昨日は甲斐駒ヶ岳(2,967m)に登りました。深田久弥も日本十名山を選ぶならこの山は落とさないと言ったとされ、独立峰のような山の形は神々しく近づきがたい威容を誇ります。竹宇駒ケ岳神社から標高差2,200mを上がる黒戸尾根は急登が長いだけでなく、後半に、ハシゴと鎖の連続するスパルタンさからハイカーには敬遠されるルートで、静かな山歩きを楽しめます。神社の裏手から吊橋を渡り樹齢数百年クラスの巨樹の森を抜けるとやがてブナ原生林が始まり、さらに高度を上げると苔むした美しい庭園が続き、後半は垂直に登り一気に高度を上げる変化のあるトレイルは長くても飽きません。開山以来歩き続けられて来たルートは登山道というよりは参道のように美しく、しかし後半は垂直の岩をハシゴや鎖で高度を稼ぐ修行の道です。登山道具もない時代の祖先が人を寄せ付けない巨石の壁に挑むことは、神に近づく行為だったのでしょう。1907年に陸軍参謀本部の命令で測量のために初登頂したと思われていた剣岳の山頂では平安時代初期の錫杖頭が発見されました。整備された登山道を使うわれわれも、峻険な山に分け入った行者と同じ景色を見ているはずで、信仰の山は時代を超えることができます。
日常の食事こそが偉大
スーパーで買えるキノコの種類が豊富で安いことは長野県にいるときの喜びです。キノコ汁を東京で作ろうとするとスーパーに売っている全種類のきのこを買う必要があるのとは対照的です。これに玄米と納豆、冷奴があれば他には何もいりません。ついでにオリーブオイルで焼いたバナナのデザートがあれば自分的にはフルコースです。もともと食べる回数が少ない上にこれらはいずれもパックから出すだけで料理とさえ言えないお手軽さです。平凡な日常食は、とても毎日は食べられないような豪華な料理とは違い飽きません。毎日食べられるものこそ本当に好きなものであって、食べた横からあれが食べたい、これが食べたいと自ら幸せのハードルを上げるより、毎度の食事に感謝をして心の平安を得ることは気持ちを豊かにします。「ごちそうさま」と食後に手を合わせて食事を終える習慣が身ついたのは、恥ずかしながら比較的最近のことです。以前は毎日の食事など気にもとめず有り難いとも思いませんでした。粗食にしても食べる楽しみを失うことがないのは、美味しく感じられる日常の食事こそが真に豊かで偉大だからでしょう。
人生の半分を過ぎてからできるようになること
昨日は西岳、権現岳、赤岳、阿弥陀岳のミニ縦走に行きました。昔なら赤岳は泊りがけで行く山でしたが、トレイルランニングなら日帰り圏の山に含まれ、午前中に帰ることも可能です。昨日の消費カロリーは3,646kcalですが体がケトン体を使えるようになると途中で行動食などの補給をする必要がなくなり7時間40分をノンストップで歩けます。若い頃は1時間おきに休んで補給をしましたが、先週行った仙丈ヶ岳でも9時間20分間運動を続けてもエネルギー切れになることも補給の必要もありません。世界最高峰のトレイルレースのUTMBを2年連続でマルコ・オルモが58歳と59歳のときに優勝できたのは、彼の体がケトン体を有効に使えたことが関係していると思います。更年期を過ぎた体が、頻繁に補給が必要な解糖系からケトン体系エネルギー産生回路に変わることは若い選手に対するプレゼンスになります。若いときの体ではできなかったことが人生の半分を過ぎてからできるようになることは痛快です。空腹時の運動はミトコンドリアや長寿遺伝子を活性化する上でも有効とされ、下山後の食事が美味しくなることは言うまでもありません。
プライドとメンツの負け戦
今年に入ってからもシステム障害が続発するみずほの基幹系システムが再び注目されます。永遠に完成しないIT界のサグラダ・ファミリアには、もはや再発防止策がないのでしょう。エリートの集まるコーポレート銀行、四大財閥の一角と店舗数ナンバーワンのコンシューマー銀行の結婚は、半沢直樹シリーズの上をいく同居離婚状態にも見えます。三行出身者が死に絶えるまで4,500億円をかけたシステム投資を諦めず、プライドとメンツだけでシステム統合という幻想を追うのかもしれません。人は学ぶことを放棄し謙虚さを失えばプライドやメンツだけで生きるようになります。太平洋戦争の敗因の一つは、傲慢さを増長させるエリート登用にありますが、現代の我々はその歴史から何も学んでいません。ハンモックナンバーで選ばれた経営層が机上の空論で意思決定をする深刻さは今そこにある危機です。傲慢さこそが最も憎むべき悪しき人間の性癖ですが、それは汗水を流して働く美徳を軽視することから始まると思います。10年ほど前にカンボジアを訪れた時、朝の5時前から人々が道路を清掃しているのを見たときの清々しさを今の日本は失ってしまいました。
政治の本質は暴力支配?
最後に立候補しながら早々と敗退宣言をした野田氏の自民党総裁選への出馬は、選挙戦に少なからぬ影響を与えたと思います。史上初めて男女2人により争われる混戦は第100代の首相を選ぶにふさわしい盛り上がりを見せます。公開討論でも曖昧な主張を繰り返す2人の男性の不甲斐なさに比べ、より明確で筋の通った主張をするのは女性の候補者です。ネガティブな質問に対する説明も同じで、夫が元反社の野田氏が一定の説明をしたのに対して、親族企業が中国で異例の厚遇を受ける河野氏は回答を避けた格好です。男女の違いとして一般化すべきではありませんが、こと今回の選挙に関して言えば、男は危機事態でリーダーシップを発揮する政治家としては心もとなく見えます。世界を見れば女性の政治家が危機事態で見せた頼もしさは印象的ですが、最後に腹をくくれるのは女性のような気がしてきました。令和2年版の犯罪白書によると刑法犯の8割は男で、やたらマウントを取りたがる単細胞が多いのも男です。男が相対的に粗暴なことは動かしがたい事実であり、男中心だった従来政治の本質は暴力支配だったのかもしれません。
多過ぎて救えない
リーマン・ブラザーズが経営破綻したのは13年前の9月15日ですが、中国発のリーマンショックとも言うべき恒大集団の巨額債務問題が注目されます。過去12年間急成長した黒字経営の優良企業ですが、同時に仕入れ債務と有利子負債が積み上がり、身の丈を超えた早過ぎる返済スピードによる黒字倒産が目前となりました。同じ問題を抱える不動産セクター全体に疑心暗鬼が広がると崩壊が一気に始まります。かつては大き過ぎて潰せないと言われましたが、今や多過ぎて救えない状況で、不動産で経済を回してきた中国を襲う災禍を過小評価することはできません。日本の不動産神話が崩壊したとき、拓銀や長銀などの金融機関まで飲み込まれた苦い記憶が蘇ります。以前から破綻懸念のある恒大集団は売り込まれ続けており、欲深い玄人筋の投資家はすでに安全圏に去っていることでしょう。厄介な自我は自分さえ良ければという損得の世界に人間を追いやり、自分でも御しきれない欲と執着の世界を作ります。私利私欲と傲慢に走れば自らを破滅させることは企業も人間も同じでしょう。
大衆車こそ最良
週末にフィアットの警告灯が点灯しヘッドライトが切れていました。14万km以上走って壊れたのは消耗品の電球だけですから車への信頼感は揺るぎません。最も大量に生産される大衆車こそ最良との信念があるのは、過去に乗ったより高価格な車がみな不具合を抱えて修理工場に行く必要があったからです。ポルシェはオートエアコンが壊れ視界を確保できなくなり、レンジローバは自慢のエアサスが壊れ走行できなくなりましたが、いずれもフィアットほどの距離は走っていません。無用なギミックや車の基幹部品が壊れる信頼性の低さは、これらの車が訴求してきた揺るぎないはずの信頼を破壊するのに十分です。仮にフィアットが壊れたとしても安い車だから仕方がないとあきらめもつきますが実態は逆です。自動車評論家は短時間のロードテストで車の印象を語り消費者はその評価の影響を受けます。しかし、自分の車になればアバタもエクボでNVHや高級感など仔細な問題であり、一番知りたいのは機械としての信頼性です。われわれの消費行動はいかに的外れな情報でミスリードされているかに気づくべきなのでしょう。
見落としているのは自分自身
週末にロングトレイルを歩きましたが、運動は体に様々な恩恵をもたらします。その最大のものは食事が美味しくなることで、運動✕少食=最強のグルメだと思います。食事に対してストイックになると、ちょっとした刺激に味覚が敏感に反応します。食事が待ち遠しく、何を食べても美味しく感じます。美味しいものを食べて幸せを感じることと、何を食べても有り難い条件なしの美味しさではどちらが幸せかを考えさせられます。快楽追求の食事と生きるための食事の違いは、脳神経的美味しさと生理的美味しさとも言えます。美味しいものを求めると、期待値が上昇し美味しいものを食べ続ける必要が生じます。その結果美味しさの違いはやがて微細なものになり、微細な差の行き着く先は差異そのものの無意味化です。美味しいものを食べ続ける料理評論家は美味しさ以外の蓄えた知識を語るようになり、それはスノッブな言動に現れます。評論家と名の付く人は取るに足らない対象物の細事を一大事かのように語る傾向がありますが、見落としていることは食べ物を消化吸収する自分自身のことだと思います。
効能を知れば運動は楽しい
昨日は南アルプスの仙丈ヶ岳(3,032.9m)と大仙丈ヶ岳(2,975m)に登りました。TJAR後半の南アルプスへの入り口となる地蔵尾根は駐車場のある標高1,100mから3,000m超まで登るそれなりにスパルタンなルートでハイカーよりはトレイルランナーを見かけます。苔むした森林の美しさは魅力的ですが前半はほとんど標高を上げない往復27.4kmのトレイルの長さは一般向きではありません。累積標高は2,720mで多めに表示されると思われるカロリー消費は4,398kcalですが、無補給で一日歩いても何ら支障はありません。空腹時の運動はグレリンが分泌されエネルギーを作り出す細胞のミトコンドリアを強化するとされます。また断食により燃やすものが無くなると脂肪が原因でできる動脈中のプラークも退縮します。人が健康に生活をするためにはエネルギーを生み出すミトコンドリアと筋肉の強化が必要で、長時間の有酸素運動はミトコンドリアを活性化し、登りと下りで異なる筋肉を使います。とくに下りで破壊された筋肉を回復するときに大量の成長ホルモンが分泌され、血管強化や肌のはりをよくし糖質を吸収し糖尿病なども改善するとされます。こうした効能を知れば長時間の運動は楽しみに変わると思います。
再び野菜に回帰
野菜の一大産地である長野県に来ると食事は野菜中心になります。ベジタリアンではありませんが、肉より野菜が体に負担がかからないことに気づくと、崇高な理念や思想信条ではなく結果的にベジタリアンになります。他方で感情のコントロールに関連するセロトニン不足からメンタル的に不安定になるとの指摘もあります。しかし「○○を食べねばならぬ」との主張の大半は嘘か極論だと思います。そもそもほとんど何も食べずに健康を維持している人は世界に少なくとも数十万人いることを考えると、全てが矛盾する健康常識より自分が体感する健康実感を信じます。殺生を減らすベジタリアンはドーパミン分泌型食文化とは対照的で、欲を離れようとする精進料理にも通じます。外科医によるとベジタリアンの動脈はきれいで健康的だと言います。ポリフェノールやフィットケミカルは若返り効果や抗がん効果が期待され、体内でビタミンCを合成できない人類は主に果物と野菜から摂取します。国をあげて生活習慣病の克服に取り組む米国では野菜を食べるようになり、1990年代後半になると日米の野菜摂取量は逆転しました。戦後アメリカの食文化を模倣し続ける日本は再び野菜に回帰していくのでしょう。