週末は妻の実家で250個以上の柿をもらい、帰りにホームセンターで柿の苗を買いました。コロナ禍を経て、一部の人々の目は都市から郊外、そして地方へと向いていると思います。狩猟採集から農耕牧畜へと生活様式が変化し、集落はやがて街から都市へと発展してきました。世界の人口の多数派が都市に住みますが、原発事故や疫病の広がりに対し都市は脆弱で、仮に戦争にでもなればその危険性はさらに高まります。一方で日本の地方は人口減少に歯止めがかかりません。年々人口が減る集落からは毎年技術が失われ、先人たちが長年発展させてきた生きるための知識は忘れ去られています。限界を超えた日本中の集落には、食べ物を作れる土地があり、オフグリッドかつ自給自足の生きる基盤を持つことこそが、本当の豊かさであり自由だと感じます。
壇ノ浦が秘湯ブームの始まり?
週末は南会津に宿泊し、宿から車で15分ほどの湯ノ花温泉の共同浴場に行きました。湿原で知られる田代山を源流とする湯ノ岐川に沿って4つの風情ある共同浴場があり、うち2つは混浴です。700年前の鎌倉時代からと伝えられますが、付近は平家の落人伝説が残り、これほど気候の厳しい豪雪地帯まで逃げなくてはならなかった壇ノ浦の戦いが、今われわれが秘湯を楽しめるきっかけとも言えます。4つの共同浴場はそれぞれに異なる地区で管理し、河原に湧く温泉を引き込む石湯は、以前は21世帯の住民で管理していましたが、今は13世帯に減ったそうです。浴槽は48度前後の高温ですが、共同浴場はそれぞれに独特の仕来りがあり、住民が来るまでは迂闊なことができません。このあたりでは移住者が馴染めず出て行くケースもあると聞き、それゆえに共同浴場ならではの独特の風情と仕来りが残っているのかもしれません。
コンヴィヴィアルが宿の条件
週末は南会津町のタンボロッジに泊まりました。時々宿泊している、数少ない行きつけの宿です。アンデス(ペルー料理)・ヴィーガンをベースにした自然農法の食材を使った料理と、2年かけて手作りしたログハウスにリラックスできます。南会津の豪雪地帯にあり、宿の裏手を流れる舘岩川の清流など、豊かな自然にも癒されます。庭の大木から収穫された30kgの山栗を使ったモンブランパフェや、朝食のマフィンも魅力的で、トマトケチャップやソース、味噌などの調味料、ジャム等も無添加、手作りで安心できます。しかし、最大の魅力はそこに流れる空気でしょう。オーナーのこだわりが強いほど客を選び、似た嗜好を持った人が集まるコンヴィヴィアル(自立共生)な感覚です。唯一問題があるとすれば、魅力的な料理に魅かれ、普段は食べない朝食を食べてしまい、空腹が呼び覚まされることでしょう。
自然のなかで生み出す時間
南会津町に草刈りに行き、湯ノ倉山(1,343m)と大嵐山(1,635m)に登りました。東北の山らしく、累積標高892mを一気に登るそれなりにハードなトレイルは、渓流とブナ林に癒されます。紅葉の季節の週末にも関わらず、出会った人は2組だけで静かな山旅が楽しめます。期待せずに登った大嵐山の山頂からは、360度の眺望が広がります。下山後は値上げしたとは言え、300円で4か所の共同浴場に入れる湯ノ花温泉で入浴をし、レジャーとなった草刈りをして大量の栗を拾うこともでき、充実した休日になります。大衆消費社会の歴史は、贅沢品がやがて必需品になり、新たな義務と欲望を生む際限なき拡大でした。人々が贅沢と感じるものの多くは商業的な贅沢を指しますが、それは他人軸の生き方のような気がします。消費衝動を満足させることではなく、自然のなかで何かを生み出す時間こそ贅沢なのかもしれません。
日常生活のなかのハレ
昨日はラブラドールと早朝の散歩中に人工衛星を見ました。街灯のある住宅街でも、その軌跡がはっきり見えるほど夜明け前の空は澄んでいます。無数の人工衛星が飛んでいるはずで、見つけることはそう難しくなく、流れ星を見ることもあります。わざわざ遠くまで出かけなくても、目の前の日常のなかに非日常があり、ワクワクする喜びを感じることができます。日本人の伝統的な世界観のひとつにハレとケがあり、ハレの日には赤飯や尾頭つきの魚、酒などが提供されました。これらが日常食となった消費社会において、その意味合いは変わったと思います。枯渇したエネルギーを回復するためだったハレの食事が日常化すると、むしろ体調を崩し、遠くへ出かけることで疲労を蓄積し、かえって気が衰えるケガレ状態をもたらします。心身を浄化するハレは、工夫次第で日常生活のなかに見出すことができるのでしょう。
湯豆腐さえあれば
寒くなり始め、湯豆腐の頻度が増えました。安くて簡単で、これ以上に心と身体を温める食事もないでしょう。以前は海外の暮らしが眩しく見えましたが、歳を重ねると、豊かな自然に囲まれ、健康的な食生活でシンプルに生きることが心地よい日本が好きになります。ご飯に味噌汁、納豆、ぬか漬けがある生活に、焼き魚が加わるだけで贅沢を感じます。娘が英国に戻りたくない理由は、日本の食材が高価で入手困難だからです。健康的な長寿食として世界が注目する和食を、当の日本人は粗食と蔑み、わざわざ体調を乱すような外来の食事に魅せられます。発酵食品と出汁の存在など、日本人の腸内細菌パターンにあった和食生活なら、サプリメントなどの出費も不要です。ご飯を主食におかずを副食とする和食の枠組みができたのは室町時代とされますが、一汁三菜に豊かさを見出す伝統的な暮らしなら、余計な欲望に惑わされることもないのでしょう。
自然の恵みこそ最高の贅沢
週末は白州の友人宅で自家栽培の野菜や果物を収穫させてもらい、妻の実家では200ほどの柿をもらいました。収穫中に畑で食べるトマトの甘さは格別で、高級店の食事同様に贅沢です。自然の近くで食糧を確保する暮らしは、健康的で最高の贅沢だと思います。見上げるほどの巨木になったサルナシの実は、甘いキウイそのものでまさに自然の恵みです。狩猟採集時代のように、手を加えない原初的な食事が豊かに感じられるのは、現代の食生活が虚飾にまみれているからでしょう。人類は100万年以上昔から料理に火を使い、長い腸が不要になり、腸に回していた血液を脳にまわすことで知性を進化させました。一方で調理の代償として、食物酵素の不足などにより病気が増え、消化力と病原菌に対する抵抗力が低下したとされます。畑の懐かしい香りをかいでいると、現代的な贅沢の魅力が色あせ、体が快調なら何もいらないと思えます。
極限状況で何を思うのか
連休初日の7日朝、栃木県那須町にある朝日岳登山道付近で、4人が死亡する山岳事故が起きました。突風が抜けることで知られる、以前はよく歩いた場所です。峠の茶屋駐車場からわずかな距離で朝日岳に登れ、よく整備される人気の登山道ですが、天候が荒れるとまともに立つこともできません。旅館があった阿武隈源流沿いの渓谷でも那須おろしと呼ばれる突風が抜け、あまりの強風に夜中に宿泊の方が帰ってしまうほどでした。よく登った早朝の甲子山でも、会津側から山沿いに昇ってきた雲が、自動車の風洞実験のように凄い勢いで白河側に抜けていくのが見られます。付近は今回の事故と同じ稜線にあり、1955年5月29日には白河高校山岳部の6名が死亡する痛ましい遭難事故が起きました。小説「疲労凍死」のモデルになったこの現場で自身も遭難しかけたことがあり、極限状況で最後まで生きようとするとき人は何を思うのかを考えます。
脂肪を燃やす自前の暖房
寝苦しい季節から布団の温もりが恋しい季節になり、長野県に来ると薪ストーブが必要になります。山に行く朝、肌寒く雲行きが怪しいと、暖かい布団からも家からも出たくなくなります。しかし早朝の森を登り始めるとそんな躊躇など吹き飛び、小一時間もすると脂肪を燃やす自前の暖房で身体が暖まり始め、豊かな気持ちになります。登山道から人の姿が減る、冬の山歩き以上のリトリートはありません。下山後に、ほぼオフグリッド、ほぼ自給自足で暮らすお宅に伺い、懐かしい野菜畑の香りをかぎながら収穫をすると、やすらぎと豊かさを感じます。自らが生産に関わる節度ある暮らしこそが生きていることの豊かさなのであって、人と比べるために不用品を買い集める限り、安らぎの時間は得られないのでしょう。豊かさの呪いが欲望を増殖させ、人々を自然から遠ざけ、生きる目的さえも奪ったような気がします。
普段使いの紀ノ國屋
マスメディアで取り上げられる北杜市のローカルスーパーひまわり市場に行きました。店の魅力を一言で表すなら、普段使いの紀ノ國屋スーパーという感じです。全国から集めたこだわり商品によるワクワク感と安さの魅力を兼ね備えた店舗はまれです。バナナは500円か98円の二択という割り切りは、両者の違いを鮮明にします。独自の戦略を打つのは、八ヶ岳山麓にあるスーパーは東京ナンバーの客が大量に買う特殊な市場であることと、幹線道路からはずれた不便な立地にあるからでしょう。秀逸なインストアマーチャンダイジングと仕入力、店内放送のマイクを離さない社長のリーダーシップあっての店ですが、「仕入れ担当者〇〇さん仕入れ過ぎコーナー」など見切り品も豊富で、おそらくあえて多めに仕入れることも魅力を高めます。生産者と消費者をつなぐメディアとして、客を高揚させ行きたいと思わせるツボを押さえた店は参考になります。