最新情報

Information

災い転じて福となす

昨日は打ち合わせがあり近所のファミリーレストランに開店の朝7時に行くものの扉は閉じられたままです。結局15分過ぎまで開かず、どこも人手不足は深刻です。先進国最低の生産性の足を引っ張るサービス業の現状は崩壊寸前と言えそうです。再来年のオリンピックではおもてなしなどと呑気なことを言っている場合ではなく、誇張された日本神話のメッキがはがれる気がします。時計の針のように正確だった鉄道は今や昔話で、電車が止まる心配をしなくてはなりません。一方でこの状況はチャンスだと思います。野村総研の試算によると今後10年から20年で日本の総労働人口49%の仕事が不要になるとされます。ビジネスの効率性を阻害しているのはある意味人の存在です。やらなくて良いことまで人がやる今は過渡的な状況で、一気に省力化が進み災い転じて福となすのかもしれません。

妄想がセーフティネット

気がつけば一年を振り返る時期になりました。2016年は後先考えずに会社を辞め、2017年は旅館経営と格闘し、2018年は一旦旅館から離れて新たな生活を始めました。死を意識する生き方が幸せだと最近思います。いつでも死ねるか自問すると、好きで始めた旅館再生を形にするまでは死ねません。たいした変化も起こらず味気ない毎日にうんざりしていた頃に比べ毎日を生きる実感があります。この2年間の出来事は自分が過ごした時間に思えません。自分の人生を生きるというのは新しい自分に出会う感覚なのだと思います。真剣に取り組むなら人生は何とかなるし、仮に何とかならなくても死ぬことは滅多にありません。どうにもならなくなったら、最後は南の島の海岸で一日何もせず、その辺の果物だけ食べて生きて行くのも悪くないと思います。この妄想が自分にとってのセーフティネットであり、それゆえ先の見えない未来のリスクに向き合う気になれます。

仕事への姿勢が全て

昨日は娘の高校で担任の先生と進路について三者面談をしました。かつての進路指導といえば序列化された日本の大学を選ぶだけで良かったのでしょうが、一人ひとりの生徒が希望する多様なキャリアを前提にしますので、先生の知識量は桁違いです。われわれ両親はそれぞれ4社で働いた経験があっても、途上国の教育格差解消を仕事にしたいと言う娘に対しては全く助言ができません。海外大学のメリットは課題量が多く、まわりを巻き込み高いゴールにコミットする必要があることから、リーダーシップや調整力、勉強習慣が身につくと言います。重要なことはやりたいことを突き詰める仕事への姿勢であり、キャリアを自分で作る意識を持てば、論理的に考え、信頼関係を作り気持ちよく回りを巻き込む能力が自ずと身につく、という助言は何より第二の人生を歩もうとするぼく自身に響きました。

時間を消したい現代人

昨夜熊本から戻りました。快晴の都市上空を飛ぶとき、戦時中の本土空襲を想像します。与圧室により高高度を飛行できたB29の搭乗員も自分と同じ高度から灯火管制された日本の都市を見たと思います。往路晴天の広島上空を通過したとき、エノラ・ゲイの搭乗員が何を感じたのか想像しました。広島の原爆投下には硫黄島のバックアップ機も含めて7機のB29が投入され、映像を見る限り悠々と飛び去った印象です。他方、初期の空襲では捨て身の迎撃機や対空砲火の恐怖のなか、地獄絵と化した地上の人を思う余裕はなかったのかもしれません。家の近所に墜落したB29の話を父から聞いたことがあります。命をかけることなく生きられる現代の日本では、ぼくらはあまりに小さいことに悩み、執着しときに人生に投げやりになります。空港では多くの人がスマホに没頭し今の時間を消そうとします。今を生きられることに感謝しない現代人は、未来へも希望が持てないと思います。

企業組織の終わりを告げる書

昨日の朝阿蘇に来る際、空港ラウンジが空いているのを見て振替休日だったことを思い出しました。人間の体は回復が必要ですから休日が必要とされます。今の自分には明確なオンやオフの日もありますが、大半の日はオンもオフも渾然一体として分離できずその必要も感じません。多くの企業がオンとオフを機械的に分離して時間に対して給料を払います。コンサルティング会社にいるときは就業時間中にビジネス書を読んでいても仕事とみなされますが、読書は自分にとって趣味ですから時間の切り分けには自ずと限界があります。知的労働が増えた現代においても工場生産の時間管理を疑問も持たず使い続ける経営層が少なくないことは驚きです。話題になったティール組織は企業の組織論を論じたものではなく、雇用と企業組織の終わりを告げる書だと思います。

幸せな職場

10代半ばの時間は成長のための無限の可能性をもたらすと思います。自分にとっての10ヶ月はわずかな期間ですが、留学から戻った娘の変化には驚かされます。話を聞きたければ相手が海外企業のトップであろうと物怖じせずにアポをとってしまうその鈍感力と根拠なき自信は、間違っても両親から受け継いだ資質ではありません。自分が16歳のときは当然として、今でもそんな離れ業はできません。従順であることを理想とした自分の時代の教育からは隔世の感があります。生徒の挑戦を許すには教員と学校経営層が腹をくくる覚悟が必要です。同じ職場でありながら、なぜこうも違う組織が並存しているのか不思議です。楽を求める人には勤まりませんが、娘の学校の先生は幸せだと思います。

働くことこそ養生

昨日は貝原益軒の養生訓を読みました。江戸時代に書かれた八巻からなる書物は、その死後300年を経て現代医学が到達した事実と恐いほど符号します。現代科学が解き明かした医学を進化と呼べるのか疑問です。気に入っているのが、家業に励むことが養生の道であり、安座してはいけないと説くくだりです。座る生活の危険性が注目されるのは最近のことです。昼夜を分かたず働く生活は一見体に悪そうですが、それは主体性のない仕事の場合です。人間は多少の負荷がかかって目標に向かい前進するときに生命力を漲らせます。仕事に向かう姿勢が人生に対する姿勢そのものだと思います。那須湯元温泉の共同浴場で見かける80歳を超える元気なお年寄りは働いている人も多く、自分の理想は生涯働くことです。よく働いて体を動かすことこそが養生であり、「労働をなすべし」と貝原益軒は言い切ります。

ワークライフバランスのいかがわしさ

昨日は銚子の企業に伺いました。海のそばに来ると細胞が元気になります。いつの時代も経営者の悩みの大部分は人の問題です。昨今その悩みが深刻化していると思います。人が採用できず人件費が高騰し、他方でスキルもモラールも低下しています。モチベーションをいかにして引き上げるかといった議論が盛んでしたが、従業員が統制によって動機付けられるのは、会社の夢と自分の夢を重ねることができた成長局面だけです。企業が将来に希望を持てない今日、雇用を前提にする限り自発的モチベーションは芽生えないと思います。多くの企業は命令統制によるC&C(Command & Control)型組織ですが、人が変わるのは本人が腑に落ちたときだけであり、C&Cの風土から主体性は生まれません。ワークライフバランスと言う言葉を好きになれないのは、ワークとライフの融合なしに幸せなキャリアなど存在しないからです。ワークとライフを対立概念として分離する経営の前提は間違った先入観だと思います。

経営と執行を分ける不可解さ

その行方に世界が注目するゴーン・ショックですが、経営と執行を分けることの不可解さが背景にあると思います。監督と執行を分離するという主張は一見正しくても簡単に骨抜きにされ、国際標準と言われる法外な役員報酬は日本的経営の美点であった組織の一体感を分断しました。執行役員制度を最初に導入したソニーが、次第に輝きを失って行ったことも利益を追う変節にあると推察されます。90年代の経営を表現するなら「思い上がり」でしょう。先人の功績を忘れ、自分たちが企業や国を動かしているかのごとく錯覚した経営層が、考えもなく欧米流の経営を志向したことは想像に難くありません。株主至上主義的なガバナンスとプロ経営者への無批判な礼賛は、企業の持つ存在理由を消し際限のない欲望の淵へ導いたと思います。そしてその残像はいまも企業をじわじわと苦しめています。

成長に立ち会える幸せ

昨日は娘の高校の保護者会と留学報告会に行きました。1年前にはあれほど頼りなった娘やその友達が、夢と情熱を持ち成長しようとする姿には目を見張ります。子供の成長に立ち会える教師は素晴らしい職業だと思います。他方で、世間の教員が幸せな職業人生を送れているとは思いません。その理由は学校における経営の欠如です。仕事をかけがえのない生きがいにするのもつまらない義務にするのも経営如何です。以前は学校の業務改善の仕事をしていましたが、当時は教育に営利企業的な経営概念を持ち込むことにアレルギーがありました。営利企業の良さはある意味貪欲さですが、貪欲さの対象が短期的な収益に向くとコントロールを失います。一方で教育は神聖な領域とされ、その聖域ゆえに無駄と惰性が生まれます。営利であるか否かは剰余金の分配ルールの違いだけの問題であり、経営目標を達成することにおいては変わりません。問題は経営者が圧倒的に不足していることだと思います。

Translate »