
熊本地震からちょうど2年が過ぎました。先々週阿蘇に行き、甚大な被害を受け復旧工事が進む阿蘇神社に伺った日は桜が満開でした。震災の爪あとを見るにつけ、自分の生活が満たされていることに気づきます。失ってみないと普段の何気ない生活の尊さを人は感じることができません。
欲望は一方的に増殖し留まることがありません。誰もが幸福を求めながら、際限のない欲望や比較による満足の罠に陥りがちです。お金や地位や名誉といった、長年求め続けてきた地位財の呪縛から距離をおくことは簡単ではありません。すでに自分が満たされていることに気づくことこそ幸せになる最良の方法だと思います。
娘が留学する高校のフェイスブックに、娘の写真が載った新聞記事が投稿されていました。高校の隣にある小学校で折り紙を教えているようですが、人口1万人の町ならではです。宿のある人口2万人の西郷村にしても、買い物に行く6万人の白河市にしても、コミュニティとしては顔が見える大きさだと思います。これが自宅のある人口90万人の世田谷区になると匿名性の弊害が現れます。個人が活躍しやすい小さなコミュニティこそ人のポテンシャルを引き出せると思います。
昨日はかつての職場の同僚の結婚式と披露宴に呼んでいただき、なぜか90名以上の参列者のなかで唯一ドローンまで当たってしまい、よき一日となりました。犬好きの彼女らしく、愛犬が結婚指輪を運ぶなど随所に工夫のある結婚式と披露宴は驚きの連続で、プライスレスに素晴らしいものでした。彼女とぼくが共に職場で過ごした期間はわずか5ヶ月ほどですが、重要なのは時間の長さではなく密度だと思います。ひとつの目標を共有するチームに次々と難題が襲いかかり、涙と笑いに明け暮れた、辛くも今となっては美しい思い出です。何をやるかではなく、誰とやるかが全てだと思います。幸福な家庭を築いてほしいです。

昨日の朝活セミナーで興味深かったのは、健康経営を導入する上場企業が全社アンケートをしたところ、健康意識が高い人は1割、中程度の人は4割、そして残りの5割は「健康が嫌い」という結果です。健康オタクのぼくとしては、「健康が嫌い」な人がいること自体想定外ですが、冷静に考えれば有りうることです。これは大きな示唆で、理想論を掲げて直球勝負をしても社会の行動変容は起こらないのです。政治が混迷して機能しない理由はこのあたりにあるのかもしれません。自宅の八重桜は昨日の強風で散り始めました。
今朝は6時半から渋谷で開かれるセミナーに行きました。電車は空いていますし「朝活」をやらない手はありません。昨日読んだ本の一節に「偉大な発明は例外なく深い内省の旅から生まれる」とありました。宗教思想やヒッピー文化、瞑想に心酔し、インドまで自分探しに行ったスティーブジョブスもそうでしょう。朝の澄んだ空気を吸い2時間人の話を聞くとたくさんの気づきが得られます。

評論家的に書きたくないのですが、自衛隊の日報といい、財務省の改ざんといい、勤勉だった日本はいつからこんな国になってしまったのでしょうか。企業も役所も組織が大きくなれば、組織の論理が優先されて自分が集中すべき使命が見えなくなります。行き着く先は相撲界のように不祥事が常態化します。人は一人では何もできません。しかし組織という安全地帯はそこに依存して利己的に利用する人間を増やし、人の心を狂わせると思うのです。