昨日は世界78カ国で公開され話題になった「ボヘミアン・ラプソディ」を見ました。よく似ている俳優とリアルなライブの映像には驚かされたものの、世間の評価ほどには感動しませんし泣くこともありません。クィーンは苦手意識があり当時は聞きませんでしたが、昨日はボヘミアン・ラプソディのメロディラインが頭から離れません。登り詰めるほど地位が欲しくなり、心を開くほど傷つき、友人が増えるほど猜疑心が強くなり、愛するほど孤独になる運命のいたずらには心を動かされました。コーポレートジェットから3畳の拘置所に送られたカルロス・ゴーンといい、華やかな成功の代償として人が失うものの大きさを考えさせられました。
職場のストレスが体を蝕む
自分のライフワークは若返り研究です。現代の科学では若返りはありえないとされ、アンチエイジングは病的老化を回避してゆるやかに年を重ねるとする考え方が一般的です。しかし運動を始めたことで自身の体力は向上しており、視力などの機能も回復していますから、年をとっても体がより良くなることは可能だと思います。人の寿命は記録が残る範囲では120歳を大きく超えることはなく125歳あたりと考えられますが、問題は最後まで元気に暮らせる健康寿命です。日々の暮らしのなかに若さを保つチャンスは頻繁にあります。カツ丼を選ぶか蕎麦にするか、エスカレーターに乗るか階段を使うか、クラクションを鳴らすか道を譲るか、DNA配列は変えられなくても環境要因を選択することで遺伝子発現を変えることはできます。とりわけ重要なのがストレス対処だと思います。最も深刻なのが逃げ場のない職場の人間関係によるストレスでしょう。上司も同僚もいない職場で仕事をするようになりそのストレスが大きかったことを実感します。
身につかない英語と決算書
12月に入りましたが、例年以上に年の瀬を迎える感覚がありません。昨日は旅館の40回目の決算申告と納税のために福島に行きました。買収後二期目、通期では初めての決算ですのでそれなりに思い入れがあります。決算書はコンサルタントになって頻繁に見るようになるまで、事業会社にいるときはほとんど無縁でした。ある上場企業の役員研修のときも、「取締役でも財務諸表の見方を知らない人がいる」と講師が嘆いていました。工学院の授業では有価証券報告書や財務諸表の見方を解説しますが、あれほど勉強しても身につかない英語といい、勉強のアプローチが根本的に間違っているのかもしれません。
働く動機は死への恐怖?
日本工学院でキャリア論の授業をするようになって働く意味を考えます。2年前にサラリーマン人生を止めた理由は複数ありますが、いま感じるのは先の見えない生涯働く人生こそが安息の地と思えたからです。これは以前の考えと真逆です。昔は先の見える働かない人生が理想でしたが、その考えがいつも感じていた不安の原因だと気づきました。先の見える人生はリアルに死を直視することになります。定年退職して蓄えをやりくりしてたまに海外旅行に行きながら徐々に体が弱っていく、そんな人生を受け入れる度胸はありません。リタイアは自分にとっては死亡宣告と同じで、歩みを止めれば死ぬのを待つだけの人生になります。一番の動機は死へのカウントダウンの恐怖だったと思います。働くことは対価が前提ですから一定品質を確保する義務と緊張感が生じます。それゆえ人間は前に進めるのだと思います。
自滅した大手流通?
昨日の授業ではスポーツアパレルとAmazon-Effectを取り上げました。アスレジャーブームで急成長したアンダーアーマーがその最大の被害者で、頼みの綱の大手流通チャネルを破壊され、株価は一時期の25%以下まで下がりました。帰宅後フィアットのスタッドレスタイヤを交換するためにいつも頼んでいる栃木の店に確認したところ48,000円でした。在庫がなかったので、白河の大手カー用品店に確認したところ、在庫はありましたが66,000円でした。東京で買うとさらに1万円ほど高いのですが、問題はぞんざいな電話対応です。店に行ってもひどい対応ですが、やる気のなさは電話口からも伝わります。淘汰された大手流通はアマゾンにつぶされたのではなく自滅したのかもしれません。
働き方改革で仕事が嫌いになる?
昨夜熊本から戻りました。移動を伴う出張はそれなりに疲れますが、カフェ、空港、機内と1時間単位で場所を変えながら仕事をすることは自分にとって効率のよい働き方です。空港のラウンジでは3分の1程度の人がパソコンに向かっています。PHSの64kbpsデータ通信の時代から20年ほどテレワークをしていますので、生産的な働き方の模索はもはやライフワークです。元々仕事は好きな方で、休日に自宅で仕事をする時間も長いのですが、年々管理強化される会社のルールはそれを好ましく思いません。仕事が好きな人にとって時短などいい迷惑なのに、形ばかりのワークライフバランスやコンプライアンスが仕事を邪魔します。仕事が好きな人を増やすことも働き方改革だと思うのですが、実態は逆行しているように見えます。
非連続性が個性を発揮する
今朝は阿蘇に来ました。山のそばにいることが多いのですが、巨大カルデラ内から望む穏やかな外輪山の山容と火山らしいダイナミックな景観は来る度に新鮮です。移動しながら働く魅力は非連続的な環境に身を置くことによる個性の発揮だと思います。創造性はすべての人が固有に持つものですが、これまでの効率的、画一的な働き方や教育のあり方がそれを削いできました。自身3度の転職をしながらも2社で10年以上働いてきましたが、似た環境にいると自身の個性とポジションを相対的に認識することができなくなります。仕事を固定化する発想が人材要件を狭く規定し、金太郎飴的尺度が個性を問題視する風潮は企業と教育現場で今も存在します。個性を本人が理解し、それを発揮できる組織の多様性こそが生き残る道だと思います。
キャリア・オーナーシップなき集団
日産自動車を詳しく知るわけではありませんが、上意下達の企業風土は想像できます。コーポレートガバナンスを議論したところで独裁的トップが骨抜きにすることは容易です。権威主義により人を操ろうとするのは、人間の持つ負の欲求だと思います。他方でそうした欲求がカルロス・ゴーンをして破綻の縁にあった日産をリバイバルさせ世界二位のメーカー連合を実現させたことは事実です。経営トップの強欲と公私混同は以前から公然の秘密ですが、権威を絶対と考え権力者に盲従する行動様式は広く社会に見られます。ことに集団の和を重視する日本の風土では自分を犠牲にして環境に合わせようとします。怖いのは長年権威主義の建前文化に浸っていると、どこまでが本音なのか分からなくなり自分を見失うことです。キャリアを会社任せにするキャリア・オーナーシップのない集団が組織をだめにし、そこにつけ入る強欲リーダーを許したのだと思います。
デフォルトに忠実に生きる
先週作ったワラーチで八ヶ岳の林道を軽く走りました。本家タラウマラの古タイヤではなくビブラムソールを足型に切ったサンダルですが、気分はメキシコの走る民族です。アステカに征服されず、スペイン人 、フランス人、アメリカ人との戦いを生き抜いた彼らは長距離を走る能力に秀でます。サンダルで走る感覚が新鮮で、着地の衝撃をまともに受けるため負荷の少ない走り方になります。フォアフットやミッドフット走法が自然になると、疑うことのなかった踵着地が洗脳だったことに気づきます。ぼくがカウンターカルチャーに魅かれるのは単なる気まぐれではありません。一日三度の食事や朝食に糖質を摂るといった常識を止めてから、体は20kgスリムになり健康になりました。医療や健康分野の常識には間違った思い込みが少なくありません。ぼくが唯一信じるのは、数十万年の歴史が作り出した人体のデフォルトに忠実に生きることです。
都市の欠乏感を埋める贅沢
今朝は八ヶ岳に来ました。ラブラドールは東京とは全くテンションが違い、本来の運動能力を取り戻します。多くの人が休日になると自然の元を目指すのは、そこが本来いるべき場所だからでしょう。もっとも豊かで矛盾がなく、もっとも美しく完全な自然を感じながら生活することは、健康であること同様に幸せの条件だと思います。人間が持つ知性を研ぎ澄ますのは、四季のなかに生命力の変化を見出す喜びを感じる感性です。自分にとっての都市は豊かな場所ではありません。その欠乏感を埋めるために贅沢な暮らしというトリックが必要なのだと思います。