木曜日は菰釣山(1,379m)と鳥ノ胸山(1,208m)に行き、土曜日は守屋山(1,651m)、日曜日は笹子雁ヶ腹摺山(1,358m)に登りました。晩秋から初冬にかけての季節は、夏なら暑くて登れない近郊の低山が魅力を増す季節です。紅葉シーズンを過ぎた山からは人影が消え、この季節らしい初冬の風情を楽しめます。落葉した森が明るくなり、落ち葉の敷かれたトレイルは走るのに最適です。毎週のように山に入ると、たとえ低山でも2、3時間歩き続ければ足腰が鍛えられ心肺機能も向上します。不整地をゆるゆると走れば関節の可動域が広がり、怪我とも無縁の体になります。100歳以上の長寿者が集中する世界のブルーゾーンは、標高の高い急傾斜地が特徴で、自然のなかでの活発な身体活動がエクササイズとなる共通点があり、低山のトレッキングはそれに近い運動かもしれません。
お知らせ
端的に言って、幸せすぎる…
昨日は諏訪大社上社から守屋山東峰(1,631m)、西峰(1,651m)に登りました。朝こそ氷点下2度でしたが、気温が上がり風もない絶好の登山日和です。普段は杖突峠の駐車場から登り始めますが、諏訪大社からは往復12km、累積標高1,111mのよく整備されたトレイルです。守屋山山頂は富士山、南・中央・北アルプス、八ヶ岳の360度の眺望が素晴らしいのですが、特筆すべきは諏訪大社に下る絶品のトレイルです。葉の落ちた明るい森を抜ける段差のない道と、絶妙の傾斜によって、走力がなくても一気に駆け降りることができます。落ち葉を踏んで走るだけで自然と笑みが漏れ、頭には三浦瑠麗氏の炎上した名言「端的に言って、幸せすぎる…」が浮かびます。これ以上の幸せは望みませんが、いつまでも続いて欲しので、山を走れる体力を維持することが必要でしょう。お金で買う幸せは、身体が動かなくなったときの楽しみにすべきかもしれません。
アウェイでは味わえない
以前は早食いでしたが、努めてよく噛むようにしてから気づいたことがあります。外食の時は噛むスピードが速く回数も少ないので、十分に味わうことができないことです。おそらくアウェイの環境では、祖先から伝わるDNAに獲物を取られる警戒心が刷り込まれているからだと思います。幾種かの野生動物が、獲物を一度隠してから落ち着いて食事をする習性も同じでしょう。買ったものを家で食べる場合や、自然の中で食べる場合は、家に居る時と同様に味わうことができます。狩猟採集の時代は顔見知り数人と行動をしており、見知らぬ人と狭い空間で食事をする状況を脳は想定していないはずです。食べることは五感を使う瞑想法として活用されますが、外食の場合はそこが静かな個室だとしても、そのような境地に至ることはありません。家での食事に満たされるのは、落ち着いて食事ができる環境があるからのような気がします。
不都合な成功法則
山梨県の道志村から菰釣山(こもつるしやま1,379m)と鳥ノ胸山(とんのむねやま1,208m)に登りました。以前出場した道志村トレイルレース後半の山域にある緩やかな稜線は、ジョギングに最適です。葉が落ち明るくなった稜線の森を、ゆるゆると走る時に幸せを感じます。初冬にしては暖かい気温のなか、落ち葉のカーペットを踏む穏やかな時間は、今この瞬間こそが大切に思え、これ以上の何かへの執着や欲望に大した意味を感じなくなります。人が執着や欲望に突き動かされるのは、目標達成によりドーパミンが分泌され幸福感を得るからでしょう。何かを得ることで感じる快は人類に進歩をもたらしましたが、反面不都合な問題を引き起こしたと思います。ドーパミン的な幸福感はやがて減退し、すぐに次の幸福を欲するようになります。われわれの人生は、飽きずにいつまでも回し車を走り続けるモルモットと同じなのかもしれません。
腰痛は幻想?
健康オタクを自称していますが、体調万全でいつも絶好調というわけではありません。むしろ体調不良が続いたから、必然的に健康オタクになったと言うべきでしょう。今も取り組むのは持病となった腰痛で、最後に出たトレイルレースの上州武尊山スカイビューは、下りの衝撃が腰に悪かったらしく48km地点で断念しました。以降レースは控えてきましたが、わずか10kmとは言え、先日ラブラドールと走った白馬岩岳TrailRace Autumn2023は、下り基調でちょっとした自信になりました。適切なメンテナンスを行えば腰痛は克服可能であり、痛みを恐れて動かさない方がむしろ症状を悪化させます。医師による治療が必要な特異的腰痛は腰痛全体の15%程度とされ、大半はセルフケアにより改善します。負担のかかる動作を控え、姿勢を良くし、立てた膝を左右に倒したり、背面に腰を反らせる簡単な体操でかなり改善します。それでも治らないときは脳が作り出した幻想かもしれません。
身体感覚を奪われた自動車の未来
大半の人には関係のない話ですが、マツダのCX-3が6段MT車を廃止して、トランスミッションが6段ATのみになったことはショックです。マニュアル、四輪駆動、ディーゼル、左ハンドルという理想の車の条件に一番近かった車がまた一台消えたことは、人が操る自動車の終焉を思わせます。フェラーリやGTRなどのスポーツカーでさえ、MT車が選択できなくなり久しく、加速も燃費性能も劣るMT車に乗る意義は年々薄れています。最高峰のF1カーもオートマ化され、マクラーレンがeスポーツ競技でテストドライバーを採用したように、身体感覚を奪われた自動車の未来は、リアルとバーチャルの境界が消えていきます。自動車のAT化、EV化、AI化は運転席に人のいない暗黒の未来に通じます。最適解を求める知能勝負なら人は不要となり、人と機械のインタフェースを探求する知性最後の砦がマニュアルトランスミッションだと思います。
空前のサウナブーム?
涼しくなるとサウナに入りたくなり、近所の温浴施設に行きました。スーパー銭湯のサウナと、昨今ブームのサウナは全く別物です。サウナ室と水風呂、水平に寝られる椅子が置かれる外気浴スペースがあって、トトノウ環境があるにも関わらずです。それはロウリュの有無と言う些末な話ではなく、別業態と言えるほどに異なるのは文脈です。1964年の東京オリンピックの時に、フィンランドチームが持ち込んで以来北欧式サウナブームが到来し、やがてそれは昭和のオジサンサウナに進化しました。そして今はフィンランドのサマーコテージにあるような、より原初的なサウナへと先祖返りをしています。装飾を削ぎ落したよりプリミティブな生活に回帰するというコンテクストにおいて、再評価されているのだと思います。市場が縮小しながら空前のサウナブームと言われる矛盾は、両者の違いを認識しない限り全体像が見えないのかもしれません。
再現性のないことがノウハウ
南会津に行く途中に塩原温泉郷を通りますが、ホテルニュー塩原の駐車場がいつも満車なことに感心します。日本が誇る大型温泉旅館御三家の資格はありそうな1952年開業の老舗ホテルの再生など、通常の神経の持ち主であれば逃げ出したいところです。首都圏からの無料バスや昭和風のエンタメなど、瀕死だった温泉地の巨大施設に通年人を呼ぶ手法は、おそらく並の人がやっても再現性がなく、それこそがノウハウと呼べるものでしょう。週末は用事で芦ノ牧温泉に行きましたが、寂れた駅前にある牛乳屋食堂は、全国丼グランプリ3年連続金賞のソースカツ丼やラーメンで知られる創業98年の老舗人気店で、14時でも付近には順番待ちの人があふれかえります。先日行った白河ラーメンのとら食堂といい、立地を選ばず人を呼べる施設の競争力は人的資源であり、それこそが模倣不能で占有可能なオリジナリティなのかもしれません。
勝手にストレスをためる高級宿
昨日は南会津に草刈りに行った帰りに湯野上温泉に泊まりました。かつて栄えた有名な温泉地はそれが仇となり、今は廃墟も目立ちます。泊まった宿も昭和の時代には各地にあった温泉旅館で、悪く言えば場末感が漂いますがそれも風情のうちでしょう。館内には活気がなく後継者がいるようには見えないところも哀愁を誘います。徒歩圏にコンビニがあり、洗面所にはクイックケトルと電子レンジが置かれ、贅沢を言わなければ普通に生活ができます。眼下に迫る大川渓谷にある夫婦岩一望の露天風呂は、この宿最大のハイライトです。お湯は温くて快適ですが、昨夜のように雪の降る天気だと湯舟から上がることができなくなります。こうした宿に泊まるメリットは、多くを期待していないために、おおらかな気持ちで過ごせることです。これが数万の宿なら粗さがしを始めて、勝手にストレスをためそうです。
料理は妥協の産物
妻が不在の日は自分で料理をしますが、関心は手抜き料理で、どうすれば調理工程を省略できるかを考えます。世間では手の込んだ料理が喜ばれますが、作る側としては、人手をかける時間の最小化が勝負です。以前は電気圧力鍋4台を使い、調理工程を自動化し1人で70人分の料理を作りました。料理のクオリティをなるべく落とさずに省力化することにこそ調理の醍醐味があると思います。そんなものは料理とは呼べないと言うグルメの方が大半でしょうが、1年365日食べる食事ですから、結局のところ妥協の産物です。昨日はカレーが食べたくなり、普段なら前日から仕込むのですが、湯豆腐の昆布だしが残っていたので、そこに味噌と業務スーパーで売られる1kg入りのカレールウを加えると、大衆食堂風のカレーが出来ます。要はそれを風情と思えるかどうかで、空腹でありさえすれば、変に執着しない方が自然に食事を楽しめる気がします。