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中庸の難しさ

昨日は娘の高校の研究発表会に行きました。多くの生徒が仕事以前に自分らしさを表現でき、人を幸せにできる生き方を目指していることが印象的です。幸せの形を追求すると中庸に行き着くと思います。中庸が示す偏らない平常こそが幸せの本質だと思います。プライベートジェットから拘置所へ行ったカルロス・ゴーンや、絢爛豪華な王宮生活から最期は寒空の下で銃殺されるルーマニアのチャウシェスクのような教訓に真実があるのは、それが偏った非常だからです。飽和した消費社会が生み出す一見豪華なステレオタイプの幻想は歯止めの効かない退廃に通じます。安楽で豪華な生活が狂気なら、上昇志向を煽る典型的なサラリーマンの生活も中庸とは程遠いと思います。一方で世俗を絶つことにも偏りがあり、中庸の言わんとするところはバランスを保つことの難しさだと思います。

仕事そのものが人生

耳にする機会は減りましたがワークライフバランスという言葉には違和感を覚えます。その意図するところはワーク=苦、ライフ=楽のバランスを取る、仕事性悪説にあると思います。日本人のメンタリティは公私混同を嫌いますが、時短の議論はみなし残業など仕事とプライベートの明確な線引きを要求します。日本の生産性が低い理由は公私を明確に分け現役時代の大半を仕事に捧げる滅私奉公という過去の亡霊にあり、それが仕事嫌いを増やしたからだと思います。働くことが義務であるからそこには好き嫌いの選択余地はなく、一方働くことが権利行使になり、感覚の近い人と、共感できる仕事をすれば仕事そのものが人生になり、公私も苦楽も融合していくと思います。問題は多くの企業がこのパラダイムシフトに適応できないことです。

昔は優れていた

飛行機に乗るとき新しい機体だと安心しますが、5ヶ月間に2機が墜落した737MAX型機や日本でのエアバス機の墜落などハイテク制御された最新鋭機こそ危険が潜んでいます。最新が最良と人は考えますが、不便で完成度の低い商品が市場には溢れています。商品に限らず、最新の研究、文化、そしてわれわれの肉体や頭脳についても同じことが言えます。突如絶滅したネアンデルタール人の方が現代人より優れた能力を持つと指摘する研究者もいますが、旧石器時代の人類は現代人が失った高い身体能力を持っていたと思います。学術研究の世界においても、近代的なエビデンスなどというシュガーコーティングがされても、その本質は古代ギリシャにおける哲学者の洞察力には遠く及ばないと思います。

自分は死なない

昨日は中学の同級生と会いました。同級生特有の感覚なのか、フェイスブックが関係を維持するためか、30年ぶりぐらいなのに時の隔たりを感じません。昔の友人に会うと当時の記憶が混在して自分の生きた時間感覚が曖昧になります。歳を重ねるほど歳をとる感覚が希薄になり、自分の年齢を客観的に捉えることができません。40代に入った頃はもう人生の半分を生きてしまったと衝撃を受けたものですが、それから10数年経つ今もまだ人生が半分残っていると思います。100歳を過ぎても数年先まで予定を入れていた日野原医師のように、人は心の奥底では自分は死なないと思っているのかもしれません。

気の交差する場所

昨日の朝はラブラドールと入れる駒沢公園近くのカフェに行きました。将来ビジョンを明確に語る友人と会うと元気をもらえます。旧来の企業組織に限界を感じるのは、会っていて元気を貰える人より、ネガティブな話で気分が滅入る人が多いことです。シェアリングエコノミーの最大の焦点は人の持つ力のシェアリングなのに、パッションを発散する人が少ない企業組織は相乗効果を力に変えることができずに、生気を奪われる場所になっています。リスクを取るからこそ追い詰められ、好きなことをするからこそ情熱的になれるはずです。「気」のようなうまく説明できない根源的なエネルギーを日本人は大切にしてきたはずですが、今の企業組織は「気」の交差する魅力的な場所ではなくなっていると思うのです。

成功事例の復讐

地方創生の動きが盛んですがどこも似た手法に見えます。答えを求める教育スタイルの影響なのか、欧米の模倣で成長した成功体験のためか日本人は成功事例が好きだと思います。偶然の連続に過ぎない他人の成功などほとんど参考にならないのに、成功事例を求め思考を放棄します。人の成功を羨望し、背景や環境の違いは考慮に入れず自分達も同じ方法で成功できると考えているので、多くの場合思いつきで運任せです。欧米は失敗事例にセオリーを探ろうと研究対象にしますが、手痛い目にあった太平洋戦争から日本は学びません。外資系企業にいたときに感じたのは再発防止を徹底する姿勢です。日本企業は「起きたことはしょうがない」と犯人探しにつながる原因究明を好まない印象があります。失敗に学ばず他人の成功に目を奪われ、そして儚い成功に酔い成功に復讐される愚を今も繰り返していると思います。

運動が全てを改善する

花粉症の最盛期を迎えますが、薬に頼り症状を抑えるのではなく、自分の体を適応させることで改善したいと思います。花粉症の発症メカニズムや治療法はある程度判明していますが、決定打となるものではありません。花粉症の原因は血行不良だとぼくは考えています。30年以上続いた花粉症が2017年に限っては全く症状が現れず、旅館のある阿武隈源流の広葉樹の森にいたことが理由と考えられますが、白河の街に頻繁に行くことを考えると説明がつきません。考えられる別の要因は運動による血行改善です。運動や温浴により血流が改善すると花粉症の症状が緩和します。心の病や生活習慣病、肩こり症状の大半ばかりでなく、花粉症さえ運動により改善するというのが仮説です。荒唐無稽と思われた考えが通説になるケースは医療の世界には多く、冬の間の運動不足を解消することで花粉症は改善すると思います。

PTからアドレスホッパーへ

2016年に会社を辞めたとき目指したのは多拠点居住の旅するような暮らしです。昨今はアドレスホッパーなる造語も生まれぼくの周りで実践する人も増えています。定住しない暮らしに関心を持ち始めたのは20年ほど前に究極の節税法として注目された生涯旅行者PTに関する本です。それがアメリカやフィリピンの不動産投資につながり、人生を回り道することになるのですが、昨今の風潮は全く異なる価値観によると思います。昔はリタイアしたらシンガポールやハワイでのんびり暮らすのが幸せな人生と思ったのですが、その考えが決して幸せになれないことを学習しました。かつての理想が働かない安楽なリタイアだったのに対して、今のトレンドは東京での住宅や通勤事情のオルタナティブです。この20年で働き方も住み方も選択肢が増え、幸せに対する解釈が洗練された今回のトレンドは広がっていくと思います。

現代文明の恩恵と不幸

311は現代文明が生み出したシステムを人間がコントロールできないことを思い知らされる契機になりました。原発のライフサイクルコストが安いとする試算には原発事故の想定はありませんし、見えない費用や将来のコストはそこには反映されていません。原発ありきの恣意的な事業収支が原発を進め、電力会社は有利子負債の圧縮と設備投資の抑制により安全を犠牲にします。原発ゼロや自動車の100%電化を進めるヨーロッパ諸国に対して、日本では思い切った方向転換ができません。多くの日本人は現代文明がもたらした恩恵にばかり目を奪われ、そこから距離を取ることで得られる健康や幸せを過小評価しているからだと思います。写真は震災前によく訪れていた気仙沼です。

平穏な悪夢

二十世紀の人類は40年の寿命を70年に倍増させその勢いは止まりません。かつては70代で亡くなる日本人は寿命とみなされましたが、今なら早すぎると思われます。人生100年時代を目前に80代の現役が普通になると、55歳かせいぜい60歳で引退してすぐに死ぬという時代とは人生の尺度が異なるはずです。勤勉なはずの日本人の生産性が低い理由は様々ですが、日本人の長寿と関係していると思います。リスクを取って生き急ぐ必要がないほど人生が長くなったのかもしれません。追い立てられるように生きる人生が苦痛なら、リスクを取らない平穏な生活も気力なく無為に過ごす悪夢です。せっかくの長い人生にリスクをとるなんて馬鹿げていると思うか、長い人生だからやり直そうと考えるかが生き方を分けると思います。

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