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欠乏こそ幸せの鍵

梅雨が明けると本格的な旅行シーズンが始まりますが、人が最も幸福感を感じるのは旅行中ではなく旅を準備している時だとされます。断食の魅力の一つが次の食事を想像して空腹を楽しめることであるように、欠乏とともに人は充足を覚える生き物かもしれません。休日が少なく貴重だからこそ休暇を楽しめるのであって、リタイアしていくらでも時間が使えるようになった時には思ったほど幸せではないのでしょう。欠乏時の期待こそが満足の鍵だと考えるなら、ディズニーランドのアトラクションや有名店に入るのに嬉々として行列に並ぶ理由にも納得できます。一方で人は分かりやすい幸せを実現しようとして条件付きの幸福に固執します。幸せの本質は今この瞬間を感じる感性であって、他人に与えられた贅沢を追求するなら幸せの感受性は衰え、幸福になる機会を手放すことになるのかもしれません。

すでに実現している2039年

「ヒトラーの終末予言-側近に語った2039年」を読みました。自分と同年代の人が「1999年7月世界滅亡」説を信じるきっかけともなり2020年に没した五島勉氏の2015年に出された著書です。ヒトラー予言者説は都市伝説界隈では知られますが、彼が40数度の暗殺を逃れた史実を考えると未来を見通す力を持っていたのかもしれません。印象的なのは五島氏にこの著作のアイデアを与えたのが三島由紀夫氏だったことです。悪夢の予言とも言える未来SF「1984年」がジョージ・オーウェルによって書かれたのが1949年であることを考えると不思議ではありませんが、本書が1988年の著作の復刊で当時と本文が変わっていないことを考えると、管理社会と思考停止が進む2022年の世界を語っていたことは多少不気味です。予言は期限をあらかじめ言明することに価値がありますが、2039年を待たなくてもすでに実現しているとも言えそうです。

手間を惜しまず丁寧に

新宿の住友ビルにある平和祈念展示資料館でシベリア強制抑留者や外地からの引揚者に関する展示を見ました。ウクライナ戦争を見るにつけ、平和を満喫しながら戦争の本質に目を向けることもなく、平和こそが最大の価値だと語るところには偽善と退廃がはびこると思います。部隊番号や氏名が丁寧に刻まれ個人の識別に使われた認識票や、シベリアの収容所で作られた抑留者による手製の食器の柄に彫られた文字の美しさが印象的です。戦争という非常時下にあっても、極寒の耐乏生活であっても平穏な心を保ったまま丁寧な仕事をし、わずかな隙間に美的な要素を取り入れてきた先人の勤勉さを感じます。何事も雑に扱わず、どんな簡単な仕事であっても手間を惜しまず丁寧に仕事をすることで心に余裕が生まれ、非情な環境に置かれても最後まで人間らしさを保てるのでしょう。

因果応報は人の定め

ウクライナ戦争は世界に影響を与え始めていますが、最も壊滅的なのはカルロス・ゴーンの逃亡先でもあるレバノンとされます。ヒズボラ支配により世界から愛想をつかされたレバノンは2019年から続く経済危機、90%以上下落したレバノン・ポンドとハイパーインフレに小麦の輸入が止まり、石油備蓄を使い果たし、電気や水、食糧、医療、教育が崩壊し国民の四分の三が2ドル以下で生活する貧困層に陥り、もはや中東のパリと呼ばれた面影はありません。富裕層の大半が国外脱出するなか、国際手配中のカルロス・ゴーンはレバノン当局による軟禁状態にあり、日本の拘置所暮らしの方がむしろ平穏だったのかもしれません。ベルサイユ宮殿の結婚式など、贅沢な暮らしを人生のゴールにするなら、その晩年は思ったほどには幸せではないのでしょう。因果応報は人の定めなのか、栄華を極めた独裁者の末路は落ち目のプーチンとも重なります。

食糧危機は怖くない?

冬に始まったウクライナ戦争が夏を迎え、ロシアとウクライナが小麦の29%、世界の総カロリーの12%を輸出する最大の穀倉地帯であることから食糧危機はもはや不可避とされます。国民に食糧備蓄を呼びかける国もあり、家畜の餌を人間にまわすといった方法も含め抜本的な解決策は見当たりません。ひとたび食糧危機が顕在化すれば棚から商品が消えることは必至ですが、食べることを最小化することが最大の対策かもしれません。不安を増大させる原因が食への欲望なら、食べることへの執着を手放すことが有効な対策でしょう。大半の人は賛同しないでしょうが、人間は通常考えられているよりはるかに少ないカロリーで生きることが可能です。ライトイーターと呼ばれる300kcal程度で生きる人は世界に数十万人いるとされ、食べる量を減らせば食べ物への集中度が増しむしろ満足度は高まります。食糧危機は、不健全な食べ過ぎ解消と人体の可能性追求の絶好の機会になるのかもしれません。

大衆車の方が幸せ

鹿児島県南部の知覧町まで車で往復し、初日は1,100kmほどを走りましたが、フィアット最小クラスの大衆車でも、以前乗っていた排気量が4倍の車でも遠乗りの快適さや楽しさには違いがないと思います。30年前に乗っていた初代のフィアットパンダは中央道の談合坂の登りでは80km/hを維持するのが精いっぱいでしたが、ほぼ同じ排気量ながらターボを備えた現行車は新東名の多くを占める120km/h区間の流れに乗るのに何のストレスもありません。GT-RやLX600といった国産車は今や2,000万円クラスですが、移動が車の本質であるなら、10倍の値段を払う価値を感じません。小さい車なら制限速度の範囲で走ってもストレスを溜めませんし、運転していることさえ忘れるような快適な車のように眠くなることもありません。高級品になるほどあらゆる商品の限界効用は急速に逓減して行き、変な執着がわかない分大衆車の方が幸せなのかもしれません。

塩と砂糖と脂肪だけ

普段は外食をほとんどしませんが、旅先での食事は大きな楽しみです。旅行中も一日一食ですが、他方でグルメ情報を血眼で調べることもありません。一番印象に残った食事は九州の帰り道に三原市で泊まった宿です。1泊2食4,900円という破格の値段は戦後まもなく建てられた施設が老朽化しているからですが、それを懐かしい昭和の風情と受け止めるのはこちらの勝手です。大金を払えば期待が先行する反面、この値段なら何を出されても平静でいられます。しかし予想を超える料理に手抜きはなく、朝夕に出された脂の乗った焼き魚の美味しさは格別でした。良い食材があればあとは基礎調味料の問題であり、ヒトの美食追求とは詰まるところ塩と砂糖と脂肪を求めているだけでしょう。前者は身体の維持に必要であり、後者はかつて貴重な食糧であった果物を見つけた時の麻薬的な歓喜の記憶だと思います。グルメ情報の氾濫は過剰な期待と執着を増やすだけのように見えます。

自分の能力を使う移動が旅の本質

アメリカなどに比べて道路インフラが見劣りする日本ですが、九州まで自動車で移動するメリットは少なくありません。何より公共交通機関のない場所に自由にアクセスでき、天候や時間の変更に柔軟に対応が可能です。ラブラドールと一緒に旅ができ、夜は犬小屋になります。自動車は移動する家でもあり、自宅を遠く離れてもそこは部屋の一部です。運ぶことを気にせずお土産を買うことができ、自宅にある家電品を積んで行けば湯治宿でも自宅同様の快適さが確保されます。自分の足ではないまでも長距離ランニングに近い感覚が得られ、往復3,200kmを走ると一種の達成感とともに移動を主体化できます。自動車の運転は左脳で判断し、右脳が車の動きをイメージする共同作業とされ、無意識に周囲を見渡し手足が勝手に動いて状況を予測しすべてを把握し、同時に集中しています。自分の能力を使い移動することは旅の本質なのかもしれません。

昭和の感性は知的で大人?

昨日は父方の親戚が住職をする広島県内の寺を訪れました。故郷らしき場所を持たない自分にとっては、子供の頃、夏の暑い時期に来ていた記憶をとどめる特別な空間です。山の中腹にある境内から瀬戸内海越しに眺める島々は、田舎ならどこにでもある当たり前の風景の連続する心地よい場所です。質素な暮らしを通した静寂の中でこそ自分の内面に焦点を合わせることができると思います。その後宿泊した三原市の旅館は戦後まもなく建てられた懐かしい昭和の風情を残す建物で、床の間や明り取りの障子の造作など、簡素ながら日常のなかに芸術性に接する美意識を当時の日本人が持っていたことが分かります。日本が今ほど豊かになる以前の昭和の感性の方が、今風の快適な宿泊施設より知的で大人に見えます。

生きたかった未来

昨日は九州に来る最大の目的であった知覧特攻平和会館に行きました。鹿児島県にはなぜか縁がなくて訪れるのは高校生以来です。印象的なのは死を目前とした遺書の字の美しさです。達観の境地がそうさせるのか今なら高校生か大学生の年頃なのにどの遺影の写真も落ち着き払って見えます。展示物について多少の知識はありましたが、それでも自然と涙が流れます。心無い平和活動家は戦争賛美と言いますが、若い彼らが生きたかった未来を生きるすべての日本人が見るべき場所だと思います。特攻作戦を美化したり肯定すべきではありませんが、福島の原発事故でも国難を救ったのは無責任な指導者ではなく捨て身で対処した最前線の人たちです。平和が当たり前になると無事に生きられることに感謝をすることもなくなり、自分の幸福ばかりを追求します。戦争が異常であるなら、歯止めのない我欲と堕落に満ちた今の風潮も異常でしょう。

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