UTMBが終わり、FB友達の何人かは全長330km、累積標高24,000mのTor des Géantsや450km、32,000mのTor des Glaciersを今も走っています。100mileでも想像を絶するのに、極限まで自らの肉体を追い込むトレラン界の長距離化トレンドは200mile時代に入ったようです。レースやトレーニングで体を壊したり免疫力が低下する不調も心配されますが、一方で世間にはびこる不調は体を動かさな過ぎることに起因します。体は鍛えることで強くなることが分かっており、飢餓など極限状態にある生物が長生きする傾向を多くの研究事例が示しています。高齢者が増える社会が否定的に見られるのは、年を取ればやがて体が動かなくなり、アルツハイマーや癌になる人が増えるという運命論的な前提です。オジサンやオバサンがときにネガティブな意味合いを持つのは、中年を境に面倒や苦労を避け、自分を変えようとせず、受け身で生きる人生に安住しようとするからかもしれません。生きるのが楽だと寿命は短く、体は弱くなるように生物進化がプログラムされているため、安楽な生活はいずれ代償を払うときが来ると思います。
18世紀と変わらぬ仕事の本質
昨日は台風が近づく陣馬山(857 m)に登りました。天気が崩れるためかハイカーの姿はなく、早朝のバリエーションルートの森は静寂に包まれます。20kmほど歩いて最後は小下沢に下りラブラドールと沢で泳ぎ、裏高尾するさしの豆腐店で寄せ豆腐を食べて帰っても昼前には自宅に戻れて、お金もかからずそれなり贅沢な気分になれます。思えば福島に住んでいる頃は登山口が目の前というこの上ない贅沢な暮らしでした。天気が良ければ山に上がり、9時には戻って仕事が始められます。嫌なことがあっても裏那須の稜線から走って下ると悩みは霧散し、脳の血流が上がり仕事もはかどります。ワーケーションが叫ばれる昨今ですが、満員電車で疲れ果てて着いた淀んだ空気のオフィスで、蛍光灯の下で一列に並んでパソコンに向かう光景は18世紀の工場と変わりません。工場の生産方式が現代のオフィスに続くのは、仕事の本質が大量生産の工場と変わらないからだと思います。知らぬ間に実用化が進んだRPAがホワイトカラーの仕事の大半の業務時間を置き換え可能な事実に世間が気づけば、都心のオフィスのあり方を見直さない理由は無くなります。
大衆の気持ちが分からない
「働かせ方」改革などと揶揄され、ワーク・ライフ・バランスという言葉も最近では聞かなくなりました。一方で成功者は、自分の仕事は職業ではなく生き方そのものであり、仕事が生きがいなら義務的なレイバーは存在せずバランスを取る必要が無くなると言います。その考え方はやや理想的で、好きなことでも仕事になった瞬間にストレスになり、仕事と純粋な楽しみは性格の異なるものだと思います。その点で、スキーが生きがいで年間60日滑走すると公言する星野リゾートの星野佳路氏の考え方は妥当に見えます。1年のスキーの予定を書き込み残りの日でホテルや旅館の運営会社を経営することは、純粋な仕事だと線引きします。ホテルや旅館事業は趣味性が強く、ともすると自分の生きがいだと錯覚しますが、そこには冷静なビジネスとしての割り切りが必要です。ウォルト・ディズニーが大衆の気持ちを直感的には理解できなかったように、おそらく星野さんも星野リゾートに来る客層の気持ちは分からないと思います。穿った見方をすると、星野リゾートが標榜するフラットな組織は大衆の気持ちを解釈するプロセスとして必須だったのかもしれません。
不健康な偽の食欲
先月インドに行った娘によると、衛生的な問題なのかインドでは8月に肉を食べない人が多いそうです。菜食の人が多く1人あたり年間3kgと世界最低の肉消費量のインドですが、エアインディアでは残されることが多い国内線エコノミークラスの肉の提供を中止したといいます。肉が腸内環境を悪化させることは便を観察していれば明らかです。雑食性の人類は肉も食べてきましたがそこには節度が必要で、年を取ったら肉を食べろといった肉食礼賛は間違いだと思います。多くの宗教が伝統的に肉食を制限していることも長年の知恵でしょう。肉食をしなかった時期もありますが、今は食べたいものを食べる主義です。正常な食欲は自分の体に必要な栄養素を欲しますが、グルメブームが加熱した飽食社会では正常な食欲が失われていることが問題です。世間の中年男性のお腹を見れば3、4割食べ過ぎ説には説得力があります。本当の食欲は体に必要な栄養素と適量を判断できますが、注意深く食欲を観察しなければ見過ごしてしまいます。パブロフの犬のように昼休みにお腹が空くのは条件反射ですし、料理の匂いで喚起される食欲も偽の食欲です。
高級という野暮
あおり運転が注目されたのは容疑者のステレオタイプの高級志向です。おそらく彼が幸せでなかったように、高級であることと幸せの間には相関関係も因果関係もないと思います。高級車、高級ホテル、高級レストランに共通する出自は支配階級の生活の模倣ですから、自分の内面とは無関係に得られる幸せは野暮で継続しません。高級に理想を求める思い込みは刹那的な幸福と、それよりはるかに長い欠乏の時間を与えます。多くの人が最晩年に後悔するのは自分らしく生きなかったことです。社会が規定する高級という尺度に囚われて生きると、そこには自分らしさの入り込む余地はありません。街中で車と乗っている人を観察すると、偏見も含まれますが高級車に乗った人はどちらかと言うと憂鬱に見え幸せそうではありません。記憶に残る車は以前都心で見た、駄作だと思っているフィアットの2代目パンダです。4人の中高年の男女が小さな車内でさも愉快そうに談笑していて、開け放たれた窓から見えたカジュアルな服をたなびかせながら走り去った光景が印象的でした。高級と言おうが上質と言おうが同じことで、外部の尺度を用いた瞬間に審美眼の無さを晒すだけだと思います。
オルタナティブがない東京礼賛
英金融大手HSBCが例年行う海外駐在員の生活調査レポートHSBC 2019 Global Report(https://www.businessinsider.jp/post-198008)によると、日本は33カ国中32位とブラジル、インドネシアと並んで最下位グループにランクされます。にわかなインバウンドブームで気を良くしていた日本人にとっては意外な結果ですが、自分の感覚とかけ離れたものではありません。海外のどの都市を旅しても旅行者の目を割引くにせよ生活にゆとりを感じます。日本は短期の旅行で行くには良いけど住みにくいという声は正しい評価でしょう。外国人駐在員が暮らすのは圧倒的に東京ですから、これは世界最大の都市圏東京への評価と読み替えることができます。定着の容易さ、収入、ワークライフバランス、友達づくり、教育の項目でいずれも最低評価をされ、唯一10位以内にランクしたのは、政治的安定だけという評価は辛口に思えますが、日本人にとっても異常な通勤風景やモチベーションを維持しにくい日本の労働環境は身に覚えがあります。それでも東京が礼賛されるのは、豊かな地方というオルタナティブがない日本にとって仕方のないことかもしれません。
無知という怠慢のツケ
既得権益層に不満を持つ市民に支持されてきた市民運動家上がりの文大統領の後継者と目される、次期法相候補の不正疑惑と人柄の二面性が話題になります。経済政策の失敗で景気減速が明確になる一方、周辺諸国からも疎遠にされ韓国のプレゼンスは低下しているように見えます。政治的混乱の失地回復を狙った反日でも暗礁に乗り上げ、万策尽きた感もあります。多くの少年犯罪がそうであるように、一度振り上げた拳を下ろすことができない文大統領は自らの立場を守るために強行突破を試みると予測されます。その行き着く先は朝鮮半島の社会主義化でしょう。韓国の知識層は政治の行く末を冷静に判断するのでしょうが、反日デモに動員されるのは深い考えもなく操られるままに行動する無知な国民です。無知のツケはいずれ自分に帰ってきます。しかしより広い視点で眺めれば対米従属に洗脳され続けた日本人も無知なのかもしれません。米国が東アジア覇権を放棄すれば、日本海と朝鮮半島に対する中露の支配が強まり、日本は自ら防衛し対米自立せざるを得なくなります。無知という怠慢が多極化する世界の環境変化に生き残ることを難しくしていると思います。
高級感より健全性
フィアットパンダが5年目の車検から帰ってきました。自分で買った車で、主に使っていた過去に乗った3台はいずれも10万km以上乗っていて、4台目のこのフィアットは最速で10万kmに到達しました。1.2リットルエンジンのフィアットはこれまで乗った車のなかで最小排気量、最低価格ですが、愛着や満足度では過去の車に引けを取りません。軽自動車用の駐車枠に停められるほど小さいのに5人と犬が乗れて小回りが効き4WDは走る道を選ばず、ディーゼルエンジンは10万km平均で19km/L走り、トラブルとは無縁です。排気量も車両価格もフィアットの4倍ほどするくせに小物がよく壊れ、燃費も悪く、狭い道に入り込めない不便な過去の車には見栄をはる以外の効用はありません。車が趣味だと思い込んでいた頃は、車が大きいとホテルに行った時に誇らしい気持ちになれるとか、そんな貧しい発想に疑問を持ちません。高級車こそ地位財の象徴で、人との比較に明け暮れるヒエラルキー構造の虜になる原因です。フィアットに高級感はありませんが、これ以上の馬力も広さも無用だと思わせる健全性があります。
人生が終わる緊張感
トレラン界最大のイベントであるUTMBの傍らで、昨日は身近な方の海外の山での事故が報道されました。夏の始めにはごく身近な方の山での訃報に接したばかりで、いずれも経験のあるベテランですから、山では誰しも事故とは無縁でないことを思い知らされます。一見平和に見える山はいつも死と隣合わせです。名のあるアルピニストが挑戦するような高山でなくても、よく行く八ヶ岳でも南アルプスでも、あるいはもっと身近な山でもいつも死はそこにあります。平和な日本では日常生活で死を身近に感じる機会はありません。どこか近づき難い古めかしい登山スタイルを嘲笑するように、軽装登山の若者が山に入るトレンドは一面では好ましい傾向であり、他方で目の前にある危険への感度を鈍らせないとも限りません。風光明媚な観光地を回るだけの旅行に飽き足らない人たちの新天地は、より刺激的な冒険旅行です。肉体を自然に晒し、何が起こるか分からない不確定要素が冒険旅行の魅力ですが、その代償の大きさを意識する必要があると思います。人生がいつ終わるか分からないという緊張感があるからこそ、その世界にのめり込むのかもしれません。
DNAに刻まれた本来の居場所
9月に入り増税の足音が聞こえ始めました。足りなくなれば国民から取り上げる発想は好ましくありませんが、国が消費を罰する増税は消費行動を見直すモチベーションになります。消費が礼賛される社会では人間は過剰に対して寛容になります。感覚が麻痺して物欲、食欲をコントロールできなくなり、家にはモノがあふれ、体には脂肪を蓄え、たいていのことでは満足ができなくなり心は貧しくなります。産業とメディアが結託した消費社会は消費の負の側面については考慮しません。平均的な日本人は明らかに食べ過ぎで、3、4割食事を減らせば生活習慣病の多くが改善しますが、人生であと何回食事ができるか考える人にとっては、食べないパラダイムなど到底受け入れられるものではありません。先進国に共通するのは、一人あたりGDPが何倍に成長しても生活満足度だけは変わらないことです。ミニマリズムが一部の人々の消費行動に影響を及ぼすのは、いつになっても幸福に辿り着けないヘドニックトレッドミルに気づき始めたからでしょう。人は心の奥底では何もない静かな心地よさを求めていて、それがDNAに刻まれた本来の居場所だからだと思います。