な感染拡大は、SARSコロナウィルスとエボラウイルスの生物兵器を研究していた中国科学院のウィルス実験室から漏れたとする不気味な説にも説得力があり、早い段階から制御不能を予言していた複数の研究者が敵前逃亡せざるを得ない状況とも符号します。気の早い人たちは中国崩壊説やオリンピック中止論、はては人類滅亡説まで唱え始めましたが、とにかく人混みに行かないことと手洗い、免疫力高める質の高い睡眠、できれば人口集中する都市から離れることだと思います。治療法がない以上生死を分けるのは免疫力の差だけで日頃から規則正しい生活を心がけ、右往左往せずにいつ人生が終わろうとも悔いを残さないように毎日を真面目に生きることが重要でしょう。
人生を変える体験が生む執着
2020という不思議な響きの年は何か大きな時代の転換を暗示している気がします。新型ウィルス肺炎の感染拡大は深刻な影響を世界経済に及ぼすことが懸念されます。真実が隠蔽される一方で、マスコミが人為的に刷り込んだ恐怖は連鎖的に拡散します。満足にモノさえ買えなくなった中国の1,000万都市はゴーストタウンと化し、金で手に入れる幸せは危機に直面するとその脆さを露呈します。一昨夜NHKで屋久島の幹周り16.4メートルの縄文杉を上回る巨大な屋久杉を発見するドキュメントを見ていて、無性に森に行きたくなりました。しかしわざわざ屋久島に行くことは合理的と思えません。国土の大半を森に覆われる日本にいながら、森を見るために飛行機を使うことは無駄ですし、移動による疲れから体調を崩すのが落ちです。樹齢4,000年でなくても数百年の巨木は日本各地にあります。その感動の一瞬はもしかしたら人生を変える体験になるかもしれませんが、同時にもっと見たいという執着を増やします。車なら1時間で行ける丹沢の森を歩き晴れた日に富士山を眺めた方が合理的なだけではなく幸せが長続きすると思います。
組織と人間の境界
昨夜は雪国のような箱根に泊まりました。経営危機に見舞われながらドラスティックな改革を行い成長戦略に転じた旅館です。問題が生じたとき、解決の答えを見つけることは重要ではなく何かを信じて実行することが全てです。答えが間違っていても実行しながら修正していくことはできますが、行動を起こさないことには何も始まりません。不安に身をすくめて動けずにいると直感までにぶります。行動に必要なのは自己否定であり、それなくして自分を変える第一歩を踏み出すことはできないと思います。弱い組織ほどトップが自画自賛をしがちでその歪んだ愛社精神は疫病のように組織に蔓延し、誰も現状否定ができなくなります。こうした組織では意識改革から始めねばならないために改革には気の遠くなる時間が必要になります。和をもって尊しの日本人は賛成、反対の境界をあいまいにしたままなんとなく改革へ移行しがちですが、中途半端な改革はリスクが大きくコストも高くつき改革者を反逆者にします。従来の組織論にもモチベーション理論にも興味がわかないのは、無機質な組織と有機的な人間の境界が曖昧なままだからだと思います。
われわれは進化などしていない
土曜日は確定申告に行きましたが、会社の決算が夏にあるので半年おきに似たような作業をします。徴税のために途方も無い時間とコストをかけるよりも最も手間のかからない税金に絞って税体系をシンプルにできないものかと思います。非文明的な作業をしていると政府の提唱するソサエティ5.0が単なる絵空事にしか思えません。日曜日は4年ほど使ったiPhone SEが壊れ8に交換しました。ここでも前近代的なパスワード地獄に見舞われ、世の中が本当に進歩しているのか疑わしくなります。全ての進歩は幻想と妄想から生まれる証拠に、携帯電話1台を交換するのに1時間半もかかります。われわれが進化と呼んでいるものは無駄な機能を加えることによる複雑化だと思います。それは医学の進化により専門分化が進んだ結果、人間全体の健康が置き去りにされたのに似ています。ハイテクノロジー・ハイコストのパラダイムが人間を幸せにするとの思い込みは幻想です。至るところで悲劇的なまでに無駄があふれているのは近代科学の愚行であり、本当に世界が進化してしまうと困る人たちによってわれわれは幻想を見させられているのだと思います。