就任後最低の支持率となった文在寅大統領が朝鮮労働党秘密党員だとする仰天ニュースの真贋は分かりませんが、半島統一の最も現実的なシナリオは北朝鮮による統合です。これまでの文大統領の行動は国家転覆をはかろうとする目的なら辻褄が合います。それでも4割前後の国民が大統領を支持する韓国はミステリアスですが、日本から北朝鮮への帰還事業が1980年代半ばまで続いていたことを考えるとあながちありえない現象とも言えません。ポル・ポト政権下大量虐殺された多くのエリートが率先してカンボジアに帰国したように、祖国への愛は冷静な判断を狂わせるものなのでしょう。見方を変えると日本人こそ非常識とも言えます。太平洋戦争の戦場となりながらも国家が分断されることも難民となることもなく、70年以上に渡り平和な社会を享受しているわれわれの尺度は世界に通用しないのかもしれません。自由も民主も認めない国によって世界の半分が支配されていることを現代の日本人は想像することができませんが、今でも世界は見えない力によって操られているのだと思います。
努力脳と快楽脳
トレイルランニングがまだマイナースポーツの頃は「何十キロも山を走って何が楽しいのか」と聞かれました。山を駆け下りる瞬間は理屈抜きに楽しいのですが、共感を得にくい理由は努力脳と快楽脳の違いにあると思います。快楽脳は生存本能に従う原始的な脳です。不快を避けることで生存確率を高めてきたのですが、身体を動かさなくても生きられる現代になると脳のこの性格は問題を起こします。骨は加わる力に抵抗する最適な構造を発達させ、重力負荷のかかる運動をするほど強くなりますが、安楽な生活をしていると衰えます。人体は鍛えることで骨も筋肉も脳も成長を続けますが、生存脳である快楽脳は余計な努力を嫌います。ハイキングの魅力は快楽脳が感じる快ですが、トレイルランニングは努力脳の快で、苦行の先にある自己実現欲求を求める感覚は理解されません。対象が運動であれ、勉強であれ、仕事であれ、努力すべき対象を辛いものではなく楽しいことに書き換える脳の反応選択が起こるから、何十キロどころか数百キロを自分の足で移動するレースが人々を引きつけるのだと思います。
運動で取り戻す健全さと高揚感
週末にトレイルレースがあり、今更鍛える時間もなく付け焼き刃ですがせめて身体をなじませるためにラブラドールと八ヶ岳の編笠山(2,524m)、西岳(2,398m)に登りました。この一年の怠惰な生活が祟り身体にはキレがなく唯一の武器だった下りのスピードもありません。腰痛も完治とは遠く、追い打ちをかけるように昨日は登り始めてすぐにトレイル横の赤松の根本に巣のあったスズメバチに刺されました。長距離のレースはいつもトラブル続きでベストの状態で臨むことなどありませんので、これも練習のうちです。唯一の救いはこの1週間でお腹の脂肪がだいぶ消えたことです。レースがあると食事を見直し運動を始めるので、体調は相乗効果で良くなり運動に前向きになる高揚感が現れます。逆も真なりで楽な生活に流されていると食事もいい加減、運動も面倒になり加速度的に体調が悪化し、頭の回転も意欲も低下します。運動が学力を向上させることに関するエビデンスはありますが、働くことに関しても同様の効果が期待できるはずです。全身運動で筋肉と脳の血流が上がることで頭が回り仕事に意欲的に取り組む健全さが戻って来ると思います。
働く時間を希望に
敬老の日に昔ほど尊さを感じないのは、世界最高の高齢者比率28.4%を誇る日本の将来に光明を見出すことができないからかもしれません。医療費や介護費の多くは寝たきり状態で使われ、そのことが高齢社会のイメージを暗くします。そこに投じられる費用は教育とは違い国の競争力を高めません。社会保障問題の切り札は国民の健康ですが、誤解を恐れず言えば敬老精神が仇になっていると思います。敬うこと=楽をさせることと解釈された結果、高齢者の身体は本来の加齢スピード以上に弱り寝たきりになります。平日の昼間に那須湯元温泉の鹿の湯に来る人は7、80代が中心ですが、見た目より若い人はフルタイムでないにせよ現役の仕事を持っています。早いリタイアを以前は夢見ましたが、大半の人はある程度の強制力がないと安楽な生活に流されますので、仕事は貴重な存在です。健康長寿で生涯働き、年金受給開始を75歳にすれば人手不足も年金問題もほぼ解消します。二十歳前後の学生に、皆さんは半世紀以上働くことになると話すと絶望する声も聞かれますが、滅私奉公的なレイバーが自分を生かすワークに変われば、働く時間は希望に変わります。
空腹の真偽
1年振りのトレイルレースを週末に控えこの1週間で体重を5kg絞りました。長い山道を走るトレイルレースにとって5kgの衝撃が足に加わるダメージは大きく、減量は必須です。習慣で惰性的に食べていた不健康な身体をデフォルトに戻すことは爽快です。他の人が食べるから、食事の時間だから、食べ物があるから、空腹でもないのに何となく食べる習慣を止めれば身体は正常な空腹のシグナルと健全な食欲を取り戻し、適量を判断します。空腹状態こそ人体の設計上の正常ですが、飽食社会は満腹状態を理想と考え食べ過ぎます。過食により疲労回復は遅れ体が重くなると運動から遠ざかります。一方、運動をすれば身体は本来の活発さを取り戻し、血流改善により節々の痛みも消えて体調が良くなります。狩猟採集の時代、多くの狩りは失敗し1、2週間何も食べない生活に人体は適応し、余計に摂取された食べ物を脂肪として蓄えます。飢餓に苦しむ人類の長い歴史とは逆に、現代人はお金を払って痩せようとします。3ヶ月で50万円以上ライザップに払う人は10万人にのぼりますが、人体のデフォルトである空腹の真偽を見抜く感覚さえ掴めば、自分の体重を最適状態に管理できます。
消費社会の罠
昨日は新甲子温泉を起点に甲子山(1,549 m)、須立山(1,720 m)、三本槍岳(1,917m)、赤面山(1,701m)の四座23km(累積標高1,602m)を歩きました。旅館を営業している頃は余裕がある日に何度か行った正味5時間ほどの周回コースで、途中に2ヶ所の水場があります。山に行く楽しみの一つは冷たい山の湧き水です。昨日の気温は高くありませんが、それでも運動で失った水分と喉の乾きを冷たい湧水で癒やすひとときは至福の時です。自分にとっては過食の上に食べる高級な食事より、山で飲む自然の水の方がはるかに高い満足をもたらします。わが家で一番消費する果物はバナナで、黄色いものより酵素、食物繊維、ビタミン、ミネラル、オリゴ糖、アミノ酸が増える熟成した黒バナナは安く一本の値段は2、30円です。物価の優等生と言われるバナナは手軽で美味しく滋養強壮の素晴らしい食材ですが、時々こんな幻想をします。もしバナナが一本2,000円の高級果物だったら、安いバナナに見向きもしなかった人たちが喜んで食べるようになると思います。自分の評価ではなく需給バランスという社会の評価を追認する行為として消費社会は成立するのでしょう。
福島での幸せな日常
昨日から日中でも13度程しか気温の上がらない甲子高原に来ました。ラブラドールと阿武隈源流沿いの原生林を歩くと、旅館を衝動買いした理由であるこの森が自分が戻るべき場所だと感じます。天国と呼べそうな場所はここをおいて他に見あたりません。卓越した景色とか、ずば抜けた自然ではありませんが、轟々と流れる美しい水とブナ原生林の緑に心が落ち着きます。人が本来住むべき場所は森なのだと思います。ここでは草を刈れば自分だけのトレイルが作れ、そんな小道を通って阿武隈源流を見下ろす崖の上にある自分しか知らないメディテーションルームに行きます。いつも寄る那須湯本温泉の鹿の湯は夏の雑踏が嘘のように静まり返り、秘湯風情が立ち込めます。この温泉と源流の森、裏那須の静かな山があれば他には何も必要ありません。幸せはミシュランレストランや海外旅行に行くことではなく、自分が本来いるべき場所と日常を見つけることだと思います。源流の森に佇む瞬間、鹿の湯の湯船に身を沈める瞬間、早朝の那須連山を駆け下りるその瞬間が愛おしく、東京に拠点を移して初めて福島での生活が幸せだったことに気づきます。
熱しやすい日本人
例年この季節に行くホテル業界の会合があって、6年前の今頃2020年夏季五輪の東京開催が決まった直後の参加者の表情が一様に明るかったことを思い出します。景気が悪く沈みがちだった雰囲気が一変して設備投資など前向きの話題が盛んでした。にわかなインバウンドブームと重なり、アパホテルが3万円で売られる狂乱の時代がそこから始まるのですが、少なくない識者が指摘したように2019年不況説が現実味を帯びてきたと思います。国内宿泊需要は旅行参加率が低下し社会保険料の増額懸念など団塊世代の需要にも暗雲が立ち込め、主要空港の発着枠がほぼ限界に達し、7月、8月のインバウンドも良い話を聞きません。一方リミテッドサービスのホテルは完全な供給過剰になっていながら今年以降も恐ろしい勢いの新規開業が続きます。大手参入が本格化する民泊は全てのOTAがホテルと並列してこれらの施設を販売しています。各地の空き家活用や世界最大規模のOYOの参入、16万トン超の客船が係船可能な東京国際クルーズターミナルが来年稼働を始めれば数千室単位の供給が増えます。観光立国を掲げる日本に投資が集まり、不動産開発が活発化して供給過多が止まらない狂乱を見ると、熱しやすいのは隣の国だけではないと思います。
不調の手がかりは内側に
年初からしびれるような腰痛が気になっていて、スーツを着ている頃ならその異変に気づいたのですが、半年ぶりに体重計に乗ると4、5kg増加していました。現代人を悩ます体調不良の多くは原因不明の不定愁訴とされ、医師からはストレスや疲れといった曖昧な説明を受けます。大半の不調は人体のデフォルトから逸脱した生活への警告で、その原因は食べすぎ、運動不足、サーカディアンリズムを無視した生活の3つに収束します。これらは、更年期以降に襲ってくる様々な不調と生活習慣病の主犯であり、商業主義優先の間違ったライフスタイルが奨励される社会では誰にとっても無縁ではありません。産業が誘惑する快楽と安楽を断ち切り、食べないことや運動をすることを我慢ではなく、そこに快を見出すことは簡単ではないように見えます。しかし、一見複雑に見える人体は、実は非常にシンプルな法則に基づいて動いていて、体が戻るべき本来の居場所である生体恒常性のデフォルト状態さえ理解してしまえば、糖質過剰社会における食欲の嘘や、安楽さを求める生活の不健全さ、スマホ依存の健康被害の深刻さを体が直感的に理解します。人は外から不調を治そうとしますが、治す手がかりはいつも自分の内側にあると思います。
幸せの屋上屋を架す
18年前の今日は大阪にいて、昨日のように日中は暑く珍しく空気の澄んだ一日でした。ホテルの客室から見た瀬戸内海を、キラキラと照らしながら西に沈む太陽が上空の雲を美しく照らす光景が印象的でした。2機の767が貿易センタービルに激突したのを知るのはその4時間後の緊迫したニュース番組です。一種のトラウマなのかその日の情景はよく記憶しています。当時勤めていた米国系企業の社員3名が犠牲になったことは後日知りました。悲劇が起こるたびに、あるいは週末に首都圏を直撃した台風の影響による不便な生活も同様ですが、当たり前の日常生活の有り難さを人は忘れます。すでに十分満たされていることを忘れ、何事にも人と自分を比較しさらなる幸せを求めて屋上屋を架そうとします。ことに仕事での成功を人生の成功と捉える傾向が強い日本人は、その尺度を金に求めます。金に置き換えられない日常生活の充実はいつも片隅に追いやられ、SNSは幸せを誇張するメディアとして執着を拡散します。誰もが幸せを目指す権利は当然視されますが、いびつで野放図な幸せ追求の一方で、毎日同じ満員電車に乗るような不幸は一向に改善されません。