昨日は会社の決算資料をまとめました。エクセルのデータベースにはしましたが、人の作った資料をチェックする税理士の方は大変です。昔、ホテル開発の仕事をしている頃は、工事予算などをまとめ事業収支計算をする際は、事業部に3台しかないパソコンを使っていました。今となってはパソコンのない世界の仕事を想像できませんが、結局便利さは人間の能力を奪っただけで、われわれの時間はそれほど効率化されていない気がします。人類が会計を発明したのは狩猟採集から農耕へと移行し、収穫物を共有の倉庫で保管する時、所有者の異なる農作物を仕分けし記帳する必要が生まれたことに起源をさかのぼるとされます。人類はこの1万年ぐらい会計と付き合いながら、コンピューターを使用し始めたのはせいぜい半世紀です。IT信仰は、もしかしたら無駄を高度化する巧妙なペテンだったのかもしれない気もします。
お知らせ
ポジティビティ効果は続く
晴天に恵まれた連休は西岳、編笠山、雨乞岳に登り、それぞれは3時間ほどの比較的軽い運動ですが、毎日のように身体を動かすことは深呼吸と並ぶ、最良のストレス・リダクション法だと思います。運動が最良の健康へと導く習慣なのは、受動的・受容的なリラクゼーションとは異なり、自発的な一定の努力を伴い身体を動かすときに生じる感情が、ポジティブなものだからでしょう。山に行くことで得られる良い気分そのものは、すぐに消えてしまいますが、前向きな気持ちになるポジティビティ効果は、山を下って東京に戻ってからもしばらく続き、山から戻り一週間もすると無性に山に行きたくなります。健康増進と幸福のための最良の手段が、自然のなかで行う継続的な有酸素運動だと感じます。そう確信するのは、山で出会うアスリートも、皆活力にあふれ生き生きとしているからです。
自分の身体と対話する
昨日は日の出とともに西岳、編笠山を一人でラウンドしてから、一旦帰宅して白州町の石尊神社からラブラドールと雨乞岳に向かいました。雨乞岳には連休前半にも登り、そのときは標高400m分を車で登れるお手軽なルートでしたが、昨日は雨乞儀式のために古より使われてきた趣ある古道です。長年使いこまれた登山道は美しく、落ち葉が積もる極上トレイルはトレランにも自転車にも最適です。しかし、この道の最良のポイントは誰にも会うことがないために、美しい新緑のなかで厳かな静寂を感じることです。自分と向き合う登山にとって、連休中にも関わらず人と会わない長い登山道は貴重です。最も贅沢な登山とは一人で入る山で、自分のペースを守ることで初めて身体と向き合うことができます。昨日はラブラドールの調子が優れず途中で引き返しましたが、ひたすら自分の身体と対話するために登りたい山です。
YouTubeが読書脳を破壊する
連休中はじっくり本を読もうと少し重い内容の積読状態の2冊を持って山に来ました。どちらも外国の著者ですが、外国の作家にはよくある、伏線となる話が複雑に交差して頭に入らず、途中から読む意欲が失われて投げ出しました。もう一冊はビジネス書ですのでそうしたレトリックがないに関わらず、一向に頭に入りません。恐ろしいことですが、YouTubeで欲しい情報だけ効率よく吸収する癖がついた結果、脳が受け身になり退化したのかもしれません。読書の良さは自分のペースで読み進めることによって余白が生じ、そこに自分の考えが上書きされます。読書は常に考えながら読み進めるのに対して、YouTubeは一度見始めると思考停止のまま受け入れている可能性があります。テレビよりマシなどとうそぶいていたYouTubeですが、読書量を増やすことは喫緊の課題です。脳は筋肉同様に意識して鍛え続けない限り退化するものなのでしょう。
先祖の知恵は現代に生き続ける
サウナは薪ストーブに限ると信じているのですが、昨年長野県で起きた薪ストーブサウナの全焼事故は気になる問題です。この施設ではMOKI製作所の薪ストーブを使用しており、火力が強過ぎて製造中止になった初期のモデルかと思いましたが、全くの濡れ衣でした。火元は室内で灯り取りとして使用していたキャンドルとされます。線香による火災も後を絶ちませが、小さな火元だけに見落としてしまったのでしょう。開業以来、稼働率7割を超える人気サウナを、1年で失った当事者の悲しみは計り知れませんが、クラウドファンディングもあって、3か月後には復活しました。かつて大型旅館などの悲惨な火災事故が続いた日本では、消防検査が厳しくコストに大きく跳ね返ることから経営上の大きな悩みでもあります。日本では水分を含む常緑広葉樹を、延焼を防ぐ屋敷林として植えてきましたが、先祖の知恵は現代にも生き続けるのでしょう。
至福の時という幻影
山桜の花びらが舞う屋外にテーブルを出し、鳥の声を聞きながら日差しの温かさを感じると、その時食べているものが昨日の残りのカレーだけだとしても幸せな気持ちになります。幸せのために人はお金を払いますが、そこで得た幸せはお金を払った瞬間に地位材に変わり、はかなく消える運命にあります。外部からもたらされるいっときの喜びは刹那的で、長く続く幸せは内部から湧き上がるものでしょう。お金こそが幸せを手に入れる唯一の手段かのように人は行動しますが、実態は逆です。お金で買った幸せは支払いが止まると消え、執着だけを残して去っていくからです。人が集まる場所は幸せの販売会場ですが、有難いことに最も幸せを感じることのできる山の中にやって来る人はまれです。人はお金を払った先に「至福の時」があるという幻影を見ますが、過ぎてしまえば次の幸せで埋め合わせる虚しさだけが残るものかもしれません。
友達要るor要らない問題
妻とは様々な問題で意見が分かれますが、その一つが「友達要るor要らない問題」です。今でも学生時代の友人と頻繁に会食や旅行に出かける妻からすると、友達のいない自分などは寂しい人間に見えます。しかし友人がいないことを寂しいと思ったことも、友達が欲しくて悩んだこともありません。友人関係を否定するつもりはありませんが、いつものメンバーで集まっても人生に発展も成長もなく、それが執着になるのが落ちです。日本人の多くは小学校の時の「友達100人できるかな」的な刷り込みが大人になっても抜けず、友人関係を維持するために忖度し、気の重い面倒事に付き合い自分を見失います。友人の大切な役割は相談相手ですが、自分の場合に限れば困難な状況を助けてくれたのは、友人と言うよりビジネスパートナーです。定年を迎える頃になると同窓会が増えると言いますが、傷をなめ合っているだけなのかもしれません。
出たとこ勝負が醍醐味
最近の趣味は古民家を見ることで、築100年ほどの、山梨県で農業を始めた友人宅を見せてもらいました。誰もが知る政治家の書が客間に飾られる由緒ある建物は宝の山です。古民家の歴史などの知見はありませんが、リノベーションの素材として、ここに客室を作り、ここにサウナを作ると収支は合うか、と妄想をするのが好きです。自然素材で作られた古民家は風景に溶け込む住まいであり、残していくためには持続可能なマネタイズが必要になります。古民家再生を躊躇する理由は、解体してみないといくら費用がかかるかわからないために、見積を取れば安全サイドの天文学的な予算になり、見切り発車がしにくいことです。白河の古民家の解体が終わり、今まで垣間見ることしかできなかった床や天井の構造が露わになり、梁にあわせた設計変更などが必要になります。採算ベースに乗せることが難しい、出たとこ勝負が醍醐味なのかもしれません。
過去と現在がつながる山
昨日は山梨百名山の雨乞岳(2,037m)に登りました。山頂までは明るい尾根道で標高1,700mには水場があります。山頂から甲斐駒ヶ岳を間近に望む魅力的な山ですが、連休中でも登る人は少なく静かな山旅を楽しめます。古くからの雨乞い信仰の山で、従来は儀式に先だって参拝した石尊神社からのルートだけでしたが、2006年度に整備された昨日のコースはより短く、山頂までは1時間半ほどとアクセスも良好です。秋には紅葉が楽しめそうな広葉樹の林を抜けるトレイルはトレランにも最適です。雨乞いの儀式は山頂付近で行われていたとされ、いにしえの時代、人々が呪術的能力を得るために山に分け入っていたことを考えると、目の前の穏やかな山容が全く違った姿に見え始めます。国土が山に覆われている日本では、古代より神と山が常に近い場所にありました。雨乞い祈祷という自然信仰を通じて、過去と現在がつながる不思議な感覚になる山です。
都会を正当化するまやかし
昨日は八ヶ岳の西岳に登り、帰り道は山菜を取りながら下山しました。タラの芽など自分が知るわずかな種類だけでも結構な収穫量になります。より多くの山菜を知る地元の人は、袋いっぱいの山菜を収穫し、この季節の山は食糧庫になります。国だけではなく、個人レベルにおいても食料自給率を上げることは重要な課題です。薪ストーブを使えば、燃料も自給することができ、自然に近い場所であれば、お金を使うことなくある程度の生活を営むことができます。人はお金を貯めて使うことに執着しますが、お金を使うことは生活を他者に依存することであり、自立していない危うさと見ることもできます。お金を使わない生活は、他者に依存をしない点において真の自由と言えます。都市居住者が考える自由とは消費することの自由を指しますが、それは都会を正当化するまやかしなのかもしれません。