昨日で日本工学院の後期授業が終わりました。教育における最大の課題は学習意欲をいかに醸成するかという点に尽きると思います。学ぶ意欲に欠ける学生が無為な時間を過ごす光景は先進国共通の悩みでしょう。経済的理由で学べない人がいる途上国では教育を受けることが夢なのに、生活が満たされてしまえば教育の意味は変わります。学業が神聖な場と考えられる一方で、教育が規制産業であることが変革を阻害しています。世界的な起業家のなかには、この無駄に耐え切れずに大学中退や進学しない人も少なくありません。「教育こそもっとも利回りの高い投資」と言われる一方で、企業が行う研修も同様に無駄な投資に終わります。米国系企業に転職するまで英語を本気で勉強しなかった自分の経験からも、学ぶ必然こそが求められていると思います。
未来を始める仕事
昨日は日本工学院で、後期最後のキャリア論の授業がありました。「雇用の未来」のなかでは2033年までにコンピューターアルゴリズムにとって代わられる可能性のある仕事を査定しており、学生が中堅として活躍する頃です。世間には二つの仕事があるとされ、一般には肉体労働と頭脳労働、定型業務と非定型業務などに分けられます。以前にトムピーターズが「20年のキャリアとは、20回繰り返された1年分のキャリアだ」と書いたように、これらの分類も今日ではあまり役に立たなくなっています。今分類するなら、ルーチンワークと未来を始めるための仕事でしょう。社会と自分の未来を変え成長させるために、どれだけ行動できるかにかかっていると思います。
地球とシンクロする
昨日は阿蘇カルデラの巨大な外輪山の雪の残る山頂から日の出を見ました。日の出前30分の空は刻々と色を変え地球の動きを体感する神聖な時間です。福島で生活しているとき精神状態が安定し心身ともに健康だった理由は、毎朝のトレイルランニングと山頂で拝むご来光にあったと思います。今日最初の太陽を浴びるとき瞑想のような境地になり、自分の人生にとって大切なものが何かを考えます。多くの都市生活者は、慌ただしい朝の準備か混雑する電車のなかで日の出の時間を迎えます。日の出や日没には地球とシンクロする特別の意味があると思いますが、喧噪に包まれる都市はそうした自然の営みをかき消します。人の浅ましさや冷酷な側面がクローズアップされるのは、人が進化の過程で自然を捨て破壊してきたことへの内なる復讐だと思います。
歪んだ現代社会の病理
女児虐待死事件は救いを求め、防ぐ機会がありながらの悲劇ゆえにやるせないです。まれに起きた不運な事件として忘れ去るにはむご過ぎます。しかし、こうした悲劇が教訓となることはなく、恵まれた人にとっては所詮他人事です。すべての人が幸せを求めますが、それは十分に満たされた上での際限ない幸せの追及に陥り、飽き足らずに繰り返される貪欲で軽薄な消費の一部です。真に必要とされるのは自己中心的な幸福の追求ではなく、取り残される人を作らないことです。学校や児童相談所のみが責められる問題ではなく、社会への無関心、人への無関心という心の荒廃こそが歪んだ現代社会の病理だと思います。幸福を目指すのであれば、自らが社会にどのように貢献できるかが問われるべきでしょう。
思考の形跡
昨日は代官山までラブラドールとジョギングをして脳の血流を上げてから、日本工学院の後期の採点をしました。15年間試験を避けて小レポートなどの平常点で評価してきたのは、一度の試験で点数化することが、学生の可能性を見つけて引き出すべき教師の役割に反すると感じていたからです。採点してみると授業中不真面目な学生がセンスの良い答案を書いたり、意外な発見もあり採点基準を工夫すれば試験も悪くないと思います。評価の基準は、理解力や記憶力よりも、独創的な思考や表現力、観察力を優先します。話したことを覚えているかではなく、文脈を多少外れても再構成できる思考の形跡を答案用紙に探します。
統計信仰の無駄
勤労統計不正など、政府の基幹統計で統計法違反の疑いがもたれ、約半数でミスが判明しています。近年減少する国の統計職員数が影響したとの声もあります。旅館をしていると様々な調査依頼が来ますが、こうした統計を作るには国のみならず民間も多大な負担をしており、年間コストは莫大です。仕事柄国の統計を良く使いますが、その使い難さには多少目をつぶるとしても、データ間の行のずれなど明らかなミスを時々見つけます。遠からずIOT、ビッグデータ、AIが統計を自動的に作ると思いますが、国家統計や企業のKPIなど、人間の誤った数字信仰がもたらす巨大な無駄だと思います。
幸福と成功は仕事から
気の遠くなるような30年のモラトリアムを経て個人事業者になったのは、毎日同じ満員電車で会社を往復する生活の言い知れぬ恐怖から逃れるためです。リタイアして通勤電車に乗る必要までなくなれば、さらに単調な毎日が始まります。人は退屈な生活を変えるためにお金を払ってレジャーに勤しみます。しかし、自らが事業者になれば単調な生活などありません。昔から仕事は嫌いではありませんが、個人事業者になるとより好きになります。交友関係が変わったためか最近は「仕事が好き」と公言する人が多いと感じます。より正確に言うなら仕事と意識することなく人生と融合しています。プラスもマイナスも含めて人生に彩りを添えてくれるのは、仕事をおいて他にないと思います。仕事を人生と一体化させることこそ、幸福と成功の近道だと思います。
誕生日は決算日
今日は自身の誕生日です。子供の頃は誕生会をして祝ったものですが、成人すると誕生日は有難くもめでたくもなく、人生の残りの回数券が減っていく事実を実感する日です。誕生日を本心から祝う方法は、自身が成長することしかないと思います。1年間の成長を棚卸する決算日にするべきでしょう。毎朝同じように出勤する単調な日々をたまらなく息苦しく感じたのは、そこに成長実感がないからです。仕事ほど成長にふさわしい舞台はないのに、個人も組織もその最大のチャンスをつぶしています。自分に負荷をかけ、新しいことを始め、スキルを身に付け、目標に近づいたのかが全てだと思います。振り返るなら、この一年は日本工学院という新しい環境で教員の仕事をして、多少なりとも脳が活性化した点がプラス、山岳レースに一度しか出ず、練習も怠り肉体の退化が進んだことがマイナスで、収支はわずかな黒字という感じでしょうか。
サピエンスの未来
今更ですが「ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来」を読みました。驚くべき内容ではありませんが、目を背けたくなる未来、いや現実がそこにあることを認識せざるを得ません。いま出発しようとしているホモサピエンス最後の列車に席を確保するには、21世紀のテクノロジーであるバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムを理解する必要があると著者は主張します。われわれは今、狭いエッジの上に立っていて、道を踏み外すと人類の未来は暗澹たるものになります。しかし、われわれが長年、おぞましい営利本位主義や下劣な利己主義に目をつぶってきたことを考えれば、大きな問題ではないのかもしれません。時代がどう変わろうが川の流れは止まらないので、結局は自分の意思と行動如何に帰結する、という感想は楽観的過ぎるでしょうか。
欲望か夢か
コンサルタントの仕事をしていると、企業の多くの課題が社員の働く動機付けの問題に帰結することに気づきます。経営者の多くの悩みも、結局は人の問題に収束し、それは戦国時代の昔から同じだと思います。動機付けは報酬や地位などの外発的なものと、自己実現欲求などの内発的なものがあるとされ、比較可能な地位財とそれ以外の非地位財に分けることもできます。自分の動機付け理論は欲望と夢です。多くの企業は組織の構成員に欲望を与えます。しかし、株主至上主義やストックオプションが欲望を煽り、多くの問題を露呈させてきたと思います。強欲は人の弱さを利用した操作法の結果であり、それを利用した組織や社会こそが問題です。必要なのは人に夢を持たせ、それを実現できる社会と組織構造だと思います。