日常生活のなかのハレ

昨日はラブラドールと早朝の散歩中に人工衛星を見ました。街灯のある住宅街でも、その軌跡がはっきり見えるほど夜明け前の空は澄んでいます。無数の人工衛星が飛んでいるはずで、見つけることはそう難しくなく、流れ星を見ることもあります。わざわざ遠くまで出かけなくても、目の前の日常のなかに非日常があり、ワクワクする喜びを感じることができます。日本人の伝統的な世界観のひとつにハレとケがあり、ハレの日には赤飯や尾頭つきの魚、酒などが提供されました。これらが日常食となった消費社会において、その意味合いは変わったと思います。枯渇したエネルギーを回復するためだったハレの食事が日常化すると、むしろ体調を崩し、遠くへ出かけることで疲労を蓄積し、かえって気が衰えるケガレ状態をもたらします。心身を浄化するハレは、工夫次第で日常生活のなかに見出すことができるのでしょう。

湯豆腐さえあれば

寒くなり始め、湯豆腐の頻度が増えました。安くて簡単で、これ以上に心と身体を温める食事もないでしょう。以前は海外の暮らしが眩しく見えましたが、歳を重ねると、豊かな自然に囲まれ、健康的な食生活でシンプルに生きることが心地よい日本が好きになります。ご飯に味噌汁、納豆、ぬか漬けがある生活に、焼き魚が加わるだけで贅沢を感じます。娘が英国に戻りたくない理由は、日本の食材が高価で入手困難だからです。健康的な長寿食として世界が注目する和食を、当の日本人は粗食と蔑み、わざわざ体調を乱すような外来の食事に魅せられます。発酵食品と出汁の存在など、日本人の腸内細菌パターンにあった和食生活なら、サプリメントなどの出費も不要です。ご飯を主食におかずを副食とする和食の枠組みができたのは室町時代とされますが、一汁三菜に豊かさを見出す伝統的な暮らしなら、余計な欲望に惑わされることもないのでしょう。

自然の恵みこそ最高の贅沢

週末は白州の友人宅で自家栽培の野菜や果物を収穫させてもらい、妻の実家では200ほどの柿をもらいました。収穫中に畑で食べるトマトの甘さは格別で、高級店の食事同様に贅沢です。自然の近くで食糧を確保する暮らしは、健康的で最高の贅沢だと思います。見上げるほどの巨木になったサルナシの実は、甘いキウイそのものでまさに自然の恵みです。狩猟採集時代のように、手を加えない原初的な食事が豊かに感じられるのは、現代の食生活が虚飾にまみれているからでしょう。人類は100万年以上昔から料理に火を使い、長い腸が不要になり、腸に回していた血液を脳にまわすことで知性を進化させました。一方で調理の代償として、食物酵素の不足などにより病気が増え、消化力と病原菌に対する抵抗力が低下したとされます。畑の懐かしい香りをかいでいると、現代的な贅沢の魅力が色あせ、体が快調なら何もいらないと思えます。

極限状況で何を思うのか

連休初日の7日朝、栃木県那須町にある朝日岳登山道付近で、4人が死亡する山岳事故が起きました。突風が抜けることで知られる、以前はよく歩いた場所です。峠の茶屋駐車場からわずかな距離で朝日岳に登れ、よく整備される人気の登山道ですが、天候が荒れるとまともに立つこともできません。旅館があった阿武隈源流沿いの渓谷でも那須おろしと呼ばれる突風が抜け、あまりの強風に夜中に宿泊の方が帰ってしまうほどでした。よく登った早朝の甲子山でも、会津側から山沿いに昇ってきた雲が、自動車の風洞実験のように凄い勢いで白河側に抜けていくのが見られます。付近は今回の事故と同じ稜線にあり、1955年5月29日には白河高校山岳部の6名が死亡する痛ましい遭難事故が起きました。小説「疲労凍死」のモデルになったこの現場で自身も遭難しかけたことがあり、極限状況で最後まで生きようとするとき人は何を思うのかを考えます。

脂肪を燃やす自前の暖房

寝苦しい季節から布団の温もりが恋しい季節になり、長野県に来ると薪ストーブが必要になります。山に行く朝、肌寒く雲行きが怪しいと、暖かい布団からも家からも出たくなくなります。しかし早朝の森を登り始めるとそんな躊躇など吹き飛び、小一時間もすると脂肪を燃やす自前の暖房で身体が暖まり始め、豊かな気持ちになります。登山道から人の姿が減る、冬の山歩き以上のリトリートはありません。下山後に、ほぼオフグリッド、ほぼ自給自足で暮らすお宅に伺い、懐かしい野菜畑の香りをかぎながら収穫をすると、やすらぎと豊かさを感じます。自らが生産に関わる節度ある暮らしこそが生きていることの豊かさなのであって、人と比べるために不用品を買い集める限り、安らぎの時間は得られないのでしょう。豊かさの呪いが欲望を増殖させ、人々を自然から遠ざけ、生きる目的さえも奪ったような気がします。

普段使いの紀ノ國屋

マスメディアで取り上げられる北杜市のローカルスーパーひまわり市場に行きました。店の魅力を一言で表すなら、普段使いの紀ノ國屋スーパーという感じです。全国から集めたこだわり商品によるワクワク感と安さの魅力を兼ね備えた店舗はまれです。バナナは500円か98円の二択という割り切りは、両者の違いを鮮明にします。独自の戦略を打つのは、八ヶ岳山麓にあるスーパーは東京ナンバーの客が大量に買う特殊な市場であることと、幹線道路からはずれた不便な立地にあるからでしょう。秀逸なインストアマーチャンダイジングと仕入力、店内放送のマイクを離さない社長のリーダーシップあっての店ですが、「仕入れ担当者〇〇さん仕入れ過ぎコーナー」など見切り品も豊富で、おそらくあえて多めに仕入れることも魅力を高めます。生産者と消費者をつなぐメディアとして、客を高揚させ行きたいと思わせるツボを押さえた店は参考になります。

夏と冬を同時に体験できる

昨日はラブラドールと西岳を経由して権現岳に向かう狼煙場まで行きました。麓では夏を思わせるトリカブトが咲き、頂上付近では霜柱が降り、水場では水溜まりが凍っています。早朝の気温は冬の風情なのに、景色は紅葉以前という不思議な感覚です。夏から一足飛びに冬に季節が移るだけではなく、急峻な山脈に恵まれる日本は、夏と冬を同時に体験できる場所になったのかもしれません。これをネガティブにとらえるのであれば暑い寒いという生理的な不満になりますが、水深1,000メートルの富山湾から標高3,000mの立山連峰までのわずかな距離に標高差4,000メートルを生む雄大な自然を、富山県がアピールするように、アドベンチャーツーリズムなどに活かす方法がありそうです。下山途中には、これから赤岳に向かうというラブラドールと会いましたが、犬との山旅も格別で、日本の山の観光ポテンシャルは過小評価されてきたと思います。

根源的な価値を思い出す冬

酷暑が終わりほっとする間もなく、今度は厳しい寒さがやってきます。冬は日照不足による鬱が増えるなど暗いイメージがありますが、他方で幸せを感じやすい季節だと思います。人類の生存を脅かしてきたのが寒さと飢えという二大脅威のため、人は寒さを嫌います。しかし、お風呂や布団に入ったときの温もりが、思わず声を上げてしまうほど心地良く、しみじみと幸せを感じます。空腹なら粗食でも有難く、暗闇なら一筋の炎に魅せられ、辛い境遇にあれば人の善意に救われるように、マイナスの境遇は幸せを感じるチャンスなのかもしれません。自然環境の厳しい北欧などの高緯度地域が、国連の世界幸福度調査上位の常連なのもそれが理由の一つでしょう。プラスをしていく付加価値生産が支配する社会にわれわれは慣れていますが、マイナスをゼロに戻す根源的な価値を思い出させてくれるのが冬なのだと思います。

炎のゆらぎを楽しむだけ

昨日は日本工学院に向かう途中で初冠雪の富士山を見ました。夏の猛暑から、秋を通り越して冬が突然来た印象です。夏に向かう季節がドーパミン、アドレナリン系の開放感なら、冬にはセロトニン、オキシトシン型のしみじみとする喜びがあります。冬を越すために、自然が様々な恵みを用意し脂肪を蓄える収穫の季節は、一年で最も豊かな時と言えるかもしれません。秋から冬に移る季節の山歩きは、もっともセロトニンが分泌すると思います。ふかふかの落ち葉を踏んで歩く晩秋のトレイルは、冬になると新雪に覆われ極上の散歩道が出現します。自然のなかで過ごすと、歩くだけで幸せになれますが、自然から遠ざかり始めた人類には、その代償に産業として生み出されたドーパミン的な消費が必要になるのだと思います。薪ストーブの炎のゆらぎを楽しむだけで満たされる時間が、都会にはない気がします。

辛い時期は成長期

10月に入り異動の季節になると配置転換や昇進、退職などの知らせが届きます。キャリア・トランジションは結婚などのライフイベントと同様に人生の転機であり、同時に成長の機会です。3度の転職はどれも自分を成長させてくれましたが、一番辛くて最も短期間で成長したのは、外資系コンサルに移った最初の転職です。ここで得たのは、苦労する時こそ最も成長するという教訓です。サラリーマン生活に終止符を打ち旅館を買って開業する時も、ストレスから5日ほど何も食べられない時期もありましたが、周囲の人に応援され助けられることの有難さが身にしみました。もう一つの転機は40代後半で肝炎になり、それを契機に減量と運動を始めたことです。災い転じて福となす、塞翁が馬、怪我の功名など、辛い時期は全て自分の成長期だという最善観を信じるようになったのはこのためです。

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