子供が持つ無限の可能性を活かすも殺すも教師次第だと思います。娘が今年の夏に途上国で教育支援の無謀なイベントを企画したとき先生に言われた「心配なことだらけだけど、でもやってみないと分からないから一歩を踏み出しなさい」という言葉に感動しました。高校生が途上国でイベントを行うリスクは大きく、学校公認となればその責任は学校に及びます。それでも生徒の可能性に賭けようとする姿勢に本当の良心を感じます。残念ながらこうした学校は例外的で、多くの学校は古い企業組織同様に保身のためのリスク排除をします。日本から次の時代の新機軸が久しく生まれないのは、多くの企業が上から下まで前例や規則を盾に保身しか考えずリスクを取らないからだと思うのです。
自分を偽る職場
一度組織を離れた友人の多くは、複業を認めない組織で再び働く気はないと言います。組織に属する最大の魅力は安定的な収入ですが、無駄な出費を控えればハードルは下がります。辞めたくても辞められない人のなかには生活費が肥大化している人が少なくありません。自身の場合会社を辞める前から、車の排気量は4分の1、家の面積も半分、スポーツクラブは退会し、タクシーは乗らず、外食も最小限に、本は買わずに図書館といった感じで生活をダウンサイジングしました。しかし、特段不都合でも惨めでもなく、以前の消費スタイルこそ過剰だと思います。得られる恩恵はかけがえの無いものです。通勤地獄からの開放、自由時間の増大、何より自由に生きる権利です。先進七カ国最低の生産性の真犯人は自分を偽って生きるような不幸な職場だと思います。
医産複合体に都合のよい国民
花粉症だと思っていると週末に頭が痛くなり熱も上がりはじめました。体調不良は身体と向き合い体調を整える絶好の機会です。勤め人時代は早く治したい誘惑に負けて薬を服用したこともありますが、何も食べずに身体を休ませ代謝に集中させれば簡単に治り、薬の効果だと信じていたものの正体が自然治癒力だったことが分かります。副作用のある薬の服用は多くの場合有害ですが、世界に誇る国民皆保険制度は、安易に医者にかかる国民を増やしたと思います。医療費が高ければ医者にかからない生活を心がけますが、不健康な生活をしながら体調を崩せば医療にすがる医産複合体にとって都合のよい国民を増やしました。一部の医者が医療と関わることの危険性を告発し始めたことには希望が持てます。関節などの痛みの多くは肥満や運動不足に起因しますが、事業者売上高ベースで一千億円を超えるボディケア市場の人たちは、その事実が知れ渡らないことを願っていることでしょう。
医療信仰が生んだ過剰医療
世田谷区から胃がん検診のお知らせがきました。検診のデメリットを表記していることに好感が持てます。高齢化が進めばかなりの人ががんになりますので、検査そのものにリスクがあり、過剰医療を招く検診をどのように受けるかの判断には医療リテラシーが求められます。昔は有名病院や名医に知り合いがいることがお金持ちのステイタスでしたが、こうした医療の盲信が過剰医療を招き、この30年間に関していえば、がん治療を全くしなかった場合の平均余命の方が長かったはずです。インフルエンザの予防接種にしてもあらゆる検診にしても何の知識も持たず、ただ言われるままに受診する日本人は今でも少なくありません。過剰医療を生んだのは自分の身体を人任せにする医療信仰にほかなりません。
工場生産労働方式の不思議
昨日はリゾートテレワークのセミナーに行きました。以前から注目されるテレワークはいまだに根付きません。大手システムインテグレーターなどが自社商品のアピールを兼ねて実施しているのが実態で、流入人口の欲しい地方自治体も前向きですが実需という実感はありません。震災後に会社に行く必要のないテレワークが推奨されましたがしばらくすると元のオフィス勤務に戻りました。サラリーマン時代はオフィスで仕事をすることはほとんどなく、自分にとって一番生産性が高いのはカフェで次いで移動中の車内や機内、自宅、オフィスの順です。現在ならその最上位に来るのは自然のなかでの仕事でしょう。仮にリゾートワークにたいした効果がないとしても、あの過酷な通勤を社員に毎日強いるのは狂気の沙汰です。生産性を高めたいなら18世紀から続く職住分離型の工場生産労働方式に疑問を持つはずなのですが不思議です。
健康な身体と感謝の気持ち
人が浪費の罠に寛容なことは、産業にとって最大の福音だと思います。美食に明け暮れる一方でダイエットをすれば両方の産業を潤し、医療と介護産業は大きな生涯価値を手にします。これらの需要はGDPにカウントされても幸せには貢献しません。美味しい料理の多くは健康に悪く、お年寄りに楽をさせると当人の筋力を奪い、何かを得ると失う恐怖を覚え、何かを達成すれば次の比較対象を探し、十分なリラックスのあとには自律神経のバランスが崩れます。産業化された幸せと不幸はいわば双子の兄弟です。本当の幸せは産業化の手の及ばないところにあるはずです。毎日を機嫌良く過ごすのに必要なものは、健康な身体と感謝の気持ち、あとは美しい自然があれば十分だと思います。
人気職業でなくなった政治家
かつて経済統計の水増しが注目された中国ですが、昨今の日本も政府統計を操作しなくてはならない状況に陥っているようです。次の選挙にしか興味のない政治家はやるべき仕事より票につながる成果を優先します。政治に関心を持つべきという声もありますが、政治に興味があるのは利権に群がる人たちです。政治に変化を求めても本質が変わらないことに気づくべきでしょう。旧態依然とした政治屋の巣食う世界に最悪の財政赤字や増大する社会保障費などの根本的解決を期待するのは難しそうです。素晴らしい政治家も少なからずいたと思いますが、今となっては奇跡を期待するようなものです。政治を変えるのではなく、もっとも遅れ業界であり機能不全に陥ったシステムと距離を取る方が建設的です。かつて政治家は人気の職業でしたが、若者と話しても政治家になりたいという無邪気な話は聞かなくなりました。
ご都合主義の世界
米朝首脳会談を見ていると人としての正しい道とは何かを考えさせられます。利権があれば戦争を起こし、なければノーベル賞を狙うというご都合主義のアメリカと、非人道的な圧政国家の握手が世界のニュースになることに、「歴史は勝者によるフィクション」という言葉を思い出します。アメリカが起こした戦争で根拠の明確なものは少なく、テロとの戦いにしても疑問が呈されています。中国各地で1,000万人以上が殺戮された文化大革命も、偉大な国家指導者の仮面が剥がれたスターリンも「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄」を地で行き、こうした狂気の国家は世界に少なくありません。近代起こった飢餓は自然災害ではなく政治的失敗、つまり人間のエゴによるものです。勝てば官軍的ご都合主義は世界のあらゆる場所に蔓延し、「大き過ぎて潰せない」は企業社会のルールになっています。
幸せと表裏の不幸
今朝は阿蘇に来ました。転地療法は普段住む場所から200km以遠、標高500m以上の空気のきれいな場所が適地とされます。羽田から3時間で着き、地球の鼓動を感じさせる阿蘇のダイナミックな山並みに刺激を受けます。刺激には自分のなかで反応を起こす内発的なものと、反射的に反応する外発的な刺激があると思います。売上至上主義の常套手段は扇動しやすい人間の古い脳を刺激します。安易な娯楽は頭を使わず、安楽な生活は体を使わず、人は快楽を求め不快な運動をせず、漫然と食べ無為な時間を過ごし緩やかに死に向かいます。われわれが幸せだと思っていることの裏には不幸の芽があり、その不都合が企業により語られることはありません。
山を走れば体調が戻る
昨日は丹沢に登りました。氷点下2.5度の青根緑の休暇村からつづら折りの登山道を一定リズムで息を吐き切りながら登っていくと新鮮な空気とともに全身に血流がまわる感覚です。日の出前の森の冷たい空気と鳥の鳴き声を聞きながら登る喜びに勝るものはないと思います。昨年は極上のスノートレイルを楽しめましたが、今年は雪が消えています。帰路の緩やかな下りのトレイルは走って降りるには最適ですが、冬の間に失われた筋肉は脚をコントロールできずスピードが上がりません。運動不足により足首の関節可動域も狭くなったようでつまづけば捻挫をしそうです。現代人の身体は、せいぜい1万年程度の農耕社会以前の、野山を走っていた狩猟採集の時代に適合しており、山を走ることでベストの体調が戻ると思います。全身の血流が改善することで腰にあったしびれるような違和感は緩和し、疲れた身体は深い睡眠と代謝をもたらします。