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働く意識が消える

去年までは、山や温泉、海外旅行に行きたくなったものですが、山の温泉に生活しているのでこの一年そうしたレジャーとは無縁です。レジャーとビジネスを分けることがないために休日という概念もなくなりました。仕事にオンオフがなく疲れたらいつでも休むので休日を作る必要がありません。ほとんど休日を取らない経営者を以前なら猛烈に働くと思っていましたが、そもそも生活と労働が一体化しているので働くという意識もないのだと思います。

昨日は以前の宿のオーナーの方に庭に出ている舞茸を教えてもらいました。もちろん菌をつけたものですが、庭に舞茸が出るのは感動的です。

贅沢な田舎暮らし

今朝の新甲子温泉は穏やかな秋晴れです。

贅沢とは何かをよく考えます。本来の意味は、「必要とする以上の分に過ぎた消費」を指す言葉で、有り余るお金を意味したのでしょうが、それは都会の話だと思います。田舎暮らしにおける贅沢はそうした財貨の尺度とは異なり、都会で手に入れることができない希少な経験だと思います。

たとえば都心ではいくらお金を出しても隣の人家が見えない住宅を持つことはできませんが、ここ西郷村なら望めば誰でもそうした家を手に入れることができます。宿から遊歩道を5分下った阿武隈源流にイスとお茶を持って行くとそこは自分だけの最高のカフェになります。より本音に近いところで自分の満足点を探すと、都市論理の消費社会はいびつなものに見えます。

週末ごとに自然のもとに出かけて休息のし過ぎと移動で疲れてマンデーブルーなど、かえって体調を崩すことを考えると、自分の生活をミニマルにして田舎で暮らす選択肢はむしろ現実的に思えます。

居心地のよいリノベーション街づくり

快晴の昨日は宿から40分ほどの黒磯駅の近くにあるアウトドア用品店のLUNETTESに行きました。古い家屋2軒の1階部分を使った落ち着いた店内は、大がかりなリノベーションをすることなくセンスよくまとめられています。隣にはヴィーガン・オーガニック・サステーナブルがコンセプトのレストランと自然食品店のHIKARI SHOKUDOが、向かいには家具や雑貨を扱うROOMS、その並びにはレストラン、ゲストハウス、物販の複合施設のChus チャウス、さらにその隣には伝説のカフェSHOZO黒磯本店と魅力的な店が50mほどのエリアに集積しています。SHOZOカフェに端を発するリノベーション街づくりのショーケースのようなこの店舗群は、小奇麗なだけで面白みに欠ける企業主導の開発にはない居心地のよさがあります。

最小限が心地よい

台風一過の今朝は雲ひとつない青空が広がりました。快晴に誘われて阿武隈源流を歩きましたが降り続いた雨で至る所に沢ができ、見慣れた清流はラフティングができそうな激流に変わっています。

昨日は那須にある非電化カフェに行きました。非電化製品を売るショップを併設したカフェとアトリエ、ツリーハウスなどで構成され、エネルギーを浪費しない生活を提案しています。

灯油ランプの灯るカフェにいると時間もゆっくりと流れ、消費生活を最小限にするダウンサイジングの生き方が何とも心地よく思える場所です。

冒険的な刺激

今日の新甲子温泉は冷たい雨が降り続いています。昨夜は今日の白河駅伝に出場する40人に泊まっていただきました。駅伝と山の違いはあってもランニング競技をする者同士は初めてでも気安さがあります。

昨年の冬から宿に住み始めたこともありトレイルレースにも1年近く出ていません。今日は悪天候のなか友人は信越五岳100マイルレースなど天文学的な距離のレースに出ていますが、安楽な日々の生活に慣れてしまうとこのような過酷なレースが自分とは無縁の世界に思えます。

自らを限界まで追い込むようなレースに人々が引き付けられることにはやはり不思議な感覚があります。それでも早く宿の経営を安定させてあの冒険的な刺激に満ちたトレイルレースに復帰したいと思います。

時間の概念がない仕事

昨日はパエリアの燃料をもらいにお世話になっている工務店の施工現場に行き、スーパーの開店まで時間があったので戊辰戦争白河口の戦いの激戦地稲荷山を歩きました。1日だけで旧幕府側700人が戦死する激戦があったとは思えない小さな丘には権兵衛稲荷神社とおそらく激戦を見てきたであろう大木があります。

16時頃には那須湯元温泉の鹿の湯に行き閉店まで高温浴を楽しみました。もちろん遊んでばかりいるわけではなくやるべき仕事はだいたい済ませました。日の出前から20時頃まで働いていますので、労働時間にすれば短くないはずですが、一日遊んで終わったという印象です。

仕事に疲れるとお茶とイスを持って阿武隈源流に行けばそこが最高のカフェになりますので、どこまでが仕事なのか境界もあいまいで労働時間という概念自体がありません。長年仕事とプライベートを区切る時間労働をする習慣があっただけにこの感覚は新鮮です。

晩秋の風情

宿の庭にあるドウダンつつじが日増しに色づき秋の足音を感じます。夕方戸外にいるとつるべ落としのようにあたりは暗くなります。東京に住んでいた感覚からすると、夏のない新甲子温泉のこの季節は晩秋の風情さえあります。

昨日は白河に出る途中で西郷瀞(にしごうとろ)に寄りました。阿武隈川の河原まで車で入れる場所で、夏は賑わうのでしょう。涼しい新甲子温泉にいると夏でも川に入ろうという気にはなりませんが、夏の朝にバーベキューでもしたくなります。

秋になったためか、最近は宿に猿の群れが出没するようになりました。ラブラドールがうなり始めますので猿が来るのが分かります。写真は昨日の夕方宿の屋根に登っていた二匹の猿です。

一日を始めるリトリート

今朝の新甲子温泉は、すっかり秋らしくなった森に太陽が差し込みます。ブナ原生林が広がる源流の遊歩道は、毎日来ているのに発見があり、表情を変える神秘の森です。巨大な楢の木が巨岩を抱いた場所はぼくにとってのパワースポットです。ここに佇み澄んだ清流を眺めていると、自分がこれまで積み重ねてきたことやこだわりなどの執着はどうでもよくなります。わずか2kmに満たない散歩道ですが、ぼくにとっては一日を始めるリトリートです。

Facebook友達限定の宿

今朝の阿武隈源流はさわやかな秋らしい青空が広がります。昨夜は那須おろしを思わせる強風が吹きましたが温泉から見上げる星空が真冬のような美しさでした。昨年の冬から宿での暮らしを始めて毎日考えるのは旅館再生のアイデアです。

これまでの旅館再生は一定規模の投資をしてそれ以上の収入をあげる方式でしたので、立派な施設ばかりが対象でした。しかし日本各地で朽ち果てようとしている零細旅館は立派な施設ではありません。追加投資ができず施設面で価値向上がはかれない以上、勝負すべきはソフトです。それはゲストとホストの共振関係だと思います。50歳を過ぎてから運動にはまったぼくにとって一番気心が知れるのはアスリートです。

夏には日本最強のトレイルランニングチームに宿泊いただきましたし、先週は広野町代表駅伝チーム、今週末も白河駅伝の参加チームが宿泊します。アスリートは規則正しい生活で夜更かしをしないし、起床時間も早く、時間も正確です。リネン類がたたまれた客室はチェックイン前と同じ状態に戻され、ごみの分別もペットボトルのラベルをはがすなど統制が取れたグループです。

以前、旅館経営者が異口同音に「親戚の家に泊まるような宿にしたい」といっていた意味が最近になってわかりました。そのときは真心を込めるといった意味だと解釈していたのですが、親戚ならお互いそれほど気兼ねがないということだと思います。

知らない人と同じ屋根の下で過ごすのは落ち着かないものです。いずれFacebook友達かリアルな友人しか泊めない宿にしたいと思いますが、17室ならそれができると思います。

旅館らしくない宿

雨上がりの今朝の新甲子温泉は寒くありません。標高1,549mの甲子山は見えますがその背後の旭岳山頂を雲が覆います。剣桂神社の森は葉が散り始め、温泉管の鉄橋が見えるようになりました。阿武隈源流の森にも光が差し込み明るくなりました。

「人生はあわてず、あせらず、あきらめず」先週とある神社の前を通ったときに目に留まった標語です。松下幸之助さんも同じことを言ったそうですが、今のぼくに一番響く言葉です。独立して一年が過ぎても赤字が止まったわけではありません。しかしあせって手数料を払って集客したり、安売り、来るもの拒まずの営業は自らの首を絞めるものです。

今世間ではインバウンドブームで旅館やホテルが潤っていると思う人がいるかもしれませんが、それは首都圏を中心とした一部の地域に限った話です。多くの温泉地等では厳しい状態が続いています。廃業旅館の多くが後継者不在をあげていますが、働き通しの3K職場では子供がいても継いでくれません。旅館再生で大切なのは、まず若い人たちが働きたい職場に変えることだと思います。開業以来4ヶ月、試行錯誤をしながら運営スタイルを変えてきましたが、ぼくは宿から旅館らしさを一掃したいと思っています。従来の旅館らしいサービスはすべて過度な負担を宿側に負わせるものだったと思います。

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